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「あっ、お帰りなさーい」
真夜樫と不知火が部室に戻ると、おとぎは既に雑誌を読み終わっており、電気ケトルで紅茶を入れて一人で飲んでいた。
「ど、どうでした……?」
真夜樫は敬語になりながらおずおずとおとぎに感想を聞いてみた。おとぎは「うーん」と偉い人みたいに口元にわざとらしく手を当てる。
「コラムの写真なんですけど……」
「それから触れちゃいますか! デリケートな問題なのに!」
「言ってくれればもうちょっとちゃんとした環境で撮りましたのに」
きっとおとぎは笑い飛ばすだろうと思っていた。「えーこのアーティスト気取りの写真使ったんですかー? ちょーナルシスト! っていうか大爆笑!」とか言われると思っていた。
でも現実は少し違っていた。
「今度はもうちょっと真面目に撮りたいですね。背景とかもちゃんとして。他の写真はあれですよね。まやかし先輩が携帯で撮ったやつですよね。ぼやけてるし、小さいのを引き延ばしてるから汚いんでそこもちゃんとしなきゃですね。でもレイアウトとかすごい好きですよ! シンプルなおしゃれ感がグッドです!」
「マ、マジ……?」
「マジです。先輩方! やるなら本気でやりましょう。写真集制作、頑張りましょうね!」
おとぎはファインダーを覗き込みながら、拳を振り上げた。不知火もそれに倣って「おー」と拳を振り上げている。
でも真夜樫は拳を振り上げている余裕などなかった。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しかったのだ。
不知火の言った通りだった。おとぎは笑ったりしなかった。どこが悪いのか、そしてどこが気に入ったのかをちゃんと言葉にしてくれた、伝えてくれた。
自分の作品を好きだと言ってくれた。
不知火の方を一瞥すると、優しげな表情でこくりと頷いてくれた。
不知火のおかげで人に見せる勇気が湧いた。不知火には感謝してもしきれないくらいお世話になってしまった。
「私、おとぎっちが撮った写真見たい」
「あ、そうですね。見せた方が良いですよね。本当はまやかし先輩だけ特別だったんですが、不知火先輩も信用出来る方なので見せちゃいます」
そういえばそんなことを言っていた。写真を見せるのは真夜樫だけなのだと。真夜樫だけは特別な存在なのだと。
「それ、本当どういう意味なんだ?」
印刷してある分を取り出しているおとぎにそう問いかけてみた。
おとぎは困ったような表情を浮かべながら一瞬動きを止めた。
しかしすぐに何かを思い出したように「あっ」と声を上げ、話し始めた。
「もしかしたら話した方が良いかもですね。誰にも話したことないんですが、お二人には特別ですよ」
おとぎは写真を机の上に置き、回転椅子に腰かけるとそう言った。そして冷めてしまった紅茶を喉に流し込み、おほんと仰々しく咳をした。
「実は私も……特殊能力があるんですよ」
「……は?」
おとぎの思いがけない言葉に、真夜樫は素っ頓狂な声を上げてしまう。冗談だろうかと思ったが、おとぎは至って真面目な表情をしていた。
「まあ、聞いて下さい。私、中学の時は果物とか植物とかばかり撮ってたってまやかし先輩には言いましたよね?」
「あ、ああ。そんなこと聞いたな」
「でも撮ってたのは普通の果物や植物じゃなかったんです。何というか、腐りかけとか枯れかけとか、そういう状態に魅力を感じてしまって。中学時代はひたすらそういうのばかりを被写体にしてました」
時の流れを感じられるところが廃墟と似ているなと思った。元々そういうものが好きだったから、おとぎは廃墟も気に入ったのだろう。
「友達に見せたりするとみんなすごいとか素敵とか上手とか言ってくれました。そう言ってもらえるのが嬉しくて、撮るたびに色んな人に見せてたんです」
「才能あるもんな、お前」
「へへっ、ありがとうございます。でもですね。みんなはそう思ってなかったみたいなんです」
おとぎが浮かべたのは、とても不器用で痛々しい笑顔だった。
「ある日、友達が集まって内緒話をしている場面に遭遇しました。何だか嫌な予感がして影で、耳を澄ませてたんです。そしたら『おとぎの写真って正直気持ち悪いよね』とか『腐った果物とか汚い』とか『頭おかしいんじゃないの』とかいう会話が聞こえてきて……みんな本当はそんな風に思ってたんだってすごく悲しくなって……。しかも動物とか人間の死体も撮影してるっていう噂まで立っていたみたいで……」
「な、何だよ、それ!」
「私が調子に乗ってたんです。誰彼構わず写真見せて、感想求めて。相手の気持ちも考えないで、正直ウザかったと思います」
だからおとぎは人に写真を見せなくなってしまった。おとぎは本当に純粋に、みんなが自分の撮影した写真を評価してくれていると思っていた。
でもそれはただの建前、ただのお世辞だった。本当は気持ち悪い、汚い、おかしいと思っていたのだ。その真実を知った時のおとぎの絶望は計り知れない。
「自分が悪いんですよ。でもその時はすごいショックで、そのことだけが頭の中をぐるぐる回った状態で家に帰りました。その途中、赤信号と気付かずに横断歩道を渡ろうとして車にバーンと衝突してしまったんです」
「だ、大丈夫だったのか!?」
「いや、いま普通にしてるじゃないですか。大丈夫ですよ。生きてまーす」
おとぎはぶんぶんと両手足を振って自分が健康だということを存分にアピールしてみせた。
「でもね、その時は生死の境を彷徨ったらしいんですよ。それで次に目が覚めた時には特殊能力が備わっていたんです」
「ど、どんな?」
「人の本心が分かるようになったんです。常にってわけじゃないんですけど、建前の裏の本音が聞こえるようになったんです。それに嘘つきな人とか、素直な人とか、大体直感で分かってしまいます」
「そんなことが……」
「信じてもらえないかもしれないですが、一応嘘ではないです。まやかし先輩が何故特別かっていうと、いつも本音で話してくれてるからです。そう感じます。不知火先輩もまやかし先輩に似ています。同じ空気を感じるんです。だから特別」
おとぎはファインダーを覗き込みつつ、にっこりと微笑んだ。
「もしかしたら不知火先輩の廃墟の過去を見る力にも、意識不明になる前に強く考えていたことが関係しているのかもしれません。あと今後の自己防衛のために身に付いた力なのかも。私も全然分かっていないのであまり元に戻るヒントにならない気はしますが……」
その瞬間、おとぎを不知火がぎゅっと抱きしめた。
いや、今の不知火におとぎを抱きしめることは出来ない。それでも抱きしめるようにおとぎにふわりと覆いかぶさった。
「し、不知火先輩?」
「おとぎっち、ありがとう……」
「い、いえ。大したことじゃなくてすみません」
おとぎは恥ずかしそうに顔を赤くしながらそっと不知火の手に自分の手を重ねた。
当然おとぎは不知火に触れることは出来ない。彼女の手は不知火をすり抜けてしまう。
でも心はちゃんと重なり合ったように思えた。彼女達もそう感じていることだろう。
「やっぱり廃墟探索を続けていったら何かが見えてきそうだな。写真集制作のためにもなるし」
「そうですね。でもこの島、廃墟でいっぱいですから次にどこへ行くか迷いますね」
「うーん、そうだな……」
「水族館……」
不知火がそう小さく呟いた。
水族館。そういえば昨日どこかで水族館という単語を聞いた気がする。どこだっただろうか。
「あっ! そういえば不知火先輩のお父さんが次は水族館に行こうって言ってましたね!」
そうだ。あの過去の遊園地の映像を見た時に聞いたのだ。あの時、不知火の父親と小さな不知火が今度は一緒に水族館に行こうと約束をしていた。
ということは、次に行くべき場所は――。
「廃水族館か!」
「確か廃水族館って島に一つしかありませんでしたよね。ということは電車で三時間……」
「今からは無理?」
おとぎに覆いかぶさった状態のままで不知火は可愛らしく小首を傾げる。
「そうだな。明日朝早くから行った方が無難だろう」
「じゃあ今日は昨日の写真を確認するだけにしましょうか」
「おとぎっちが今まで撮った写真も」
「あ、そうでしたね! ではこっち来て下さい」
不知火はやっとおとぎから離れて写真の見える位置へと移動した。真夜樫も二人の近くへと移動し、三人はおとぎの撮影した写真の鑑賞会を始めるのだった。
一通り写真を確認し終わると、もう正午を過ぎていた。空腹で真夜樫の腹が鳴ったため、とりあえず昼飯を食べることになった。
真夜樫の昼飯はコンビニで買ったメロンパンと焼きそばパン、それに紙パックのコーヒー牛乳。それとは対象的におとぎの昼飯は色とりどりのおかずで飾られた二段重ねのお弁当だった。
そういえばおとぎが今まで持ってきていたお弁当も、栄養バランスがきちんと考えられ、彩りもしっかりしていたように思う。今になって考えてみるとそれは彼女がお金持ちのお嬢様で、家に管理栄養士か何かがいるからだということが分かる。
きっと自分が想像するよりもずっと次元の違う生活をしているのだろうなと考えながら、安い焼きそばパンに噛り付くのだった。
美味しそうと呟きながら恨めし気にこちらを見ている不知火のことはあえて見ないでおいた。罪悪感で死にそうになるからである。
時々雑談を挟みながら、一時間ほどで昼食は終了した。昨日撮った写真は全て見終ったし、これと言って他にやることもない。
もう解散しようかと提案しかけたが、その前におとぎが口を開いた。
「不知火先輩のお見舞いに行きません? もしかしたら昨日のあれで不知火先輩本体に変化があるかもしれませんし」
「私がソフトウェアとすると病院のベッドに寝てる私はハードウェア」
「え? 何? そふとうぇあ? はーどうぇあ? え? え?」
「ホントアナログ人間ですね、まやかし先輩は」
そんなことを言われたって、横文字を並べられても何も頭に入ってこないのだから仕方ない。英語も全教科の中で一番苦手だった。クォーターズには理解しがたいことかもしれないが、どれだけ勉強しても全く身に付かないのだ。赤点を取ったあの日から、自分は生粋の日本人なのだから日本語だけを愛して生きていくんだと心に決めていた。
雑誌の題名に使った簡単な英単語くらいはこれからもファッションの一部として使っていくつもりだったが。
「ふん。良いんだもん。クォー○ーパウンダーズには負けないから」
「何か変なチーム名、付けられてる! 訴えられますよ!」
「リーダー、どっちにする?」
「不知火先輩がとても乗り気だ!」
話が若干脱線してしまったが、結局おとぎの提案通りハードウェア不知火のお見舞いに行くことになった。