2-1 手紙(14)
その日からアナベルは、アルベルトの家に帰ると、ルーディアの眠る地下で、時間を過ごすようになった。チェックを済ませて、夕食を食べ、自室に戻らずまた地下に戻る。課題も地下でやった。
エナとは別に録画用の記録データを毎日チェックしているリパウルは、毎晩、地下の部屋の隅の、机に座るアナベルに気がついて
「どうかしたの?」
と、アナベルに問うた。が、アナベルは
「こっちの方が集中できるみたいなんだ。駄目かな?」
とはぐらかした。目的は別にある。半分は嘘だったが、意外に集中できるというのは本当だった。
「駄目じゃないけど…」
と、リパウルは訝しげだ。
そうまでしてもルーディアは眠ったままだった。気がつくと週の半分が過ぎていた。アナベルは眠る、ルーディアのポットを見下ろしながら、ため息をついた。
木曜日はハウスキーパーのバイトがないので、アナベルは普段より早めに帰った。今日はいつもより、少しだけいい気分だった。前々から気になっていた、イブリンさん宛てのカードを、ようやく買うことが出来たのだ。
休日以外だと木曜日より他に自由に買い物にいける時間もない。アナベルは宅配のバイトの帰り、学校近くの雑貨屋に立ち寄ってから、イブリンさんに似合うかなと思うカードを選んで、そのカードを買うと、アルベルトの家に戻った。
ささやかなことだけど、久しぶりで、楽しい気持ちだった。リュックを背負って地下に下りる。期待はしていなかったが、ルーディアはやはり眠ったままだった。アナベルはため息をつくとチェックに入った。
もう、土曜日は明後日だ。チェックを済ませると、地上階へと上がり、キッチンへ入った。平日は毎日、夕食当番がリースだったが、毎日は流石に厳しいので、木曜日だけは夕食つくりを担当することになっている。
アナベルは、すばやく夕食つくりを終えると、八時まで課題をしようとまた地下に下りた。今日こそは課題をとっとと片付けて、イブリンさんに返事を書くと決めていた。
夕食後、再び地下に下りて、課題の続きを進めた。不思議なほど集中できた。ようやく課題を終えて一息つくと習慣のようにポットに視線を向ける。と、ルーディアがポットの上に座ってアナベルの方を見ていた。目があうとにっこりとした。
「ルーディア…」
「アナベル、ちょっと久しぶり?」
と、笑顔で首を傾げる。
「ルーディア…」
ころげるようにして、アナベルは彼女に近づく。ポットの傍らに跪くと
「ルカに会ったんだ」
と、いきなり告げた。
「え?」
「だから、ルカに会ったんだ、ルーディアのこと気にしてた…その、はっきりとは言わないけど…」
「アナベル…」
ルーディアはため息をつきながら顔を伏せる。
「どういうことなのか、よくわからないわ」
「また、忘れちゃったの?」
と、言うアナベルの言葉にルーディアは顔を上げた。
「いいえ、覚えてる。ごめんなさい…」
「なんで謝るの?」
「なんで…そうね。どうしてかしら?」
「ルカは元気になってた。叱られたけど病院から抜け出して、私のバイト先のカフェでジュースを飲んで、パジャマじゃなくて私服で、少し大人みたいになってた」
アナベルは思いつく限りの事をルーディアに伝えようと、言葉を並べた。
「なんとかルーディアのこと、ルカに教えてあげたかったんだけど、ウォルターが、やめた方がいいって」
「そうね…」
「そうなの?」
「多分、ウォルター君が正しい」
「ルーディア、やっぱりサイラスのことも知ってるんじゃない?」
「サイラス?」
「ルカの弟だよ!」
ルーディアは首を振った。
「覚えていない。でも、知っているのかもしれない…」
「ルーディア…」
ルカのことだって忘れていたのだ。ルーディアの言う通り、知っていて、記憶していないのかもしれなかった。ルーディアはアナベルを見て、それから彼女が先ほどまで座っていた机の方に視線を向けた。
「アナベル、ここで勉強してたの?」
「うん、課題が終ったところだよ。これでやっとイブリンさんにカードが書ける」
「カード?」
「そう、手紙を貰ったんだ。とてもステキな…。でも、返事が中々書けなくて…。ウォルターがカードにしたらって言ってくれて、今日ようやくカードが買えたから…」
言いながらアナベルはひらめいた。
「そうだ、ルーディア!手紙は?手紙を書けばいいんだよ。ルカにしかわからないように、名前とかは書かないで。それだったら、何かあっても大丈夫じゃないかな?それに、ルカにも伝わるし」
「手紙…?」
「うん、駄目かな?」
いい思い付きだと思ったが、やはり駄目か…と、勢いよく盛り上がって、勢いよく沈んでいった。アナベルは肩を落とした。よく考えなくても、ウォルターの理屈でいくならば、手紙も口頭もかわりはない。が、ルーディアが反応を見せた。
「手紙…書いたことがないわ…」
「え、そうなの?そうか、そうだよね…」
「書けるかしら?」
「文字は?」
「失礼ね。私を幾つだと思っているの?」
「え、幾つなの?」
それこそ知りたいような、知りたくないような…。アナベルの切り返しにルーディアはたじろいだ。
「そ、それはそのうち、その、教えるわよ…」
困ったような挑むような表情がやけに可愛かった。アナベルは苦笑した。
「無理しなくていいよ」
と、答えると、ルーディアが複雑な表情になる。
「やっぱり、知ってるの?」
「知ってるって?」
「私が本当は十二歳じゃないって…」
「ううん、知らない。でも、そうかなって、ウォルターと…」
「わかるわよね…でも、自分が正確に、何年生きてるのか、私も知らないの」
「え?そうなの?」
「だって、殆ど寝てたから。エナと初めて会ったのは、彼女が学生だった頃のはず。その頃は技研でも、私のことはまだそれほど厳重じゃなかったから」
「学生!?エ…クリック博士が!?」
「そう、と言っても一回きりだけど。殆ど寝てたから、知らないだけかもしれないけど…」
アナベルは呆気にとられた。ウォルターの出した結論が正しいとしたらおかしな話ではないが、当人の口からこう聞くとやけにリアルだ。それよりなによりエナ・クリックの学生時代って…そちらの方がより想像がつかなかった。
「あの、クリック博士、学生の頃どんなだったの?」
「今とあまり変わらない…かしら?」
と、ルーディアは思い出すように宙を見た。
…あ、そうなんだ、やっぱり…。
アナベルは深く納得すると同時に、微妙にがっかりした。
土曜日に、いつも通り、朝食の片づけを済ませると、早めに家を出て図書館に寄った。ここのところ意地でもウォルターの世話にはなるまいと、課題は一人で頑張っている。おかげで戻ってくる課題の評価が…古典は壊滅的だったが…しかし、それ以外の教科は思ったほどひどくはない。アナベルは時間ぎりぎりまで課題に取り組むと、カフェへと向かった。
先週の事を思い出すと、少し行きにくい。バイト仲間になんといわれるか…。そういえば、今日はウォルターはナイトハルトの授業の日だ。ルカの事を報告すると言っていたか…。アナベルはなんとなく嘆息した。
カフェに入って着替えていると、同世代で別の高等校に通っているバイト仲間三名と一緒になった。三人は先週の事をあれこれ聞いてくる。みな、アナベルはウォルターと付き合っていると思い込んでいたので、ルカの正体が気にかかって仕方がないらしい。
ルカがメリッサにしたという説明を繰り返すと
「あ、ならメリッサの言う通りなんだ」
と、すぐに納得してくれた。
「そう、病気だったから、久しぶりで…」
「ふーん、じゃ、本命はメガネ君?」
「いや…あの…」
どちらとも、そういうのではないと言っているのだが。
「だって、妙にいい雰囲気だし…」
「え、どっちと?」
なんだか、モテモテ女子みたいだ。アナベルは自分で思ってげんなりしてしまう。実際にはウォルターはただのバイト先の家主で、ルカは別に意中の相手がいるというのに…。
「どっちって…」
と、一人が呟くと、銘々がメガネ君とか金髪の子の方とか、好き勝手言い出した。どうやら好みで見方が分かれるらしい。アナベルはますますうんざりしてきた。正直どっちでもいい。
「メガネ君は眼鏡をかえてから、なんかいいんだよねー」
と、一人が言い出したので、アナベルは仰天した。
「え?」
「何?本命じゃないんでしょ?」
「いや、気がついてたんだって思って」
「あたりまえじゃない?」
皆良く見ている…。少しは見習うべきかとアナベルは嘆息した。今日は二人がそろう可能性がある…のだったと改めて思って、少し憂鬱になってきた。
そうは言っても仕事は仕事だ。アナベルは気持ちを切り替えて、接客対応に集中した。が、男子のバイト仲間にまで「二股はやばいぞ」とか「彼氏公認かよ」と、揶揄されるのには閉口した。女子には手足を出したいとは思わないが、相手が男子だと、背中を蹴りたくなってくる。元をただせば全部ウォルターが悪いのだ、と気がついて、今日ウォルターの家に行ったら、絶対に抗議してやると心に決めて憂さ晴らしをした。
そうこうしてるうちに午後になった。二時半になったころ、ルカが姿をみせた。先週、ウォルターに買ってもらったという服装だった。やはりよく似合っている。アナベルに気がつくと近寄ってきて、
「ウォルターは?」
と、訊いて来た。
「え…まだ」
「そう…」
何故か、がっかりした風だ。まだ仕事中なので、あまり話し込むわけにもいかない。が
「いつも三時前後なんだ…」
と、アナベルはフォローする。
今日はナイトハルトと話をするのだろうから、もっと遅いかもしれないと思っていたら、ウォルターがひょっこりと入ってきた。こちらは格好に言及するまでもない。グレイのTシャツに色落ちした黒いジーパンだ。少しは明るい色を着ろ、といつも言いたくなる。ウォルターの姿を認めると、ルカの顔が明るくなった。
「ウォルター!」
言いながら、ルカはアナベルを置いて、ウォルターの方へと向かった。
えらい懐かれようだ…。アナベルはなんとなく、ウォルターに絡みたくなってきた。
いつも空いている、不人気のカウンター端の席に二人で座ると、早速ひそひそと話し始める。アナベルは後ろから
「アイスコーヒーとりんごジュースでいいんだな?」
と、確認をとった。二人はアナベルを一瞥すると無言で頷いた。アナベルは何となく面白くないと思いながら、注文を伝えに厨房へと踵を返した。




