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10-1

 不知火の病室の扉を開くと、そこには先客がいた。不知火の母親ではなく、男性が不知火のベッドに寄り添っていた。

 驚いて、真夜樫は声が出なかった。その男性はベッドで眠る不知火の顔辺りに思い切り顔を近付けているのだ。

 これはもしかして、口づけとかキスとか接吻とかいう名前で呼ばれる行為をしているのだろうか。

 でも何で全く知らない男性が不知火にキスなんかするのだろう。痴漢、変態、野獣、変質者、犯罪者。嫌な単語が真夜樫の脳内を駆け巡る。

 いや、ちょっと待て。真夜樫は全く知らないが、彼は不知火の彼氏なのかもしれない。その可能性が高い。それならばキスするのなんて当たり前だし、何もおかしいことはない。

 でも不知火に彼氏がいたなんて話は聞いたことがない。それに今まで彼氏は出来たことがないと言っていたはずだ。

 いや、良く考えてみたら言ってなかった。真夜樫が勝手に彼氏は今までいたことがないという設定で彼女のことを見ていただけだった。

 でも彼氏がいるならば一言言ってくれれば良いのに。彼氏なんか出来たことないし、のぞむー以外の男の人は怖いみたいな顔していたのに酷いや。

 真夜樫の心にどんどんとモヤモヤが溜まっていく。何故かものすごく嫌だった。例え彼氏だとしても、不知火にキスなんてしてほしくなかった。他の男に触れてほしくないと思ってしまった。

 そんなたくさんのことをほんの数秒で考えたため、真夜樫の頭は混乱して今にもパンクしそうになっていた。そして口をついて出た言葉がこれだった。

「どんなお味ですか!」

 自分でも何でこんな言葉が出てきたのか全く分からなかった。とてもとても恥ずかしかった。真夜樫は真っ赤な顔を隠すように光の速さで俯いた。自分って心の奥底でこんな気持ち悪いこと考えてたんだと嫌でも理解出来てしまって途端に死にたくなった。

 不知火に、おとぎに、どう思われただろう。

 不知火は純粋だからいつも通りのきょとんとした表情をしているかもしれない。

 多分おとぎもいつも通りだ。そう、いつも通りの廃棄物を見るような目でこちらを睨んでいるに違いない。

 というか先ほどから刃物みたいに鋭い視線を感じているのだ。その視線がおとぎのそれで間違いないだろう。

 だから真夜樫はもう決して振り返らないことに決めた。あともう前も見ない。

「えっと、何が? あれ? 昨日の二人じゃん! あれー、その制服もしかして不知火と同じ写真部の子だったのー?」

 聞き覚えのある声がした。昨日辺りにその声を少しだけ聞いた覚えがある。

 そう、廃遊園地で出会ったあのホストクラブ勤務の爽やかな男性の声と酷似している。

 不知火もやっぱりホスト系の男子が好きなのかと落胆しながら、このままの状態は流石に失礼なのでおずおずと顔を上げた。

「よっ! 昨日ぶりー」

「ど、どうも……」

「昨日ぶりです」

 ホスト風の男性は昨日と変わらずとても気さくだった。服装は昨日の完全防備と違い、如何にもイケメンしか似合わないといった感じのアイテム達で身を包んでいた。真夜樫が着たら女子に真顔で勘違い非モテオタクキモいとか言われかねないファッションである。

「もしかして君が不知火の良く話してたのぞむーって子?」

「あ、えっと……一応……」

 不知火は一体彼氏に何を話していたのだろうか。こんなかっこいい彼氏に情けない自分の話なんてしないでほしかった。

「もうのぞむーのぞむーって毎日うるさかったわー。すっげえ気に入ってたみたい」

「そ、そうですか……」

 これが彼氏の余裕か。彼くらいの大人の男性になると彼女に他の男の話をされても余裕に構えていられるくらいになるようだ。真夜樫が男とすら思われていないだけかもしれないが。

 何だかものすごく惨めな気持ちだ。不知火が恥ずかしそうに頬をピンク色に染めていたが、そんなことも目に入らないくらい真夜樫は落ち込み切っていた。

「あのー、もしかして不知火先輩のお兄さんですか?」

「そうそう。不知火の兄の遠野海市とおのかいしでーす。よろしく!」

「あーやっぱり不知火のお兄さ……お兄さんっ!?」

「やっぱり。名前を聞いて何となくそんな気がしてた」

「まやかしせんぱーい。なに勘違いしてたんですかー」

 おとぎがニヤニヤと意地悪な微笑みをこちらに向けてくる。これは確実に馬鹿にされている。

 だって不知火もおとぎもこの男性が不知火の兄だということは薄々気づいていたのだから。彼氏と勘違いしていたのは真夜樫ただ一人だったのだ。

「で、ででででも! さっき何か! と、とてもせせせ、接吻に酷似した行為的なことを!」

「ああ、もしかしてさっきの? ちゃんと息してんのかなーって顔近付けただけだけど?」

「まやかし先輩はとんだ早とちり野郎ですねー」

「あらやだ青春だわー」

 おとぎと海市が突然結託して真夜樫のことをいじり始める。まるで買い物途中に出会ったおばさん達が世間話をするかのように。

 穴があったら入りたかった。今なら針先程の小さな穴にも潜りこめる気がした。

 この恥ずかしさはここにいる全員が今日のことを忘れるまで続くだろう。おとぎ達が忘れてくれなければ、またいつからかわれるか分からない。

 そして自分も完全に忘れてしまわなければ、夜に布団の中などでふと思い出してもだえ苦しむことになるはずだ。

 真夜樫はこの日、将来の夢を科学者に決めた。研究に研究を重ねて、いつか人の記憶を一部分だけ消す機械を作ることにした。

「真夜樫望です。もうきれいさっぱり忘れて下さって結構です」

「私は後輩の雲塚おとぎです! 不知火先輩の写真に憧れてあの高校に入学しました」

「あ、それ言ったら不知火めちゃくちゃ喜ぶわ。表情にはあんまり出さないけどあいつ褒められんの大好きだから」

「そうなんですか。よっ! 人を惹きつける写真を撮るプロ! 美人カメラマン!」

「いやー。流石に今、言っても意味ないよー」

 海市はそう言うが、真夜樫にはちゃんと見えていた。どことなく嬉しそうに、そして恥ずかしそうに俯く不知火の姿が。

「文化祭の時もすげえ喜んでたよ。展示した自分の写真を何時間も見てくれて、撮影したのが不知火だって分かるとたくさん感想くれた人がいたって。それが君だよね?」

「あ、はい。多分。他にそういう人がいなかったならば……」

「俺、君にすごく感謝してたんだよねー。会えてよかった!」

「そ、そんな……俺は何も……」

 自分は感謝されるようなことは何もしていない。感想だって本当に良いものだと思ったから言っただけだ。

 会話をしたことがない人にでも、良いと思ったらはっきりと言ってしまう癖が真夜樫には昔からある。ただ単にそう言うことなのだ。

 むしろ突然話しかけた自分に引きもせず、部活に入らないかと誘ってくれた不知火にこそ感謝したい。

「いやいや、マジで感謝してる。三年の先輩達がこいつの入部早々に喧嘩して部活辞めちゃってさ、一年の四月くらいから君が入るまでずっと一人だったんだよ。廃部の危機にも陥ったんだけど、文化祭までに部員を少なくとも一人は入れるって約束で活動させてもらってたんだ。君が入ってくれなかったら不知火は部活を続けられなかったんだぜー」

 そうまでして不知火が写真部を続けたかった理由とは何なのだろう。真夜樫の疑問を感じ取ったのか否か、すぐにその答えを海市は教えてくれた。

「こいつ友達作るの下手くそで今までずっと何もかも一人でやってきたんだよねー。だから人と関わって何かを作り上げたかったみたい。部員のみんなと協力して写真の展示会をするとか部員のみんなと一緒に写真撮影合宿とかさ。唯一人と語り合える趣味の写真で同年代の友達を作りたかったみたいなんだー」

「そうだったんですか……」

 不知火からは決して聞くことが出来なかった彼女の内面や、本心が兄の海市によって語られていく。不知火にはどこかミステリアスな空気を感じていたが、本当は自分とそう変わらないただの引っ込み思案の少女だったのだということを真夜樫は知るのだった。

 そしてそれと同時に唯一入った部員が自分で良かったのだろうかととても申し訳ない気持ちになってしまった。

「君が唯一感想をくれた人だって言ってた。それでものすごく舞い上がっちゃって、写真撮れなくても良いからって無理やり部活に引きこんでしまったって後悔してたよ。嫌われてないかな、嫌がられてないかなって週に五回は聞かれたなー。実際どうなの? 嫌じゃない?」

「い、嫌なわけないです! 俺も不知火さんと一緒に部活出来るのがとっても嬉しかったですし……毎日部室に行って不知火さんと会うのが楽しみでした」

「そっかー。不知火が聞いたらホント喜ぶよー」

 海市は不知火の絹糸のような黒髪を撫でながらそう言った。

 表情の変化が乏しい彼女も心の中では自分と同じように焦ったり、喜んだり、落ち込んだりしていたということを知れてとても嬉しかった。

 今の不知火は意識を失う前の不知火より口数が多い。でもそれが彼女の本当の姿だったのだろう。いや、本当はもっともっとお喋りで感情豊かなのかもしれない。

 この間不知火が言っていた。『深層心理』と。

 そう、きっと今の不知火は意識を失う前の不知火が無意識に深層に押し込めていた本当の彼女なのだ。

「何か分からないけど恥ずかしい……」

 そう言って不知火はさっきから両手で顔を押さえながら部屋の端の方で丸まっている。どうやら自分の内面が語られる様を見ていられないようである。

「二人とも! これからも仲良くしてやってなー。きっともうすぐ目覚めるはずだからさー」

 医者からそう言われたのだろうか。「この様子だと、あと数日で目を覚ますはずでしょう」みたいなことを。

 ドキュメンタリーやドラマなどで「命に別状はありませんがいつ目を覚ますかは私共にも分かりかねます」「先生、そんな!」みたいなやりとりを何度も見たことがあるのだが、そういう絶望的な状況ばかりではないみたいだ。

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