新人
盗賊団の一員に迎えられ、新しい名前を貰って三ヶ月程経っただろうか。それは俺が今の生活に慣れ始めて、盗みに忌避感というか嫌悪感というか……とにかく、あまり躊躇わなくなってきた頃だ。
傷もほぼ治りつつあり、口調も――まあ、ご覧の通りだ。あまり堅苦しい口調とは言えなくなっていた。
「おーっす」
な? こんな挨拶の仕方、前の俺じゃとてもできない。こうなって初めて思うんだが、俺の口調ってかなり堅かったよな。今、王族に戻って元の口調に戻せ、なんて言われたら俺はきっと嫌な顔をする自信があるぞ。
毎朝、シルギィの部屋の泉に傷を癒しに来るのが習慣になっており、今日もいつものようにシルギィに軽い挨拶を投げる。
「よう、エルディ」
シルギィは今日も相変わらず出会った頃のように階段に座ったままだが、顔を上げて人懐っこい笑顔で軽く手を挙げて挨拶を返してくれた。
「今日も傷の処置頼む」
「おう。こっちに来て上着脱げよ」
シルギィの言葉に頷いて、階段を上がって泉の横に座ると上着を脱いでシルギィに背を向ける。
「もう治ってると思うんだけどなあ……」
ぼやくような俺の呟きに、シルギィが手ずから泉の水を掬って背に塗り込んでくれながら答えた。
「だから、お前みたいなのが危ないんだって前に言っただろ。テメエで勝手に治ったと思い込んで、実は治ってなかった、なんてことはザラなんだからよ」
そう言い終えてシルギィが背中を軽く叩く、終わったという合図だ。俺はその合図を受けて、脱いだ上着と一緒に置いてある予め持ってきていた包帯を手に取ろうとして、それを横からシルギィに奪われた。
「少しは周りの忠告も受け入れてやれよ。リリィやガルム達なんて、お前が倒れる場面を何度も見てるんだぜ? そりゃ傷の深さも知ってるし、心配もするだろ」
シルギィに包帯を巻かれながらも、しかし俺はその言葉に少し憮然としてしまう。
「みんな、俺を子供扱いしすぎなんだよ。ガルムなんて、本当に自分の息子だと思ってんじゃないかってぐらいだぜ。何かと怒るし小うるさいんだもんよ」
「何言ってんだ。お前、まだ十七だって言ってたよな? まだまだ子供だってことには変わりねえじゃねえか」
「なんだよ、シルギィまで……そっちだって実年齢はどうのこうの言うけど、どう見たって同世代だぜ」
「まーだ信じてねえのか……ガルム達にも話を聞いたんなら少しは信じそうなもんだがな」
「あー、ブチが子供の頃にお前に助けられたって話とかか? 本当なら、確かにかなり上ってことになるが……だったら、俺と友人みたいに接してるのはおかしくないか?」
俺の疑問にシルギィがむっとして答える。
「別にダチに年齢は関係ねえだろうが」
「そりゃそうだけどよ。でも、だったら年齢が近い奴の方が話が合うんじゃねえかって、ガルム達とか……」
「見た目は近いんだから、お前やリリィとつるんでた方が違和感ねえだろ?」
「実年齢が爺さんな時点でなあ……」
「やめろよ、爺さんとか呼ぶの! 周りの奴が真似んだろ、俺そんなに威厳ねえんだから!」
「自分で言うなよ」
シルギィの言葉に笑いながら返すと、シルギィもまた楽しそうにけらけらと笑っていた。
とまあ、俺の日常は主にこんな感じだ。
団員達とつるむよりは、シルギィと話している時間の方が長かったかもしれない。王子だった頃は友人なんていなかったか、いたのだとしても上辺の奴等ばかりだったからか、その反動だったのかもしれない。見た目的には年齢が近いと思えるシルギィと、本当に友人のように接していたし、シルギィもまたそれを楽しんでくれていたように思う。
実際は一番上の頭目と、その他大勢の手下の一人なんだが……まあ、これも見ての通りだ。シルギィ自身が、俺だけというわけではなく団員全員に対して友人のように接するので、この団は上下関係すら緩い。
「それで――俺の傷なんだが、本当にもう痛みはないんだ。自分じゃ見られないから分からないんだが……実際どうなんだ? 塞がってる?」
「んー……お前がここ運ばれた時には、既に応急処置されて数日経った後だったんだろ? その時点で見た俺としても、かなり深いと思ったからな……」
「そっか……じゃあやっぱもう少し大人しくしてた方がいいか」
「そうだな。傷自体は一応、塞がるには塞がってるんだが――まあ、下手に動いてまた傷口が開いたら結局治るのが遅くなっちまう。今は周りの忠告に従え」
「分かった」
とっくに包帯も巻いてもらい終わっていたので、上着を着直しながら素直に頷いておく。俺自身は別に多少完治が遅れても気にしないんだが、リリィが気にするからな……。彼女を庇って負った傷だから、俺以上に早く治ってほしいんだろう。
「それと、完治したら身体慣らすのにも付き合ってやるよ」
「身体を……そうか、うん。頼む」
別に慣らす必要なんてないんじゃないかとも思ったが、クイックに付き合って盗みに行く時のことを思い出して素直に頼ることにした。今までは傷のせいもあって逃げるのでさえ足手纏いだったからな、かなり。
本当は今直ぐにでも身体を動かしたいとこなんだが……リリィを始め、ガルム達やクイックまで心配するからなあ。みんな、過保護すぎやしないかな? 俺はそんなに子供っぽいか? いくら怪我してるからって、二歳下のリリィ以上に心配されてる気がして何か納得いかない。
そう思いつつも、これぐらいなら問題ないだろう、とそのまま泉の横で腕立て伏せをしてみたらシルギィに頭を叩かれた。
「いでえ! 何すんだよ、馬鹿力! 少しは加減しろよ!」
軽い動作で叩かれたはずなのだが、本当にかなりの力が加えられているみたいで凄い痛かったぞ?
「馬鹿野郎! 安静にしろってんだよ!」
「怪我人を叩くのはいいのかよ……」
未だにじんじんと痛みを訴えてくる頭を摩りながら文句を言っていると、扉が開いてクイックとリリィが入ってきた。昨日、夜に盗みに行くって言って、今回は何故か置いてかれたんだよな……。きっと、足手纏いがいると難しい盗みだったんだろうな。
「シルギィ、報告だ」
そう言ったクイックの腕の中に抱かれているのはボロ布に包まれた……人か? リリィが何かそわそわとしながら、そのクイックの抱いている人間に視線を何度も送っている。
「……それか?」
クイックの言葉に、ボロ布を見ながらシルギィが問い返すとクイックが頷いた。
「ああ、新人だ」
「また訳ありか」
シルギィの言葉にクイックが皮肉めいた笑みを浮かべながら、諦めたような口調で答える。
「訳って程のモンじゃねえな。ま、人売り関係だ」
「人売り? 奴隷ってやつか」
それにはシルギィではなく俺が答えていた。王位継承者でいる頃から、奴隷制度に対しては思うところがあったのだ。何故あんなものを国が許しているのか納得がいかなかった。俺が王になれば必ず廃止しようと思っていたのに……。
「まあ、そうだな。事情は先に聞いておいた――人狩りにやられたそうだ」
「人狩りって?」
俺の疑問に今度はシルギィが吐き捨てるように答えてくれた。
「クソから生まれたクソみたいな奴等さ。要するに、不当な手段で人を攫って売り捌く奴隷商だよ。商人とは名ばかりの、人間専門の盗賊だ」
「最悪だな……同じ盗賊としてどうなんだ」
俺の言葉にクイックが呆れたように溜息を吐く。また溜息吐かれたよ、クイックにはいつも溜息を吐かれる。
「あのなあ……言っておくが、俺達が特殊なだけだぞ? 盗賊って言ったら、それぐらい腐ってる方が一般的なんだよ。良い所に拾われたな、お前等」
「そうなの?」
思わずシルギィに聞いた。
「ああ。俺達は確かに盗賊だが、ここにいる奴等は仕方なしに盗むしかないってだけだ。俺も性根が腐った野郎は嫌いだしな」
「そっか……」
なにも、仕方ないから盗賊やってるって奴だけなわけじゃないよな。好きで盗みを働く奴だっているだろうし……しかし、その盗む対象が人間っていうのは、どうなんだ? 不当なのは良くないなんて当たり前だし、どうせなら生活力のある奴が生活力のない奴を盗んで幸せにしてやりゃいいのに。
普通に考えて、そんなこと起こるわけないけどさ。
「それで? 人攫いから助けてきたのか?」
シルギィが話を促すと、クイックは首を横に振る。
「いや、それはまあ、一部だな。人攫いに家族を殺されて攫われて、売られちまって、貴族に買われたみたいだが、まあ……な?」
クイックが途中で言い淀んで、ちらりとリリィを見る。あ、これは……。
「リリィー、話長くなりそうだから何か飲み物とか軽い食べ物なんか持ってきてくれねえかな? シルギィとクイックは話あるし、俺もちょっと傷が痛むから頼むよ」
「わ、分かった」
まだクイックに抱かれている奴が気になるのか、何度もちらちらと見ながらも素直に出て行ってくれた。ホント、素直で可愛い。
「すまん、エルディ」
「いいよ。それより戻って来る前に続き」
「まあ、その……察してくれたと思うが、女の子でな。本人が言うには性的なことはされてないってことだったんだが……言い難かっただけかもしれねえだろ?」
「……そうか」
「――――ッ」
真横にいて視線を合わせているわけではないのに、何かシルギィから視線で射抜かれたような感覚に陥った。なんだ、今の……?
「そう怒るなって」
苦笑しながらクイックが言ったことで、これはシルギィの怒りの雰囲気を身体で感じたんだと理解した。人って、怒ると雰囲気だけで他人をビビらせられるのか……怖いな。
「で、まあ一応はそういうことはされてないってことにしても、だ。拷問に近い虐待は受けてたみたいでな……」
「…………」
――怖い。
正直に心底そう思った。今はシルギィの顔が見れそうもない。よっぽど怒っているんだろう。
「暫くは泉に何度も浸かってもらわないとな」
シルギィが声を出すと、ようやく重苦しい雰囲気が和らいだように感じた。
「なら、女の子なんだしリリィに世話させた方がよくないか? どう?」
俺が言うと、クイックが腕の中を覗き込んでから頷く。
「そうだな、歳もお前達と近そうだし、裸を見られても平気って年頃じゃないだろう」
「……それもそうか。盲点だった」
「盲点って、お前……そういうとこだけ爺さんだな」
「だから爺さんは止めろって言っただろ!」
俺の軽口にシルギィが突っ込んでくれたことで、ようやく場の雰囲気が少し軽くなってくれた。