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「悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散悪霊退散」

「ぐーわー。やーらーれーたー」

「不知火って悪霊だったのか……」

 真夜樫達は廃病院へ向かう途中にコンビニに寄り、懐中電灯を人数分と少しの食料をゲットした。廃病院に着く頃には日が沈んでいそうだったからである。

 それから自転車を漕ぐこと三十分、丁度日が沈み始めた頃に廃病院に到着した。

 そしておとぎの文句を聞きながしつつ、真夜樫達は廃病院の探索を始めた。今は丁度病院の受付辺りにいる。一人ずつ懐中電灯を持ってゆっくりと慎重に進んでいるところだ。

 文句を言いつつも、おとぎはちゃんとみんなの後を付いて来ていた。

 でも先程から悪霊退散しか喋らない。大丈夫なのだろうか。少々心配である。

「雲塚。そんなに怖いなら帰っても良いぞ。俺達だけで行けば良いことだし」

「悪霊退散……ダメですよ。三人で写真集……悪霊退散……作るんですから……悪霊退散……私が写真を撮らなきゃ……悪霊退散……誰が撮るんですか……悪霊退散」

「そのいちいち悪霊退散挟むのやめてくれる?」

「悪霊退散って言ってないと発狂しそうなんです! 悪霊退散!」

 あまりにも切羽詰った表情でおとぎが言うものだから、真夜樫はそれ以上何も言えなくなってしまった。

「それ、幽霊出てからにしなよー。出なきゃ意味ないじゃーん」

「先手必勝ですよ! 出ないなら出ない方が良いでしょ! 悪霊退散!」

「その心意気やよしだね。ボクも悪霊退散を会話の端々に挟むとするよ、悪霊退散」

「うわー。何か変だよ、この人達ー。きっと既に何者かに憑りつかれてるよー」

 海市の言う通りだ。傍から見れば悪霊退散を会話の所々に挟むおとぎや水沫はおかしな人にしか見えないはずだ。

 でもここには当然真夜樫達以外に人はいない。

 しかも病院内だけでなく、周辺にも人は全くといって良い程いなかった。この廃病院も他の廃墟達の例に漏れず、人の気配を感じさせない場所にひっそりと建っているからだろう。

 正直言ってこの廃病院ほど例に漏れてほしいと思った場所はなかった。

「肝試し楽しいじゃん。俺、今すごいわくわくしてるんだけど」

「肝試しじゃありません。ただの廃墟探索。いや、写真撮影会です。小さい不知火先輩のお歌を鑑賞するの会です! 分かりましたか? 分かりましたよね? 悪霊退散!」

「お、おとぎちゃん……目が怖いよ……」

 本当の幽霊がもしいたとしてもおとぎを怖がって出てこないのではないかと思う。決して口には出せないが。

「それにし悪霊退散てもここも荒れて悪霊退散いるね。落書きだらけ悪霊退散で趣も何もあったもん悪霊退散じゃないよ」

「言葉の途中に挟み過ぎて何言ってるか分からないですよ、水沫さん。ってか良く出来ますね、そんな喋り方」

「おや、どうやら望君に褒められたようだね」

「褒めてはいません……」

ここも廃水族館と同じで相当荒れていた。壁は破壊され、コンクリートの破片があちらこちらに散らばっている。他にもガラスや医療機器やカルテ、薬品などが散乱していて気を付けて進まなければとても危ない。

 でもこれも廃墟の味と言えばそうなのかもしない。壁に書かれた落書きのクオリティが意外と高くて素直に感心してしまったし。

「うわ。ここもすごいな。この赤い手形ってただのペンキですよね?」

「それは血液だぞ、のぞむー」

「やめて下さい、悪霊退散!」

 突然会話に割り込み、海市をボコり始めるおとぎ。やはり幽霊よりおとぎの方が何倍も危ないような気がする。

「ちょっ! おとぎちゃんに言ったんじゃなくてのぞむーに言ったんだけど!」

「聞こえるんですよ! 言うならもっと耳元で囁いて下さい! 悪霊退散!」

「男に男が耳元で囁いてたら気持ち悪いでしょ!」

「そうですね! 気持ち悪いですね! 悪霊退散!」

 いつもより異様にテンションが高いのがまた怖い。恐怖でどうにかなってしまっているおとぎは自分でも何を言っているのかきっと分かっていないだろう。

「見て、手術室発見」

「手術室はないだろー。俺、手術した覚えないし。普通に考えて小児科の近くとかじゃね」

「でもちょっと興味あるよね、手術室」

「ないですよ! そして水沫先輩、悪霊退散忘れてますよ! 悪霊退散!」

「あ、忘れてた。悪霊退散っと」

「そんな軽い悪霊退散じゃダメなんですー! もっと全身全霊で悪霊たいさーんっ!」

 おとぎは今にも泣きだしそうである。というよりももう先程から瞳に大粒の涙が浮かんでいる。

 このままでは悪霊退散教の教祖様になってしまいそうだ。

「とりあえず記念に覗いとこー。うわっ、怖っ」

「ボクもボクもー。おおっ……背筋が凍るな……」

「痛そう」

「お、おお……手術台だ……。生々しい……」

「何でみなさんそんなに度胸があるんですかー! 悪霊たいさーん!」

「とか言いつつちゃっかり写真に収めてるお前が一番度胸あるよ……」

「悪霊退散! カメラマン魂です!」

 すごい職人根性である。

 でもきっと撮った写真は自分では見ないだろう。心霊写真かもしれないとか言って真夜樫に押し付けてくる未来が容易に想像出来た。

 とその時だった。どこか遠くの方でガタンという音が聞こえた気がした。気のせいかと思ったが、真夜樫だけでなく全員が気付いたようで、みんな同時にビクリと体を震わせた。

「し、不知火……今、物音した?」

「したような気がするけどしなかったような気もする」

「か、海市さんは?」

「したんじゃないかなー」

「水沫さんも聞きました?」

「うん。聞いたね。私としたことが、一瞬驚いてしまったよ」

 真夜樫は最後におとぎに目を向ける。おとぎはガタガタと震えながら何も聞こえないように両手で必死に耳を塞いでいるところだった。

「あの、雲塚も聞いたよ――」

「ききききき、聞いてませーんっ!」

 その瞬間、何を思ったかおとぎはいきなり一人で走り出してしまった。恐怖が限界に達し、自分でも制御が効かなくなってしまったようだ。

「ちょ、おとぎちゃーん。一人で走ってっちゃ危ないよー」

 海市の制止も聞かず、混乱したおとぎは一人暗闇の中に消えていった。

 一人でいる方が数倍怖いというのに、今のおとぎにはそれすら理解出来なかったようだ。物音から遠ざかるという一点のみに集中してしまったがためである。

 物音がどこから聞こえたかも分からないのに。

「ぎゃーっ! 暗いっ! 怖いっ! みなさんどこですかーっ! 置いてけぼりですかーっ!」

 向こうの方からおとぎの悲痛な叫び声が聞こえる。みんなを置いてけぼりにしたのは自分自身なのに、全く気付いていないようだ。

「雲塚、そこで待ってろ! そこまで行くから!」

「うわあああ、まやかし先輩いいいい! お願いしますうううう」

 声の大きさからして、そう遠くには行っていないようだ。

 それに向こうの方に微かな懐中電灯の光が見える。あれを頼りにして進めばすぐに追いつけるだろう。

「先、行っとく」

 そう言って不知火はスッと暗闇の中に消えていった。

 人間の足より宙に浮ける不知火の方が断然早くおとぎのところへ行けるのだ。

「雲塚ー! 不知火がそばにいてくれるって!」

「うわあああ、ありがとうございますうううう。カメラ構えて待ってますううう。ってぎゃああああああっ!」

「ど、どうした!」

「誰かいたのー? それとも何かー?」

 海市はとことん肝試しを楽しんでいるようだった。ものすごく能天気に笑っている。

「不知火先輩脅かさないで下さいいいいいっ!」

 どうやらもう既に不知火がおとぎに追いついていたらしい。彼女のことだから「ひゅーどろどろ」とか言いながらおとぎを脅かしたのだろう。

 それにしても不知火はだいぶ空を飛ぶことに慣れてきている気がする。元に戻ったら最初は何かと不便に感じてしまうのではないだろうか。

「ぎゃあああああああっ!」

「また悲鳴あげてるよー。さっさと行ってあげようかー」

 何故かまたおとぎの悲鳴が聞こえた。また不知火がおとぎを脅かしたのだろうか。

 でも二回とも同じように驚くのはおかしい気がする。一度驚かされたのだから少しは身構えるはずだ。

 それなのにおとぎは先程と同じ、いやそれ以上に全力で驚いている。これは一体どういうことだろう。

 そう疑問に思いながらおとぎ達のいる方に向かって歩いていると、真夜樫の体を何かが通り抜けた。

「あれ? 不知火? どうしたの?」

「おおおおおおおおおおおおおおお」

 壊れたラジオみたいに「お」しか言わない不知火。明らかに様子がおかしい。

 それにおとぎはどうしたのだろう。置いてきたのだろうか。

「どうしたんだよ? 少し落ち着いたらどうだ。ほら、深呼吸して」

 不知火は真夜樫の言う通りに大げさに深呼吸をした。

 そして――。

「おとぎっちが床の穴にはまった!」

 切羽詰った表情でそう言い切った。

「う、嘘っ!?」

「足が抜けなくてもうやだーって丸まって泣いてる!」

「泣いてるのかい? 怪我がないと良いけど……」

 おとぎは水沫とは違って厚手の長ズボンにがっちりとした軍用ブーツを履いていたのできっと怪我はないはずだ。

 でも極限に恐怖心が高まっている状態で穴にはまってしまったから、もう泣くことしか出来なくなってしまったのだろう。

「しかも向こうの方がいきなり明るくなって誰かの話し声と足音がした!」

「な、何それ……」

「おばけ! 早く来て! おとぎっちが呪われる!」

「おばけは足音しないでしょー」

 先程も物音がしていたから、もしかしたら真夜樫達と同じように廃墟探索、もしくは肝試しをしている人がいるのかもしれない。それか、廃水族館のように不良が集まっているのかも。

 後者だと少々危険な気がするので、真夜樫達は先程よりも足早におとぎの元へと向かった。

 真夜樫達は不知火が言ったことをすぐに理解する。

おとぎが走っていった方がいつの間にか異様に明るくなっていた。まるで電気が点いているかのようだ。

 でも明るいのはおとぎがいる場所辺りだけなのだ。真夜樫達のいる場所は先程と変わらず真っ暗闇で、明かりといえば、窓から差し込む月の光がくらいだ。

 不思議に思いながら進むと、少し開けたところでへたり込むおとぎを発見すること出来た。

 どうやらここは小児科の待合いらしい。ソファがいくつも並んでおり、そのソファで何組もの親子が名前を呼ばれるのを座って待っていた。

 そしてその中には当然小さな不知火と父親、そして熱で顔を真っ赤にしながらしんどそうに父親の体に寄り掛かる海市がいた。

「……過去の病院?」

「そうみたいだな」

 不知火は早とちりしたことに気付いたようで、恥ずかしそうに頬を桃色に染めた。

 そう不知火は気付かぬうちにあの光を触っていたのだ。

 それでこの場が過去の待合いに変化したため、明るくなり人の足音や話し声も聞こえてきた。

 でもおとぎが床を踏み抜き、泣き出してしまったことに不知火は動揺していた。そのため足音や話し声を幽霊が出たと勘違いし、自分じゃおとぎを助けられないからと真夜樫達に助けを求めに来たのだった。

 不知火には悪いが、大したことでは動じない彼女の可愛い姿が見られて、ちょっとだけ嬉しかった。

「おーい。おとぎちゃーん、生きてるかー」

「生きてます! むしろとても生き生きとしています!」

 床に足が挟まったままの状態でおとぎはカメラを構えていた。彼女の言うように、とても生き生きとした表情で。泣いていただなんてまるで嘘のようだ。

 おとぎがカメラで収めようとしているのは泣きべそをかいている小さな不知火の姿だった。

「お兄ちゃん、死んじゃう?」

「何言ってるんだ。死なないよ」

「でもしんどそう。お兄ちゃんって呼んでも返事してくれない」

「しんどそうだけど死んじゃわないよ。ちゃんと病院に来てるだろ?」

「でもお兄ちゃんが死んじゃったらやだあ」

 父親がどれだけ否定しても小さな不知火は聞く耳を持たない。涙をぽろぽろと零しながら何度も何度も海市の顔を確認している。

「はい、俺のこと心配してる不知火可愛い。超可愛い。おい、俺! しんどそうにしてないで不知火に返事しやがれ!」

「そんな無茶な……」

 昔の自分に無茶な要望をし出す海市に、真夜樫は苦笑いを浮かべた。

「うーん、そうだなあ。思い付いた! ひなのよにー泣かなくてもいいーだいじょぶだから」

 来た。真夜樫は今回も手帳に丁寧に歌を書き記していく。

「あ、お歌……」

 父親が即興で考えた歌を聞いた瞬間、小さな不知火の涙はぴたりとやんだ。

「不知火も歌って? 歌ったら元気出るだろ? 不知火の元気がなかったらお兄ちゃんの元気ももっとなくなっちゃうぞ? 良いの?」

「よ、良くない! ひなのよにーなかなくてもいいーだいじょぶだからー」

「そうそう。最初の二音もばっちりだ。ちゃんと覚えて歌ってあげて? 不知火が元気だったらお兄ちゃんもすぐ良くなるよ。良くなったらお父さんの研究所に二人を招待しようかなあ」

「お父さん、ホント!?」

 今まで怠そうに目を閉じていたはずの小さな海市がそれを聞いて突然飛び起きた。

どうやら風邪で目も開けられず返事も出来ない弱った自分を演出していたところがあったようだ。父親に甘えたかったのだろう。

「お兄ちゃん起きた!」

「俺もう元気だから早く帰ろう、お父さん! 研究所、今日行こうよ!」

「ダメダメ。ちゃーんと治してからじゃないと招待しない」

「うー。もう治ったのにー」

 不満そうに小さな海市は唇を尖らせる。

 でも研究所に行きたくて強がってはいるが、熱があることに変わりはない。顔は相変わらず赤いし、瞳は潤んでいる。

「遠野海市さーん」

 ようやく診察の順番が回ってきたようだ。看護師さんに名前を呼ばれ、三人はソファから立ち上がった。

 そして彼らの姿が診察室の中に消えたと同時に真夜樫達も現実へと引き戻されたのだった。

「次は研究所か。つーか何個あるんだ、この歌」

「遊園地、水族館、銭湯、学校、病院……これで五個目だね。どんなパスワードなんだろう」

「あ、それ考えてみたんですけど。お二人のお父様、最初の二音は大事だといつも念を押されてますよね? だから最初の二音、つまり二文字をそれぞれ取って組み合わせていけば良いんじゃないかと。簡単だって書いてありましたし」

 足が床に挟まったままという何とも情けない格好のままおとぎはそう言った。

 流石に可哀想なので真夜樫はおとぎを引っ張り上げてやった。引っ張り上げてやったところまでは後輩思いのかっこいい先輩だと自分でも思ったが、その反動で尻餅をついてしまったのは非常にだらしなかった。

 何でこうかっこつけようとしても上手くいかないのだろう。会話に参加せず、一人悲しみに打ちひしがれる真夜樫なのだった。

「はねだまゆのかりひな」

 不知火が突然良く分からない言葉を発した。どうやら今までの歌の最初の二文字を組み合わせてみたらしい。

 でも全く意味が分からない。パスワードだから特に意味はないのだろうか。

「これも文字を入れ替えたら文章になる可能性が高いね」

「そうだなー。あの親父のことだから何の意味もない文字の羅列にはしなさそうだし」

「じゃあさっさと恐ろしい廃病院からはおさらばしましょう……かっ!」

 おとぎは突然おかしな声を出しながら目を見開いた。一体何があったというのだろう。

「ど、どうした?」

「むむむ、向こうに! むむむ、無数の光があああ!」

 また何かの見間違いだろうと思い、おとぎの指差す方に振り返ってみた。

 すると彼女の言う通り、遠くに無数の光が見えるではないか。何かの目玉のような光が至るところにある。

 ――何かの目玉?

 その瞬間、真夜樫は光の正体に気付いた。不知火や海市、そして水沫も全く怯える様子がないので多分気付いているのだろう。気付いていないのは恐怖で頭が回らないおとぎだけのようだ。頭の回転が速そうだし、パスワードの解読に関しては彼女が一番貢献しているのに、だ。

 そんな彼女も恐怖心には勝てない。恐怖心というものはこうも人を無力にしてしまうのか。真夜樫は怯えるおとぎをほったらかしてそんなことを考えていた。

「あっ! ま、まやかし先輩! た、助けて!」

 突然おとぎに抱きつかれた。腕に柔らかい感触が……何て言っている場合ではないのだが、そっちにしか神経を集中出来ない。

「な、何だよ、雲塚! 離れてくれよ!」

 いえ、嘘です。ちょっと……いやものすごく良い気分です。出来れば引き続きくっついていてもらいたいです。

「ああああ足にななななな何かふふふふふわふわした感触があああああ」

「足?」

 床から魔物か何かの手がにょっきりと生えてきて、自分の足を掴んでいるのではないかとビビりまくっているおとぎを尻目に、真夜樫は彼女の足元を懐中電灯で照らしてみた。

 そこにいたのは予想の通り、全く怖がる必要のないものだった。

 むしろとても愛らしい動物。真夜樫がいつか一人暮らしを始めたら飼いたいと思っている動物が彼女の足にすり寄っているだけだった。

 おとぎ以外の四人は一斉にしゃがみ込み、意外に人懐っこいその動物を撫でまわし始めた。

「やっぱり猫だったんだね。とっても可愛いね」

「良いな、おとぎっち。好かれてる」

「さっきの物音は多分こいつらだろーな。猫の住処になってたんだなー」

「一匹持って帰って飼いたいなあ……母さんが怒るだろうけど……」

 その時、ポキリと指の骨を鳴らすような音が聞こえた。

 誰が鳴らしたのだろうと真夜樫はみんなの様子を順に見ていった。海市は違う、水沫も違う、不知火も違う。

 それじゃあ彼女しかいない。真夜樫は恐る恐る顔を上げた。

 そして見てはいけないものを見てしまった。自分の足元の猫を撫でながら好き勝手感想を述べるみんなをものすごく恐ろしい形相で睨みつける女子高生の姿を。

「分かってたんならすぐに教えて下さいよ、馬鹿あああああっ!」

 悲鳴よりも大きなおとぎの怒鳴り声に驚いた猫達は、一斉にその場から退散してしまったのだった。




「雲塚の怒鳴り声、すごかったな」

「幽霊も逃げ出す声量」

「ホントそれだよな。幽霊、出てきたくても出てこれないよな」

 真夜樫は不知火とそんな話をしながら家までの道を歩いていた。

 もう家はすぐそこなので、自転車には乗らず不知火との会話を楽しんでいる。

 今までならこんな風に不知火に話しかけることなんて出来なかった。本当は不知火と話したかったのだ。一緒にいるだけで安心出来る存在だから会話なんて必要ない、そう思っていた。

 でも今思うと、それはただ話しかける勇気がないからわざとそう考えるようにしていただけだった。自分から話しかけるのは怖いから、このままで良いと勝手に自己完結させていたのだ。

 不知火が意識不明になり、記憶を失くしてしまって悲しかったが、それがなければ一生こんな風に話したりは出来なかったかもしれない。

 こんな不思議なきっかけがなければずっとあのままだったかもしれない。

「ねえ、のぞむー。最近気になってることがある」

「気になってること?」

 不知火は小さく頷く。

「もし今までの記憶が戻ったら、この数日の記憶はどうなるのかなって」

「え? どういうことだ?」

「消えちゃうのかなって。おとぎっちやお兄ちゃんや水沫お姉ちゃん、それにのぞむーと一緒に廃墟探索した記憶はどうなるんだろう」

 言われてみればそうだ。この数日間の記憶も保持されたまま、今までの記憶も取り戻すのか。今までの記憶で上書きされてしまうのか。

 真夜樫は生霊になったことも記憶喪失になったこともないので分からない。この世界に不知火と同じような経験をした人がいるとも思えない。調べても答えを見つけるのは困難、いや不可能だろう。

「うーん。分かんないけど普通に残るんじゃないのかな」

「そうだと良いけど。せっかくのぞむーと仲良くなれたのに、元の無口で無愛想でのぞむーに話しかける勇気がない自分には戻りたくない。でもこのまま今までのこと、忘れていられない」

 ここ数日で不知火は最初に会った時以上に喋るようになったし、表情も豊かになった。

 でも記憶が元に戻ったと同時に自分の性格も元に戻ってしまうかもと不安に思っているらしい。そして記憶を取り戻したいけれど取り戻したくないという感情の間で板挟みになっているようだ。

「もしこの数日の記憶を不知火が失くしちゃっても、俺から話しかけるから大丈夫だよ」

「のぞむーから?」

「うん。こんなきっかけがあったから俺は不知火とこうやって話せるようになったんだ。だから不知火だって数日の記憶を失くしても俺が話しかけるってきっかけさえあればまた今みたいに心を開いてくれるんじゃないかな」

「そうかな。無口に逆戻りするだけかも」

「その時は俺が思いっきり話しかけて会話しなきゃやっていけないようにしてやるよ! 俺も雲塚にそうされてだいぶ会話出来るようになったしな!」

 そう言って笑いかけると、不知火も笑い返してくれた。

 相変わらず薄い笑いだったが、それでも前よりは断然表情豊かになったと思う。

「それより先に体を取り戻さなきゃだろ。いつまでも空に浮かんでたら普通の生活に戻れなくなるぞ」

「あ、それ有り得そう。空浮かんでるの、とっても楽だから」

 やはり空にふわふわ浮かんでいるのは楽らしい。

 今から歩く練習をしておいたらと提案したら不知火はふわりと地面に降り立ち、歩き始めた。でもどこかぎこちない。完全に空に浮かぶ生活に慣れ切ってしまったようである。

 動きが面白くてつい笑ってしまうと、不知火はぷぅと可愛らしく頬を膨らませたのだった。

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