さしずめ、ロミオとジュリエット
何から話せばいいのか。
正直、誰かを楽しませるような、そんな話を持っている訳じゃないんだ。
取り敢えず、他愛もない身の上話だと思ってくれるだけでいい。
僕は10歳にして生死を彷徨った。
クライン・レビン症候群。眠れる森の美女症候群とも言うらしいのだが、生憎僕は女の子じゃないので、その別名は相応しくない。
睡眠障害の一種で、治療方法は確立されておらず、奇病の一つとされ回復は絶望的だった。
最初はただの睡眠不足程度に考えていた。
しかし、眠っても眠っても眠気が収まらず、次第に健忘を示すようになり、両親が病院に連れて行ったところ、クライン・レビン症候群だと診断された。
僕はそのまま入院となった。
治療法もないのに、だ。
簡素な病室で一人いつ訪れるかわからない死を待つだけの時。
限りなくゼロに近い奇跡を信じた時もあった。けどそんな思いは直ぐに絶望に変わる。
両親は治りもしない僕の病気のせいで昼夜問わずに共働き。生活は決して楽じゃなかったと思う。家のローンにも追われていたし、次第に病室に顔を出す日が月一程度になった。
でもそれを恨んだりする事はなかった。寧ろ子供ながらに申し訳ないと思っていた。
そんな中、唯一の頻繁に顔を出してくれたのは、隣に住む幼馴染。
お互いに一人っ子の僕らは、まるで兄妹の様に仲が良かった。
目が覚めると、いつも彼女の顔がそこにあった。
時には1週間も目を覚まさない時もあったが、目覚めると彼女が側で微笑んでくれていた。
眠りの感覚が段々と深くなると、色々な事を悟りだす。健忘の症状も酷くなり、色々な事が判らなくなる中でも、彼女の事だけは忘れたくない。そう強く願っていた。
まだ自分が自我を保つ事が出来るうちに、目を覚ましている事が出来るうちに、僕は彼女にどうしても伝えたい事があった。
「いつも側にいてくれてありがとう。」
何とか笑顔で彼女にそれを伝えると、僕はまた深い眠りについた。
薄れていく意識の中で、涙きながら首を振るう彼女の顔が見えた。いよいよ最後の時だと悟った。
でも心残りはない。
最後に彼女に感謝の気持ちを伝えられたから。満足して逝ける。そう思った時だった。誰かの声が聞こえた。
「汝、死を望むか?それとも生を望むか?」
幻聴?そう思っていた。
「今一度問う。汝はこのまま死を望むか?それとも生を望むか?」
幻聴ではない。きっとこれは僕の叶わぬ望みが見せた幻なんだと思った。
でもそんな問いをされたら答えは一つだ。
「生きたい!」
咄嗟にそう答えてた。
僕はまだやりたい事も、見たいものも沢山ある。そう望むのが自然だし、当たり前だ。
「その願い、聞き届けよう。」
そう聞こえた気がした。
数日後、絶望視されていた症状から再び目を覚ました僕に奇跡が起こる。
あの出来事以来、クライン・レビン症候群を発症する事がなくなり、色々な検査を経て2週間ほどで退院する事が出来る運びとなった。
でも一つだけ気がかりな事がある。
目を覚ましてから一度も彼女の姿を目にしていないのだ。彼女に何かあったのでは?そう思い、退院したその足で僕は彼女の家に向かった。
彼女の家の前、チャイムを鳴らすと彼女の母親が温かく出迎えてくれた。
「退院おめでとう!元気になったみたいで良かったわね!」
笑顔でそう言って僕を家の中に招き入れてくれた。
「澄乃ちゃんはいますか?」
そう尋ねると、少し戸惑いながら僕の質問に答えてくれる。
「二階のお部屋にいるわ。でもあの子急に声が出なくなっちゃって、このところ元気がないの。遥君の姿を見たら元気になるかもしれないから、良かったら声を掛けてあげてくれない?後でお菓子とジュース持っていくから。」
少し悲しそうにそう言った。
僕は小さく頷くと、二階に上がり彼女の部屋の扉を三つノックした。
扉はすぐに開いた。
久し振りに彼女の顔を見て、僕は少し安心した。
「このところ澄乃ちゃんの顔が見れなかったから、心配していたんだ。でもこうしてまた会えてよかった。僕はもう一度ちゃんとお礼が言いたかったんだ。入院している間、毎日顔を出してくれてありがとう!おかげでこの通り元気になりました。これからもよろしくね!」
そう言うと、彼女はいつもの様に優しく微笑んでくれた。
「ところでおばさんに聞いたけど、声が出なくなっちゃったって本当!?」
そう尋ねると、彼女は小さく頷いた。
それから手近にあったノートに文字を書き始める。
「急に声が出なくなっちゃって・・・。しばらくお見舞いに行けなかったのは、病院で検査してたりしてたからなの。でも、それ以外は悪いところないから大丈夫よ!声が出ないと少し不便だけど、文字さえ書ければコミュニケーションはとれるわ。遙君には迷惑掛けちゃうかもしれないけど、ゴメンね。」
彼女は、申し訳なさそうな顔でそうノートに書いた。
「僕は全然迷惑なんて思わないよ。それに僕は今まで澄乃ちゃんに沢山迷惑を掛けちゃったし、沢山優しくしてもらった。だからこれからはいつも僕が澄乃ちゃんの側に居るから安心して。」
笑顔で彼女にそう言うと、彼女は嬉しそうに両目に一杯涙を溜めて何度も頷いた。
タイミングがいいのか悪いのか?そのすぐ後に、彼女のお母さんがお菓子とジュースを持って来てくれた。
さっきとは違い、どこか少し優しそうで、それでいて嬉しそうに。
「良かったわね澄乃。遙君、澄乃の事これからもよろしくね!」
多分僕の会話はタイミングよく現れた彼女のお母さんに運悪く聞こえていたらしい。
急に恥ずかしくなったものの、僕は”うん!”と元気よく返事をした。
それから僕らは何処に行くにも二人一緒だった。
学校も、遊びに行くのも。
周りの心ない同級生からは色々と揶揄われる事も多々あった。そんな時澄乃ちゃんは何処か悲しそうで、僕に申し訳なさそうな顔をしたりもしたが、僕は全然気にならなかった。
「気にすることはないよ。僕が自分の意思で澄乃ちゃんの側に居る訳だから。それに悪い奴らばかりじゃないよ。きっとこれから沢山友達なんて出来るさ!」
そう言うと彼女も笑顔で頷いてくれる。
高校生になると、心ある友達が少しずつ増えて、彼女の心を曇らせる事を言う人間は少なくなった。
優しい友達が増え、楽しい事ばかりが続くと信じていたある日、彼女が交通事故に巻き込まれた事を知る。
家族で買い物に出かけた際に、信号を無視した原付が歩道を横断する彼女と接触。
外傷は然程なかったものの、衝撃で頭を打った彼女は意識不明のまま救急車で私立病院に搬送された。
僕は大急ぎで病院に駆け付け、待合室にいた彼女のお母さんに声を掛けた。
しばらく僕もその隣に腰を下ろしてみたが、面会を許可されるには至らなかった。
「もう遅いから、一度お家に帰った方がいいわ。何かあったらすぐに電話するから、ね?」
優しくそう諭され、僕はトボトボと夜の街を歩き出す。
色々な事が良い方向に流れ出し、これから素敵な事が沢山あると思っていたのに・・・。僕は失意のどん底にいる気分だった。
それからどこをどうやって歩いてきたのか覚えていないのだが、気が付くと僕は小さな古びた教会の入口に立っていた。
こんな場所見た事もないし、ウチの近所には存在しないはずだ。
見知らぬ場所に迷い込んでしまうなんて、僕はどんだけ精神的に打ち拉がれているんだ?
ため息交じりに失笑してしまう。
頭をひと掻きし、引き返そうとした時、目の前の扉が”キーィ”という音と共に少しだけ開いた。
気が付くと僕はその扉を両手で開け、赤い絨毯のようなものが敷かれた身廊を歩いていた。
鮮やかな模様のステンドグラスからは月の光が差していて、とても神秘的な空間に見えた。
何かに導かれる様に祭壇の前に跪く僕。
情けない事に、僕は彼女の為になにもしてあげられない。医者でもなければ神でもない。
祈る事位しか術はなかった。
自分自身の無意識な行動に少々戸惑いを覚えたが、これも何かの思召しと、両手を組んで瞳を閉じる。
どれだけそうしていたのだろうか?
ステンドグラスから差した月明かりが、ひと筋の光の帯となり僕の目の前に降りて来た。
「汝はどの様な加護を願う?」
聞き覚えのある声がした。そう、僕はこの声を以前も聞いた事がある。あの時と同様にこれは幻なんだろうか?
でもあの時確かに奇跡は起きた。
それならば迷う必要はない!僕はその声に思いを訴えた。
「僕の大切な人が事故に遭い、今生死の淵を彷徨っております。もしも願いを聞き届けて頂けるのなら、どうか彼女をお救い下さい!」
しばらくすると再び声が聞こえる。
「その願いを聞き届ける為には、それ相応の対価が必要となる。其方がその聴力を代わりに差し出すというのなら、その者の命を救おう。其方は覚えているかわからないが、こうして会うのは2回目だ。その時は小さな女の子が自分の声と引き換えに其方の命を救った。」
その言葉に衝撃を受けた。
つまり、彼女は自分の声と引き換えに僕の命を救ってくれたんだ。
当時10歳の女の子には、その決断は簡単なものではなかっただろう。僕なんかの為に彼女は大切な声と引き換えに、この命を救ってくれていたのだ。
「私達も万能ではない。消えゆく命の繋ぎとめるためには、強い想いとその代わりとなる物が必要となる。厳しくて難しい選択かもしれないが、それだけ命の価値と言うものは重いのだ。」
迷う必要は何もなかった。
大切な人の命を救えるのなら、そんなもの大した事じゃない。
彼女も今の僕と同じ気持ちだったのだろうか?
「今一度お願い申し上げます。どうか、彼女をお救い下さい。その為でしたら僕のこの聴力、喜んで差し出します!」
軽い気持ちで決断したわけではない。
それなりの覚悟だってある。
「良いのだな?分かっていると思うが、不便が付きまとうぞ?」
僕は静かに、でも力強く頷く。
「・・・人と言うものは実に愚かだが、時に愛おしくもあるな。その願い、確かに聞き入れた。」
そう答えると、ステンドグラスから伸びた光も先程まで感じていた気配も消え失せた。
閉じた瞳をゆっくりとあけると、そこにさっきまでの教会はなく、自宅の扉がとび込んできた。
次の日、彼女は目を覚ました。それと引き換えに、僕は音を失った。
音の聞こえない世界は、とても不便で恐ろしいものである。
大事なものを失ってしまったかもしれないが、それ以上のかけがえのないものを失わずに済んだ。
彼女は声で、僕は音。
お互いにソレについては何も触れないけど、互いに互いを助け合い、より深い絆が出来た様に感じる。
ただでさえ住みにくい世の中だが、僕ら二人が共有する世の中は更に輪をかけて住みにくい。
でも僕らなら大丈夫。
二人ならきっとこの先のどんな困難も乗り越えて行けるはずだから。




