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 次の日、不知火が起こしてくれたため、約束の時間より少し前に駅に到着することが出来た。どうやら一番乗りだったようで、まだ待ち合わせ場所には誰もいなかった。

 いつも通り待ち合わせ時間ピッタリになったところでおとぎが悠々とやってきた。それに続いて海市、最後に眠そうに眼を擦りながら水沫がやってきた。

 おとぎと海市の二人は真夜樫と一緒で廃墟探索に適した服装をしてきていたのだが、水沫は相変わらずの甘ロリファッションだった。しかも三日連続でデザインの違う日傘を差している。

 とても可愛いとは思うが、一応廃墟探索に行くのだからちゃんとした格好で来れば良いのに。これでは大怪我をしたとしても何も文句は言えないだろう。

「俺も眼鏡を持ってきたぞー。百均で買ったった! レンズを通せば不知火が見えるんだろ?」

 意気揚々と百均のビニール袋から黒縁眼鏡を取り出し、それを掛ける海市。そして不知火を見ようと辺りを大きく見回した。

 ――しかし。

「お兄ちゃーん」

 不知火は海市の目の前にいるのだ。海市が頭を動かす度に移動して、彼の視界に収まるように頑張っている。

 それなのに海市は「不知火、どこだー」と辺りを見回すばかりだ。どうやら彼の買ってきた伊達眼鏡では不知火を目視することは不可能らしい。

「くそ、見えん! 百円と消費税無駄にしたー!」

「まあどの眼鏡でも見えたら眼鏡掛けてる人全員に不知火先輩が見えてるってことになりますからね」

 今まで考えてもみなかったが、そう言われてみればそうである。眼鏡を掛けている人全員に見えていたら、ふわふわと宙を浮く不知火を見て誰かが驚きの声を上げたりしたはずだ。

 でもそういうことは一度もなかった。

 つまり全てのレンズが不知火を映すわけではないということである。

「ボクのカメラはどうだろう?」

 水沫は首から下げたカメラを構えた。そしてきょろきょろと少しだけ辺りを見回し、にっこりと微笑みを浮かべた。

「やあ、不知火」

「水沫お姉ちゃん」

 彼女のカメラにはちゃんと不知火の姿が映ったらしい。それを見て海市が悔しそうにギリギリと歯を食いしばる。

「そうだ! 俺も今日はカメラ持ってきてるんだった!」

 「バイトで貯めた金で最近買ったおニューのデジイチでさー」と言いながら鞄から大事そうに新品のデジタル一眼レフカメラを取り出す。そしてみんなに平等に見えるよう、自慢げに掲げてみせた。

 おとぎがものすごく羨ましそうにしている。

「今度こそ! 不知火ー」

「お兄ちゃーん」

 不知火はさっきと同じように海市の前で手を振っていた。

 にも関わらず、海市はカメラをあっちに向けたりこっちに向けたりして不知火を探している。

 ああ、また駄目だったんだな。全員が同時にそう理解した。

「俺の不知火への愛が足りないのか……」

 ガックリと地面に崩れ落ちる海市。すごく可哀想だ。お気の毒としか言いようがない。出会って間もない自分に不知火が見えてしまうことに申し訳なさささえ感じてくる。

「推測ですけど、不知火先輩に深く関連するものじゃないと駄目なんじゃないですか? 不知火先輩が気に入っていた真夜樫先輩の眼鏡。私のカメラは写真部の備品。水沫先輩のカメラは不知火先輩にとって幼馴染のカメラですから」

「そっか。俺のは昨日百均で買った眼鏡と最近買ったカメラだからか……。あ、だったら……」

 海市はズボンのポケットからごそごそと携帯を取り出した。カメラを起動させ、辺りをそれで映してみる。すると携帯の画面にやっと不知火の姿が映ったのだった。

「不知火ー!」

「お兄ちゃーん。覚えてないけどお兄ちゃーん」

 感極まって不知火に抱きつく海市だったがするりとすり抜け向こう側にいたおばさんに思い切り抱きついてしまった。おばさんに「あら大胆なイケメン」と抱き返され動けなくて悲鳴を上げる海市は放っておいて、そろそろ廃水族館に向かうということで一致する四人なのだった。




 三時間後、特に何事もなく五人は廃水族館に到着した。

 今はもう人の気配すらしないが、とても大きな水族館だったようなので、夏は特にたくさんの人でごった返していたのだろう。

「あー、何か微妙に懐かしい気がするー」

 まずは水族館のロビーからだ。昔はここで入館券や年間パスポート、水族館探検ブックなどが購入出来たらしい。音声ガイドやベビーカーの貸し出しなどのサービスもここで受け、それから人々は海の生き物たちの世界へと進んでいったようだ。

 ロビーの先にはトンネル型の水槽があり、色んな角度から海の生き物達を見ることが出来た。当時は竜宮城のように、水槽の中の生き物達が海の世界へと歓迎してくれたのだ。

 でも今はただの水槽だ。生き物がいないのはもちろん、水さえ張られていない。それどころか、水槽にはところどころヒビが入っていて、割れているところさえあった。

 この水族館もまた、あの遊園地と同じように当時が賑やかだったことなんて分からないくらいにひっそりとしていた。

 いやに静かな水族館の中を真夜樫達はひたすら進んでいく。床は一応絨毯が敷かれており足音はほとんどしない。響くのは真夜樫達の話し声だけだった。

 熱帯雨林の生き物達、南極の生き物達、日本海の生き物達、深海の生き物達など、生き物の生活環境ごとに分けられた水槽が展示された数々の部屋を進んでいく。水沫の「まるで世界旅行みたいだ」という言葉に真夜樫も大きく頷き、同意するのだった。

 でもそれはあくまで『みたい』でしかない。どの水槽にも生き物は存在しない。あるのは薄汚れた水槽だけ。水槽の中に存在するのはただの真っ暗な空間だった。

「それにしても結構荒れているね。ここまで人工的で粗暴な荒れ方をしていると、ボクの美的センサーにはあまり反応しないな」

「不良の溜まり場になってるのかもしれませんね」

 水族館の中には明らかに最近捨てられたであろう雑誌や空き缶、たばこの吸い殻などが散らばっていた。

 そしてどの部屋もどの部屋も水槽が割られ、絨毯が焦がされ、コンクリートが崩されてボロボロな状態だった。

 それだけじゃない。水槽や壁に良く分からない落書きがたくさん施されていた。こういう後から施された落書きなどもある意味廃墟の魅力の一つと言えば一つなのかもしれないが、やはり良い気持ちはしない。

「俺、喧嘩強くないから不良と出会ったりしたらやだなー。そん時はよろしくな、のぞむー」

「お、俺は無理ですよ。それより海市さんが一睨みした方が良いと思いますけど」

「いやいや、無理だから。俺、眼力で人を怯えさせる能力とかないから」

「じゃあ私がひゅーどろどろってやる」

「でも不知火は人に見えないじゃん」

 やる気満々でうらめしやーのポーズをしていた不知火にそうツッコミを入れると、ものすごく残念そうに肩を落としたのであった。

 次の部屋にあったのはとても大きな水槽だった。もしかしたら当時はここをジンベエザメやクジラなどの大きな生き物達が泳いでいたのかもしれない。全て推測にしか過ぎないが、そんな気がした。

 この部屋も例に漏れず荒れていたが、他の部屋よりはいくらかマシな気がした。

 そしてこの部屋で遂に不知火が遊園地の時と同じあの光を見つけた。

「あった」

 不知火はふわりふわりと飛んでいき、空を掴むような仕草をした。

 次の瞬間に真夜樫達が立っていたのは、押し合い圧し合いするくらい大混雑していたあの夏の水族館だった。

「うお……マジか……」

「……これは思っていたよりもすごいね」

 事前に口で伝えてはいたが、やはり実際に体験してみるのとはわけが違う。海市も水沫も目を大きく見開き、静かに驚嘆の声を上げていた。

 水槽を悠々自適に泳ぐジンベエザメやマンタ、エイやその他の小さな魚達。

 その水槽の周りにはたくさんの人々が集まっている。あれは何、これは何と親に聞く子供。きれいだねと彼氏に微笑みかける女性。用意されたベンチでゆったりと水槽を眺めるお爺さん。走り回って水族館のお姉さんに優しく注意されているやんちゃ坊主。他にも魚達をカメラで写真に収めたり、ビデオカメラで動画として残したりする人など、様々な人でごった返していた。

 真夜樫はその中に見覚えのある親子を見つけた。

 そう、それは小さな不知火と彼女のお父さん。小さな不知火は水槽にキスしそうなくらい顔を近付け、魚とにらめっこしている。

「母さんと海市、遅いなあ」

「お兄ちゃん、ペンギンさん可愛い可愛いって言ってた。まだ見てるのかな」

 真夜樫は思わず吹き出しそうになる。あのホストみたいな海市がペンギンにご執心とは何とも笑える。

 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていると、海市に頭を小突かれた。

「可愛いもん好きでわりーか」

「い、いや全然! とっても良いと思います!」

 そのうち不知火やおとぎ、水沫達も小さな不知火の存在に気付き、周りに集まってきた。

 やはり遊園地の時と同様で、今の真夜樫達は不知火のように人には見えず触れらない存在。いや、むしろこちらがただ過去の映像を見ているような状況なのだろう。

 そのため、こんなに近くにいても二人の会話は続いていく。

「不知火。この間教えた歌、覚えてる?」

「うん! はねていくーうさぎおいかけーふしぎのくにへー」

「そうそう。じゃあ今日は新しい歌を教えようかな。絶対に忘れちゃ駄目だぞ?」

「うん!」

 二人は大きな水槽から離れ、歩き出した。見失わないように、真夜樫達も二人にぴったりとくっついていく。

「騙されてー魚は泳ぐー小さな海をー」

「だましゃれて?」

「最初の二音は大事にね。せーの」

「だまされてーさかなはおよぐーちいさなうみをー」

 真夜樫は昨晩、廃遊園地で聞いた歌を手帳に書き記していた。その隣のページに今の歌も書き留めておいた。

「そうそう、不知火は本当に歌が上手いなー」

「えへへっ!」

 小さな不知火は頬を赤く染めながら、太陽のような笑顔を浮かべたのだった。

「さーて。帰りにみんなで銭湯に寄ろうか!」

「うん! 寄る!」

 その次の瞬間にはもう小さな不知火も彼女の父親も、この部屋を埋めていたたくさんの人々もいなくなってしまっていた。

 小さな海のように光り輝くあの美しい水槽はどこにもない。ひび割れ、汚れ、荒らされきった水族館が真夜樫達の眼前には広がっていた。

「次は銭湯、か」

「帰りだからこの近くの銭湯でしょうか? 電車で二駅ほど行ったところに一応銭湯がありますね。今でも営業していたような気もしますが……」

「営業してるのか。じゃあそこじゃないのかな?」

「とりあえず出ようぜ。こわーいお兄さん達に会いたくな……ん?」

 海市が不意に話すのをやめ、ちらちらと辺りを気にし出した。

 真夜樫達も釣られて周りを見渡してみる。別に誰もいないし、特にこれといって変わったものはない。

 でも微かにこちらに近付く足音のようなものが聞こえた気がした。一人ではない。複数人の足音が確実にこちらに向かってきている。

「んー。どうしようかー」

「戦闘開始」

「いやいや! それは駄目だろ、不知火! こんにちはーって軽く挨拶して通してもらうとか」

「いや、先手必勝だ。物陰で待ち伏せして一気に畳み掛けるべきだね」

「ダメでしょ。不良さんも人間なんですからいきなり襲って来やしませんって。俺達の縄張りでなにやってやがるガルルルルルーくらいは言われるかもしれませんけど」

「それは舐め過ぎだよ、おとぎちゃん。危機管理がなってないねー。袋叩きにされるよ」

 そんなことを言い合っているうちに、足音がどんどんと大きくなってくる。

 更に「お前、あの女と別れたのかよー」「あんなんただ遊びだわー。俺、普通の女じゃ興奮出来ねえし」みたいな会話と笑い声まで聞こえてきて、わずかにタバコの香りが漂い始めた。

「は、早くしないと。どうします、海市さん! やっぱりちゃんと話し合って……」

「ああ!? なんだ、お前ら!」

 遂にこの廃水族館を溜まり場にしている不良達に見つかってしまった。強面で髪をワックスで立てまくった金髪のお兄さん方が鋭い瞳で真夜樫達を睨んでいる。

 一人、「え? それどこの美容院でやってもらえるの?」と質問したいくらい変なリーゼントの人がいて、真夜樫は吹き出しかけた。加えて夏休みだというのに揃いも揃って学ランを着ているところを見て、センコーうぜえとか言いつつ学校大好きなんだろうなと和んでしまったが、今はそれどころではない。

「俺達のシマでなにやってやがる!?」

「可愛い女、二人も連れやがって。ここはカップルがイチャイチャするとこじゃねーぞ、こら!」

 「不良が溜まり場にする場所でもないでしょ」とおとぎが普通の声で呟いたのを聞き逃さなかった。幸い気付かれはしなかったようだが、もし向こうに聞こえていたらどうするつもりだったのだろう。

 不良も怖いが、怖いもの知らずなおとぎにも恐怖を覚えた。

「そこを通してもらえるかな。ボクらは出口に行きたいのでね」

 ここにももう一人怖いもの知らずがいた。

「お、おい! あの女、お前の大好きなボクッ娘だぞ!」

「うっわ、マジじゃん! しかも銀髪甘ロリファッション、身長百五十以下! 二次元から飛び出してきたかのような完璧な容姿! 俺のツボをピンポイントで突いてきやがった! ヤバい、ものすごく興奮してきた!」

 興奮気味にそう言ったのは、真夜樫が思わず笑いそうになったリーゼントの彼だった。先程普通の女じゃ興奮出来ないとか言っていたのが彼なのだろうか。どうやら水沫が彼の好みのドストライクだったようだ。

 体を上から下まで舐めまわすように視姦され、水沫は気持ち悪そうに身震いする。

「よし! お前らその子、置いてけ! そしたら痛い目に遭わせるのだけは勘弁してやる!」

 いつの間にか痛い目に遭わせられることが前提になっていた。決定事項のように話すのはやめてほしい。はっきり言ってこちらは何も悪いことはやっていないのだから。

「いやいや。ボクもみんなと一緒に出口に行きたいんだが」

「きゃわゆいねー。俺と熱ーい夜を過ごそうねー。ちゅっちゅ!」

「ひゅーひゅー! お前、肉食男子過ぎるぜー!」

「うわ、全く話が通じないんだけど……」

 水沫は心底気持ち悪そうな顔でリーゼントの彼を見つめている。彼女の反応も無理はない。はっきり言ってものすごく気持ち悪い。

 おとぎなんて今にも吐き出しそうな表情をしている。

「か、海市さん。どうするんですか……」

「そうだなー。よし……」

 すると突然海市はにっこりと笑顔を浮かべながら、腕まくりを始めた。

 もしかして喧嘩でもする気なのだろうか。喧嘩は強くないと言っていたが、あれはただの謙遜だったのか。幼馴染の水沫をいやらしい目で見られ、ものすごく怒っているのかもしれない。

「何だ、お前! やる気か? ボコボコにされてえか?」

「こっちがせっかく寛大な対応をしてやってるのに何だ? そっちがその気ならこっちだって本気出すぞ、オラ」

 不良達がパキパキと指を鳴らしながら海市にそう凄む。

 しかし海市はにこやかな笑顔を絶やさない。自分に言われたわけではない真夜樫でさえ思い切りビビってしまったというのに、だ。

「に、にやにやしやがって気持ちわりぃ」

 自分が凄めばこんなひょろい優男なんて謝って逃げ出すとでも思っていたのだろうか。それなのに全く怖気づく様子のない海市に不良達は少し怯みを見せた。

 海市はじっくりと時間を掛けて腕まくりを終えると、静かに口を開いた。

「……げるぞ……」

「はあ? なんだと?」

 不良の一人がそう聞き返す。

 すると海市は胸いっぱいに空気を吸い込んで、

「全速力で逃げるぞー!」

 大声でそう叫ぶと言葉通り全速力で走り出した。

 来た道は不良達によって塞がれているので水族館の奥の方へ向かって。

「ええっ!?」

 不良達も驚いていたが、真夜樫やおとぎも一緒になって驚きの声を上げてしまった。

 だって今から空手黒帯所持(勝手な妄想)の海市が不良達を次々になぎ倒していくドラマのような一場面が見られると思っていたのだから。

 一瞬出遅れたが真夜樫やおとぎ、水沫も海市の後を追う。

 不知火だけはふわりふわりと宙に浮かびながら余裕の表情だ。

 後ろの方で不良達の怒号が聞こえる。

 元々不良達との距離は部屋の端から端くらい離れていたのですぐに追いつかれることはないだろう。

 しかし水族館の中にいればいつかは捕まってしまう。

「か、海市さんっ! こ、こっち! で、出口じゃないですよっ!」

「大丈夫! 俺、さっきの映像見て思い出したんだわ。昔、迷子になってさ! 『ロビーでお母さんが待ってまーす』みたいな放送流れたんだよ! そん時混んでたからお姉さんに近道の関係者裏口からロビーまで連れてってもらった!」

 海市の指差す先には関係者以外立ち入り禁止のプレートがかかった扉があった。

 先程の映像が海市の心の奥に眠っていた記憶を呼び起こしたのだ。

 とその時だった。

「ひゃっ!」

 水沫が瓦礫で躓いた。

 そしてそのままバランスを崩し、漫画みたいに思いっきりずっこけてしまった。

 おしゃれな青緑色のワンピースも、きれいな銀色の髪も、可愛い顔も埃まみれだ。

 歩きにくいオシャンティな靴を履いているから悪いのだが、真夜樫もこの間廃工場でずっこけたので人のことは言えない。

「水沫さん!?」

「おい、水沫! 大丈……」

 真夜樫達より先の方を走っていた海市がこちらに戻ってこようと体の方向を変える。

 しかし――。

「俺のボクッ娘ちゃん、どこ行った!」

 不良達の声がとても近い。

 きっと真夜樫達の後ろには、不良達がもうすぐそこまで迫っている。

 このままでは追いつかれ、捕まってしまう。

 真夜樫は「走れますか」と言って水沫に手を差し出した。

 しかし彼女は申し訳なさそうに首を横に振った。どうやら膝を怪我したらしく、今すぐには走れないみたいだ。

 真夜樫の頭上を不知火が心配そうにふわふわと飛んでいた。

「海市さん! 俺が水沫さん連れていくんで先に行ってドア開けといて下さい!」

「お、おう! 分かった!」

「雲塚も!」

「あ、はいっ!」

 水沫は小さいしとても華奢だから自分にも持てるだろう。抱きかかえて走るなんて何てことないだろう。

 そう思っていた時期が真夜樫にもありました。

 いくら小さくても、いくら華奢でも、人一人を抱きかかえるという行為は本当に大変だった。

 しかも水沫の着ている服は普通の服より重量のある素材がたくさん使われている。とてもじゃないが、非力な真夜樫には簡単に抱きかかえられそうになかった。

「置いてってくれて構わないよ。ボクはどうにか話をつけて帰らせてもらうから」

「無理ですよ! 話しても帰してもらえませんって! 大丈夫、俺がちゃんと運びますから!」

 真夜樫は頭上で心配そうにこちらを見つめる不知火を一瞥した。

 不知火が見ているのだ。情けない姿ばかり晒してはいられない。

「うううっ……行きますよー!」

 全身の力を振り絞り、水沫を抱きかかえる。

 そして運動神経が悪いのに中学の体育祭で出場競技が何故かリレーでしかもアンカーになってしまった時よりも、一生懸命真夜樫は走った。

「早く来ーい!」

 関係者以外立ち入り禁止のドアを開きながら海市が手招きしている。

 おとぎも心配そうに「後ろに来てますー」と叫んでいる。

 おとぎの言った通り後ろから不良達の怒声といくつもの大きな足音が聞こえた。

 とても恐ろしい。

 でも気にしてはならない。

 今は海市とおとぎがいるあのドアの所まで走るという一点のみに集中していれば良いのだ。

「のぞむー頑張れ」

 耳元で不知火の励ましの声が聞こえた。

 その瞬間、勘違いかもしれないが、ものすごい力が体全体に湧いてきた気がした。

 そして遂に真夜樫は辿り着いた。

 本当に危機一髪だった。

 不良の一人の手が水沫の髪に触れそうになった時、滑るようにドアの中に転がり込んだ。

 海市が急いでドアを閉め、向こうからは開けられないよう中からしっかりと鍵を掛けた。

 ドアノブをガチャガチャとする音、蹴り開けようとする音が聞こえる。

 でもなかなか頑丈そうなドアなので、そう簡単に蹴り破られたりはしないだろう。

「はあはあはあ……」

「のぞむー、お疲れ様。俺が代わるわ。出口で待ち伏せとかされても嫌だしさっさと出ようぜ」

「す、すみません……た、体力なくて……」

 海市は真夜樫とは対照的にひょいっと水沫を持ち上げてしまった。あれだけ頑張って抱きかかえた自分ってどれだけ非力なんだろうと悩まずにはいられない。

 何かスポーツでもやった方が良いのかもしれない。ウォーキングぐらいから少しずつ始めるか、と真夜樫は決意した。

「望君、どうもありがとう。君は優しい人なんだね」

 出口に向かって早足で進んでいると、水沫がほんのり頬を赤らめながら笑顔でそう言ってくれた。

 「別に大したことはしてません」と言いつつも、やっぱり嬉しくて、真夜樫も頬を赤くした。

「で、でも今度廃墟に来る時はそんな恰好してこない方が良いですよ」

「あー無理無理。こいつ人の言うこと聞かないよ」

 海市はそう言ったのだが、それとは裏腹に水沫は「考えておこう」と静かに呟いた。素直な水沫の反応に、海市は驚きが隠せない様子だった。

「しゅっしゅ」

「え? なに、不知火?」

「しゅっしゅ」

「え、えっと……シャドーボクシング?」

 不知火が何故か不機嫌な表情でこっちに向かってパンチを繰り出してくるのだが、これは放っておいても良いのだろうか。

 彼女のその行動の意図が真夜樫には全く分からなかった。

「それにしても色んなドアがありますねー。迷路のようです」

「だなー。でも確かロビーまでの道は一本だったはず。あのドア以外お姉さんが開けた覚えないし。まあ記憶が正しければなー」

「正しい記憶であることを願うばかりですね」

 本当に合っているのか心配だったが、海市の記憶通り来た道の約半分の時間でロビーに出ることが出来た。

 不良達が待ち伏せしている様子もない。

 廃水族館をもう少し見て回りたい気持ちもあったが、今のうちにここを離れた方が良いだろう。

 真夜樫達は足早に廃水族館を後にした。

 そして時間もあるし、とりあえず二駅ほど先にある銭湯へと向かうことになった。不知火達が昔行った銭湯かどうかは分からないが、行ってみる価値はあるだろう。

 それにみんなはっきりとは言わないが、温かいお風呂に入って汗や埃にまみれた体をすぐにでも洗い流したいと思っていた。

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