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オールドイースト  作者: よこ
第2章
129/532

おまけ:それ以前、最中、そして以降(2)

ウォルターの家を出て、一度イーサンは家の前まで戻った。が、家に父親が戻っている様子なのを入り口前で、察知すると、踵を返して、ジムへと向かった。今日、昼に目を覚まして、真っ先にここに電話を入れた。普段だったら、週末はジムでバイトをしているのだ。顔を出すと、子供の頃からお世話になっている師匠と、その弟子のトレーナーに謝罪の挨拶をする。二人はこだわった風もなく、イーサンに少し練習をしていくよう勧めてくれた。イーサンは普通にトレーニングに来ている生徒に混じって、基礎トレーニングに参加した。その後、久しぶりに、師匠とトレーナーと夕食を食べることになった。



 夕食後は、流石に諦めて父親が借りているアパートへ戻る。遠くからでも、自分の部屋に灯りがともっているのが見えた。なんの気まぐれで戻ってきたのか…。イーサンの父親は、母方の祖父がなくなってから、自分の恋人の家に半同棲状態になっており、家賃さえ満足に払っていない。現在の実際の家主はイーサンも同然だった。アパートの部屋にその部屋の借主がいるという理由で憂鬱になるというのも妙な話だ。イーサンはため息をついた。と、アパートの入り口付近に見慣れた人影が見えた。


「ウバイダ…」

「イーサン」

お互いを確認すると、それきり黙った。


「今日は…」

「ああ、めずらしく親父がいる」

「…そうだね」

「行ったのか?」

「君が戻ってるのかと思って…。今日は一日、どこにいたの?」

「ああ?」

「ウォルターのところ?一日、お友達と遊んでたってところかな?」

「お前に、関係あるのか?」

イーサンが、そう答えると、ウバイダは俯いて、口を噤む。イーサンはイライラしてきた。

「少しは人の話を聞く気になったのか?」

と、早口にそう言った。ウバイダは顔を上げると、イーサンに向かって目を眇める。

「どっちの話?」

「お前だろう?」

ウバイダは諦めたようにため息をついた。


「今日は相談があって…」

「相談?」

「うん…」

と、呟くと、ウバイダは簡単に事情を話し出した。イーシャの新しい彼氏のことがアフマディ家で問題になっているという話は、以前に聞いた。その続きのような話で、ウバイダがイーシャの味方をするのが気にいらないという理由で、矛先がこっちにまわってきたらしい。


「例によってアイーダが、関係ないのに入ってきて、母さんをそそのかして、僕に女の子を紹介するって」

「へぇ」

「今回は珍しく、父さんまで話に加わって…で、何故かイーシャの友達を紹介するって話になって…。元々イーシャの問題が発端なんだし、母さんのお気に入りを連れてくるのは、フェアじゃないからって、でも、イーシャが猛反発して…」


イーサンは聞きながら面白そうに目を細めた。家族というのは妙な集団だ。他人のイーサンは聞いていて、くだらなすぎて逆に微笑ましかった。彼らはみな、真剣なのだろう。


「面白いからアナベルがいいって、言ってみろ」

思いついたまま、イーサンが言った。イーサンの返事は予想外だったのだろう。ウバイダが訝しげに眉間にしわを寄せた。


「アナベルって、最近君が、ボクシングを教えている子?確かにイーシャの友達だけど、ウォルターの彼女だろ?」

「彼女じゃないそうだ。奴がそう言ってた」


昨夜その話をきいたばかりだ。付き合ってもいない、おとす事を諦めている相手に、金や時間、手間までかけて、誕生月のプレゼントを贈ろうとする人間の神経など、イーサンには全く理解不能だった。意中の相手が茶番とはいえ、目の前で他の男と連れ立って歩くのだ。少しでも、あのすました顔に焦りが浮かぶか、観察してみたかった。イーサンは偽善者と、自分を欺瞞で守っている人間が、元から嫌いだった。


 イーサンの口元に浮かぶ面白そうな笑みをどう解釈したのか、ウバイダは益々面白くなさそうな表情になった。

「つまり、当て馬をやれってこと?」

「なんの話だ?お前が言い出したんだろう?」


ウバイダはこわばった表情で俯いた。止めて欲しかったのだろう。あるいは、自分で何とかしろと突き放されたかったか…。どちらにせよ、ウバイダは、イーサンが喜々として、この茶番に乗じてくるとは予想していなかったのだ。イーサンはウバイダの内心を見透かした上で、言葉を続けた。


「アナベルだったら、そう頭も悪くない。上手く言いくるめれば、この茶番にすぐに幕を下ろせるだろう。お前は長引かせたいのか?」

と、真顔に戻ってイーサンが言った。ウバイダはため息をつきながら

「頭が悪くないんだったら、こんな茶番、引き受けないだろう」

「そこは俺が上手くやる。そうだな、アナベルにはバイト代を支払うとでも言ってみろ。一も二もなく飛びつくだろう。あいつは金の亡者だ」

イーサンの言葉にウバイダは、訝しげに眉を寄せる。


「そんな手に乗るかな?」

「乗らなきゃ乗らないでいい。お前がアイーダの暇つぶしの犠牲になるだけだ。そっちの展開を望んでたんじゃないのか?」

と、イーサンが見下すように言い切った。


「なんで?そんなだったら、わざわざここには来ない」

「くだらない話で俺を怒らせて、あげく、泥沼展開。お前はたんなる犠牲者で被害者だ。俺に対する、いいあてこすりになるじゃないか?」

イーサンの言葉にウバイダは唇を噛み締めた。


「帰る」

「そうしろ、どうせクソ親父がいる」

うつむいたまま、横顔だけを見せるウバイダを見つめながら、ふいに言葉とは反対の衝動に、イーサンは襲われた。ウバイダの顎を掴むと無理やり上向かせて、キスをしようと顔を寄せる。が、ウバイダは抗った。


「何考えて…」

「何って、嫌なのか?」

ウバイダは絶句した。昨日といい今といい、散々侮辱したあげく、よくこんなことが出来るものだ。


「外では嫌だって、いつも言ってるだろ」

そういうウバイダの目は、欲望で潤んでいるようにしか、イーサンには見えなかった。が

「そうか」

と、素直に諦めた。

「じゃあな」

と、手を上げると踵を返す。クソ親父がいる部屋に戻るよりは、このままウバイダと一晩中、外ででもいいから一緒にいたいという想いを、イーサンは意地で押さえ込んだ。


***


 アナベルのバイトが休みの日だと言う水曜日にウォルターの家を訪問する。応対に出てきた家主は、疲れたような顔をして、イーサンを招き入れた。キッチンに入るが、テーブルの上にはタブレットしか置いていない。今日は謎の作業は行っていないようだった。


「あきらめたのか?」

「何が?」

流しに立ってコーヒーメーカーをセットしながら、ウォルターが訊きかえす。

「アナベルへの貢物だ」

「貢物って…」

ウォルターは嫌そうに顔をしかめた。


「心配しなくても、別の部屋で進めている。この間からやけに絡むけど、僕にどうすべきだって、思ってるんだ?」

「なんで、アプローチしない?」

「自分なりに、やっている。君のいう貢物だってその一環だ」

「まどろっこしいな」

「仕方がない。こっちにも色々事情がある」

「アナベルが失恋したって話か?」

とイーサンが言うと、ウォルターは眉間にしわを寄せる。


「そういう箇所はよく覚えてるんだ…。いや、事情っていうのは、そういうことでもないけど…」

「それこそ攻め時だろう?」

「そんな乱暴な…。それに、彼女の場合、失恋なのどうかも定かじゃない。もっと言えば彼女自身、そのことを認めてもいない。攻め時って、それはあくまでも君の話だろ?」

イーサンの方こそ、首を傾げる。


「何の話だ?」

「変な記憶力だね。君がウバイダと付き合い始めたのは、アブドウジャがアイーダとの間に子供を授かって、パートナー契約を結んだからだって、ぐちぐち言ってたけど?」

今度はイーサンの方こそ顔をしかめた。確かにそんな話をしてしまった。我ながらくだらない嫉妬だ。


「僕の勝手な感想だけど、それは君の考えすぎじゃないかな?ウバイダは、君にベタ惚れしているようにしか見えないけど?。君の方がアブドウジャを意識しすぎてる気がする」

「お前は知らないから…」

「うーん、どちらかといえば、君のそういう感情を承知の上で、ウバイダは君を煽っているんじゃないの?」

「なんだってそんな…」

と、イーサンが眉を寄せると、ウォルターはため息をついた。

「それこそ、君にベタ惚れだからだ」

とだけ言った。イーサンは首を傾げた。


「まあ、昔話はいい。それより、ウバイダから面白い話があって…」

と、イーサンは、先日、ウバイダから持ちかけられた相談の件を、ウォルターに話し始めた。話が進むに連れ、ウォルターの仏頂面が、次第に無表情になっていくのが、イーサンには面白かった。


 その後、来る筈のないアナベルが、のんきにやってきた。事情を話して有耶無耶の内に了解を取り付けると、イーサンはウォルターの家を後にした。お邪魔虫になるつもりはさらさらなかった。


 週末の朝、イーサンは時間通りに公園へと向かった。真面目な生徒はすでに来ており、ストレッチを始めていた。

「よお」

「イーサン、おはよう」


何の屈託もなく、生真面目にアナベルが応じた。彼女のお目付けは最初の二日は顔を出したが、以降は訪れない。自分の方のお目付けが今日来るか…。木曜日にアフマディのお店に食事に行った際には、ウバイダは姿を見せなかった。


「この前の日曜日は悪かった」

「うん、大丈夫。タダで教えてもらってるんだ。文句なんかないよ。途中からウォルターも来たし。それより、この前は聞きそびれたけど、大丈夫なのか?すごく酔ってたってウォルターが言ってたけど?」

「ああ、バカな真似をした。二度はしない」

と、イーサンが言うと、アナベルはほっとしたように息をついた。


「なら、いいんだ。お酒はほどほどにしろよ」

と、当たり前でありがたい訓示をたれる。イーサンは構わず

「木曜日にイーシャにきいたが、本当に素直に引き受けたんだな」

と、言った。するとアナベルは、怒ったような表情になって

「お前が勝手にそう、決めたんだろ?第一あんな風に言われて、他にどうしろってんだ?」

と、応じる。


「あと、女に見える格好って、後で請求書渡してもいいのかよ?」

と、言い出した。イーサンは閉口した。なんというか、聞きしに勝る、がめつさだ。一瞬、負けそうになる。


「必要経費を請求したいんなら、イーシャに言え。元を糺せば、あいつのせいだ」

と、切りかえした。途端にアナベルが苦虫を噛み潰したような顔になる。

「出来るかよ…」

「なんで俺ならいいんだ?」

「お前が言ったんだろうが!けど、まあ、考えてみたら、今、タダで教えてもらっているし…」

と、急にアナベルは弱気になった。イーサンは肩をゆすって笑い出した。本当に現金な女だ。


「まあ、そういうことだ。せいぜい頑張ってくれ」

と、文脈を無視した励ましの言葉を口にすると、イーサンはトレーニングを開始した。

この日、ウバイダは姿を現さなかった。


***


 そうして、ウバイダとは仲直りしないまま、もう一週間が過ぎて、気が付けば、偽装デートの日を迎えていた。正午前、イーサンはジムで、午前の練習時間の後片付けをして、午後の時間帯に備えて、ランチを食べに出かけようと上着を羽織っていた。ウバイダがふらりと現れて、ガラスの向こうで手招きしている。イーサンは、少し急いで外に出た。


「なんだ?」

「午後もバイト?」

「その予定だが」

「少し抜けられないかな…」

こちらと目を合わせないよう、注意深く顔をそむけながら、ウバイダが妙な事を言い出した。


「なんだ、付き添いが必要なのか?」

「アナベルにしろって言い出したのは、イーサンだろ?責任をもって見届けてくれなくちゃ…」

「何の責任だ…」

と、イーサンはあきれて、苦々しい顔になった。と、師匠がトレーナーと並んで、表に出てきた。おそらく昼食のために外出するのだろう。トレーナーがウバイダに気が付いた。


「ウバイダ、久しぶりだな」

「ご無沙汰してます」

と、ウバイダは素早く猫をかぶった。彼は子供の頃から大人受けする子供で、もっと正確に言えば、大人がどういう子供を好むのかを的確に察知して、それにあわせて振舞う習慣が身に付いてしまっている子供だった。イーサンは目を細めて、三者の対面を観察してしまう。


「何か用か?」

「イーサンにちょっと…」

と、ウバイダは言いにくそうに顔を俯け、言葉を濁す。

「イーサンに?」

「午後に少し、彼を連れ出すのは、差支えがあるでしょうね?」


トレーナーと師匠が顔を見合わせる。師匠は、以前からイーサンが一人でいることを好んでいる様子なのが気になっていた。ウバイダがジムにいる頃、彼らが親しげだったのには気が付いていた。イーサンに友人を望む師匠は、ウバイダの依頼に快く頷いた。


「少しくらいなら構わないが。イーサン」

「…はい」

「どうするね?」

と、今日ここで、初めてウバイダがイーサンの顔を見た。

「イーサン…」

とだけウバイダは言った。その表情と口調に、イーサンは逆らうのをあきらめた。


「申し訳ありませんが、午後少し、抜けさせてもらってもいいでしょうか?」

「わかった。戻りは何時くらいになりそうかな?」

「三時には」

「なら、問題ない」

こうして、ウバイダは第一のお供を獲得した。


 師匠とトレーナーに、礼儀正しく頭を下げると、二人は連れ立って歩き始める。イーサンがジムでのバイトに本腰を入れ始めてから、こんな風に週末、二人に日中で歩くこともなくなっていたことに改めてイーサンは気が付いた。それでなくともまともに会うのは、二週間ぶりだ。ウバイダの肩に手を回して、自分の方に引き寄せたくて、イーサンはイライラした。が、ウバイダは隙を見せない。


「次はウォルターだ」

と、イーサンの鬱屈を知ってか知らずか、ウバイダがまたしても妙な事を言い出した。

「はあ?お前、何考えて…」

「知ってるんだろう?彼の家。しょっちゅう遊びに行ってるんだから」

「そんなに、頻繁には行ってない」

「どっちでもいいよ」

言うと、ウバイダは顔をそむけた。一体、何を考えているのやら。


「連れて行ってよ」

「これからか?」

「ランチに誘おう」

ウバイダが楽しそうに言った。

「デートの見学会か?」

「興味ない?」

「いや…」


必要経費を請求してやるとかなんとか騒いだ翌日、イーサンはアナベルに

『どっからどう見ても、女にしか見えないスカートを手に入れたぞ!周りも大絶賛だ。どうだ、ざまあみろ』

と、勝ち誇ったように、わけの分からない自慢をされたことを思い出した。


「そういや、先週アナベルに、わけのわからない自慢をされたな」

「自慢?」

「ああ。どっからどう見ても、女にしか見えない格好をするとかなんとか、ざまあみろ、とまで言ってたな」

「本当に?」

ウバイダの方があきれて目を瞠った。


「そうだな、あそこまで言うんだ。どんな格好か見物に行ってやらないと、悪いだろう」

不意に、イーサンは乗り気になった。

「俺が見物に行って、ウォルターが行けないというのも確かに気の毒か。仕方がないからあいつも付き合わせるか…」

と、呟くと、イーサンは先に立って歩き始めた。元々茶番だ。早く片付けるに越したことはないが、その過程に乗っかって、多少は遊ばせて貰わないと、振り回され損というものだ。

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