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無名の戦士たち  作者:
1/1

もう一つのK-1物語

『タイランド 無名の戦士達』

作:重松 栄


【最強を目指したもう一つのKー1物語】


 プロローグ


 俺は人を殺した……。

 事故や過失ではない。撲殺である。人をこの手で殴り殺した……。

「強くなりたい」男として生まれ、誰でも一度は考えることでは、なかろうか。

 俺の場合は、特にその気持ちが強かった。「最強」この文字を見ると、腹の底から熱いものが込み上げてくる。

 その最強を目指すため実践フルコンタクト空手を、小学生の時から修行していた。

 数多くの大会で優勝した後、史上最強の、立ち技ムエタイ(タイ式キックボクシング)に、どうしても挑戦をしたくなった。

 体育大学を卒業し二年間教員の生活を送った後、この気持ち萎えるどころか、さらに強くなり、単身タイの首都バンコクに乗り込んだのは、昭和五十九年の正月であった。

 俺は空手とのスタイルを変えるため、実践空手と並行し、地元のキックボクシング・ジムで一年間の荒稽古に励んだ。

 そのジムは、玄関の看板に「喧嘩教えます」と書き込むような、戦いしか頭にない、クレージーな会長が指導をしていた。会長が書いた物だろう壁には「今やらないで、いつ、やるんだ」とか「自分が怖かったら、相手も恐れている」

「自分が苦しかったら、相手も苦しい」「一度でいいから死ぬ気でやってみろ」が、張ってある。

 一回の練習時間は四時間を越える。普通のジムでは一ラウンドを三分間でカウントするが、このジムでは四分三〇秒を一ラウンドとし、インターバルも三〇秒しか取らせないハードなトレーニングを課することで、有名なジムであった。

 俺はムエタイに挑戦するため、周到な計画を立て、緻密に練り上げた練習法でタイ人を倒すことだけを考えて、毎日を生きていた。

 奴らの最強の武器は、見えない角度から飛んでくる肘と膝である。鋭利な刃物のようなパンソークは目の上の急所を狙うことで相手の多量の出血を起こさせ、戦意を喪失させる。

 また天を突く膝蹴りは「テンカオ」と呼ばれ、敵の顎を確実に打ち砕く。更には「モエパン」は、首相撲から連続して行われ、相手の内臓を破裂させる殺人技である。

 国民男性のほとんどが経験するというムエタイの人口は凄まじい。日本の草野球やサッカー少年も、今やあまり見かけなくなったが、タイランドでは子供たちが普通に路上で殴り合いをしている。喧嘩かと思いきや、ムエタイの練習をしているのだ。

 未だ教育水準が低く、貧富の差が激しいタイにおいて、億万長者になれるのはムエタイのチャンピオンか俳優だけだと聞いていた。タイ人男性の大半がチャンピオンを夢見て物心付いた時から、見よう見まねでパンチや蹴りの練習を始めている。

 その中から、ごく限られた一握りの天才選手が、ルンピニーとラジャダムーンという二大スタジアムに行くことができる。日本人でムエタイのチャンピオンになったのは、ごく最近まで、藤原敏男さん、ただ一人だった。

 第一章 一九八四年一月三日

 俺が“微笑みの国”タイランドのドンムアン国際空港に到着したのは、年が明けてすぐの三日だった。

 小さい国というイメージがあるタイランドだが、国の面積は、五十一万四千平方キロで日本の一・四倍もある。世界で四十九番目の面積だ。ツーリスト・ビザを所得し、数次ビザを取れば、最大で連続九ヶ月間は滞在できる。

 バンコクの数多くある繁華街の中で、パッポン(日本)ロードは、タニアと並ぶ風俗街で、土産物屋の屋台が埋め尽くしている。

 昼は閑散としているが、夜になるとヌードショーを生業とするゴーゴーバーが、道の両側に、立ち並ぶ。店の軒下にショッキングピンクや、色褪せた金色のショーツが干してあった。

 俺の横を、お猿の籠やのような担ぎ物を持った、中年のおばさんが、すれ違った。どうやら身体一つで露天を開くらしい。

 担ぎ物を降ろすと、コンロに火をくべて、円形の鉄板で、小さなどら焼きを、焼いて売り始めた。

「これは、何だ?」は指で示して「アラーイ」と訊けばいい。

 おばさんは「ソンマーメイ」と答えた。

 七個で十Bバーツだ。一Bが三円だから、三十円。たった三十円を稼ぐために、熱い日差しの下で一日中、どら焼きを焼き続けるなら、裸になって足を上げて稼ぐほうが楽かも知れない。

 ルンピニー公園は、高層ビルに囲まれた一角にある。バンコク最大の公園で、六十万平方キロ。東隣にはルンピニー・スタジアムがあり、地下鉄からのアクセスも良い。週末には、家族連れやカップルで賑わうと聞く。

 入場料は無料だが、治安維持のためか、午後九時以降は入れない。日本の公園と違うところは、トイレが有料な点だ。二Bを払わないと、入れない。また、公園路上の至る所に、距離表が書いてあった。ジョギングやマラソンに役立てるのだろう。

 北側には有料の青空ジムがあり、ウェイト器具が、ボロボロに錆びて置いてあった。タイでは映画『ランボー』の影響で、ボディビルが静かなブームであった。

 池にはワニやオオトカゲが住んでいるらしい。だが、あまり見た人はいない。ラマ六世の像が、誇らしげに、それでいて寂しげに建っていた。

 正月だというのに、飾り気のないバンコクは、古い車と汚い自転車、そして名物の乗り物トゥクトゥク(バイクで作った三輪タクシー)が、ひしめき合い、大渋滞を作っていた。

 何の流行だか、マフラーを切ったバイクが騒音をけたたましく鳴り響かせていた。

 街全体が排気ガスの臭いで溢れかえり、その喧噪は長時間のフライトで疲れた俺の神経を逆撫でした。

 パッポンロードを歩いていると、熱帯地独特の湿気で、着ているTシャツが、汗で張り付いた。そこは紛れもなくタイランドだった。

 俺が歩いていると《コーヒーショップ》と汚い日本語で書かれた喫茶店が見つかった。外から店内が見渡せる、総ガラス張りになっていた。

 中には、まだ、昼だというのに、どぎつい化粧を施した女たちが、ところ狭しと座っていた。

 タイの店のほとんどがそうなのだが、外観からは何の店だか、わからないものが、多い。

 ガラス扉の入口は、自動ドアではなく、スライド式の手動であった。

 俺は暑さに懲りて、店の中に逃げ込んだ。

 店内は、一瞬にして風邪を引きそうなほど冷房が効きすぎていて、軽い眩暈を覚えた。

 テーブルに身体を預けていた女たちが姿勢を正し、一斉に俺に視線を向けた。

「サワディカップ」(こんにちは)

 満面の笑みだった。

「おにいさん、日本から来たの?」

 手を合わせながら、こちらに微笑みかける女性は、色の浅黒い、まだ幼さを残した、ちょっと猿系の顔をしたトランジスタ・グラマーな娘だった。

 俺は、空いている席を見つけ、腰を下ろした。

 さっきの娘が、タンクトップから溢れ出そうな胸を揺すりながら、俺の前の席に遠慮なく座った。それを合図のように、左右の席が、女たちに占領された。

 右のほうはノーブラ、うすいTシャツで乳首が透けて見えている、大きな女性だった。

 左の娘は、本当に幼く、まだ小学生ではないかと思える少女で、小さなホットパンツから尻の肉が、はみ出ていた。

 俺は三人の若い女に囲まれて「どれに、するの?」というような眼で見つめられた。

 女たちの大半は「売春」で生計を立てている。《コーヒーショップ》は、女たちの交渉の場所となっていた。

 しかし、タイという国は、勤労意欲のない人間が、なぜこうも多いのか? 客が来たというのに、水一つ持ってこない。

 バーテンらしき男にアイスコーヒーを頼むと、女たちは一斉に、けたたましく笑い出した。

 俺は、自分の注文が馬鹿にされたのかと思い、不愉快になった。

 正面の娘が、辿々しく説明を始める。

「タイランド……コー……ヒー……ノーです」

 ここの娘たちは日本語はおろか、英語も全くわからない。俺はだんだん、苛ついてきた。

「タイには、コーヒーはないのか?」

 目の前の女性が手振りで、教えた。自分の“あそこ”を指さしながら「コー」と言い、手招きをしながら「ヒー」と言った。

 周りの女たちは、皆一様にヒソヒソ話をしている。

 どうやらタイ語で「コー」は女性のあそこを意味し、「ヒー」は欲しいという意味になるらしい。俺は「冷たい女性のあそこが欲しい」と注文したわけだ。全く、面白くも何ともない。

 出てきたアイスティーは、氷も溶けて味も薄く、砂糖をたっぷり入れた麦茶の味がした。

 何よりひどい点は、ストローが使い回されていて傷だらけだ。

 片隅に目をやると、日本で言う十四インチ程度の小さなテレビを、タクシーの運転手らしき男たちと店の従業員が、食い入るように見ていた。

 だいぶ古いテレビで、SONYと書かれたロゴマークが剥がれて、読み取れない。色はセピヤ色で、縦に幾つもの線が入っていた。

 偶然、ムエタイの試合が、放送されていた。たぶん国際式ボクシングの前座か何かであろう。

 まとわりつく女どもを押しのけ、俺はテレビの前まで、グラスを持って近寄った。

 テレビ画面では、ムエタイ独特の間延びした音楽に合わせながら、対戦する二人が「ワイクル」という、神に捧げる舞を踊っている。

 ムエタイを教えてくれた師匠と神に祈りを行うのが本来の目的だが、科学的には戦いの前のストレッチ的な役割がある。

 俺の隣で観戦していたタクシーの運転手が、身振り手振りで、タイボクシングの真似をしていた。

 試合は一ラウンド、テンカオ(膝蹴り)を顎に入れた赤コーナーの選手のKO勝ちであった。

 俺が見たところ、二人のレベルが違いすぎて、噛ませ犬のような試合だった。

 試合を観戦していた、薄汚いTシャツを着た中年の親父が、黄色い歯をむき出しにして、振り返りざま、俺の前まで歩み寄ってきた。

「タイランド・ムウエ・ナンバーワン」と中指を立てながら、俺を睨んだ。

 昼間から酔っているのだろうか、パンチの真似をしながら、ちかずいてくる。俺は心で吠えた!

「ふざけるな! 日本には貴様の知らない、最強の格闘技、空手が、あるのだ」

 興奮した俺は親父の顔を掌底で、張り倒していた。

 顎の先端を打ち抜かれた親父は、口から血反吐を吐いて隣のテーブルまで吹き飛んだ。娘たちは悲鳴を上げながら店を逃げ出す。

 訳の分からないタイ語を話しながら、他の連中も騒ぎ出した。

 警察問題になると、今後の活動に支障が出ると思い、俺は足早にその店を立ち去った。

 これは自分の中で、観光気分を捨ててムエタイへの宣戦布告をする印象的な出来事となり、胸に刻まれた。

「タイ人の奴らに、本当の格闘技を、見せてやる」

 心から燃え上がる情念を、抱えながら、日本で予約をしていた短期アパートメントまで、歩いた。

 タイにいる間、宿舎になるアパートは、パッポン通りを抜けてスリウォン通りを北に歩き、ラーチャタムリ通りと平行している、アンリー・デュナン通り沿いにあった。

 近くにはタイ国立NO一のチュラロンコン大学があり、ラマ四世通りとの交差点近くには、タイシルクで有名な《ジム・トンプソン》の店があった。

 古くから栄えてきた、この通りの辺りには、オリエンタルやシャングリ・ラなどの高級ホテルが建ち並んでいる。

 だが、俺が予約していた、月額六千B(約二万円)のアパートは、トイレも水洗でない共同で、シャワーは、水しか出なかった。

 相部屋のPゲストハウスならば、一日五〇B(一五〇円)で泊まれるが、個人のプライバシーは守れないし、長期滞在者の大半はジャンキー(麻薬中毒者)で、一緒にいて無事に過ごせる自信がない。

 個室を与えてもらえる最低の家賃だった。

 元より、贅沢をしに来たのではない。ムエタイのランカー(できれば、チャンピオン・クラス)を倒すために来たのだから、何も不自由は感じなかった。

 俺は、すぐにでも試合を組んで、もらいたかった。

 そこで俺は、調整場所と練習所を確保するために、日本から電話で、マッチメークのお願いをしていた地元のプロモーターのパーヤップと、その日のうちに話し合いを持つことにした。

 彼は、いかにも俺は忙しいんだ思わせたいのか、電話が繋がるとすぐに「こちらから

 かけ直す」とマネージャーが、言って電話を切った。

 しばらくして、やっと本人につながったが「今日は、忙しいので明日、ジムで会いましょう」という。

 仕方がないので、いくつかのジムを見学することにした。

 バンコク市内のムエタイジムは、大小さまざまな六千以上が連立しており、海外から修行に来ている人間も多い。

 名門ジムと言われる所は、皆一様に練習料金が高く、初心者相手の「体験入門」が良い稼ぎを、生んでいた。

 チャオプラヤー川沿いにある「ギャソリット・ジム」も、その一つである。

 ジムと言っても防災テントで囲んだ土地に、いくつかのサンドバックが、ぶら下がっている露天のような練習場であった。

 ジムの中に入っていくと、タイオイルの独特な甘酸っぱい臭いがした。

 南国特有の湿った暑さに輪を掛けて室温は、すさまじいものになる、故に野天の方が都合が良いのだ。

 さらにリングの近くまで行くと、今度は獣のような動物が閉じこめられている檻の中に

 入れられたような悪臭が漂った。

 リングの上では、ぶつかりそうなほど、多くの人達が、シャドーボクシングを、行っている その中心でトレーナーの持つミットに高速のミドルキックを入れている男が眼についた、ムエタイ独特の溜を作らず、鞭のように足をしならせての蹴りが、トレーナーのミットにくい込んでいる。

 俺の存在に気付くと、一斉に視線を送ってきた。

 血走った獣のような眼は、俺の挑戦を見透かしたように、感じた。

 今すぐ、リングに駆け上がって一人残らず鉄拳でぶちのめしてやりたい感情を抑え、

 今日は見学だけに留まった。

 汗を飛び散らせ、動物のような叫びをあげながら、無駄な肉を一切削ぎ落とした獣たちの動きを観察し、こいつらを、どう始末するか、俺はハンターのような気持ちで、奴らの攻略ポイントを探った。

 翌五日の早朝、世界一と言われるオリエンタルホテルで、俺はパーヤップと会った。

 パーヤップは髪の毛の薄いチビでぶで、手にはこれでもかと言うぐらい、太い指輪が嵌められていた。かつて国際式ボクシングのランカー選手だったらしいが、今は見る影すらない。

 リバーサイドのレストランで、朝食を取りながら、今後の打ち合わせをした。

 彼は日本に八年も滞在しており、時折、訳の分からない言葉を発するが、基本的に日本語が、できるので非常に助かった。

「すぐにでも試合がしたい。ファイトマネーはいくらでもいいから、試合を組んでくれ」

 味のないサラダを口にしながら、俺はパーヤップに言った。

 パーヤップは対岸の《ペニンシュラ・ホテル》を見ながら、サンドイッチを口に放り込み、グチャグチャ噛みながら、無表情に訊いた。

「君は身体が、大きすぎる。今、何キロあるね?」

「六十前後だ。一週間もあれば、バンタム(五十三キロ)まで行ける」

 ちょっと考えるように、俯きながら、

「スタジアムでは無理だ。金次第だがな……取り敢えず、パタヤで実力を見せてくれ」

「金次第とは、どういう事だ?」

「スポンサーに二.三万バーツくれてやれば、適当な選手と記念の試合ができるということだ」

「それは、八百長試合かね」

「そうとは、限らない 払う金額が多ければ、そういう事も可能だがね」

「金があれば、何でもできると、いうことか」

「まぁそうだ」

 外国人がムエタイを習った記念として、一試合二万バーツ(約一〇万円)を払うと、リングにあげてもらえるらしい。

 パーヤップは、これが狙いで「タイに来たら連絡をください」と日本で俺に言ったのだと思った。

俺は、この人物に会ったことを後悔し始めている、所詮、この男の頭の中には金儲けしかないのか、しかし、今のところ、この男を伝手にするしか方法がない。

「悪いが、君の日本でのアマチュア実績は、こちらでは余り評価されない…」

時折、パーヤップの表情が険しくなる、俺の足下を見て値踏みをしているのでは、ないかと思い情けなくなった。

「それより、君は結婚は、しているのか? 良かったら、良い子を紹介するぞ。日本に連れて帰ってくれれば、の話だけどなぁ」

 そこからの話は、くだらない儲け話ばかりだった。

 何かの伝手を使って女の子を日本に輸入できれば、金持ちになれる、とか、試合なんかしないで、日本からドンドン練習生を送り込んでくれれば、見返りがあるぞ、など。

 果ては「ピストルを持って帰ってくれたら、五十万円払う」といった、こいつの職業は何なんだと疑いたくなるようなものばかりだった。

「明日から練習がてら、パタヤに行って、何試合かしてきなさい」

 むこうのプロモーターと約束をしているのか、どうしても俺を、パタヤに行かせたいらしい。

 俺はパーヤップ氏から、パタヤの住所、行き方などを教えてもらい、彼と別れた。

 別れ際、「困ったことが、あったら、いつでも相談しなさい」と満面の笑みを浮かべて、

 握手を求めてきた。

「コップン、カー」(ありがとう)

「マイペンライ」(どういたしまして)

 タイに来て、初めてタイ語を使ったと思った。

 しかし、テーブルには朝食代のレシートが残っている、恐るべし微笑みの国。

 しばらくバンコクから離れなければならないので、ホテルに帰る途中、殿堂ラチャダムヌン・スタジアムを見ていこうと思い、バスで移動をした。

 タイのバスはどこまで乗っても二バーツだが、蒸し風呂のように熱かった。

 王宮前広場までバスで移動し、広場を少し歩く。まだ、午前中だというのに日差しは強く、少し歩くだけでTシャツが、汗で体に、張り付いた。

 別段、観るところもないので、通称トゥクトゥクというバイクに人力車をくっつけたような三輪タクシーで移動をしようと思った。

「ラチャダムヌン ボクシング スタジアム ハゥマッチ?」

 残念ながら、彼らのほとんどは英語が分からない、指で円マークを作り値段の交渉をした。

「ラジャダムーンスタジアー シップハーバーッ」

 シップが十で、ハーは五なので十五バーツと云うことだ。

「オッケー、レッゴー」

 すぐにエンジンをかけ、破裂しそうな爆音を立てて三輪タクシーが走り出した。

 市内に入るともの凄い数の車、バス、バイク、自転車がひしめき合うように、渋滞していた、その隙間を縫うように三輪タクシーが、走り抜ける。

 まるで自分の運転技術を自慢するかのように、ギリギリの細い隙間を駆け抜ける。

 何度も車に衝突しそうになりながら、カオサン通りを飛ばしていく、年間何人の人が、これで死ぬんだろう?

 考えていたらスタジアムに着いていた。ポケットから十バーツ札と五バーツ札を取りだし、運転手に渡した。

「ナーナーハーシップ ハーシップ」

 片手を大きく開いて、俺の目の前につきだし、睨み付ける。

 俺は「始まった」と思った。シップハーなら十五だが、ハーシップだと五十になってしまう。

 タイ語が分からないことが良いことに、明らかに吹っ掛けてきている。

 たかが七十五円か二百五十円かの違いである、普通の日本人なら、揉め事にしたくないと払ってしまうのが賢明だろう。

 しかし俺が気に入らなかったのは、此奴らの仲間が取り囲んで、さも、こちらが悪いような雰囲気を作っていることだった。

「てめえは、最初から十五と言っただろう! 俺を誰だと思っているんだ、馬鹿野郎」

 構わず日本語で捲し立てた。

「初めから五十と言えば、気持ちよく払ってやったものを、仲間の所に来てから値段を変えるとは、どういう魂胆だ この糞野郎」

 日頃、気合いを入れる仕事をしているおかげで、こういう時の迫力は尋常じゃない

 周りで観ていた仲間たちも「関わらないほうが賢明だ」とでも思ったのか、一人二人と消えていく。

 それでも相手が引かないなら、バックミラーぐらい引きちぎってやろうと思っていた。

「マイペンライ マイペンライ」

 手を頭に掲げて・ワイ・をする。

 喧嘩は声がでかいほうが勝つのは、世界共通だ。

《ラチャダムヌン・スタジアム》は、まだ開場していなかった。

 会場の周りには、日本の屋台のような食べ物屋が、たくさん連なっていた。

 正面には、小乗仏教の国らしく、蓮の花に形取られた寺院がデザインされた看板が掲げられ、中央には、タイを象徴する動物である像の絵が描かれている。

 入口には右からリングサイド、二階席、三階席の順にチケットの売り場窓口が、並んでいる。その上には、すっかり色あせた各階級のチャンピオンの写真が掛けてある。

 試合予定表らしきものが張ってあった。そこで、よくよく見ると、ご丁寧に日本語で書かれたものがある。それほど日本人観戦者が多いということであろうか。

 予定表によると、最初の試合が、もうすぐ始まる。

 たまたま、トランクスを持参していたので、選手の振りをして、関係者入口から侵入した。

 本来は二階席の入場料――タイ人が五十バーツで、外国人だと三百バーツも取られてしまう。ちなみに、リングサイド席は、一律、五百バーツで、タイ人は、まず入らない。

 場内はクーラーこそ効いてはいないが、外からの風が入る仕組みになっているせいか、それほど暑さは感じなかった。

 このリングで戦った経験者が「照明と熱気でサウナにいるようだ」と言っていたのを、思い出した。

 全体として後楽園ホールを少し大きくしたような会場である。だが、一階と二階、三階は、それぞれ人が乗り越えられない高さの金網で仕切られており、入口では厳重なボディチェックがなされる。

 マシンガンのような銃を抱えた軍人のような警備員が、入口とリングサイドを巡回していた。

 そういえば《ラチャダムヌン・スタジアム》は軍が経営していると聞いた覚えがあった。

 ムエタイの観戦目的だが、リングサイドは観光客の観戦用で、二階席は賭けである。

 そのため、二階ではトラブルが発生する。客は賭けに高じているため、興奮してリングに物を投げる奴もいて、ペットボトルすら持ち込めない。

 会場に入ると、選手と関係者の控え場があり、何人かの選手がマッサージを受けていた。

 きょろきょろ見回していると、どうやら日本人らしい人相の男が、忙しなく駆けずり回っているではないか。

 短パン、Tシャツで、頭は五分刈りだが、その筋の者といった、ヤバい雰囲気はない。肩からタオルを掛けているところを見ると、トレーナーらしかった。

 年は三十前後。痩せてはいるが、安定した足腰を見ると、ムエタイ経験者であろう。

 俺は関係者を装い、声を掛けてみた。

「日本の方ですか?」

「いえ、日系アメリカ人です。ジェームス・田中と申します。タイに来て、五年になります」

 田中は俺を見て、少し困惑したような顔をした。だが、すぐに微笑みながら、逆に聞いてきた。

「そちらは、選手として来られたのですか?」

「はい。すぐにでも試合をしたいのですが、難しそうですか?」

「そうですねぇ……ここでは地元タイの選手でも、リングに上がれるのは、一部のエリートですから。各選手が地方で活躍をし、プロモーターが引き上げなければ、ラジャのリングでは、戦うことを許されません」

 田中は世話好きと見え、様々なことを、丁寧に俺に教えてくれた。

「これから始まる少年たちの試合にしても、リングに上がれる競争率は、三百倍ぐらいです。将来を期待された優秀な地方の子を、ジムの会長が衣食住すべて面倒を見て育成するんです。ですから、チャンピオンになるまで、相当な出資をすることになります」

 話を聞いていて、今朝会った、プロモーターのパーヤップが異常に金に固執する訳が、少し分かった。

「タイでは産業が少なく、賃金が安いですから、一攫千金を夢見てボクサーになる少年が、たくさんいます。まあ、掛けませんか?」

 汚いベンチを指さして、腰掛ける。

 俺たちは、選手のマッサージに使うベッド兼ベンチに座りながら話し続けた。

「ムエタイのチャンピオンになるのは、現在では宝くじに当たるぐらい難しいことです」

「え、そんなに?」

「地方出身の貧しい家庭に育った子供は、まともに教育を受けることもできず、都会に出てきても、バイクタクシーの運転手になるぐらいしか、金を稼ぐ手段がありません」

 一瞬、さっきの運転手の顔が思い浮かんだ。

「田舎から単身上京してくる少年たちの憧れのヒーローがムエタイのチャンピオンです」

 その中には、一人で家計を支えていたり、兄弟達の学費を稼いでいる者もいるという。

「今でも、貧しい地方では、女の子が生まれれば喜び、男の子が生まれるとがっかりする、と言われています」

「女の子は、売れるから?」

 田中は寂しそうな目をして頷き、笑った。なるほど。趣味や道楽で戦っている奴は、いないのだ。

「それで、チャンピオンになっても、彼らの多くは早く、この仕事を辞めたいと思っているのです。試合中の事故や後遺症で死んでしまう者も多いですしね」

 彼らにとってムエタイは、金を稼ぐ仕事以外の何ものでもない。まさにプロフェショナルである。そう俺は思い知らされた。

 リングの上では、まだ十歳ぐらいの少年の試合が始まった。

 額の辺りに、色鮮やかな縄のような飾り物を付けている。

「頭に付けているのは、何ですか?」

 田中が話好きなようなので、俺は聞いてみた。

「あれは、モンコンというお守りで、試合の前に会長にワイ(祈り)をして、外してもらいます。これを外すことで、戦いの神様を解放すると言われています」

 腕には、やはり同じ色の巻物が着いている。

 勘の良い田中は、俺が聞いてもいないのに、懇切丁寧に説明してくれた。

「腕輪は、バーブラチアットと言います。試合前に、僧侶に戦いの無事を祈祷してもらっています」

 リングの上では、いよいよワイクルーが始まった。

 ワイクルーとは「師に捧げる祈り」という意味で、スタジアムでは試合の前に必ず行われる儀式であるという。

「ワイクルーは、誰に習うのですか?」

 田中は少し俯き、考えるようにしてから答えた。

「各ジムによって指導方法がまちまちです。先輩が教えることもあれば、ジムの会長がアレンジして、各自オリジナルのワイクルーをやらせることも、ありますね」

 それから田中はワイクルーについて、タイに伝わる伝説の話をしてくれた。

 ワイクルーの伝統には、戦乱に揺れ動いたタイという国の長い歴史と、実在した、ある伝説のムエタイ戦士の物語があったのだそうだ。

 一七六七年四月七日。日本では、まだ江戸幕府の徳川家治将軍や田沼意次時代の話だが、当時、タイに栄えていたアユタヤ王朝は、ビルマ軍の総攻撃に遭い、一夜にして滅亡した。

 ビルマのマングラ王はアユタヤ王朝の征服を祝って盛大な宴をあげ、その余興として、ビルマ最強の戦士と、奴隷として連れてきたタイのムエタイ戦士を戦わせることにした。

 タイの代表となったのは、最強のムエタイ戦士だと言われていた、ナーイ・カノムトム。

 カノムトムはマングラ王の前に立つと、囚われの身でありながら、悠然とタイの伝統舞踊を踊って見せた。こうして戦いが始まると、瞬時でビルマの最強戦士を倒してしまった。

 激怒したマングラ王は「ビルマの戦士が負けたのは、あの踊りのせいだ」と言いがかりを付けたという。

 すぐに選りすぐりの戦士ばかり九人を集め、カノムトムに向かって、

「もし全員に勝つことができたなら、人質を解放しても構わないぞ」と告げた。

 仲間の釈放とムエタイ戦士の誇りを賭け、カノムトムは再び戦いに挑んだ。

 そしてムエタイの奥義、肘打ちと膝蹴りで次々とビルマ戦士を打ち破り、遂に九人全員を倒してしまう。

 これに感服したマングラ王は、約束通り人質を解放し、さらに褒美としてビルマ一の美人を妻として授けた。これがタイで有名な『英雄カノムトム伝説』だった。

         10

 俺は、この国の少年たちは皆、伝説の勇者になりたくて、ムエタイを修行していると考えていた。

 しかし、現実、ほとんどのファイターたちは生活のために戦っている。

「ムエタイのチャンピオンたちが、口を揃えて言うのが『少年時代には、五十円、百円のために、それこそ命を削るような思いで試合をしていた』ということです」

「まさに、ハングリーそのものだな……」

「彼らの中には、勝てば喰えるが、負ければ喰えないという、飢えとの戦いがあります。そのことが、彼らの強さの根源と言っていいでしょう」

 そこには名誉や誇りのために戦うなどという綺麗事ではなく「生きていくために」戦う、現実があった。

「いろいろな、有意義なお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。又、どこかでお会いすると思いますので、今後ともよろしくお願いいたします」

「マイ、ペンライ。こちらこそ、よろしく」

 田中はタイにムエタイを学びに来て、それ以来ずっとジムの手伝いをしているらしい。

 タイに来て、初めて友達らしい人間関係ができたことが、俺は無性に嬉しかった。

 第二章

 昨日、プロモーターのパーヤップから紹介された店を目指して、俺はバンコクからパタヤまでバスで移動することになった。

 鉄道も利用できるが、一日に一往復しかないうえ、バスよりも、時間がかかる。

 BTSスカイトレインエカマイ駅前にある東バス・ステーションからパタヤ行きのバスは、三十分間隔で出ていた。

 一等バスと二等バスに分けられていた。二等は途中で立ち寄る場所が多く、時間がかかるらしい。

 駅前に到着すると、怪しい男たちが、さも案内するような振りをして、二等チケットを高く売りつけようとした。タイのダフ屋だ。

 バス乗り場は、下町の工場のような倉庫が建ち並んでいた。中に入ると、凄まじい排気ガスの臭いがした。至る所でバスのクラクションが鳴らされ、暗い工場内を走り抜けていく。

 一等の料金が八十バーツ。約四百円だ。バスは中国から払い下げたものなのだろうか? 車体に大きく、下手くそなパンダの絵が描いてある。タイ観光ツアーで有名なパンダ観光が運営をしていた。

 交通手段として利用するのに、チケット売り場では、売り子の姉ちゃんが「ジェットスキー乗るか」「バナナボード乗るか」と誘いを掛けてくる。

 どれが本物の従業員で、どれが偽物か全然わからない。そんな中で、やっと俺はチケットを購入して、バスに乗り込んだ。

 乗客の半分は観光客で、半分は地方から働きに来ている出稼ぎに見えた。

 バンコク市内を出ると、外の風景は何もない田舎道に変わった。時折、道路工事の作業員が見えた。

 皆、だらだら動いている。中には、ぼけっと突っ立ている者もいた。見ていると一様にやる気のなさが、伝わってくる。

 どうしてこうも、タイ人というのは、怠け者なんだろう。

 湿った空気と教育の低下が生み出した史上最悪の惰民たち。故に一攫千金を夢見て、リングに上がるムエタイ・ファイター。

 大げさな言い方ではあるが「俺は国を相手に喧嘩を売ろうとしている」そんなことを考えながら、バスに揺られていた。

 バスの中では、間抜けそうな日本人の新婚カップルが、他人の目も憚らず、ベタベタしていた。

 年は俺と同じくらいだが、ペアールックのお揃いTシャツを着て、冷房の余り効かない、くそ熱いバスの中で、これでもかと言うほど、寄り添っている。

「乗れば、すぐ着くよ」とプロモーターのパーヤップは言っていたので、俺は駅から自宅感覚で乗り合わせた。

 ところが観光バスは、ノロノロと三時間以上もかけて、ようやくパタヤに到着した。

        2

 パタヤは、バンコクから三時間足らずで行ける海辺のリゾート地である。

 同時に、タイを代表するナイトライフのメッカでもあり、欧米やアジアからの観光客が絶えない。とくに欧米人は安いホテルに長期滞在し、昼は海、夜はバービアという店で遊ぶ。

 バービアは、屋根はあるが、壁はない。カウンターの内側に数人の女性がいる、カウンターバーのような店だ。

 もともと、ベトナム戦争当時に米兵の休息の場として開発された繁華街なので、欧米形式の店がたくさん並んでいる。

 パタヤに着いた俺は、すぐに紹介された飲食店に行こうと思っていた。

 ターミナルにいる一番賢そうな、係員に英語で道を尋ねた。

 だが、全く通じない。タイ人は本当に言葉が判らない。どのようにして他の国の人間とコミュニケーションを取っているのだろう。

 仕方がないので、バスの運転手にパタヤの地図を見せて、指で、示して、

「ここへ行きたいんだ」と日本語で捲し立てた。

 ところが、バスターミナルであるノース・パタヤ・バスターミナルからは、飲食店が集まるビーチ・エリアとは少し距離が隔たっていると分かった。

 そこで俺は、ソンテオというピックアップ・トラックの荷台部分を客席にした、バスとタクシーの中間のような乗り物で移動することにした。

 さすがに東洋一のリゾートと呼ばれるだけのパタヤは、世界中のバックパッカーたちが集まっている。

 ターミナルを出発したソンテオは、メイン通りのスクンビット通りを抜けてビーチロードに入った。

 左手には、乾いた空気の草原が見え、右手からは微かに潮の香りがしてきた。

 直射日光の当たるソンテオに乗っていたため、上着のTシャツが汗でびしょ濡れだった。

 ビーチに到着し、海岸に沿って走るメイン・ストリートを歩いていると、ホテルやレストランが並ぶセントラル通りに出た。

 ハワイのワイキキ・ビーチを似せて作ったと言われているが、どことなく町全体が胡散臭い。

 それでも、ビーチに足を踏み入れると、青と黄色で統一したパラソルとデッキ・チェアーが並ぶリゾート・アイランドであった。

 あまりの暑さに耐えきれず、俺はシャツを脱ぎ、上半身裸でビーチに出た。すかさず欧米人たちの好奇な目線が、俺の背中に突き刺さった。

 俺は身長こそ一七五センチと平均ながら、胸囲は一二〇センチもある。

 上腕二頭筋は二つの力こぶが、膨れあがり、筋肉の塊を腕と足に貼り付けたような体は、どう見ても異様であろう。

 この体を作るのに、どれほど時間が掛かったであろうか。

 俺は一切のウエイト・トレーニングを否定してきた。アメリカ人が考えた筋肉増量法が日本人に合うはずがないと信じた俺は、十代の初めから徹底して自分の体を使った稽古で、肉体を鍛え抜いてきた。

 腕立て伏せの千回十セットなど朝飯前で、中学に上がる頃には、三十分間の逆立ちと五百回連続の懸垂が、笑いながらこなせた。

 超人の追求。人が人を超えることの喜び。

 体の各部が化学反応を起こして変化し、進化することだけを喜びに、この十年間を生きてきたと、俺は思っている。

 海岸を歩くだけで注目される身体だけが、俺の宝物であり、すべてだった。

 飲食店は《パタヤ・スタジアム》と書かれており、飲食をしながらムエタイを見せる、見せ物小屋のような作りだった。

 トタン板を貼り付けただけの壁と、荒縄で囲いを付けただけのリング。

 リングと言っても、ビール瓶のケースで舞台を作り、ベニヤ板を敷いた上にシートを掛けて、四方を縄で囲んだだけ。まるで盆踊りの設営に毛が生えた程度の特設リングだ。

 情けないリングを見たとき、正直このままバンコクに帰ろうかと、俺は思ったほどだ。

 店の奥まった部屋で、小太りの中国人風の男がタバコを喫いながら、しげしげと俺を見ていた。

 中に入り、ワイをしながら挨拶をすると、重そうな躰を揺らしながら近づいてきた。

 チャイナ服のようなベストを着て、牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けている。

 男は、ここの経営者だといい、名前は「チョウ」だと名乗った。

 たぶん、中国人である。タイの経営者は中国人が多い。やはり頭の良い者が上に立つのである。

 張は仰々しく俺の手を握りしめ、いきなり満面の笑みで、

「良く、来てくれた。早速、明日からリングに上がってもらおう」

 日本人をたくさん相手にしているのだろうか? 張は流暢な日本語で話し出した。

 俺は半ば呆気に取られながら尋ねた。

「ここに、強い選手はいるのですか?」

「もちろん、いるとも。パタヤのチャンピオン・クラスは皆、ラジャやルンピニーのランキング選手だし、海外からも多数、強豪が来ているよ」

 俺は断るタイミングを逃してしまった。

 その後がいけなかった。歓迎のしるしと言われ、奥の部屋に通されると、しばらくして山盛りのタイ料理が俺の目の前に運ばれてきた。

 たぶん、近所の料理屋に注文をしたのであろう。料理人らしき男が張から指示を受けていた。

 タイの料理は程度の違いはあるものの、中流以上のものは、食材を選んで調理法を指示して作らせる、と何かの本で読んだ覚えがある。

 張がシンハービールを注ぎながら微笑む。

「長旅で疲れただろう。今日は、ゆっくりしなさい」

 店の外に二人の女性が立っていた。二人とも体に張り付くようなチャイナ服を着ている。この店専属の売春婦であろうか。

 張が手招きをすると、一人は俺の隣に、もう一人は張の隣に座った。次々とタイの強い酒を注がれた。

 どうしても、ここの経営者である張は俺に試合をさせたいようだ。

 最初は遠慮していたものの、少しづつ酔いが回ってきた。それに加えて、辛いタイ料理のために喉が異常に渇き、水と酒をガブ飲みし、したたかに酔ってしまった。

 やがて店が開店した。今日はキックの日ではないのか、激しいBGMと共に、裸の女たちが汚いリングの上で踊り始めた。

 外からも丸見えの舞台で一糸まとわぬ姿で足を高く上げているダンサーを見ていると「ここは、タイなのだ」と改めて、つくづく思う。

 客連中が値踏みをするように店に入って来る。

 欧米人が多い、たまに日本人観光客も来るが、全裸の女性を見ると照れたように下を向き、出て行ってしまう。

「この辺りに安い宿はないか」

 明日からの試合を考えると、今日は早めに休みたいと思い、張に聞いてみた。

「君が良ければ、奥の事務所に泊まりなさい。うちの娘も、君のことを気に入ったみたいだからね」 慇懃な含み笑いをしながら、張が答えた。

 隣で酔っている娘は、どう見ても実の娘には見えない。

 事実、酔った勢いで胸の隙間に手を入れたり、ドレスの割れたスカートの手を入れていた。そんな父親がいるもんか。

 その日、俺は飲食店の奥にある社長室のようなソファーと机が置かれた部屋に泊めてもらうことにした。

 俺を気に入ったそぶりの女が付いて来ようとしたので、それだけは断ったことを、酔った頭で覚えている。

 先ほどまでの、全裸で踊る女たちの姿が頭にこびりつき、なかなか寝付けなかった。

 だが、明日は不本意ながら、記念すべきタイでのデビュー戦なので、無理をしてでも寝てしまおうと思った。

 ところが夜中になって、俺は妙な悪夢にうなされた。

 リングの上で裸体の女たちに槍のような武器で腹を刺される。

 夢だとは判っていながら、その槍を躱すことが全然できない。

「俺は今まで、いったい何をやってきたんだ」

 後悔と懺悔の念が頭をもたげる

(体が重い……目眩がする……なんだ、この吐き気は?)

 朝になって起きると、強烈な腹痛に襲われた。それで、腹を刺される悪夢は腹痛のせいだと悟った。

 嘔吐と下痢を繰り返した。さらにひどい、二日酔いになっていた。

(畜生、嵌められたのか!)

 目眩と吐き気で、試合などできるコンディションでは全然なかった。

 ようやくはっきり目が覚めると同時に、深い後悔と反省の念でいっぱいになった。

(いや、勧められるがままに、何の注意もなく飲み食いした自分が不覚だった)

 最悪の体調で、パタヤビーチの飲食店内にある特設リングが、デビュー戦になった。

 少しでも汗を流して体の調子を取り戻そうと、俺が跳び縄を跳んでいると、今日の試合の予定を張が教えに来てくれた。

「今日は夕方から八試合が組まれているが、君はメインで、最後の試合だ。期待しているぞ」

 俺は無言で頷き、聞いてみた。

「相手の選手は何キロで、何人だ」

 張は美味そうに煙草の煙を吐き出しながら、

「まだ、決まっていない。試合が始まる頃には決まるよ」

 日本では何ヶ月も前に対戦相手が決まるのに、ここでは、スパーリングをするみたいに当日、対戦相手を決めるというのか。

 所詮、興業試合だからな、と思った。

 だが、ひどい頭痛でそれどころではない。取り敢えず承諾した。

 何とかなる。いや、何とかしなければならない。

 自分を信じられなかったら、こんな所まで来た意味がない。

 跳び縄を十分三ラウンド、跳んだ後、汗を水のシャワーで流して、体を休めた。

 いくらか気分は、良くなってきた。だが、まだ胸の奥が焼けるように苦しい。

 売店でコーラを買い、一口ぐいっと飲んでみた。しかし、ひどい胸焼けがして、思ったほど喉を通らない。

 トイレに駆け込むと、驚いたことに個室の敷居がない。外から丸見えのうえ、水洗などではなく、肥だめの穴が空いてあるだけのトイレであった。

 あまりの汚さに吐き気を催した俺は、喉に指を差し込み、出せるだけの嘔吐物を出し尽くした。

 それから、日本から持ってきた太田胃散を、大匙のスプーンで飲み込んだ。

 水はミネラルウォーターも危険なので、やっとの思いでコーラで飲み干した。

 しばらくすると、どうにか下痢は治まり、気分もだいぶ良くなってきた。

 立っているのが、やっとの状態から、何とか身体を動かせるまでに回復した。

 マッサージ用の堅い木のベッドに横になっていると、その日の試合が始まった。

 歓声で客が盛り上がり始めたと分かった頃、俺は起きあがり、レベルの確認に試合内容を観戦してみた。

 裏の控え室から、細い通路を伝わって、客が入っている立ち見席を押しのけ、リングサイドまで歩み寄る。

 やはり、考えていたとおり、アマチュア・レベルの試合が繰り返されていた。

 リングの上で行われていたのは、素人の喧嘩に毛が生えたような、戦略も戦術もないレベルの低い戦いであった。

 観客連中は、半分が観光客、半分が賭け好きな地元の人間どもと言うところか。こんな所で負けることは、断じてできない。

 体調不良の身体で、どうにか懸命に闘志を奮い起こしながら試合を観戦していると、張がやって来て、妙なリクエストをされた。

「トランクスではなく、空手着で戦ってくれ」

 さすがに俺は、疑問に感じた。

「これは、空手の試合ではないだろう。なぜ、道着なんだ」

「君の相手はアメリカ人だ。異種格闘技戦のほうが、客が喜ぶ」

 なるほど、分かった。こいつらは、たぶん日本から来た空手マンを、なぶり殺しにしたいのだろう。

 張の一言を聞いて、俺の腹は決まった。彼らに、俺に空手着を着せたことを、必ず後悔させてやる。

 道着を着て、黒帯を締めた。そうすると、調子の悪かった身体が、嘘のように闘志が漲ってきた。

 試合が進み、俺の前の試合が始まった。

 控え室で十分にウォーミング・アップを繰り返した。どこにもスパーリング相手がいないので、タイ人の選手に付いていたセコンドのトレーナーにミットを持ってもらおうと、身振り手振りでお願いした。

「ソーリーソーリー。ミット使って、ウォーミングアップ、プリーズ」

 どうやら話が通じた。

「マイペンライ」

 タイ人のトレーナーは快くミットを持ってくれた。

 俺は蹴りの速度を確かめるべく、ミット蹴りを繰り返した。

 腰の入った回し蹴りが、汗を吸ったキックミットに当たると、スコーンと抜けるような音を放ち、セコンドが後ろに反り返る。

 二発三発と蹴りを入れると、セコンドの顔色が変わった。「こいつは、いったい何者なんだ」と顔に書いてある。

「テッカンコー」

 どうやら「回し蹴りを高く蹴れ」と言っているらしい。言われたとおりにハイキックを蹴りまくった。

「テンカオ」「テンカオ」

 おー、それなら知っているぞ。膝蹴りのことだ。

 トレーナーが構えたミットに膝を突き刺す。

「グッ」「グッ」と声を上げる。

 どうやら、俺の蹴りを受けて「良いぞ」と言っているらしい。

「ベリーグッ」

 なるほど、very goodと言ってるのか。たっぷり汗を流した俺の身体は、ようやく蘇ったかのように軽くなっていた。

 控え室となっている店の裏口に通じている練習場は、河の流れに沿って長方形にマットが敷かれ、選手たちが体を休めている。

 空いているマットの上に正座をし、黙想をする。

 心を臍下の一点に集中し、いつも稽古の前に暗唱している「道場訓」を心で唱える。

「武の道に於いて真の極意は体験にあり、よって体験を恐れるべからず」

 眼を開くと、もう憂いは何も感じなかった。

「死んでも倒す」

 俺は声にならない気合いを入れて、自分自身を鼓舞した。

 前の試合が終わったようだ。

 控え室にミットを持ってくれたセコンドが、タイ人特有の麻製のベストを着て、首からタオルをぶら下げ、呼びに来てくれた。

「シゲマツさん、しあい」

 俺は控え室を後にして、リングに向かった。

 入場テーマもなく、訳の分からないタイ語のリングアナウンサーが、俺を紹介している。

 対戦相手の名前は、アダムスという黒人であった。

 相手コーナーを見ると、どう見てもヘビー級の大男が、こちらを睨んでいる。

 身長は百八十五センチ超、体重は九十キロと言ったところか。俺と同じぐらいの胸囲をしてはいるが、少し腹が出ていることも見逃さなかった。

 てっきりタイ人が出てくるものと思っていたので、拍子抜けした。とはいえ、油断はできない。

 見ると、丸太ん棒のような腕にタトゥーを入れている。錨のマークだった。

 もしかすると、停泊中のネービィーが面白半分で出場したのかも知れない。

 たとえ身体がでかくても、こんな素人に負けるわけにはいかない。

 会場の空気は、生暖かいを超えて、茹だる熱風のようであった。

 酒に酔い興奮する観客たちは、残酷なショーを見たがっている。

 ここはアメリカ艦隊の空母ミッドウェーの休息地にもなっているので、海軍の兵隊たちが、主立った観戦者である。

 昼間ビーチで肌を焼いた客たちが、シンハーという妙に甘いビールを飲みながら観戦をしている。

 小さなリングを囲み、どちらが勝つか賭をする。

 酔っぱらいの観戦者が大多数を占める試合は、まるで自分が競争馬になったようなジレンマを感じさせていた。

 会場の片隅でささやかな拍手が起きた。見ると、日本人観光客の一団が声援を送っていた。男性は一様に半ズボンとアロハシャツ、少ない女性はジーパンにTシャツというラフな姿で、皆ビーチサンダルを引っかけている。

「日本人がんばれ!」「お前、柔道かぁ」

 会場から笑い声が起こる。応援をしながら、タイの女といちゃついている野郎も見えた。

 たとえ売春ツアーで来た観光客でも、日本人の応援がいたことに、少し勇気付けられた。

 ゴングが鳴ると、アダムスは、予想していたとおり、丸太の腕を振り回して、殴りかかってきた。

 大振りのロングフックが、寸での所で空を切る。一瞬、ブーンと音がした。

 スウェイバックで躱しつつ、突進してくる下半身に、腰を入れた前蹴りを入れる。

 足の先、指全体が胃袋にくい込むような手応えを感じた。

 アダムスが顔をしかめて、レフリーに反則をアピールする。

 金的の上辺りを蹴られたため、ローブローと勘違いをしているらしい。

 レフリーが相手にしないと、すぐに構え直し、こちらをすごい形相で睨んでいる。構えは典型的な「パンクラチオン・スタイル」だ。

 背中を丸め、顎の辺りをグローブでカバーし、手と手の間から、こちらの様子を窺っている。

 俺には分かった。アダムスの正体は、間違いなく「ボクサー」だ。

 ボクシングは下腹部を叩くことを禁じている。前蹴りで臍の下辺りを蹴られたことに腹を立て、より、いっそう感情的になった。

 うなり声を上げながら、アダムスはパンチを振ってくる。

 ボクサーと正体が分かれば、勝負は決まったも同然だ。

 ましてや、アダムスは感情的になり、動きが遅すぎる。身体に力が入りすぎている証拠だ。

 アダムスのパンチに合わせて、軽いジャブのカウンターを当てていく。

 自分のパンチが当たらず、細かいパンチで鼻先を叩かれ、アダムスは焦り始めた。

「こんな、はずじゃない」

「こんな日本人のチビに、俺が負けるはずがない」

 アダムスが焦れば焦るほど、動きと心理状態が手に取るように分かる。

「どうして、そんなに吠えるんだ? そのほうが強そうに見えるからか」

 俺の覚めた心が、自分に問いかけていた。

「何で、そんなに大振りになるんだ、そんなに一発で倒したいのか」

 アダムスが感情的になればなるほど、俺は冷める。醒める。覚める。

 パンチのフェイントから、踏み込んでのローキックが、面白いほどアダムスに当たる。

 ボクサーのアダムスは、ローキックの防御法を知らない。その一点で、既に勝負はついていた。

 アダムスの左右の足に正確な蹴りが、鈍い音を立ててヒットする。

 脛の骨が凄まじいスピードで太股にめり込む。

 アダムスの太股は、俺がメリ込ませた二桁の蹴りで、たちまち真っ青に腫れ上がった。

 太股の内出血から神経を破壊するまで、そう時間は懸からなかった。

 俺の十二発目の蹴りが体重の乗ったアダムスの前足に当たると、黒く大きな身体が前のめりに倒れた。

 カウントは要らない。アダムスは足を抱えて、痙攣を起こしながら、情けない悲鳴をあげている。

 もう、二度と記念になどと、リングには上がらないことだろう。

 レフリーに勝ち名乗りを上げられ、片手をあげられているとき、三人のネービィーがアダムスを抱えてリングを降りていった。そのうちの一人が俺を睨み付け、中指を立てた。

 俺は何事もなかったように、平然と一人でリングを降りた。

「さすがだな チャンプ!!」

 張が、ファイトマネーの金をむき出しのまま、俺に渡した。ボロボロになった百バーツ札が束になっている。

 後で判ったことだが、二千バーツのファイトマネーだった。

 賭けで儲けた金を適当に抜いて渡しているのが、良くわかった。

 その夜はデビュー戦初勝利を祝って、ささやかな祝宴を持ってくれた。

 マネージャーの張が、またしても怪しい女どもを呼び出し、接待をさせようとしている。

 どうして、ここは常に女が付きまとうのか、最初のうちは良くわからなかったが、少しずつ判ってきた。

 彼女たちの大半は売春婦で、金で男に買われる。

 特に日本から来た金持ち連中は、格好の標的になっているらしい。

 物価水準の低い、タイでは外資を稼ぐ有効な手段として「売春」を国が認めている、

 いや、公には認めてはいないと言うが、観光の大きな目玉になっていることは事実のようだ。

「君は女は嫌いかね?」

「そういうわけではないが、病気や深情けが怖い」

 張は驚いたようにかぶりを振った。

「病気は大丈夫だ。うちの娘たちは定期的に病院で検査を受けている」

「国に嫁と子供がいる。俺はここに、ムエタイをやりに来たんだ」

「そんな、堅いことを言うな。ヨーロッパのチャンピオンだって、平気で女を買うぞ」

「ともかく、そういうことで気を使っているなら、気にしないでくれ」

 俺はそんなサービスよりもタイの強い選手と戦いたいのだと言った。

         9

 どうやら張は、この店の用心棒のような役割を俺にさせようとしていた。

 バービアには、ボクシング・リングの他に、カラオケやビリヤードなども置いてあった。

「昨日の試合は素晴らしかったよ」

 と形ばかり褒めた後で、張は妙なことを提案してきた。

「しばらく、ここに留まって、店で働いて見たらどうだね」

「俺にバーテンをやれと言うのか?」

「いや、そうではなくて、試合のない時は、店でおかしなことをやりそうな奴を睨み付けてくれ。もちろん、喧嘩をしてくれと言っているのではない。何かあったら警察を呼べばいい。君がいてくれるだけで、女の子たちは安心できる」

 試合が組まれる日であっても、戦う相手は力自慢の酔客で、タイ人相手では、店の心証を悪くする。

 そこで、空手着を着た俺にぶつける腹づもりのようだ。

 客が、どうしてもムエタイとやらせろと言ってきた場合のみ、トランクスを履かされ、タイオイルを塗り込まれ、訳の分からないタイの名前で紹介された。

 行く当てもなかったので、しばらくここで滞在費を稼ごうと、バンサー(用心棒)兼選手のような生活が始まった。

 パタヤに来て一週間の時が過ぎようとしていた。

 初戦のアダムス戦を除いては、まるで見せ物のような試合をこなしていた。

 ある時は、酔った勢いでリングに挙がってきた素人を、死なない程度に殴り飛ばした。また、日によっては、おかまのボクサーを蹴りまくって最後は泣き付かれるというショーが、繰り広げられた。

 毎日、試合をこなし、七戦七勝であった。

 地道に努力を続けていれば、いずれスタジアムから声が懸かるであろう、と期待をしながら、素人相手のショーのような試合を、こなさなければならない。

 八日目の相手は、四十歳はとうに越えていそうな、腹の突き出た親父だった。

 相当、酒を飲んでいるせいか、足下がふらついているように思えた。

 当然、ゴングが鳴り響く。試合開始だ。場内から悲鳴とも叫びとも思える歓声が木霊する。

 タイ語で「日本人を殺せ!」と叫んでいるやつもいる。

 不思議なことだが、リングの上というのは、みんなが考えている以上に周りが良く見えている。

 女の胸に手を入れて、にやけている外国人。ビールを片手に、汚い色をした焼き鳥(肉?)を頬張る者。

 バーツ札を握りしめながら、賭けを誘い客に呼びかけているヤクザ風の親父。

 それらの風景が戦いを前にしながら、ハッキリと見えていた。

 体の力が、いい具合に抜けてくれて、集中できている。

 何の緊張もなく、リングの中央に進み出る。相手の親父はガードを高く構え、ノロノロと前に出てくる。

 気配を消し、予備動作なしの腰の入った前蹴りを、親父の太鼓腹にメリ込ませた。

 今度は相手選手が腹筋を鍛えていなかったので、足首まで腹に埋まるほどの手応えを感じた。

「ぐえぇ〜」

 蝦蟇が潰れたような声を上げて、ロープ際まで吹っ飛ぶ。

 俺は頭に来ていた。自分が情けなかった。

 かつては空手の全日本チャンピオンとして国内無敵を誇っていた俺が、何でこんなところで、こんなド素人相手に試合をしなければならないのか?

 怒りを、そのまま対戦相手にぶつけていった。ロープにしがみついて必死に立とうとしている蝦蟇親父の後頭部に、瓦二十枚を粉々にする肘を、思いっきり叩き込む。

 リングアナウンサー兼レフリーは、止めるどころか、ヘラヘラ笑っている。

 さっきまで殺気立っていた場内は、シーンと静まり返った。蝦蟇親父の余りの弱さに、しらけムードさえ起きている。

 初めからやる気のない、蝦蟇親父がタイ語で必死に命乞いを、始めた。

 手をこれ以上できないくらい頭上に挙げてワイ(祈り)の姿勢を取っている。

 どうやら、手を挙げる位置が高ければ高いほど、相手を尊敬している意味らしい。馬鹿らしくて、もう殴る気にもなれなかった。

 足下には蝦蟇親父が吐き出したビールとトムヤンクンがぶちまけられている。

 レフリーが、手を交差させて試合を止めた。俺は勝ち名乗りも受けずにリングを降りた。

 なぜか勝っても喜びが湧かない。むしろ、こんなことをしていていいのだろうかと考え始めていたのだった。


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