2-1 手紙(13)
ウォルターの家に着くと、インタフォンを押して、来訪を告げる。少し遅刻だった。慌てたようにウォルターが飛び出してくる。少しだけ、予想していた。
「アナベル」
玄関前に立つ彼女の姿を認めると、ウォルターは安堵したように息をついた。
「ごめん…遅刻…」
なんとなく、悄然とアナベルは謝った。
「大丈夫だけど、何かあった?」
「ルカが来た」
「え?」
それだけ言うと、アナベルはウォルターの脇をすり抜けて、室内へと入った。キッチンへ入るとルカから預かった、現金カードをウォルターに手渡す。
「これ、ルカから預かってきた」
ウォルターは素直に受け取ると、カードの数値を調べてから
「これじゃ、貰いすぎ…」
と、呟いた。
「来週の土曜日も、もしかしたら、来るらしい。お前に会いたがってた」
「僕に?」
「うん、出来れば、直接会って、大目に貰った分を返せばいい」
やけに淡々としたアナベルの態度をどう解釈したらいいのかわからない。ウォルターは、逡巡する。
「何かあったの?君…」
「だから、ルカに会ったって…」
「いや、元気がないけど?」
「私が?普段通りだ」
やや憤然とアナベルが言った。それから考え込む風になる。
「いや、言われてみればそうだな…少し疲れてるかも…」
「今日も休む?」
と、ウォルターは訊いてみる。
「いや、今日は働く。課題だって、済ませてるんだ」
「へえ、そうなんだ」
「そうそうお前には頼らない」
と、アナベルは何故か少し挑むようにそう言うと、さっそく掃除の準備を始めた。ウォルターは自室に避難する事にした。
いつもの様に、手早く掃除と夕食つくりを終えると、アナベルはキッチンで満足の吐息をついた。よし、いつも通りだと思って時計を見上げると、いつもより少し早い。ひょっとして自分は、ウォルターと話をしたくて、仕事の方を手抜きしたのか…。アナベルは一人、嘆息した。
自分の手抜きはあきらめて、アナベルはウォルターを呼びに行った。自室に避難していたウォルターは教科書用のタブレットを片手に、少し疲れた様子で部屋から出てきた。
「何か飲むか?」
「うん、じゃ、コーヒー」
このやりとりも、いつも通りだ。アナベルはコーヒーメーカーをセットする。
「アナベル、これ」
ウォルターは定位置に座ると、流しに立つアナベルの背後にカードを置いた。振り向いてカードを確認すると、アナベルは眉をひそめる。
「だから、自分で返せってば。まあ、本当にルカが、抜け出してこられるかはわからないけど…」
「だったら、余計に…」
「なんだよ?」
「いや、めったに会えないんだろ?わざわざ邪魔をする気は無いし。彼は多分サイラスとは無関係だ」
ウォルターの言葉にアナベルは息をついた。コーヒーメーカーから、ウォルターの分のコーヒーをカップに注ぐ。
「そんなことはない。サイラスがルーディアを知っていたのはルカを通じてだ。関係ないわけがない。セントラル病院にいるって言っても、病室がどこかも教えてくれないし…」
「特別病棟はセントラル病院の一部だけど、技研の管轄でもある。普通には入れないんだろ?だから言わなかったんじゃないのかな?ドクター・ヘインズに訊いてみたら?」
「だから…わかった。とにかくカードは自分で渡せ。なんでルカに会いたくないんだ?」
「何度も言ってるけど?邪魔したくないからって」
「なんでお前が邪魔になるんだよ?」
「じゃあ、邪魔するけど?」
「はあ?」
「行ったら、邪魔するよ、多分。それでもいいの?」
本当にそんなことが自分に出来るのかどうか、わからなかった。とにかくルカと一緒にいる時のアナベルを、見たくないのだ。
「邪魔するって…」
アナベルは言いよどむ。どうしてそんな風に言うんだ。アナベルの恨みがましい表情に、ウォルターはため息をついて、カードを引き取った。
「分かった。これは自分で渡す。君たちの邪魔もしない」
「君たちって…」
「こだわっているのは君の方だろう?なんだって会わせたいんだ」
「それは、ルカがちゃんとお礼を言いたいって…」
「僕は別段会いたくないって言ってるんだけど?もともと余りよく知らない人間と接するのは得意じゃない」
「それは…少し直した方がいいんじゃ…」
「ほら、そう言うと思った。つまり、僕の意思は無視してもいいけど、ルカの意思は尊重したい。だろ?」
「…なんでそうなる?お前と違ってルカは自由に出入り出来るわけじゃないんだし、どっちを尊重するとか」
「そう、子供じみてる」
言いながらため息が出る。
本当はルカと会うのが嫌なわけではない。彼は初対面のわりに話しやすかったし、苦手だと思ったわけでもない。サイラスのように無意味に悪意を発散させている人間ではなかったし、むしろ好意すら感じているくらいだ。…だからこそ、会いたくないのかもしれない。
「なんだよ、一体…」
途方にくれたようにアナベルが呟いた。ウォルターは顔を上げると
「彼に会う会わないじゃなくて、来週は普通にカフェに行こうと思ってたけど」
「え、そうなのか?」
「会えるんだったら、自分で渡せるけど、君に頼んだ方が確実だとは思うけど…」
「なんでだよ」
「別に、深い意味は無い」
言いながらウォルターは、引き取ったカードをタブレットの上に置いた。
「それより、さっきの病室を教えてくれなかったって?」
「うん、だから、こっちから行ければ、会う会わないで悩む必要がないだろ?アルベルトだって、ルカが協力者になってくれたら、もっと情報が得られるかなって言ってたから」
「でも、君の様子だと、それも難しそうだけど?」
「何がだよ?」
「君なりに頑張ったんだろ?必要なこと聞けないか?」
「まあ、うん…」
「でも、王子の方が上手っぽい…」
「だから…」
「ああ、ごめん。ルカだ。…僕が会ったからって、君よりうまく話をききだせるとは、とても思えないけど」
いきなり本心を見透かされた上、自明の前提のごとく言われてアナベルは言葉に詰まった。
「それは…」
「君には批難されっ放しだけど、僕は人見知りだし、君の方が人と打ち解けるのは早い。ルカだって似たタイプだ。ようは、ルカは言わないと決めていることは言わないんだろう」
「けど、私が気づかないことを、お前は気がつくかもしれない」
アナベルの言葉に何を思ったのかウォルターが宙を見上げる。それから、妙な表情になると
「ああ、なるほど…」
とだけ答えた。
「で、今日は他に何が聞けたの?」
「うん、春に具合が悪くなったって、でも夏に手術を受けて、今は大分いいって」
「なら、益々ルカは、例の襲撃とは無関係だね」
「あ、そうか」
「他には?」
「そう、で、いつまで病院にいるかわからないって、私には嘘は言ってないって言ってた」
「ふーん」
ウォルターは考える。
「ずっと特別病棟にいたのに、退院出来そうってことかな?」
「退院?」
「彼は元気そうだった。時々、胸を押さえていたけど…」
「そうなのか?」
ウォルターは自分の持っているカードを手にした。
「お金は?誰から?」
「え、ルカ…」
「彼が出したわけじゃないだろ?保護者がいる」
「それは…」
「ファミリーネームが分かれば、サイラスのことも調べられる」
「あ、そっか」
「まあ、彼は素性を隠したいようだから、素直に教えてくれるかどうかわからないけど」
「…隠したがっているのかな…」
「そうじゃない?君の話からの類推でしかないけど、彼は体のどこかが悪くて、学校にも行かず、ずっと特別病棟にいたんだろ?おまけに、特殊能力の保持者で、ついでに一卵性双生児の弟がいて、こちらも特殊能力者。あまり吹聴したい類の話でもない。ひょっとしたらルーディア同様、技研が秘匿しているのかもしれない」
「ルカを?」
「今のはあくまで可能性の話。もっとも、今日普通に出てきたのなら、流石にそれはないと思うけど…。ちなみに今日は、昨日の服装だったの?」
「いや、違ってた」
「なら、秘匿の線は薄いね。他には、何か言ってた?」
「いや…その、私の方が話してたと言うか…」
というアナベルの言葉に、ウォルターの表情が険しくなる。
「別に、言うべきじゃないことは言ってない…と思う。バイトのこととかカイルの話とか…春によく聞いててもらってたから…」
「そうなんだ…」
ウォルターはため息をついた。春に会った時には、アナベルはルカには、自分からカイルさんの話をしていたのか…。
想像以上だ。自分がアナベルの叔父について知ったのは偶然、しかも人伝手だ。毎日のように会っていたのに…。結局、会った日数なんて、さして関係ないのだ…。
「別に批難する気はないんだけど、ただ、ルーディアの例もあるから…」
「ルーディア?」
「そう、ドクター・ヘインズの話だと、技研で認められていた彼女の能力は、指向性のあるテレパシーと瞬間移動だけだった。けど、君の話だと、念動力も使えるし、宙に浮くことも出来る。僕が見たところ物体を瞬間的に移動させることも出来るようだったし。他に人の意識に干渉して、自分に注意を向けさせないようにとか。本当はもっといろいろなことが出来るのかもしれない」
「あ、うん、ルーディアそう言ってた」
「え?」
「櫛を取り寄せたんだよ。こう、パッと。自分の体を動かすのの、応用なんだって。その時に、最近色々出来るって。でも、内緒なんだって」
「内緒って…」
「お前よく知ってたな」
「GPSの受信機を外してただろ?サイラスを見ながら横目で君たちの方も見てたんだ。あのブレスレットは、多分外れないように出来てる筈だ。だったら、その物自体を、動かしたんだろうなって。急に彼女の手首から消えて、反対の手に持ってたから」
「よく見てたな」
「本当、我ながらよくやったよ…。で、つまり、僕らは勝手にあのサイラスという誘拐未遂犯が、念動力しか使えないと思っているけど、例えば彼がルーディアみたいに人の心を見ることが出来たら?」
「え…?」
「これもあくまでも可能性の話。仮定の話として、彼にそういう能力があるとしたら、ルカの口がいかに堅くても無意味だ」
「あ、そっか…」
「だから、あまりこちらの情報は与えない方がいい…って思ってたんだけど」
「なんだよ…だったら最初から…」
「いや、可能性の話だから…」
「うん…」
言いながら、また、アナベルが物憂げな表情になる。
「どうかした?」
「うん…ルカに、ルーディアのこと、教えてあげたいなって思ってるんだけど…駄目だよな」
「教えるって何を?」
「つまり、元気で眠っているっていうのか…」
「面白いね」
「え?」
「いや、元気で眠っているって…」
と、いうウォルターの言葉にアナベルは眉間にしわを寄せた。
「真面目に言ってるんだけど?」
「こっちも別にふざけてないけど?」
「ふざけてるだろ?人の言葉尻を捉えて。ルカはルーディアのことが心配で病院を抜け出したんだ」
「どうして?ルカがそう言ってたの?」
「言ってないけど、多分そうなの!」
「根拠は…ないんだね。多分って…、勘?」
「そうだよ、悪いか?」
「悪くはないけど賛成できない」
「なんでだよ!?」
「理由はさっき言ったけど?」
「可能性の話だろ?」
「君がルカにルーディアの情報を与えると、まず、君がルーディアの事を確実に知っていて、さらに、自由にアクセスを取れる立場だって、ルカに知らせることになる。サイラスという少年の正体が殆ど分かってない…彼がルーディアを狙っているということ以外…、そんな状態で、迂闊なことはすべきじゃない」
「ルカに教えたいんだ!サイラスって奴は関係ない!」
「だから…」
「可能性だろ?」
「君が危険に晒されるかもしれない。それだけじゃなくて、他の人にも危害が及ぶかもしれない。それでも?」
「それは…」
「君の気持ちが分からない、とは言わない。けど、賛成は出来ない」
「…ならルーディアに言う」
「なんて?」
「ルカが元気になったって」
「それは…別に構わないんじゃない?」
「わかった」
アナベルはウォルターを睨みながらそう答えた。
多分、ウォルターの方が正しい。それは分かっている。けれど、アナベルはウォルターに怒りをぶつけるより他、感情の向けどころがなかった。




