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「遅いですよ、先輩方! こんな暑苦しい格好で何時間待たせるんですか!」
駅に着くと最強装備のおかげで汗まみれになっているおとぎがそこにいた。何でこの時期にそんな恰好をしているのと道ゆく人にさぞ見られまくっただろう。
「ごめん! 何か奢るから勘弁してくれ!」
「ホントですかー? じゃあこの学校のカメラと同じやつ買って下さい! これ使いやすくてお気に入りなんですよー」
首から下げたカメラのファインダーを覗き込みながらおとぎはそう言った。彼女が普段使っているカメラは写真部の備品なのだ。
「両親に買ってもらいなさい!」
「えー無理ですもん。うちこういうの買ってもらえませんもん」
「のぞむー、けちんぼ」
「ホントけちんぼですよねー、不知火せんぱ……い?」
その時、おとぎが何故か大きく目を見開いた。どうやら何かに驚いているようだ。
しかし今の会話のどこに驚くところがあったと言うのだろう。真夜樫は不思議でならない。
真夜樫が両親に買ってもらえと言い、それに不知火がケチだと言い、おとぎが不知火に同意した。ただそれだけのことである。
ただ、それだけのことである?
……いや、違う!
「何で不知火と会話してんだ、雲塚!」
「こ、これ! ファインダー覗いたら不知火先輩が!」
「いえーい、おとぎっちー」
能天気にカメラに向かって不知火はピースサインを向ける。
「眼鏡じゃなくても良いのか!」
「良いみたいですね! これでまやかし先輩がいなくても話せますよ、不知火先輩! まやかし先輩の悪口とか言い合いましょうね!」
「うん。言い合う」
「言い合うな! 悲しくなる!」
しかしそうなるとおとぎは不知火と会話をするために、常にファインダーを覗いた状態でいなければならないということになってくる。
女子高生のおとぎならまだ良いかもしれないが、真夜樫がやっていたら明らかに不審人物だろう。「ちょっと君、何を撮影してるのかな」とか言われて警察に連れていかれること間違いなしだ。シラヌイガータマシイガーとか言っても信じてはくれないだろう。
「でも眼鏡より不便ですね。まやかし先輩交換しません?」
「いや、無し! それは無しだから! 警察に捕まる!」
「は? ああ、まやかし先輩がやると変質者かもしれませんね」
おとぎの言葉が胸にグッサリと突き刺さった。自分でもそんな風に考えはしたものの、人に言われるとダメージ倍増である。
「暑いですし、ちゃっちゃと行きましょうか。私が言ってた廃遊園地で良いですかね?」
「そうだな。不知火の目が覚めた場所みたいだし、何かあるかも」
不知火を一瞥すると彼女はコクリと頷いた。
「おお、そうだったんですか! ふふふ、何か運命的なものを感じますね。それでは張り切って行きましょうか!」
「ゴー」
不知火はどことなく楽しそうに拳を振り上げた。
先程見せた悲しげな表情はもう完全に消え去っており、真夜樫は少しだけ安心するのだった。
電車を乗り継ぎ一時間。真夜樫と不知火、おとぎの三人は廃遊園地の近くの駅に降り立った。
十年前、この辺りは結構な都会で、非常にたくさんの人々で賑わっていたらしい。しかし今はそれを感じさせないほど廃れた町になっている。住人もほとんどおらず、廃墟のための町と言っても過言ではなさそうである。
真夜樫達三人は駅から徒歩で廃遊園地まで向かう。ここから徒歩だと四十分弱かかるのだが、廃れたこの町には他に交通手段もないので歩くしかない。
真夜樫はもうここに来るのは二度目なので、先頭を歩いていく。おとぎが時々立ち止まりながら風景を撮影するものだから、廃遊園地に着いた頃にはもう昼を過ぎていた。
おとぎはまだお腹は空いていないと言ったが、朝ご飯を抜いている真夜樫は耐えきれずコンビニで買ったサンドイッチを咥えながら歩みを進めるのだった。
「行儀悪いですよ、まやかし先輩」
「だって腹減ったんだもん」
「寝坊するのが悪いんですよー」
「久しぶりに熟睡した」
「どうせ不知火先輩が近くにいるから興奮してなかなか眠れなかったんでしょ。それで寝坊したと」
「そんなことないから! 妄想癖か!」
そんなことはなかったが、どんなことがあったかは話せない。
不知火の子守唄がとても心地よくてアラームにも気付かず熟睡してしまった、だなんて口が裂けても言えなかった。
「ぽろぽろ零さないで下さいよ。では、どこから行きましょうか。不知火先輩、何か乗りたいのあります?」
おとぎはファインダーを覗き込み、ぐるりと辺りを見回す。自分の右隣に不知火を見つけ、そこで動きを止めた。
「ジェットコースター好き」
「言っとくけど乗れないからな」
「ではまずジェットコースターに行きましょう! 私もジェットコースター好きなんですよね」
「何か乗る気満々だけど乗れないよ!」
真夜樫達三人は誰もいない静かな遊園地の中を進んでいく。ボロボロになったオブジェの数々、色あせ錆びついた乗り物達、それらを覆い隠すように生い茂る青々とした植物達。
ほんの十年ほど前までここはたくさんの人々で溢れかえっていたはずだ。しかし今はそんな騒がしい時があったことが嘘のように感じるほど静かで切なげな雰囲気が漂っていた。
でもそれは確かにあったのだ。切ないと感じるのはここがかつて賑わっていたということが想像出来るからなのかもしれない。人々の記憶が、思い出が直接心に語りかけてくる感じと言えばいいのだろうか。
「何度来ても良いよなー、廃遊園地! たくさんの人で賑わってたはずの遊園地がこんな風に寂れてしまったっていう何とも言えない寂しさ、切なさな!」
「私もずっと来てみたかったんですよ! 良いですねー、この現実から切り離された感じが何とも言えません! 不思議な世界に迷い込んでしまったかのようです」
「雲塚、お前詩人だな」
「のぞむーもしじ――」
「うわああああああ」
「えっ? 何ですか?」
「あ、何でもないです」
不知火が何か大変なことを暴露しようとした気がするので反射的に叫んだが、良く考えたらファインダーを覗いていないおとぎには聞こえないのだった。焦って敬語になってしまったが、おとぎはそれ以上追及してはこなかった。
「絶対おとぎっちも好きって言ってくれるのに」
「い、今じゃなくていいだろ」
おとぎに聞こえないように小声でそう言い返しておいた。
昨日不知火に見せてからずっと、いずれおとぎにも見せて感想をもらいたいと思っていた。
でもあと一歩が踏み出せない。やはり恥ずかしいし、怖いのだ。何かきっかけさえあればと思うが、今はまだその時ではない気がした。
「あれ、何かあそこにこの廃墟には似つかわしくない鮮やかな水色が見えるんですが、気のせいですかね?」
突然おとぎが立ち止まり、目の前を指差しながらそう言った。
指差す先には彼女の言った通り、水色の物体が見える。いや、物体というよりも人のようだ。この廃遊園地の色あせた世界観には似合わない鮮やかな水色の衣装に身を包んだ人間が、今にも壊れそうなベンチに腰掛けているのだ。
「オブジェ?」
そう真夜樫が呟いた瞬間、水色衣装の人間がこちらを振り向いた。どうやらオブジェではないらしい。というよりもオブジェでなく人間であってほしい。オブジェがいきなりこちらを向いたなんてことがあったら怖すぎる。
「先客がいたようですね」
こちらに気付いた水色衣装の人間がベンチから立ち上がり近付いてくる。
一瞬立ち上がったと気付かなかった。立ち上がっても身長がほとんど変わらなかったからだ。それくらい小さいらしい。もしかしたら小学生の女の子かもしれない。親と共にやってきたが、はぐれてしまった迷子ちゃんなのかも、と真夜樫は思った。
近付いてくる度にその少女の特徴が掴めてくる。染めているのか地毛なのか、銀色のくるくる縦ロールに真っ白な肌、母親の雑誌で見たことがあるフリルやレースがあしらわれた甘ロリファッション。右手で同じくフリルがこれでもかというほどに付いた日傘を差している。左手には同じように水色をしたフリルのバッグを手にしていた。
一つだけ彼女のファッションに似合わないと感じたのが、首から下げられた真っ黒なデジタル一眼レフカメラだった。
遂に少女が真夜樫達の目の前までやってきた。近くで見ると思ったよりももっと少女は小さかった。百四十五センチくらいだろうか。小五の従妹がこれくらいの身長だった気がする。
その小さな少女は真夜樫、そしておとぎを順々に見つめた後、爽やかな笑顔を浮かべ、
「やあ、初めまして! ボクはこの遊園地の案内人、ウサギのミナワール! こっち側に迷い込んだ人間に会うのはとても久しぶりだ! さあ、ボクについておいで! 全てを知る旅に出ようじゃないか!」
芝居がかった仕草でそう言った。彼女が動くたびに銀色の縦ロールやカメラが大きく揺れる。
「え? え?」
「戸惑っているのかい? まあ無理もないね。君達は無意識のうちにこちら側に足を踏み入れてしまったのだから。でも大丈夫、こちらの暮らしにもすぐ慣れる」
「あのー、何の話ですか?」
「受け入れたくない気持ちも分かるよ。でもこれは真実だ! 君達は二度と元の世界には戻れないのさ!」
「ほう、マジですか」
おとぎが馬鹿にしたような表情で少女を見つめている。少女の言葉を全くと言っていいほど信じていないらしい。子供の遊びか何かだと思っているのだろう。
真夜樫もどちらかというと信じていなかったが、不知火だけは真面目に少女の話を聞いていた。少女が話す度にこくこくと相槌を打っている。「質問」と右手をまっすぐ真上に上げながら一生懸命話しかけているが無視されているところを見ると、少女に不知火の存在は全く見えていないらしい。
「ウサギのミナワールって言ってましたけど、どこにウサギ的要素が?」
「……え? 君には見えない? ここに立派な耳があるだろう? そうか……君はアリスにはなれなかったんだね。残念だ……」
少女は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、すぐそう切り返した。
少女が嘘を言っているようには見えなくて、本当にそこにウサ耳があるのかもしれない、見える人には見えるのかもしれないと真夜樫は馬鹿げたことを思ってしまうのだった。
とその時だった。
「おい、水沫ー(みなわ)。迷子になってんじゃねーぞー」
ホストみたいな長身の男性がそう言いながらこちらに近寄ってきた。正に髪型がホストそのものだ。前に一度父親の雑誌で見たホス毛とかいうホスト特有の髪型と全く同じだった。
しかし見た目とは裏腹に、彼はちゃんと廃墟探索に適した服装をしており、何となく真面目な人なのだということが窺えた。
「邪魔しないでよ、海市。この人達は今まさにボクのボクによるボクワールドに迷い込まんとしてたんだよ」
「いやいや、全く迷い込まんとしてませんけど……」
「や、やばい……。俺、微妙に迷い込まんとしてた」
「マジですか、先輩! 行かないで! 帰ってきて!」
「いや、もう帰ってきてるし! ってか行ってないし!」
ちなみに不知火は真夜樫どころの話ではなく完全に少女のワールドに迷い込んでいたが。
「あーごめんねー。こいつちょっと頭おかしいから。カメラ持ってるけど部活動か何か?」
フランクな感じでホスト風の男性はそう言った。見た目からするに、年齢は二十代後半くらいだろうか。きっとホストクラブで働いているのだろう。独断と偏見である。
「あ、はい。写真部で廃墟の撮影をしていて……」
「おっ、そうなんだ。何か親近感湧くわー」
ということはこの人も学生時代に写真部だったのだろうか。
そういえばこの少女もカメラを持っている。写真を撮るために廃墟探索に来た妹と、付き添ってくれた妹想いの優しいお兄ちゃん(ホストクラブ勤務)とかだろうか。
「部の活動は良いけどあまり廃墟には近付かない方が良いと思うよ。もっと違うものを被写体にしてみたらどうだい?」
「そうだな。廃墟に危険は付き物だし。あんま学生だけで来るもんじゃないぜー」
ちゃんと完全防備しているホストさんはまだしも、甘ロリファッションで廃墟に来ているこの少女にだけは言われたくないと思いつつ、一応頷いておいた。
「じゃ、そろそろ行くわ。君達も気を付けてなー」
「あ、はい。そちらこそ気を付けて」
「飯食いに行こうぜー」「迷子になった海市の奢りだね?」「迷子はそっちじゃねーか」という会話を繰り広げながら謎の兄妹(?)は去っていった。
「のぞむー。あの人、海市って言ってた?」
「え? うん。確か海市って言ってたけど。どうかした?」
「ううん。何でもない」
不知火はふるふると頭を横に振った。
しかし何か気になることがあったのか、その後も謎の二人組の行ってしまった方をじっと見つめていた。
「さあ、気を取り直してジェットコースターに行きましょう!」
「そうだな。早く回らないと日が暮れるからな」
気合いを入れ直し、さあ向かおうと足を踏み出した瞬間に、不知火があっと小さく声を上げた。何かを見つけたらしく、必死に指を差している。
今度は何だろう。先程は水色の少女だったから次はピンク色の少年かなと思いつつ、不知火の指差す先を確認するが、何も見当たらない。
「どうかした?」
「二人共、何あれ? あの光ってるの」
「光ってるの? 何もありませんけど……」
おとぎもファインダーを覗き込みながらそう言った。不知火が指差す先に光るものなど見つからない。あるのは遊園地のアトラクションだけである。
不知火は二人に分からないなら仕方がないと思ったのか、一人で先程指を差した方へと飛んでいってしまった。そして宙を掴むような仕草をした。
その瞬間だった。
突然遊園地の中が騒がしくなった。子供の笑い声、ジェットコースターを楽しむ人達の悲鳴、夫婦の会話、中高生のふざけ合う声、アトラクションのBGM、係のお姉さんの掛け声。この遊園地から失われていた全ての音が一瞬にして取り戻されたのだ。
音に続いて取り戻されたのは色だった。剥がれきっていたアトラクションの塗装はいつの間にかきれいになっており、錆なんて一つも見当たらなかった。
そして、真夜樫達の周りを人々が通り過ぎていく。真夜樫達の体をすり抜けていく。その誰もが楽しそうで、嬉しそうで、幸せそうだった。
「な、何ですか……これ……?」
「わ、分からん……で、でも何か……」
自分が想像していた廃遊園地の過去の姿が眼前に広がっているこの状況に、真夜樫はものすごくときめいていた。
あの良く分からないアトラクションはああいう風に楽しんでいたのかとか、あの蔦だらけだったベンチで親子連れが仲良く昼食を取っていたのかとか、塗装が剥げ切っていたあの屋根はあんな色をしていたのかとか、見ているだけで胸がドキドキする。
そして先程まで見ていた廃遊園地を思い出すと切なくなる。こんなに賑わっていた遊園地も、人がいなくなればあんなに寂しい空間になってしまうのか、と。
「うっ……ひっく……お父さぁん……」
ふと、小さな女の子の泣き声が聞こえた。迷子だろうか。水玉の可愛いワンピースを着た、長い黒髪の少女が遊園地の真ん中で座り込んでいた。
「不知火……?」
真夜樫は一瞬でそれが幼い頃の不知火だと気付いた。不知火もそれに気付いたようで、驚きの表情を浮かべながらその少女を見つめていた。
「あのー……大丈夫?」
放っておくことが出来なくて、真夜樫は声を掛けてみた。
しかし彼女は全く反応しない。どうやらこちらの声は全く聞こえていないようだ。というよりも、これはただの過去の記憶であり、映像のようなものでしかないのかもしれない。
少しすると、いかにもお父さんといった感じの男性が小さな不知火を迎えに来た。先程までの涙はどこへやら、小さな不知火は満面の笑みを浮かべ、父親と手を繋ぎながら歩いていった。
真夜樫と不知火、おとぎの三人は何となく惹きこまれるように小さな不知火と父親の後を追っていた。
「跳ねていくー時計うさぎとー不思議の国へー。一緒に歌える?」
「はにぇ…ていくー」
「ダメダメ。初めが肝心だ。最初の二音は特に大事だよ? 間違えたなら、もう一度」
父親にそう言われて小さな不知火はたどたどしくもう一度歌い始めた。
聞いたことのない歌だ。不知火の父親か誰かが作った歌なのだろうか。歌詞は子供っぽいしメロディも単純だけれど親の温かさがどことなく感じられるようなそんな歌だった。
「上手い、上手い!」
父親に褒められて、小さな不知火は嬉しそうに顔を綻ばせた。やはり表情の変化は普通の子どもより乏しいような気もするが、それは今の彼女は確実にしないような満面の笑みだった。
「今度もまたこうやってお父さんとお出掛けしてくれるか?」
「うん!」
小さな不知火は無邪気に頷く。娘の嬉しそうな顔を見て、父親は満足そうに微笑んだ。
「じゃあ次はお父さんと水族館に行こうな?」
「行く!」
そうして二人は微笑み合いながら奥の方へと消えていった。
その頃にはもう遊園地はいつもの静けさを取り戻していた。
でも真夜樫の瞳にはまだ、先程の遊園地の鮮やかな色が焼き付いて離れていなかった。
「跳ねていくー時計うさぎとー不思議の国へー」
「あ、もしかして思い出した?」
「うん。あの歌だけ」
先程の歌を聞いたおかげで、不知火の心の奥底にしまってあったあの歌の記憶が呼び起されたようだ。
それにしてもさっきの過去の遊園地の映像みたいなものは一体何だったのだろう。
「あああああっ! 見て下さい、先輩方! さっきの光景が撮れてます!」
「えっ、マジっ!?」
おとぎが言った通り、先程の賑やかな遊園地の写真が彼女のカメラにしっかりと記憶されていた。今、真夜樫達が見ている廃遊園地とは全く対照的な、色鮮やかで明るくて、人々の声の絶えない騒がしい遊園地がそこにはあった。
その時、真夜樫にピンと閃くものがあった。この写真を使って作ってみたいものが思いついたのだ。もし完成すれば教師達も写真部のことを認めてくれるかもしれない。
「あの、ちょっと提案があるんだけど……良いかな?」
真夜樫がおずおずと手を上げると、不知火とおとぎの視線が一気に彼に集まったのだった。