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真夜樫の提案というのは、現在の廃墟の写真と過去の廃墟の写真を見比べることが出来るように掲載した廃墟の今昔を知る写真集を作るというものだった。
まず現在の廃墟の写真を載せる。そのページで読者にこの廃墟は昔どんな姿をしていたのだろうと想像を膨らませてもらう。
そして次のページに廃墟が賑わっていた頃の写真を掲載する。読者はそれを見て、想像通りだったと満足感を得たり、予想だにしないものだったことを知り、驚きを得たりする。
別にこんな楽しみ方をしてくれと強制するものではない。人それぞれ自由に楽しんでもらいたい。
そして今は寂しく、静かで、少し恐ろしく見える廃墟にも、今とは違った姿があったんだということを知ってほしい。
おとぎの撮影した写真を見て、そんな写真集を作りたいと思ってしまったのだ。
写真部で一冊の写真集を作ったとなれば、教師もちゃんと活動をしているということを認めてくれるのではないかとも思った。もちろんコンテストにも応募はするが、こうやって写真部の現役三人が協力して一つのものを作るというのも高校の部活らしくて良いのではないかと。
おとぎは、自分は全然構わないが写真集のレイアウトを考えたりするのは誰がやるのかと言った。もちろんそれは真夜樫がするつもりだったのだが、生粋のアナログ人間のまやかし先輩にそんなこと出来るのかと不安がられてしまった。
そこで口を出したのは不知火だった。のぞむーはすごい雑誌を一人で毎月第三水曜日に発行してる(脚色あり)とおとぎに暴露したため、次の日に真夜樫は制作した雑誌を持ってきて見せることになってしまった。
そして次の日の朝がやってきた。
「おはよっすー、先輩方ー」
おとぎがファインダーを覗きながらいつも通り時間ぴったりにやってきた。
「おはよっすー」
「おはよっすー、後輩方ー」
「後輩は一人ですよ、不知火先輩」
すかさずおとぎがツッコミを入れる。ツッコんでもらえたのが嬉しかったのか、不知火は「聞いた? 今の聞いた?」とでも言いたげな表情で何度も何度も真夜樫をチラ見していた。
「持ってきてくれましたか?」
「お、おう。でも恥ずかしいからお前が読み終わるまで校内ぶらぶらしてきて良いかな?」
「別に良いですよー。不知火先輩はどうします?」
「のぞむーとぶらぶらしてくる」
「そうですか。では行ってらっしゃい。多分すぐ読み終わると思いますよ」
おとぎは「お、意外とちゃんとしているんですね」と言いながら雑誌を受け取ると、回転椅子に腰掛けた。
「あっ……」
その時、何故か不知火が小さな声でそう呟いた。何があったのかは知らないが、早く部室を退却しなければ、あの「真夜樫望 ―彼の考える廃墟の定義とは―」という一番恥ずかしいコラムページに到達してしまう。
真夜樫はおとぎが『MayakaSeach』というかっこよすぎる雑誌名に気を取られているうちに、不知火と共に部室を後にした。
「あー、遂に不知火以外の人間に見せることになってしまいましたかー」
「私、いま人間じゃない」
「あ、そういうことではなく……」
夏休みの校舎にほとんど人は見当たらない。グラウンドや体育館にならこの暑い中練習をしている運動部がいるし、美術室や音楽室などには文化部がいるだろうが、廊下で他の生徒と出会うことはほぼなかった。
夏休み後に文化祭があったりするのだが、まだ八月の初めなのでそこまで熱心に活動しているクラスもないようである。
「あっついなー」
「暑いんだ。私、何も感じない」
そういえば不知火は三月に意識不明になったため、まだ冬服であり、その上にカーディガンまで羽織っている。でも彼女は魂のような存在であるから、暑さなんて感じないらしい。
不知火は物憂げに窓の外の太陽を見つめた。
どうやら真夜樫は昨日に続き、またしても地雷を踏んでしまったようだ。
「あー……雲塚になんて言われるかなあ」
「きっと驚く。評価してくれる」
言ってくれていることはとても嬉しいことだったが、何となく素っ気ない様な気がした。
「あの、怒ってる?」
「え? 怒ってない」
不知火は「何故そんなことを言うの?」という表情で首を傾げた。どうやら本当に怒っていたわけではないらしい。
「じゃあ、もしかして……元気ない?」
「うん」
今度は素直に頷いた。
「何かあった? そういえばさっき部室であっ! て言ってたけどあれ?」
もう一度不知火は小さく頷いた。
恥ずかしいコラムページに到達する前に部室を脱出するということだけに気がいっていた真夜樫は、不知火の様子がどこかおかしかったというのにスルーしてしまったのだ。
「俺で良ければ聞くけど……」
「……あの椅子、私が座ってた?」
「え? ああ、うん。どっちかは忘れたけど片方は不知火が使ってたな。今は雲塚が使っちゃってるけど」
「やっぱり……」
不知火は何を言わんとしているのだろう。何が彼女の胸につっかえているのだろう。
「おとぎっちが座った時、私の椅子なのにって思った」
「ああ、ごめん。だったら俺の方の椅子使えば? 俺、パイプ椅子使うし」
「違う。そういうことじゃない」
「え、そ、そうなのか?」
あの回転椅子に座りたかったのならば好きなだけ座らせてあげるのにと思った。
でも彼女が言いたいことはそういうことではないようだ。
真夜樫が自分の言おうとしていることを分かってくれないのが不満なのか、少しだけ彼女の顔に不機嫌な色が見えた気がした。不機嫌な彼女を見るのは半年ほど部活で行動を共にしてきた真夜樫でも初めてだった。
「……座ってほしくないって思っちゃった。私、最低」
「もしかしてあいつのこと苦手とか?」
不知火はぶんぶんと思い切り頭を横に振る。
「そんなわけない。むしろもっともっと仲良くなりたい。ただ……私の居場所、なくなった気がして怖かった」
「居場所?」
「私がいなくても……その穴は誰かが埋めてくれる。そうして変わらず世界は回る」
今にも泣きだしそうな、震えた声だった。彼女がこんなに感情を露わにするところを真夜樫は見たことがなかった。
「そう考えると怖くなった。置いてけぼりにされた気がした。帰る場所、無いって思った」
「そ、そんな。怖がる必要なんてないよ。そんなことないから」
不知火は怖かったのだ。
「私、いらなくない?」
「いらなくないよ! っていうか俺はずっと不知火に帰ってきてほしくて……」
恥ずかしいけれど、今まで思っていたことを伝える必要があると思った。
ごくりと唾を飲みこみ、恥ずかしさを押し切りながらゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「お、俺は……ま、前みたいに不知火に隣にいてほしいって思ってる。一緒にいて心から落ち着くのはやっぱり、し、不知火だから」
「私といて、落ち着く?」
「うん。だから不知火の代わりになんて誰もならない。俺の心に不知火が空けた穴は……し、不知火にしか、埋められない……」
「……本当?」
「ほ、本当! だからそんな不安にならないでくれ」
「写真部に……のぞむーとおとぎっちの隣に私の居場所もある?」
「あるある! ありまくり!」
真夜樫が必死にそう言うと、不知火はふふっと柔らかく微笑んだ。彼女の笑顔は普段ほとんど見られないから、普通の人の笑顔より何倍も貴重だった。
「む、むしろ俺も君の隣にいさせて下さい」
言ってしまってから「あれ? なんかこれ告白みたいじゃね?」と急に恥ずかしくなった。別に告白したつもりはないのだが、そんな風に聞こえていたらどうしようと途端に不安になる。
でもこれが本音なのだから仕方がない。不知火に隣にいてほしい。不知火の隣にいたい。彼女が何の見返りも求めずにただ一緒にいてくれたあの昼休みから、ずっと強くそう思ってきたのだから。
「うん」
告白に聞こえたかもしれないという心配はただの杞憂に終わった。不知火はそう嬉しそうに頷いただけで、それ以上何も言わなかった。
「あ、もしよかったら俺パイプ椅子使うから回転椅子、使えば?」
「ううん。良いの。二人と一緒にいれるだけで良い」
「……あ、じゃあ元に戻れたら部費で新しい椅子、三人で買いに行こうな?」
「うん。ありがとう……」