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13

 次の日、真夜樫達は高校の門の前に自転車で集合した。

 しかし水沫が時間になっても現れない。メールをしても返ってこない。電話をしても出てこない。家のチャイムを鳴らしても、ドアを叩いて名前を呼んでも返事なし。

 昨日は帰りが遅かったため、まだ眠っているのだろう。モーニングコールくらい気付いてもらいたいものである。

 このまま放って行こうかという意見も主に海市から出たのだが、不知火が水沫だけ置いていくのは可哀想と反論したため却下された。

 とりあえず部室に行き、昨日撮った写真を確認しながら水沫からの連絡を待つことになった。

 そして待つこと数時間。

 お腹が減ったと誰かが言い始めた頃に水沫からの連絡があった。気が付いたら時計の二つの針がぴったりと重なり合っており、自分は深夜に目覚めてしまった、今まで快眠しか知らなかった自分にも遂に不眠の国から魔の手が忍び寄ってきたと思いながら窓の外を見つめると何故か日が昇っており、知らぬ間に夜が存在しない世界に迷い込んでしまったのかと思って不安になり、誰かに報告せねばと携帯を見ると海市からの怒りのメールが十通も届いており目の前が真っ暗になったらしい。

 要約すると、寝ぼけて頭が混乱していたということである。

「分かったからさっさと来い! 俺達も今から小学校に向かうから現地集合な!」

 ということで真夜樫達は不知火達が通っていた廃校へと向かうことになった。

 海市が言った通り、真夜樫達の高校からそう遠くないところに廃校はひっそりと佇んでいた。自転車で二十分程度といったところだろうか。まだ昼間だというのに静かに佇む廃校はどこか薄気味悪かった。きっとホラー映画やドラマなどで染みついたイメージのせいだろう。

 廃校の門の前で「何か出たらどうする? 勝手に鳴りだす音楽室のピアノー」とか言って海市がおとぎを脅していると、思ったよりも早く水沫がやってきた。しかも真夜樫が忠告した通りにフリフリのワンピースを着てくるのをやめ、小豆色のジャージ姿で。水沫の整った容姿にはあまりにもミスマッチである。それに加えていつもきれいに整えられている銀色の縦ロールは自転車を漕いできたせいでかなり酷い状態になっていた。

 水沫はぐしゃぐしゃの髪をシュシュで一纏めにしながら、みんなにへこへこと詫びを入れた。

「す、すまない! ものすごく遅れてしまった!」

「おっせーんだよ! つーかそれ中学ん時の芋ジャージじゃん! 懐かしい! お前、当時から似合ってなかったよなー」

「え? そうかな? なかなか似合っていると思うんだけど」

「全く似合ってねーよ!」

 海市があまりにも大笑いするので、水沫は芋ジャージを見つめながら「そうなのかな」と残念そうに呟いた。

「望君、やっぱり似合っていないかな?」

 自分に聞かれると思っていなかった真夜樫。完全に油断していた。

はっきり言って全く似合っていない。でもせっかく廃墟探索に適した服装をしてきたというのに、似合っていないなんて言うと彼女はこれを着なくなってしまうだろう。

 ここは嘘でも似合っていると言っておいた方が良い場面だ。

「い、いえ! すごく似合ってますよ! 水沫さんの銀髪とエンジ色のジャージが何とも言えない素敵な組み合わせで……何とも言えない感じです、はい!」

「何とも言えないばっかりじゃないですか、まやかし先輩」

「いや、嬉しいよ。ありがとう、望君」

 性格はとても変わっているが、水沫の眩しい笑顔は殺人級に愛らしかった。

 恥ずかしくて顔を背けると、昨日と同じようにまた不知火がこちらに向かってパンチをしていることに気が付いた。

 彼女はボクシング選手か何かを目指しているのだろうか。

「それより、遅れてきたのに何のお詫びもなしかー」

「うーん。じゃあ今度何かごちそうするよ。不知火が元に戻ったらね」

 不知火はこくこくと何度も頷いている。ちゃんと自分のことを考えてもらえたことが嬉しかったらしい。

「えー、良いんですか! やったー!」

 遠慮する様子もなく両手を上げて喜ぶおとぎ。

 でも真夜樫はそんな風に喜ぶことは出来なかった。見た目は小学生並みだが、一応彼女は年上の先輩なのだ。遠慮なしに奢ってもらって良いものなのだろうかと、今までほとんど他人と関わりを持ってこなかった真夜樫は不安だった。

「だ、大丈夫なんですか? 四人も……」

 そんな真夜樫の疑問に答えてくれたのは水沫ではなく海市だった。

「大丈夫、大丈夫! 俺とこいつ本土の研究所でバイトしてんだ。結構時給良いんだぜ? だから遠慮しないで! ちなみに水沫! ファーストフード禁止な。オイスターバー行きたいー」

「オイスターって君……高いよ……。まあ……考えておこう」

「じゃあそろそろ行くかー」

 予定の時刻から何時間も遅れつつ、真夜樫一行は廃校探索を開始した。




「不知火って一年生の時、何組だったんですか?」

「確か四組だな。何か他のクラスと微妙に離れたとこにポツンと教室があったんだよなー」

 小学校といっても意外と中は広い。闇雲に歩き回っていてもきっと光は見つけられない。まずは彼女が一年生の時に使っていた教室に行ってみるのが無難だろう。

「あの年の一年生は多かったのかな? ほら、ボクらの時は三組までしかなかっただろう?」

「そういえばそうだった気もするー」

「だから離れたところにしか教室を用意できなかったんですかね」

 廃校の中は昨日行った廃水族館とは違いほとんど荒れていなかった。自然にゆっくりと時間をかけて朽ちていっているようだ。しかも外観はどこか不気味だったが、中に入ってみると恐ろしさは一つも感じられなかった。太陽の光がしっかりと窓から差し込んでいるおかげだろうか。

 夏の日差しが差し込む校内はどこか懐かしく、ここに一度も通ったことのない真夜樫でも小学生だったあの頃に思いを馳せてしまうくらいだった。

「あ、給食室だ。懐かしいな。給食が美味しかった記憶しかないけどね」

「給食美味しかったですよねー。また食べたいなあ」

「あげぱんにきなこ。カレー。ソフト麺。ゼリー争奪戦。大きなおかず。小さなおかず」

「ちょっ、不知火先輩やめて下さい! 食べたくなってきたじゃないですか!」

 おとぎが写真を撮ろうとファインダーを覗き込んだ瞬間を見計らって、耳元で囁く不知火。

 記憶を失くしているくせに食べ物のことはちゃんと覚えているらしい。彼女はどこまでを忘れ、どこまでを覚えているのだろうか。謎である。

「女子三人は食い意地張ってんなー。のぞむーはあれだもんな。小学校の思い出はおもら――」

「その話はもう無しで! 胸の奥にしまって置く形でお願いします!」

「俺は人生最初のモテ期だったわー。小六のバレンタインなんて靴箱に溢れんばかりのチョコレートが入ってたりしたねー。不知火と水沫と三人で山分けしたけど」

「自慢ですか! 自慢ですね!」

「うん! 自慢です!」

 真夜樫なんて好きになってくれる女の子はおろか、仲の良い友達すらいなかったというのに酷い話である。これがいわゆる格差社会というものなのか、勉強になったなと悲しく独りごちた。

「バレンタインは毎年何もしなくてもチョコが食べられるからとても幸せだよ……」

「そういえばそうだった気がする……」

 不知火と水沫は海市が毎年山分けしてくれるたくさんのチョコレートのことを思い出しているようだ。今にもよだれを垂らさんとする表情で。

「小学生の時のバレンタインかー。あげた覚えがないですね。私の周りで何か物欲しそうにそわそわしてた男子にポケットの中に入ってたガムのごみはあげましたけど」

「それ、その男子の心に相当深い傷を付けたと思うよー」

「何かウザかったんですよ。欲しいなら欲しいって口で言えやって感じで。まあ言われてもチョコなんか一つも持ってきてませんでしたが」

「流石鬼畜女子代表だな、雲塚」

「そんなものの代表になった覚えはないですけどね」

 その時の彼が「ふへへ、おとぎちゃんの唾液付きガムゲットでござる」とか言えるくらい変態でポジティブな人間であることをひたすら祈るのだった。小学生でそれだと今の彼はとんだド変態になっているような気もするけれど。

「っていうか学校にチョコとか持ってくるの禁止だったはずなんですけどね」

「あ、そうだったな。俺のクラス、飴のゴミが落ちてただけで帰りの会で犯人捜しした。食べた人は正直に手を挙げなさーい、みたいな。その日からもし間違って持ってったらどうしようって怖くなって毎朝学校行く前にランドセルとポケットの中何度も確認してたのを思い出した」

 高校生くらいになれば普通にお菓子を持ってきている人もいるし、「先生、誰々君がお菓子持ってきてます」と告げ口をするようなこともないが、小学生は持ってきてる子はみんなと違う変な子! みたいな空気になることも少なくないのだ。

「のぞむー、神経質過ぎ! でもそういえば帰りの会とかあったなー! 今日遠野君がブランコ漕ぎまくって遠くに飛び降りる遊びしてましたーみたいないらん報告されたわ。他にも色々先生に報告されて怒られたよー。別に人に迷惑かけてないんだから良いじゃんねー」

「私は報告する側でしたね。スカート捲ってきましたとか髪の毛引っ張ってきましたとか一輪車奪われましたとか砂掛けられましたとかボールぶつけられましたとか。何か知りませんけどいじめっ子に目を付けられてたみたいで」

 小学生男子特有の好きな子をいじめてしまうというやつだろう。でもおとぎには全然伝わっていなかったようだ。当時のおとぎには人の気持ちの裏を読み取る力はまだ備わっていないから当然なのかもしれないが、そのいじめっ子が少々可哀想に思えた。

「好きな子をいじめたくなる心理じゃないの? おとぎ君は可愛いから」

「いやだ、水沫先輩。恥ずかしいです。それに水沫先輩の方が可愛らしいじゃないですか。銀髪に碧眼って珍しいですよね? ご両親のどちらかが北欧系の方とかですか?」

「ああ、これ? 別にそういうわけじゃなくて――」

「あっ! あったぞー。一年四組!」

 当時のことを話しながらグダグダと歩いているうちに、真夜樫達はいつの間にか一年四組の前まで来ていた。だいぶ掠れてきてはいるが、プレートにはちゃんと一年四組という文字が刻まれている。

 間違いなくここが不知火の使っていた一年四組の教室だ。

「うっわー。椅子も机もちっせー」

 前側のドアから真夜樫達は教室の中に入った。

 当時はこれが普通の大きさだと思って使っていたのだが、今見てみると椅子も机も本当に小さい。天井も低いし、教室の後方にあるランドセルを置くための棚も小さい。

 黒板には白いチョークで『さようなら一年四組・さようなら楼閣北小学校』と大きく書いてあった。大人の字なので十年前に教師が書いたのだろう。その周りには一年四組の生徒の名前と小さなデフォルメ調の似顔絵が描かれており、「た」の行のところに不知火のものもあった。

「私の名前……」

 不知火は黒板に近寄り、そっと自分の名前に触れた。触れるというと語弊があるかもしれないが、彼女は確かに触れようとしていた。

「似顔絵、とっても似てるな」

 真夜樫が笑顔でそう言うと、不知火は黒板に目を向けたままこくりと頷いた。

「思い出した! 不知火のクラスの担任って確か若い女の先生で、一年四組が初めて受け持つクラスだったんだよ。思い入れが強かったんだろうな。だからこんな凝ったことしたんだと思う。俺のクラス、こんなの描いてもらった覚えねえもん」

「ボクも覚えに無いね。むしろみんな本土のきれいな学校に行けることを喜んでた気がするよ」

「みんな同じ学校に行ったんですか?」

「いや、流石にそれは無理だったよ。海市達とボクは何の因果か近くに住むことになったけど、他の人はほぼバラバラさ。まあ当時この島に住んでた人の大半は戻ってきてるみたいだけど」

 今この楼閣島に住んでいる人間は、この島に思い入れが強い人、この島の住み心地に慣れている人、そして少しの物好き達によって構成されているようだ。

 真夜樫一家がこの島に引っ越してきた一番の理由は、母親がこの島のローカルファッション雑誌の編集長を任されたというところにある。

 首都と同じくらいの面積の島といっても人口はその十分の一ほどだ。ショッピングモールや百貨店などがある都会っぽい街もあるにはあるが、どちらかという十年前で時間が止まっているような島である。ファッション雑誌の売り上げは首都とは比べ物にならないくらい少ない。

 多分真夜樫の母は良く上司と喧嘩をしたり、トラブルを起こしたりしていたので厄介払いされたのだろう。

 でも今考えるとそれで良かったと思う。真夜樫はこの島に引っ越して来られてとても幸せだった。大好きな廃墟に囲まれる生活の何と素晴らしきことか。

 それに、この島に引っ越してこなければ不知火と出会うこともなかった。水沫風に言うと、きっと運命の赤い糸で結ばれていたのだ。会うべくして二人は出会ったのだ。なんちゃって。

「のぞむーニヤニヤしてる」

「はー。こんな昼間っから卑猥なこと考えないで下さいよ、まやかしせんぱーい」

「卑猥なことなんか考えとらんわっ!」

「どうせこの机の朽ち具合がエロい……とか考えてたんでしょ。はー、やだやだ」

「朽ち具合は良いと思うけどエロいとは思いません!」

 流石に朽ちた机に欲情するほど変態ではない。むしろ木のところよりも金属部分の錆の方が色っぽいとか思っているけど決して変態ではない。

「あれ? この机、名前が刻んであるよ? しらぬいってひらがなで」

「私の机?」

「そうみたいだな。名前を彫るとか結構ワルだな、不知火」

「私、ワル」

 何故かエッヘンと偉そうに腰に手を当てる不知火。別に褒めた覚えはないのだが、不知火が楽しいのならばそれで良い。

「あれ? もしかして……」

 その時、不知火がそう呟きながら机の中を覗き込んだ。そしてそのまま彼女はスッと机の奥の方に手を伸ばした。

 すると次の瞬間には、真夜樫達は十年前の参観日の教室にいた。

 子供達は親が見に来ているとあってみんな緊張しているようだ。良いところを見せなくてはと思っているのだろうか、みんなピンと背筋を伸ばし、静かに先生の話を聞いている。

 小さな不知火もそれに漏れず、緊張気味に黒板を凝視していた。両親達は教室の後ろに集まって、そんな可愛い我が子を微笑ましげに見守っている。その中に不知火の父親の姿もあった。母親はいないので、きっと海市の方を見に行っているのだろう。

「じゃあみなさんこの問題を解いてみましょう」

 若い美人の先生がそう告げると、子供達は一斉にドリルに向かい始めた。黒板に並ぶのはとても簡単な繰り上がり、繰り下がりのある足し算引き算の問題。

しかし真夜樫達にとっては簡単でも、子供達にとっては意外と難問なのである。子供達は両手を使ったりしながら一生懸命問題に取り組んでいる。

「そろそろ出来たかな? じゃあ前に出て答えを書いてくれる人ー」

 先生がそう言って手を挙げると、数人の生徒達がそれに倣うように手を挙げた。

 その中の一人に小さな不知火もいた。ぷるぷると小さな体を震わせ瞳を潤ませながらも、父親に良いところを見せようと健気にピンと指の先まで伸ばしている。

「じゃあ元気いっぱいな新田君ととっても姿勢が良い遠野さんにお願いしましょうか」

 「はい! はい! はい!」と大きな声でアピールしていた新田少年と共に小さな不知火も先生に選ばれた。

 選ばれた瞬間、小さな不知火は思い切り頬を緩ませながら父親の方を振り向いた。それに気付いた父親は右手で拳を作り、ガッツポーズを取ってくれた。

「小さい不知火先輩可愛いですねえ……お持ち帰りしたいです……」

「大きい私はダメ?」

「大きくてもOKです! テイクアウトします!」

「こちらでお召し上がり下さい」

「えーこちらで召し上がっちゃっても良いんですかー? 良いんですねー?」

「ご一緒にのぞむーはいかがですか?」

「あ、それはいらないです。捨てます。速攻ゴミ箱にポイです」

「お前ら何の話してるんだよ……」

 クォーターパウ○ダーズがハンバーガーショップっぽい謎の会話を繰り広げているうちに、小さな不知火は黒板に答えを書き終わっていた。

席に着き、先生が丸を付けてくれるのを心配そうな表情で見つめている。

「すごいっ! 新田君も遠野さんも全問正解です!」

 教室中に大きな拍手が巻き起こる。新田少年はイエーイと両手を挙げながら体全体で喜びを表現している。きっと普段からお調子者なのだろう。

 それとは対象的に小さな不知火は恥ずかしそうに体を縮こまらせて、拍手がやむのを必死に待っているようだった。顔は茹蛸みたいに真っ赤で瞳には大きな涙の雫が溜まっている。

 でも決して嬉しくないわけではなさそうだった。その証拠に、ひっそりと白い歯を覗かせていた。

 拍手が鳴りやんだ頃を見計らったように授業終了のチャイムが鳴り響く。起立、礼、着席を終えると先生は教室の後ろに待機する親達に向かって話し始めた。

「それではこれで授業を終わります。保護者の皆様の中で懇談会に――」

 懇談会の連絡をした後、先生は教室を出ていった。

 それを見送ると、不知火の父親は椅子に座ったまま動かない小さな不知火の頭にポンと手を置いた。

「おーい、もう授業終わったぞー。いつまで固まってるんだー」

「お、お父さん」

 チャイムが鳴って緊張が一気に解けたためか、不知火は脱力してしまっていた。

「すごかったぞー。良く頑張ったなあ」

「う、うん」

「でも不知火もあの男の子みたいに喜べば良かったのに」

 父親に頭を撫でられながら、小さな不知火は「恥ずかしかった」と小さく呟いた。

「前に出て、全問正解してすごいじゃないか! 恥ずかしがることなんかないよ。家じゃ褒めて褒めてって言ってるじゃないか」

「家は家だもん」

 小さな不知火は唇を尖らせながらそう言う。

 家では元気いっぱいの彼女も学校では委縮してしまうのか、いつもの自分が出せないようだ。

「借りてきたー猫のようだねー参観日の君ー」

「あ、新しいお歌! かりてきたーねこのようだねーさんかんのきみー」

 真夜樫は今回も忘れないように新しい歌を手帳に書き記しておく。これで歌は全部で四つになった。

「うん、不知火のことだよ。学校じゃ借りてきた猫みたいに大人しいからね」

「私、猫さん? やったー! にゃーにゃー」

 可愛らしく猫の真似をする小さな不知火をおとぎは本格的にお持ち帰りしようとしている。

 でもやはり触れることは出来ず、ガックリと肩を落とした。

 しかしここで退かないのがおとぎだ。持ち帰れないのならば写真に残すべしとばかりにシャッターを何度も切り始めた。

「あ! あなたー! 良かった、まだいたー。ねえ、ちょっとお願いして良ーい?」

「ん? どうした?」

 海市を連れた母親が一年四組にやってきた。母親の手を握る海市はとてもしんどそうな表情で、いつもの元気さは全くなかった。頬も心なしか赤い。

「海市、熱出したのよー。私、懇談出なきゃ駄目だから病院連れていってくれる?」

「知恵熱か、海市ー。でも今日土曜だからいつもの小児科、昼で終わりだぞ」

「あ、そっかー。でも深夜に高熱出されても困るのよねー」

「家で様子見ても良いけど……しんどそうだしおっきい病院行っとくか」

 父親は海市を抱きかかえ荷物を受け取ると、小さな不知火に帰る用意をするように言った。不知火はいそいそとランドセルに教科書やノートや筆箱を詰め込み、立ち上がった。

「急病センター行くぞ」

 不知火の父親がそう言った瞬間に、真夜樫達のいる場所は元の教室へと戻っていた。

黒板には足し算引き算ではなく、先生が書いた『さようなら一年四組・さようなら楼閣北小学校』という文字と生徒達の名前、そして似顔絵が描かれていた。

「つ、次は廃病院ですか……」

「近いねー。自転車飛ばせばすぐ行ける距離だわ。このまま行っちゃおうかー」

「今から行ったら夕方になるでしょ! 夕方になったら辺りが暗くなるでしょ! 辺りが暗くなったらゆゆゆゆゆゆゆ、幽霊が出るでしょ!」

 幽霊が怖いおとぎはどうしても行きたくないらしい。まあ廃病院は廃校よりも更にホラー映画などの舞台になることが多い場所である。しかも廃校なんか比べ物にならないくらい死に近い場所だ。おとぎが怖がるのも無理はないだろう。

「おとぎちゃんが何かすっごい行きたそうだから行っちゃいましょうー」

「そんなこと言ってないでしょおおおお!」

 けれど暴君海市を誰も止めることは出来なかった。

 というよりも、おとぎ以外はみんな乗り気だったのだ。真夜樫も頑なに拒むほどは怖いとは思っていなかった。

 でもおとぎのために反対してあげた方が良かったのかなと後になって思った。

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