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7

 不知火には実体がない。食事をする必要もないし、服を着替える必要も、風呂に入る必要も、ましてや睡眠をとる必要もないらしい。

 それ以前に彼女は物に触れることが出来ない。食事をするには箸を持つ必要がある。服を着替えるには服を掴む必要がある。

 でもそれらが出来ない彼女は必然的に、人間的な行為をすることが出来ないのである。

「美味しそう。オムライス」

「お腹、空いてるのか?」

「全然」

「そっか」

 真夜樫は先程まで不知火に携帯の中に撮り溜めてあった廃墟の写真を見せていた。もちろん不知火と一緒に行った廃墟を、である。もしかしたらそこから何か思い出すかもしれないと思ったからだ。

 しかし何度も見覚えがあると反応したのだが、記憶を取り戻すには至らなかった。

 不知火に写真を全部見せきった頃には、時計の針は夜の八時を指していた。普通の人間である真夜樫は当然腹も空く。

 不知火に悪いと思いつつ、母親が用意してくれていたオムライスを電子レンジで温め、夕食を取り始めた。

「のぞむー選手、オムライスをスプーンで掬ったー。零れんばかりに大盛りだー。すかさずそれを口に運ぶー。そして遂に、食べたー。もぐもぐしていますー」

「俺の食事を実況しなくて良いから!」

「じゃあ見つめる。じー」

「見つめなくて良い! テレビ見とけ、テレビ! 楽しい番組がたくさんやってるよ!」

 不知火の視線に耐えられなくなった真夜樫はリモコンでテレビを点けると次々にチャンネルを回していった。「このチャンネル? それともこれ?」と順番に不知火の反応を見ていく。

 しかし彼女はどのチャンネルもお気に召さなかったようで、ブンブンと頭を横に振るだけだった。

「のぞむーを見てる方が楽しい」

「ば、馬鹿にしてるのか?」

「してない」

 またしても真夜樫の心拍数は跳ね上がる。何故食事をしているだけなのに、こんなにドキドキしなければならないのだろう。

「な、何か……前より喋るようになったな。不知火」

「そうなの?」

「お、おう。一緒に昼ご飯食べてたけど、一言二言くらいしか話さなかったっていうか……。まあ、前も意味分からんツッコミとか時々入れられたけど……」

「……こんな私、嫌? のぞむーの望んでる不知火じゃない?」

 そんなことあるわけがない。もっと不知火と話したい、もっと不知火と近付きたいと真夜樫は常々思っていたのだ。

 でも自分から話しかける勇気が出なくて、いつも彼女が話しかけてくれるのをただ待っていた。だけど彼女も必要最低限のこと以外は話しかけてこなかったため、ほとんど会話をすることはなかった。

 彼女との間に生じる沈黙は別に嫌な沈黙ではないし、むしろ心地良いものだった。

 でもこうして不知火と話してみて分かったのは、ただ黙って一緒にいるのも心地良いけれど、それ以上に彼女と会話をするのは楽しい、ということだった。

「どっちも同じ不知火だよ。変わらない」

「変わらない? じゃあ何が変わった?」

「え? な、何がって……何も変わってないんじゃないか?」

「のぞむーが変わったのかもしれない」

「お、俺が?」

 そう言われても真夜樫に全く心当たりはない。

 今でもクラスでは独りぼっち、知らない人と話すのは大の苦手、それに家族以外の人間とはほとんど話さない。不知火と一緒にいた時と変わらない日常である。

 ただ一つ違うと言えば――。

「……雲塚?」

「おとぎっち?」

「ああ、うん。雲塚とは良く話す。つってもほとんどあっちが話しかけてくれるからそれに返答してるだけなんだけど……」

「のぞむー、それ」

「は?」

「おとぎっちとの出会いがのぞむーを変えた」

「な、なんじゃそりゃ」

 でもそう言われてみればおとぎと話しているうちに会話のスキルは少しだけ上がったような気もする。ちょっとボケてみたり、ツッコミを入れてみたり。会話が楽しいと思うことも多くなった。

 今までは出来るだけ人とは話さない方向で考えていたのだが、他の人ともおとぎと話す時と同じように楽しく会話を出来るようになれば良いのにという欲も出てきた。

「うーん。そう言われてみればそうなのかもしれない」

「会話上手な後輩でのぞむー、ラッキー」

「雲塚とだと無理せず話せるもんなあ。あいつ会話上手なのか」

 おとぎが次から次へと話題を振ってくれるから沈黙を恐れる必要もないし、自分から無理に話題を提供する必要もない。それにこちらから話題を振れば、おとぎはそこから会話を何倍にも膨らませてくれるのだ。

「私とだと沈黙ばっかり。のぞむー苦しい?」

「え? そんなことないけど」

「私がこうなって前より話すようになった理由、分かったかも」

「マジで? どんな理由だ?」

 思わせぶりなことを言ったにも関わらず、不知火はその理由を答えなかった。

「あの、不知火?」

「深層心理」

「は?」

「良いな、おとぎっち。変わらなくて良い。そのままで良いから」

「不知火さーん。どこかにトリップされてますー?」

 真夜樫には不知火が何を言わんとしているのかが全く分からなかった。

「あの時の君と私はきっと似てた」

「ん? そ、そう?」

 やっぱり不知火は不思議ちゃんだなと一人再確認するのであった。




 深夜零時を少し過ぎた頃に両親は帰って来た。

 お土産と言ってコンビニで生クリームのたっぷり乗ったプリンを買ってきてくれたのだが、美味しそう美味しそうと連呼する不知火の前では食べられず、そのまま自室に戻った。

「明日早いからそろそろ寝るな」

「寝ちゃうの」

「う、うん。不知火も眠ってみたらどうだ?」

「うん」

 ベッドで眠る真夜樫の腹の辺りでふわふわと体育座りをしながら不知火は頷いた。

 黒いタイツを穿いているから下着的なものが直接見えることはないが、スカートの中が思い切りこちらに向けられている。パンチラも良いけどタイツもそそられるとかいう思考にシフトしかけた自分を恥ずかしく思いながら、顔が隠れるくらい布団を引っ張った。

「ねーんねーんころりーよー」

 少しすると不知火の子守唄が聞こえてきた。眠るのは諦めてしまったのだろうか。

 不知火の鈴の音のように澄んだ声で歌われる子守唄は何とも癒されるものだった。まだ眠気はなかったのだが、だんだん瞼が落ちていく。

 母親に小さい頃歌ってもらったことがある。この子守唄を聞きながらだと何故かぐっすりと眠りにつけるのだ。怖い夢を見て眠れない日なんかはいつも歌ってもらっていた。懐かしいな、なんて思いながら真夜樫は不知火の歌声に耳を傾けた。

 もっともっと彼女の声を聞いていたいと思ったけれど、そのまま深い眠りについてしまった。




 次の日、真夜樫は寝坊した。あまりに眠るのが気持ち良すぎて目覚めることが出来なかった。携帯のアラームも自分で切ってしまったらしい。

 何故起こしてくれなかったのかと不知火に半ギレ状態で問いただすと、「時間、聞いてなかったし」と困ったように言った。

 そういえばそうだった。不知火には何時に起きるとか何時に待ち合わせているとかいう話をしていなかったのだ。彼女は何も悪くない。

 真夜樫はやつあたりしてしまったことを素直に反省し、不知火に何度も謝った。彼女は何がと言わんばかりの表情で首を傾げていたが。

「よしっ! 行こう、不知火」

「ご飯、食べない?」

「うん。時間ないしコンビニで何か買う」

「起こさなくてごめんなさい」

「だ、だから不知火は悪くないって。雲塚待ってるから早く行こう」

 真夜樫は無意識に不知火の手を引こうとした。

 しかし当然だが彼の手は不知火をすり抜けてしまう。バランスを崩して転びそうになり、「おっとっと」と呟きながら両足を踏みしめた。

「ごめん、行こっ――」

 気を取り直して、不知火に行こうと声を掛けようとしたその時だった。

 真夜樫は初めて彼女の悲しげな表情を目の当たりにした。

「あの……不知火……」

 自分の両手を見つめたまま、不知火は動かなかった。

 普通の人よりも感情を顔に出さない彼女だが、これは流石に真夜樫でも感じ取れた。

 彼女が今にも泣きそうな気持ちでいるということを。

 物にも人にも触れられない彼女の気持ちを理解しようとも、普通の人間である真夜樫には不可能な話である。

 でもそれはとても切なくて苦しくて悲しいことなんだということが、彼女の表情から伝わってきて、真夜樫は自分の軽率な行動を恥じた。

「あ、ボーっとしてた。ごめんなさい」

 そう言って不知火は誤魔化した。

「おとぎっち待ってる。行こう」

 不知火は真夜樫に笑顔を向けるとそのまま一人でドアをすり抜け出て行ってしまった。

 不知火のその笑顔はどう考えても無理やりな作り笑顔だった。

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