表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オールドイースト  作者: よこ
第2章
104/532

2-1 手紙(10)

更衣室で私服に着替え終わったアナベルは、念のためカフェの方を覗いてから帰ろうと、顔を出してみる。メリッサが目ざとく気が付いて、アナベルに声をかけた。


「メガネ君、来てるけど…」

「え?」

「珍しく、友達と一緒みたい」

「友達?」

イーサンだろうか?確かに珍しい。

「あの、どんな?」

「金髪の…何か品のいい雰囲気の」

「え?」

それは確実にイーサンではない。


アナベルはメリッサにお礼を言うと、カウンター席の方向に、足を向ける。ウォルターがいつも通り隅の席に座ってグラスの水を飲んでいる。横に座って、何か話している人の横顔が、一瞬目に入る。気がついたら声が出ていた。


「ルカ!」


アナベルの声にルカはすばやく反応する。振り返ると一瞬で笑顔になった。


「アナベル!」


急いで立とうと慌てるが、アナベルが近寄る方が、早かった。アナベルはルカの席まで来ると、ふいに困ったように手を上げ、すぐに下げる。微妙に挙動不審だ。それから、はにかんだ様な笑みを浮かべると、

「元気そうだな」

と、呟いた。ルカも柔らかい笑みを浮かべ

「うん」

とだけ答える。それから

「心配かけて…」

と、言いかけるが、アナベルは胸の前で、急いで両手を小さく振った。


「ううん、いいんだ。その、たいへんだったんだろ?きっと…」

と、ルカの謝罪を遮った。


その様子を横目で見ながらウォルターは密かにため息をついた。不思議なくらいアナベルが女の子に見えたし、癪に障るほど可愛かった。


終始存在を黙殺されていたウォルターは、メニューを片手に立ち上がった。それから

「ルカ、ちょっと待っててもらっていいかな?」

とことわると、メニューをアナベルの肩甲骨あたりに押し付け強制的に方向転換させる。

「注文を頼みたいんだけど」

と、言いながら、やや乱暴にそのままアナベルの背中を押した。


「お前、何言って…もう終わったんだって…」

というアナベルの抗議を無視して、ウォルターはアナベルを、カフェの室外、オープンテラスまで誘導する。ここなら人も多いうえ、外の音も入るので、聞き耳を立てられるのでない限り、会話を聞かれる心配はないだろう。アナベルは憤然として

「お前いったいなんだよ!」

と声を上げる。が、ウォルターは彼女の言葉を無視して、無言で現金支払い用のカードをアナベルに手渡した。カードを受け取ると、アナベルはそれをかざした。


「なんだよ?これ」

「なんの説明を求めてるの?」

ウォルターが、普段以上に無表情な調子で、アナベルの言葉に応じる。


「いや…」

「君から見ても彼はルカで間違いないね?」

と、ウォルターはアナベルに念を押した。

「え?」

「彼には僕らのことは、母親の違う姉弟だと説明した」

「母親が違う?」

「そうでないと同じ学年であることの説明がつかない」

「あ、そうか」


「混乱したら、僕らの父親が女にだらしがない、クズ野郎だって思い出せばいい」

ウォルターの言い方が可笑しくて、アナベルは笑ってしまう。

「それなら、嘘は言ってない」

「だな」

アナベルの笑顔をぼんやりと見ながらウォルターは少し息をついた。


「じゃ、僕は帰るから」

と、言うと立ち去ろうとする。

「え?なんで?」

「なんで…って」

アナベルの言葉にウォルターは、奇妙な顔をした。


「姉のデートにくっついて歩く弟はいないだろう」

と、答える。

「姉って…」

なぜだろう。姉じゃない、といわれた時はあんなに腹が立って悲しかったのに、今こう言われると、突き放されたように感じるなんて…。それにデートじゃないし…。


アナベルの様子を上から見ながら、ウォルターは再度ため息をつく。

「会うの久しぶりなんだろ?」

「うん」

「君、ずっと心配してた」

ウォルターの言葉にアナベルは顔を上げた。


「ゆっくり話してきなよ。その、今日は、仕事はいいから」

「でも…」

「気になることがあったらまた、次の日になってもいいから伝えてほしいけど」

「うん」

「あと、なるべく人気のないところは避けて、何かあったらすぐに連絡を入れるんだ。で…」

と、一瞬ウォルターは言いよどむ。


「あまり言いたくないんだけど、こちらのことはあまり話さない方がいいと、思う」

ウォルターの言葉に、アナベルは彼を見つめた。

「彼を…ルカや、君を信用しないって言うんじゃないんだ…けど」

「わかった」

アナベルはこだわらずに、頷いた。


ウォルターは少しほっとしたような顔になった。それから思い出したように、メニューをアナベルに渡すと

「それと、ルカはリンゴジュースだって」

と、言うとそのまま軽く手を上げて、踵を返すとテラスから出ていった。


アナベルが外の方向を見ていると、道に面したオープンテラスから、ウォルターがマウンテンバイクに跨って、道路の方向に向かうの姿が目に入る。ウォルターは一度も、アナベルの方を見なかった。


ずっとルカに会いたかったのは、本当だ。ウォルターに言われたように、ずっと心配していた。ようやく会えたのに、目の前でウォルターに立ち去られると、自分でも不可解なほど心細くなった。


アナベルはウォルターから預かったカードをジーパンのポケットに入れるとメニューを手に、カフェの室内へ戻った。室内に戻ると、メリッサを捕まえ、自分の分とルカの分の注文を頼む。それから、いつもウォルターと座っている、カウンターの一番端の席に戻った。今度はルカがやや素早く席から立った。


「あの…」

と、何かいいよどむ。

アナベルは改めてルカを見た。春に会った時より顔色がすこしいい。襟と袖、ボタンとめの箇所だけが白い、青と白のストライプ柄の半そでシャツに、ブルージーンズという出で立ちだ。格好のせいか、あの時より大人びて見えた。


アナベルが、自分の着ている服を見ているのに気が付いたのか、ルカが少し申し訳なさそうに

「これ、ウォルターに買わせちゃって…」

と、打ち明けた。

「ウォルターが?」

「うん、彼、どこに?」

「うん…」

変な感じだ。ルカとウォルターの話をしている。でも、何が変なのか、よくわからない。


「帰った」

「帰ったの?」

「うん」

アナベルのどこかすねた様な態度に、ルカはふっと笑みを浮かべる。


「…前に言った通り」

「え?」

「君たちは仲がいい」

見透かすような眼差しで、ルカに微笑みかけられて、アナベルは一瞬で頭に血が上った。


「べ、別に仲良くなんて…」

「でも、今アナベル、拗ねてた」

「拗ねてなんか、いないから」

と言うアナベルの言葉に、ルカは微笑んだまま

「最初、少し怖かったんだけど…。でも、わかりにくいけど、彼はいい奴だね」

と、言った。何故かアナベルは照れくさくなった。


「う、うん」

と、言うとアナベルは笑った。カウンターの席に座りなおすと、見計らったようにメリッサが飲み物を持ってきた。ルカの前にリンゴのジュースを置きながら、メリッサは、彼の顔を一瞥した。目が合ったことに気が付いたルカが、柔らかい笑みを浮かべ

「ありがとうございます」

と、お礼を言った。予想外だったのか、メリッサが何故か、はにかんだ様子で首を振った。


アナベルは早速、カフェラテのストローを口にした。ひどく喉が渇いていた。ルカはアナベルの様子を横目で見ながら、同じ様に、リンゴのジュースを口にする。アナベルはいつもウォルターが座っている席に自分が座って、いつも自分がいる席に、ルカが座っているのが不思議だった。こちら側から見える景色は、いつもと違って見えた。


「彼のこと…」

「うん?」

「…さっき少しだけ、サイラスに似ていると思ったんだけど」

と、ジュースを飲みながら、唐突にルカが言葉をつづける。ルカの言葉に、アナベルは仰天した。

「ルカ…」

「君も会ったんだろ?サイラスに…」

ルカはアナベルに視線を向けてそう訊いたが、アナベルは咄嗟に答えられない。


「でも、違った。やっぱりサイラスには似ていない」

「あの…」

「アナベル…その…」

ふいに真顔になって、ルカがアナベルを見つめた。アナベルは変に鼓動が早まるのを感じて、困惑した。


「ルカ、その服…」

「え?」

「よく似合ってるけど、その、さっき言ってたウォルターに買わせたって、どういう意味?」

と、唐突に話を変えた。何故だかよくわからないけど、ルカの真剣な眼差しは、自分の心臓には、よくないようだ。


「あ、うん。これ…」

と、言いながら、ルカは足元に置いた袋を取り出すと、アナベルの前で広げてみせた。アナベルは中を覗き込む。見ると、なんとなく見慣れたパジャマと、赤いキャップが入っている。


「靴も新調した。初めてだよ。その恰好じゃさすがに目立つからって…」

「ウォルターが?」

「そう、外で自分で服を買うなんて初めてだったから、すごい緊張しちゃって…店員さんはやたらとほめ上手だし…」

「ウォルターが、選んだの?」

訊きながら、なんとなく違うのだろうと見当はついた。


「いや、せっかくだから自分で選んだ方がいいって、でも、決められなくて…。ほとんど店員さんの見立てだよ」

それは店員さんもコーディネートのし甲斐があったろう。アナベルはなんとなく面白くなかった。それに、一体いくら支払わされたのか、考えるとウォルターが気の毒になってくる。アナベルは決意を固めるように、息をついた。


「ルカ…さっき言ってたサイラスって…」

「弟。アナベル、会ったんだろ?彼に…」

アナベルは息をのんだ。なんてこたえたらいいのかわからない。


ルカがここまで率直に訊いてくるとは思っていなかった。かえってルカに嘘をつきにくくなる。それでなくとも、元々嘘をつくのが苦手なのだ。でも、本当のことをそのまま言ってもいいのかどうか、わからない。アナベルが答える様子を見せないので、ルカは益々緊張した様子で、言葉を続けた。声が少し低くなっている。


「アナベル、その時に…」

答えようとしない自分の横顔を、観察するようにルカが凝視しているのがわかった。アナベルは、ルカが何を聞きたがっているのか、ふいに気が付いて、彼の方を向いた。ルカからルーディアという名前を、言わせてはならなかった。


「ルカ、その為に、病院から抜け出してきたの?」

「アナベル?」

「つまり…」

やはり自分が考えた通り、ルカはルーディアを知っている。ルーディアが言うような、曖昧な知り合いなのではなく、もう、ずっと前から知っているのだ。彼女に会うために、彼は病院をパジャマ姿のままで抜け出してきたのだ。


 アナベルが言い淀んでいるのをみて、ルカは微笑んだ。

「ごめん」

と、謝罪する。

「え?」

拍子抜けしてアナベルが思わず声を上げると、ルカは困ったように顔をそむけた。


「だって、アナベル、困ってる」

「ルカ…」

「困らせているのは僕だろう?」

「いや、その…」

ルカはアナベルの方を見ると、いつか見た、夢見るような、表情になった。

「だから、ごめん」

どこかで見たような優しいまなざし。


あ…


と、アナベルは気が付いた。アルベルトだ。アルベルトが時折、リパウルをこんな顔をして見ている。大切な大切な大好きな人を見る目。アナベルは顔をそむけた。ルカは確かに自分を見ている。けれど、本当にルカが見ているのは目の前の自分ではない。


『あの時と同じだ…』


春に見た眼差し。すぐ横にいる自分には見向きもしないで、ずっと遠く、白い壁の向こう側を見ていた。


 …ルカが見ているのは、ルーディアだ。


アナベルははっきりとそう悟った。悟った途端、喉の奥に重くて黒い塊がねじ込まれたような息苦しさを覚える。それがなんなのか、彼女にはわからなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ