1-2 オールドイーストに来た日(5)
ディスプレイに映る情報を読み取りながら、リパウルは頭の中で計算する。
(ただ、治療費を得るためだけなら、これとこれで、何とかいけるけど…)
ただ、アナベルにも伝えたが基本的に、寮生はバイトを禁じられている。それに、リパウルの立場から、バイトばかりを推奨するわけにもいかない。ボスが何を考えているのか、推測しか出来ないが、本来であれば、アナベルはオールドイーストの高等校に越境者として編入できるほど優秀ではない。越境者による編入は、地方に住む者の中でも、特別優秀な者のみに与えられる、いわば特権のようなものだ。アナベルの成績は、オールドイースト在住の一般的な生徒と比べて、酷く劣っている、というわけでもないはないが、飛びぬけて秀でているというわけでもない。
(平日に二件、学生向けバイトで短時間、単価のよいもの、で治療費はぎりぎり。ただ、この設定だと、寮の門限が少し厳しい。場所によっては、時間オーバー。規則違反がばれたら退寮処分は免れないから、本末転倒…。仮に平日のバイトを一つ減らしても、休日の学生向けのバイトは長時間の割りに単価はよくない…)
(平日のバイトを二件で、寮には住まない…)
と、なると、生活費が発生する。エナに頼んでも…
(無理か…)
今日来る“娘”のサポートを、リパウルがエナから命じられた件を耳にした同僚などは、…またエナの足引っ張り?自分のライバルになりそうな優秀な人材に、わざと雑務を押し付けて業績を上げさせまいとする…などと、皮肉っぽい口調で呟いた。ここで言う“ライバルになりそうな人材”とは、無論、新米の自分などではなく、自分の上司を指しているのだ。
…同じチームの人員が、所長の個人的な都合で拘束されるのだ。それでなくともリパウルの直接の上司はエナに批判的で、所内における立場、という意味で、エナの競争相手だと、もっぱらの噂だ。言いたくなる気持ちもわからなくもない。だが、言っている内容は完全に単なる邪推だ。せいぜい半日のことで大仰に騒ぎ立ているだけとも言える。とはいえ、業務時間内に私事を依頼されたのも事実だ。同僚の発言を耳にしたリパウルは、黙って肩を竦め、それから、約一年間前のことを思い出した。
ルーディアの担当に任命された時も、半端に事情に通じている一部で、似たような意味のことを言われていたことは知っていた。先任者も優秀だったが、眠り姫のお世話でつぶされた、と。
ルーディアの担当を命じられた時は、リパウル自身がかなり戸惑ったし、正直に言えば、うんざりしたのも確かだ。…ルーディアに、自分の本心を見透かされるまでは…。
今のリパウルは、例えば誰かが、ルーディアの担当を代わりにやってあげようと言ったとしても、即座に断るだろう。ルーディアがアルベルトの家の地下で眠り始めた今では、絶対に担当を外されたくなかった。無論、自分の代わりの担当が、女性になるとは限らない。が、男性になるとも限らない。そして、リパウルが調べた限り、ルーディアの担当は常に女性だった。
アルベルトの家を自分以外の女が、好きにウロウロすると考えただけで、腹立たしさに叫びそうになる。
…そう、バイトと生活場所、両方の問題を一挙に解決できる方法を、自分は確実にひとつ、知っている。
リパウルは自分の矮小さに、頭を抱えた。アナベルの事情は深刻だ。出来るだけ力になりたい。そう思っているのに、みさかいのないくだらない嫉妬が邪魔をする。いくつになっても治らない自分の嫉妬深さに、自分でも嫌気がさす。
アナベルのことは、まだほんの数時間しか知らないが、もう好きになりかけている。データからは読み取れない聡明さが、彼女にはあった。それに、初対面からリパウルに対して、卑屈な羨望も、無意味な敵意も抱かずに接してくれている。リパウルにとってそれは、新鮮な感覚だった。大抵の女性は年齢に関わらず、自分の外見だけ見て、卑屈になるか敵意を抱く。なのに、アナベルからは、素朴な賞賛と、自然な好意以外の感情は感じられなかった。
…彼女に失望されたくはなかった。
個人用業務スペースのドアから、ノックの音が響いた。リパウルは時計を見上げる。
(もう、そんな時間か)
迷わず辿り着けたのだろうか?こうなったら、現状ごと当人に相談した方が早い。
「はーい」
と、リパウルは返事をする。
ドアの向こうから、先ほど別れたばかりの黒髪の少女が顔を覗かせた。
改めて見ると、アナベルは整った顔立ちをしている。が、余りにも外見にこだわりがなさ過ぎるのか、それとも、徹底的に女性性への自意識が希薄なのか、とにかく全体的に女性らしさを感じさせない、という印象だ。
(元はいいんだから、少し手を加えれば、もっと可愛く出来るのに…)
と、考えてリパウルは心の中で首を振る。何を考えているのか自分は、そんな場合ではない。
「道に迷わなかった?」
と、リパウルはまず尋ねた。
「うん、ドクター・ヘインズの説明で、だいたい帰れたよ。ここの部屋の場所は教えてもらったけど」
さして建物のない田舎から出てきたと聞いていたが、全く違った景色であっても迷わなかったのか。自分が移動した範囲であれば、把握出来るのかも知れない。空間認識能力は高いようだ。
「説明はどうだった?」
「うん、まあ、だいだいは。それよりみんな、頭よさそうな人ばかりだったよ。ねえ、ドクター・ヘインズ。越境編入って特別なんでしょ?私、カディナの学校でも、そんなひどい成績じゃなかったけど、そんな優秀でもなかったよ。正直、自分があの中にいるのって、すごく場違いな気がした」
状況認識も的確だ。
「越境編入のこと、調べたの?」
「うん、カディナの図書館で。最初にエナから話が来た時」
やはりこの少女は馬鹿ではない。何といって説明しようかとリパウルはしばし考える。
「アナベル、正直に言っていい」
「うん」
「実は私にもわからないの」
「…って、ことは、私は本来ならここに来られるレベルの結果を出せていなかったんだね」
アナベルはため息をついた。
「編入枠組みではね。でも、一般生としてなら、文句なしで合格よ」
言いながら少し解釈を加える。
「多分、本来ならオールドイーストにいた、とみなされて…ってことなんじゃないかしら?」
リパウルのフォローにアナベルは首をかしげる。言っているリパウル自身もその理屈を信じていないように、アナベルには思われた。
「まあ、いいか。なんとなく胡散臭いとは思っていたんだ、けど、折角のチャンスだし…」
と、言いながら中断していたバイトの件を思い出したのか
「それで、あの、バイトの話ですが…やはり無理そうですか?」
と、訊いてみる。
アナベルの言葉にリパウルは「そう」と、手を打った。
「ちょっとこれ、みてくれる?」
と、言ってディスプレイを指さした。
「学生向けバイトで一番、一般的で割がいいのがこの宅配のバイトなの。学生は一日五十口が上限なんだけど、量は自分の都合で調節できるの」
「ここのバイトのお勧めポイントはなんといっても、ミニバイクが無料でレンタルできること。寮に入るのであればいらないけど、まだわからないしね。あと、自分で移動した方が、道とか覚えるでしょ。場所に馴染むのにもお勧めだし、もう一点、ここは給料が週払いなの。カディナに送金するにしても手数料はかかるから、そう頻繁には送金できないけど、急ぎで必要になった時、こまめに収入があるのはありがたくない?」
アナベルはあっけにとられて聞き入っていた。リパウルはバイト斡旋のコンサルタント嬢のように、流暢に説明してくれている。
「で、次のお勧めはハウスキーパー。これは子育てが一段落した主婦とか、主婦兼業で仕事してて、リタイアした女性とかに人気なんだけど、短時間で単価がいいの。時間も割合選べるし、ただ、宅配と二つ掛け持ち、となると寮の門限がかなり厳しくなっちゃうのが難点で…」
「アナベル、家事は?平気」
「あ、うん…」
「ハウスキーパーの基本的な業務内容を見ると、難易度は高くないの。今は大体、家電がやってくれるし、食材配達サービスも充実してるし。出来そう?」
「あ、はい…」
アナベルの返事が、一本調子なことに気がついて、リパウルは顔を覗き込む。
「なにか気になる点とかある?」
「あ、いえ、あまりにも順調なんで…」
というアナベルの言葉に、リパウルは顔をしかめた。
「そうでもないわ。これで、治療費ぎりぎりくらい。カディナで使用している貨幣の単位に換算しても…」
「そこまで調べてくれてるの?」
と、いうアナベルの叫びにたじろぐように
「…というか、こうみえても私、一応お医者さんですから」
と、なぜかリパウルは小声で答える。
「え、そうなの」
「そうよ、今は…臨床医じゃなくて、基礎研究の方をやってるけど。うちの研究所の看板、見てないの?」
「見たけど…」
正直、あの名称を見たところで、何をするところなのか、いまいちよくわからない。
「ま、そっかー。でもまぁつまり、叔父さんの病気に関してなら、アナベルより詳しいかも、ってこと」
「そうか…お医者さんなんだ…」
アナベルはいたく感動している。臨床医でないのが申し訳ない気分になる。
「でも、お医者さんから見ても、大変なんだね」
「治す為の治療でしょ、アナベルと叔父さんが望んでいるのは」
ふいに真面目な表情でリパウルはそう言った。
「うん」
と、アナベルも真面目に頷く。
リパウルはため息をついた。
「平日のバイト二件にプラスアルファくらいで、治療費は何とかなると思うの。でも、そうすると、寮の門限が厳しいことになっちゃう。でも、寮に入らないとなると…」
「稼げる額に違いが出るんだね」
「そう…」
「寮に出て自活するためには、別にお金がいる。エナの言ってた生活費は負担します。ってのは、入寮前提だったんだ…」
『物知らずね、アナベル…』
と言う、エナの声が思い出される。あなたの叔父さんの事情は私には関係ない…か。考えようによっては、エナは公平だ。嘘もついていない。こちらが勝手に自分の都合のいいように期待をしていただけで。
腕組みをして、睨むようにしてディスプレイを見ているリパウルを見ていると、申し訳な気分になる。
「あの、ドクター・ヘインズ…」
「アナベルが他に出来そうなことって、何か…」
「…え?えっと…あの、カディナではベビーシッターのバイトをしてました。高等校の二年になったら、やってもよかったんで、一応、講習も受けて…」
「へえ、すごいのね」
と、リパウルに素直に感心されて、アナベルは俯いてしまった。
「でも、初等校生と一緒に留守番とか、本当の赤ちゃんの世話とかはしたことがないんだけど」
「それでも、すごいわ」
と、リパウルは笑顔になった。が、すぐに考え込む様子になって、
「ただ、セントラルシティでベビーシッターをやるんだったら講習を受けなおさないと多分、無理だと思う」
「そうだよね。あの、また調べてこちらでも講習を受けてみるよ」
「うーん、そうね…」
考え込むリパウルに、アナベルはお礼を言って、あとは、自分で何とかしてみます…と、言いそうになった。が、
「…とりあえず、今日のところは私のうちに泊ってもらう…でもいいかしら?」
と、リパウルが予想外のことを言い出した。
「はい?」
「寮には入寮手続きをしないと入れないの。入ってしまうと面倒でしょう?今日のところは、私のところに泊ってもらって、明日からもう少し情報を集めて、本格的に検討しましょう。今日着いたばかりで焦っても仕方がないし。こういうことは、焦らない方が上手くいくのよ」
「え、あの…」
そこまで甘えてもいいのだろうか?母親であるエナは、自分を放置しているというのに…。
「手狭なのが申し訳ないんだけど、寮の部屋よりは快適だと思うわよ、多分」
と、リパウルは片目を瞑ってみせる。
アナベルはまたしても泣きたくなった。ここで意固地になっても仕方がない。彼女は無言で頷いた。そうしないと、泣きそうだったのだ。自分のサポートに、この優しい人を選んでくれたことだけは、エナに感謝した。
アナベルの返事を見て取ると、リパウルは壁に掛かる時計を見上げた。すでに終業時間は近い。
「アナベル、この話は少し置いて、私の仕事の方に付き合ってもらえないかしら?」
と、切り出した。
アナベルは首をかしげると
「あ…はい…」
と、答えた。
***
移動にはバスを使うことにした。ミニバイクの二人乗りで行くには距離があったし、アナベルにバスの路線についても教えたい。
最寄りのバス停でバスから下りると、リパウルは先に立って歩き始める。アナベルの気のせいか、リパウルは先ほどから少し口が重くなっている、ように感じられた。
(緊張している…ような?)
しかし、何故。
歩くほどもなく二人は、薄い茶色の壁面をした一戸建てに到着した。
(…ようこそ、アナベル…)
ふいに頭に中に、聞いたことのない少女の声が響く。アナベルは思わず周囲を見回した。その様子を見て、リパウルが
「どうしたの、アナベル?」
と、首をかしげる。
「いや、声が…どっかから聞こえたような…」
流石に頭の中から、直接聞こえたとは言いにくい。自分の感覚に自信もない。
「そう…」
リパウルはどこか複雑そうな表情で頷いた。そして、バックから鍵を取り出し、薄茶色の家の玄関に向けて操作する。玄関扉は静かな音を立てて、横滑りに開いた。
「ついて来てくれる?声の主に紹介するわ」
と、静かな声で告げた。アナベルも無言で頷く。
「この家、ドクター・ヘインズの家なの?」
「いえ、違うわ。私のお給料じゃこんな立派な家なんて、まだまだ」
と、苦笑する。そして、しばし、足を止め
「アナベル、冗談とかじゃなく、真面目に、今から目にすることは秘密なの。秘密って言うと冗談っぽく聞こえるかもしれないけど、本当に、人には言わないでほしいの。約束してくれる?」
と、きわめて真面目にリパウルは言った。アナベルは息を呑む。
「あの…いい…んですか…?」
「そうねぇ、声を聞いちゃったからねぇ…」
あきらめたようにリパウルは呟く。
「あの、そのことも黙ってますよ…?」
リパウルは苦笑した。
「行きましょう。多分、待ってる」
アナベルの提案を却下し、リパウルは地下に通じる階段の入り口のドアを開いた。灯りが自動的にともる。階段を下りて、扉を開くと、ここも自動的に点灯した。
正方形の部屋で、壁面はコンクリート打ちっぱなし。四方二面を正体不明の計器やパネルが飾っている。地下なので当然窓はない。床にはオレンジ色の毛長のじゅうたんが敷いてあった。そして、部屋の中央には、楕円を延ばしたような不可思議な物体があり、その上に少女が一人腰掛けていた。
「ルーディア、気分はどう?」
リパウルが声を上げる。懐かしい友人にあった時のような、優しい声だった。
「リパウル、お陰様で良好よ」
見たところ十二、三歳くらいの少女だ。栗色の髪がふわふわと小さな顔を縁取り、背中の真ん中まで下りていた。双眸は薄い茶色で、優しい暖色系の花柄のワンピースを身にまとっている。奇妙な部屋に不似合いな、場違いに可憐な少女。
少女はリパウルの背後にアナベルの姿を認めると
「初めまして、アナベル・ヘイワード。私はルーディア・ルーデンス」
と、自己紹介を始める。
アナベルは慌てて背筋を伸ばすと
「初めまして、アナベルです」
と名乗ったが、妙な感じだ。見知らぬ少女に先に名前を呼ばれてしまっている。
「あの、ドクター・ヘインズ…」
リパウルは頷くと
「いい、今日ここに来たことは、本当に誰にも内緒よ」
と、念を押す。
「いい度胸ね、リパウル。エナに担当を外されても知らないわよ?」
ルーディアはからかうように、笑った。リパウルは小さく肩をすくめた。
「ここに来るのは、ルーティンワークでしょ。アナベルのことはエナ直々の指示だし」
「あら、そういう理屈?で、今度は彼女が、巣立ってしまったハインツの代わりに、私のチェックに入るの?」
「…どう思う?」
「どうもこうもないわ。リースは朝晩とバイトで一杯一杯。二年になれば、授業は益々難しくなるし、あなたさえよければ、その娘でいいんじゃない?」
「私の一存じゃ決められない」
「そう、でも、私の一存なら、決められる。でしょ?」
会話の内容が全く見えない。アナベルは黙って聞いていたが、聞きたいことで頭の中がぐるぐる回っていた。
「問題はむしろ、あなたの方なんじゃないの、本当は」
からかう様なルーディアの言葉に、リパウルは肩をすくめた。
「エナと、アルベルトが承諾してくれたら、これが一番いいの」
「そう、確かにそうね。でも、早急に答えを出すことはないかも。ボスがお呼びよ」
そう言われて、リパウルはバックの中を探った。携帯電話にメッセージが入っている。
「エナからだ」
「なんて?」
「“執務室に来い”って。もう、ばれたのかしら?」
ルーディアは肩をすくめた。
「あまり勝手をしていると、本当にとばされちゃうわよ」
「あなたに言われても説得力、ないわ」
「私はいいのよ、何をしても。どうせ、大したことは出来ないし」
「…よく言うわね…」
言いながら、リパウルは帰る体勢になっている。
「アナベル、ごめんなさい。着いて早々なんだけど、引き返さないと」
アナベルは訳がわからないまま頷いた。
部屋を出ようとするアナベルの背中に、ルーディアから声がかかった。
「アナベル…またね」
振り返ると、ルーディアが不思議な物体の上で、優しく微笑みながら手を振っていた。




