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17

 次の日も空は雲一つなく晴れ渡っていた。太陽の気持ちの良い光がさんさんと降り注ぐ中、真夜樫と不知火、おとぎ、海市、そして水沫の五人はつい数日前にやってきた廃水族館の前に立っていた。

「『眠り姫』の在り処の大体の目星を付けとこうかー。俺はあの関係者裏口が怪しいと思う。いっぱい扉があったしさー」

「急いで通り過ぎましたから良く見ていませんしね。じゃああそこから行ってみましょうか!」

 真夜樫達は関係者裏口にあったたくさんの扉の中の一つに『眠り姫』があるのではないかと睨み、正規のルートを進まないことにした。

 そしてこの間の不良達が今日は来ていないことを祈りながら、廃水族館へと足を踏み入れた。

 廃水族館の中はこの前と変わらずとても荒れていた。

 でも不良が溜まり場にしているにも関わらず、数日でいきなりきれいになったりしたらそっちの方が逆に恐ろしいかもしれない。

 この間は関係者裏口を通ってロビーに出たのだが、今回はこのロビーから関係者裏口に入る。

 不良達が内側から鍵を掛けてしまっていたらどうしようと一瞬不安に思ったが、そんなことはなく扉は簡単に開いた。

 こうして真夜樫達は、先日は思い切り駆け抜けてしまったため見ることの出来なかった裏口内の扉の中をゆっくりと調査し始めた。

 いや、正確に言うと調査し始めようとしたのだが――。

「あれ……この扉、開かないよ?」

「こっちも開かねえわー」

「お、俺の方のも開きません」

「私のもです!」

 どの扉も、押しても引いても開かなかった。どうやら鍵がかかってしまっているようだ。

 水族館が閉鎖された時に閉められたのか、不良達や他の誰かが閉めてしまったのかは分からない。

 しかしこれでは中に『眠り姫』があったとしてもパスワードを入力出来ない。不知火は壁を通り抜けることが可能だが、それと同時に彼女の体は物もすり抜けてしまうのだから。

「不知火、中はどうなってる?」

「うーんと……」

 不知火は首だけ扉の向こうに突っ込みながら、中の様子を確認する。すぐに首を引っこ抜き、小さく小首を傾げながら言った。

「水槽の裏側……みたいな?」

「特に変わったものはない感じかー」

「見た限りでは」

 まだ調査を始めて三十分も経っていないというのに、二進も三進も行かなくなってしまった。

 不知火に一つずつ扉の中を確認してもらっている間にこじ開ける道具を調達し、『眠り姫』を見つけたらその扉をこじ開けるという方法を取ろうか。

 いや、そもそも本当にこの扉のどこかに『眠り姫』があるのだろうか。もしかしたら、他の部屋にあるのかもしれない。

 それに廃水族館が本物の『眠り姫』の在り処というのも間違っている可能性がある。

 不知火の名前から海市達が見つけたのとは違う、他のヒントが導き出せるのかも。

「あー、どこが間違ってるのかって疑い出すとキリないなー。どうする?」

「とりあえず、不知火に扉の中を調査してもらっている間にボクらは他のところを探すっていうのが一番良いのかな」

「結局虱潰しですかー。まあ、仕方ないですね。『眠り姫』の詳細な場所のヒントまではありませんでしたしね」

 そうだ。おとぎの言う通りヒントは『HAI RUINS』という言葉のみ。導き出したヒントが正解だったという前提で考えたとしても、廃水族館のどこに『眠り姫』があるのかという詳細なところまでは分からなかった。

 だから結局最後は虱潰しするしか方法はないのだ。

 ――いや、本当にそうだろうか。

 『HAI RUINS』から二つの言葉が導き出せたのではなかっただろうか。

 一つは『海の廃墟』。

 そしてもう一つが……。

「あれ……もしかして……」

「のぞむー、何か分かった?」

「はいるいんず? でしたっけ? あれって『サメの廃墟』って意味もあったんですよね?」

「ああ、一応ね。HAIがドイツ語でサメって意味だったよ」

 やはりそうだ。『HAI RUINS』から導き出せた言葉は二つだった。

 どちらも廃水族館を導き出すためのヒントだと思っていたが、実は違うのではないだろうか。『海の廃墟』で廃水族館を。

 そして『サメの廃墟』で本物の『眠り姫』の在り処である――。

「もしかして『眠り姫』はジンベエザメの水槽がある部屋なんじゃないでしょうか?」

「のぞむー、冴えてる」

「あーそうかー。良く考えてみたら、その可能性が高いな!」

「あの部屋、広かったですしね」

「何だかワクワクしてきたよ。早くあの部屋に向かおうじゃないか」

 真夜樫の言い分にみんなが同意したその時だった。

 ロビー側の方から何やら大きな話し声が聞こえてきた。

 もしかしなくともこのやんちゃ過ぎる声はこの間の不良達のものである。

「やっべえ……あいつらじゃねえ?」

「みたいだね……」

「ロビーの方からこっちに向かってきてるっぽいですよ。これじゃあ逃げられませんね……」

「ジンベエザメの水槽は一番奥の扉の向こうだったよなー」

 そう言って海市は顎に手を当て、一人何かを考え始めた。

 そうこうしているうちにも、不良達の話し声と足音はどんどん近付いてきている。また見つかれば厄介なことになり兼ねない。早くこの場から退散すべきなのではないだろうか。

 急かすために真夜樫が口を開こうとした瞬間、海市はパンと両手を叩き、笑顔でこう言った。

「水沫に囮になってもらおう!」

「いやいやいやいや! 一番危ないじゃないですか!」

「ボクは別に構わないよ?」

「水沫さんはもっと危機感を持ちましょうよ! 自分を大事にして!」

「う、うん……でも別に……」

 水沫の肩を掴み、そう説教すると、彼女は何故か恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「良いって言ってるんだし良いじゃん。パスワード入力してる時に邪魔されちゃ嫌だしさー」

「だからってそれはいくらなんでも! 水沫さんのててて、貞操が!」

「だーから。のぞむーと不知火とおとぎちゃんで行ってきてよ。俺と水沫がどうにかするから」

「え?」

 真夜樫は水沫を囮にすると言い出した海市のことを鬼だとか悪魔だとか心の中で罵っていたのだが、どうやら謝罪しなければならないようである。

 水沫一人を囮にするという意味ではなかったのだ。

 でもそれなら最初から水沫と自分にこの場を任せてくれとか何とか言いようがあったような気もする。

「だ、大丈夫ですか?」

「だいじょぶ、だいじょぶー。だから三人で行ってこい! ほら! さっさと!」

「ここは任せて行きましょう。まやかし先輩、不知火先輩!」

 海市に背中を押され、おとぎに腕を引っ張られ、後ろ髪を引かれながらも真夜樫は走り出す。

 海市と水沫をあの場に残して本当に大丈夫なのだろうか。心配は残る。

 でもここで止まってはいられない。ロビーに向かう道が塞がれてしまったため、こちらに進むしかないのだ。

 それに真夜樫の予想が外れていなければ、この道の先に『眠り姫』があるのだから。

「あの扉ですね!」

 数日前に通った扉である。内側から鍵を掛けたのだが、あの後不良達が開けたようで、普通に通ることが出来た。

 扉の外に出ると水沫が転んだ通路が見えた。転ばないように慎重になりながら、真夜樫達はその通路を走り抜ける。

 そして遂に辿り着いた。

 ジンベエザメが泳いでいたあの大きな水槽のある部屋に。

 この部屋のどこかに『眠り姫』があるはずだ。あってもらわないと困る。

「手分けして探しましょうか!」

「そうだな。『眠り姫』がどんなものかは不知火が知ってるはずだし何か見つけたら不知火に報告ってことで――」

「見つけた」

「えっ!?」

 不知火が大きな水槽の中でそう言った。

 彼女が指を差しているのは水槽の中にある岩だった。どうやらそこで不知火は『眠り姫』を見つけたようだ。

 やはり真夜樫の予想は間違いではなかった。

 『眠り姫』はこのジンベエザメの水槽にあった。

「よ、よし! それじゃあ俺がパスワードを入れる!」

 真夜樫は不知火のいる大きな水槽へと走る。水槽の端の方のガラスが砕けているので、真夜樫もそこから入れるだろう。

「あ、私も行きます!」

 おとぎも真夜樫に付いて水槽の中に入ろうとする。

 しかし真夜樫はそれを止めた。

「いや、雲塚はここで待っといてくれ。もし間違いだったら意識不明になっちゃうだろ。俺一人なら良いけど雲塚まで巻き込まれたら大変だ」

「そんなことないですよ! 合ってますって!」

「大事なカメラマンを危ない目には合わせられないだろ。俺が先に確認するから、お前はそこで写真でも撮っててくれよ。な?」

 おとぎは大きく目を見開き、それからフッと微笑んでみせた。

 そして真夜樫の言う通り、水槽の外でカメラを構えた。

 最後に、頬を少し赤く染めながら真夜樫に届くか届かないかの小さな声で呟いた。

「本当、言うことだけはちょっぴり男前なんですよね」

 真夜樫はおとぎが自分の言うことを聞いてくれたのを確認すると不知火に近寄った。

 彼女の視線の先には岩に埋め込まれたパソコンの画面のようなものがあった。

 水族館の中はこんなにも荒れているというのに、その画面は傷一つなく、今もなお「水温二十五度」と表示されている。他の機械は全て止まっているはずなのに、これだけ動いているというのは明らかにおかしい。

 真夜樫がその画面に触れてみると、水温に代わって「パスワードを入力してください」という文字と文字入力のタッチパネルが表示された。

 やはりこれが『眠り姫』で間違いなさそうだ。

「行くよ、不知火」

「うん、大丈夫。絶対、合ってる。みんなで導き出した答えだから」

 真夜樫はこくりと頷く。

 そして一つ一つ確実に文字を入力していく。初めは「ね」、次に「む」、そして「り」というように確実に、確実に。間違えないように何度も確認をしながら。

 そして長い時間を掛けて、最後の「か」を入力し終えた。

 すると画面に真夜樫が入力した「ねむりひめはいまだゆめのなか」というパスワードと「OK?」という文字が表示された。

 この「OK?」を押せば全てが終わる。これで『眠り姫』を破壊することが出来る。

 でも間違いだったらどうしよう?

 この『眠り姫』は偽物で、このパスワードもはずれだったとしたら。

 そうだとしたら真夜樫も意識不明になってしまう。写真集は完成せず、写真部はなくなってしまうかもしれない。両親もきっと悲しむ。おとぎとも海市とも水沫とも不知火とも話すことが出来なくなる。不知火を元に戻すために頑張っていたのに、自分まで同じ状況に陥ってしまう。一生目を覚まさない可能性だってあるのだ。

 そう考えると怖い。とても怖い。

「……のぞむー?」

 不安げな表情で不知火が真夜樫の顔を覗き込む。

 「OK?」を押さずに固まってしまった真夜樫のことを心配してくれているのだろう。

 大丈夫だ。

 不知火と、おとぎと海市と水沫、五人で導き出したパスワードなのだから間違っているわけがない。

 そんな心配する必要はない。

「のぞむー、大丈夫だよ」

 不知火の白い手が真夜樫の手に重なる。

 触れられないはずなのに、不知火に手を握られている感触があるような気がした。

 そうだ、不知火の言う通りだ。

 こうやって、不知火がそばにいてくれるからきっと大丈夫だ。

 真夜樫は不知火と共に、「OK?」の文字にゆっくりと触れた。

 すると画面の表示が「OK?」から「Mission complete!」に変化した。

 「Mission complete!」とはどういう意味だっただろう。決して悪い意味ではなかったはずだ。えーっと「任務完了」だったかな。

 悠長にそんなことを考えていると、辺りが一瞬にしてまばゆい光に包まれた。

 これは何の光だろう。

 人を意識不明にする光だろうか。

 小さな頃に不知火と水沫が浴びたというあの光だろうか。

 それとも、『眠り姫』が破壊出来たという証なのだろうか。

 あまりに光が強すぎて、真夜樫は思わずキュッと目を閉じた。

 意識さえ失ってしまいそうなくらいものすごい光だ。次に目を開けるのはいつだろう。一分後、十分後、一時間後……それともこのまま目を開けることは叶わないのだろうか。

 そんな風に思考を続けていると、微かに耳元で優しい彼女の声がした。

 そして、瞼の裏に不知火の笑顔が見えた。

「のぞむー……ありがとう」

 ハッとして目を開けると、もう光は消え去っていた。

 水槽の外を見ると、光に驚き尻餅をついたらしいおとぎが腰を擦っている。

「あ! まやかし先輩! 成功ですか!?」

 真夜樫の視線に気付いたおとぎがこちらに笑顔で両手を振った。

「う、うん! そうみたいだ!」

 パスワードを入力した画面は真っ暗だった。

 触ってみても何の反応もない。というよりも、画面には大きなヒビが入っていてこれ以上動きそうにない。

 はっきり破壊出来たのかどうか真夜樫には分からないが、多分成功で間違いないだろう。

 真夜樫も意識不明になっていないし、これは機能停止しているのだから。

 不知火にも同意を求めようと真夜樫は辺りを見回した。

「あれ? 不知火?」

 すぐそばで手を握っていてくれたはずの不知火の姿が見えない。

「雲塚! 不知火、その辺にいるか?」

「え? 不知火先輩ですか? えーっと……いませんよー?」

 ファインダーを覗き込みながらおとぎはあっちを向いたり、こっちを向いたり。

 でも彼女のカメラにも不知火の姿は映らなかったようだ。

「不知火……」

 どこに行ってしまったというのだろう。

 ついさっきまで一緒にいてくれたのに、一瞬にして消えてしまうだなんて。

 名前を呼んでくれたではないか。ありがとうと感謝の言葉まで掛けてくれたではないか。

 それなのに、どうして不知火はここにいないのだろう。

 途端に嫌な考えが脳裏を過る。さっきの感謝の言葉は実は別れの言葉だったんじゃないだろうかという考えたくもないものだ。

 そんなはずないと否定してみるのだが、一度そんな想像をしてしまうとすぐに消し去ることは出来なかった。

 違うと否定する度に、体全体から嫌な汗が吹き出し、動悸が治まらなくなった。

 そして――。

「のぞむー! 不知火がっ! 不知火がヤバいっ!」

 その海市の叫びで、真夜樫は心臓が停止してしまいそうになった。

 切羽詰った表情の海市と水沫が、真夜樫達が先程やってきた通路の方から走ってきた。後ろから不良達が追いかけてきているが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「か、海市さん! 不知火がどうしたんですか!」

「と、とりあえずこれに出てくれ! 病院からの電話なんだが、どうやら不知火が大変なことになってるらしい!」

「望君! どうか、どうか聞いてあげてくれ!」

 真夜樫は水槽から飛び出し、海市が差し出す彼の携帯を受け取った。

 一体病院の不知火に何があったというのだろう。不知火の本体が心停止してしまった、みたいな電話だったらどうしよう。

 そんなことを思いながら真夜樫は携帯を耳に当てた。

「も、もし……もし……」

 返事がない。

 どういうことなのだろう。死にかけの不知火が最後の言葉を伝えようと必死に電話を掛けてきてくれたのだろうか。

 そして真夜樫が出るのが遅かったため、力尽きてしまったのだろうか。

「も、もしもし! もしもし! 不知火! 不知火!」

 自然と涙が零れてくる。

 もう不知火と会えないなんて、話すことが出来ないなんて。そんなの辛すぎる。

 もっとたくさん話をするはずだったのに。

 これからおとぎと三人で写真部の活動をしていくはずだったのに。

 一緒に卒業するはずだったのに。

 それなのに、こんなことって。

 こんなことって、あり得ない。あり得るもんか。

「不知火……嘘だろぉ……」

『う、うん。嘘、ですが……の、のぞむー? ご、ごめんなさい。泣いてる?』

「泣いてるよ! もう一生不知火と一緒に部活出来ないなんてそんなの嫌だ……よ?」

 海市の携帯から不知火の声がする。

 死んでしまったはずの不知火の声がする。

 ――いや、違う。

 死んでしまったと真夜樫が勝手に思っただけで、誰もそんなことは言っていない。

 ……一応、言っていない。

『あ、あの……無事、目を覚ましました……』

「え……? 目を覚ました……? え? あれ? ……そ、そ……う……?」

 真夜樫は驚きの表情を浮かべたまま、海市と水沫を一瞥する。

 二人はにんまりと微笑んでいた。いたずらが成功し、大満足の子どものような笑みを浮かべていた。

「ふふふ、二人共っ! まままま、まさか! 俺をからかったんですか! 酷過ぎますっ!」

「俺達に言われても。なー、水沫」

「不知火が望君にいたずらしたいって言い出したんだ。ボクらはそれに乗っただけだからね」

「ししし、不知火ー! 不謹慎だぞ!」

『ご、ごめんなさい。すぐ気付くと思って……』

「まやかし先輩は良くも悪くも純粋ですからねー」

 おとぎが呆れ気味に微笑みながらそう言った。

「でも、本当に目を覚ましたんだな……」

『うん』

「良かった」

『うん。良かった』

「おかえり、不知火」

『うん。ただいま、のぞむー』

「会いに行くから。待ってて」

『うん。待ってる』

「すぐ行くから」

『うん。ちゃんと、ずっと待ってる』

 不知火の鈴の音のように澄んだ声が耳を撫で、何だかこそばゆかった。

 早く目を覚ました不知火に会いに行きたい。真夜樫はそんな衝動に駆られるのだった。

「うおー! 泣けるぜー! 流石水沫の姉御のお知り合いだー!」

「やっと不知火さんは目を覚ましたわけですね! 俺達はそんな感動的な場面に立ち会えたんだ! 水沫の姉御! ありがとうございます!」

 何故か不良達が号泣しながら口々に感想を述べ始めた。しかも水沫のことを姉御と呼びながら。

 すっかり忘れていたが、この部屋にはあの不良達もいたのだ。

 海市達はまた怒り狂った不良共に追われているのだと思っていたが、この状況からしてどうやら違ったらしい。

「な、何なんですか。あの不良さん達、どうしちゃったんですか?」

 おとぎがむせび泣く不良達を不審げに見つめながら水沫にそう問いかけた。

 すると水沫はグイッとジャージの袖を捲り、天使のような笑顔を浮かべつつ、こう言った。

「実はボク、空手の黒帯保持者なんだ」

「な、なんという……」

 何と海市ではなく、この小さな水沫が黒帯保持者だったのだ。どうやら数分間にあれだけの人数の不良を蹴散らし、舎弟にまでしてしまったようである。

「最近あんまり体動かしてなかったから不安だったんだけど、意外といけるもんだねー」

 不良が弱いのか、水沫が強いのか。戦いの場面を見ていない真夜樫には分からなかったが、彼女がこの不良共の頂点に立ってしまったという事実は変わらない。

 人は見かけによらないものだと改めて思った。

「さーて。用も済んだことだし、そろそろ帰りますかねー」

「そうだね。早く不知火の顔を見たいよ。ファインダーを通さずに、ね」

 水沫がそう言ってキメ顔をすると不良達が「姉御かっこいい!」「ひゅーひゅー!」と囃し立てる。普段はかっこつけても無視されることが多い水沫はおだてられてとても嬉しそうだ。このまま本当にこいつらの姉御になってしまったらどうだろうか。

「じゃあここはあんまり荒らさないようにねー。じゃないと水沫が遊びに来てくれないよー」

 水沫が喋った時とは打って変わって海市が喋り出すと不良は口々に「お前は死ね」「喋るな」「水沫の姉御から離れろ」「弱杉ヒョロ男」と暴言を吐き始めた。酷い言われようである。

「ひっどいなー。俺、水沫の婚約者なのにー」

「えっ! 何、それ! ボクも初耳だよ、海市! 詳しく聞かせてくれ!」

「あれは昔昔の出来事でした。俺と水沫が幼稚園の頃の話です」

 「嘘だ! 水沫の姉御がこんなヒョロ男のー」みたいな不良達の声をバックグラウンドミュージックにしながら真夜樫達は関係者裏口から廃水族館を立ち去ったのだった。

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