《ひかげとひなたと紙ヒコーキ》
[2-2]
ひなたが何故、俺の側にいるのかは分からない。
物心ついた頃には隣にいて、それからずっと、同じようにそこにいる。
腐れ縁の幼馴染み。そう言ってしまえば話は早いが、俺としては、理解の及ばない怪現象も良いところだ。
何せ、俺だ。境守起陽なんて言うクソ野郎だ。実際の素行も評判も最悪のクズだ。
――ぶっちゃけてしまえば、だ。
そんな俺が曲がりなりにも人並みの学園生活を送れているのは、あいつが各所でフォローを入れているからなのだろうとは思う。
……望んだことなど一度もないが。
しかし、一部とはいえ、教師との関係が拗れないで済んでいるのは、ありがたいと言えばありがたかった。
放課後、生活指導室の安っぽいパイプ椅子は、俺の指定席となっている。
他でもなく、担任の熱心な女教諭が、頻繁に俺を連行してくれるからだ。
不穏な怪我をしてのご登校となったこの日も、当然の如く俺は拉致監禁の憂き目にあった。
「――じゃ、今日もまたお話しましょうか」
そう、笑顔で語りかけて来る教諭。
……まあ、慣れているとは言え、その笑顔が毎度不気味だった。
「……香月センセよ、その笑顔怖いからやめてくれっていつも言ってるだろ」
「あら、じゃあ能面みたいな無表情でお話ししましょうか?」
そう言って、にこやかに微笑む彼女。
ほんとにやりそうで怖い。……まあ、敵わないのは分かってるのだが。
香月、と言うのが彼女の名前だった。
「……で? また喧嘩ですか?」
慣れた様子で、そんな言葉を口にした。
「…………」
即座に返せる言葉なんて無かった。
他の大人達と同様、責めてくれれば反論のしようもあった。
……けど、このヒトがけしてそうしないことを俺は知っていた。
香月センセは、やれやれと言うように嘆息した。
「弁解くらい、した方がいいですよ? そんなことだから、良からぬ噂にどんどん尾ひれが付いていくんです」
「……街中のヤンキーを狩ろうとしてる、とかか?」
自分で言っていて、思わず鼻から笑いが漏れた。
「ガッコの連中も、笑わせてくれるぜ。ヤンキー狩りって……マジで言ってんのかよ? 陳腐すぎてギャグにもなりゃしねえ」
「そうですね。キミは、狩人なんかじゃない。自分から獲物を求めたり、何かを――誰かを害そうなんて、しませんよね」
言って、センセはにっこりと笑う。
「…………」
何故だか笑顔が怖くて、また、俺は口を噤んだ。
「……何故、弁解をしないんですか? 話をしなければ、誰もキミを分かってはくれません。一人でいたい訳ではないのでしょう?」
その問いかけに、俺は自嘲的に笑った。
「……群れたいとは思わねえよ。むしろ、うるさいのが寄ってこなくて清清する。それに、事実もあるからな。確かにケンカなんざ日常茶飯事だし、結末こそ知らねえが、実際俺が殴り倒した中には、病院送りになった奴もいたろうしな。警察沙汰になってないのが奇跡みたいな男だ。誰に何言われたって、どう思われたってしょうがねえ」
「……本当に?」
試すように、センセは言う。
「どう言う意味だよ」
険のある声を出してはみたが、柳に風なのは分かっている。
少しだけ真剣味の増した笑顔でセンセは言った。
「朝日奈さんのこと。彼女にもそんな風に思われたいの?」
「はあ!? あいつのことなんざそれこそどうでもいい、愛想尽かしてどっか行ってくれるなら、それに越したことはねえさ」
……語気を荒げ、早口になっていた自分に、気づいていなかった訳じゃない。
それを分かっていたからか、香月センセも、さして表情を曇らせたりはしなかった。
「……あの子のこと、悪く言ってはだめですよ。あの子がいなかったら、キミは今ここにいなかったかもしれないんですから」
そんなことは分かっていた。
だから、それ以上はもう何も言わなかった。
「……学校は、楽しいところですよ」
沈黙した俺に、センセは改めるように言った。
「こんなに色々なヒトが一つところに集まって生活するなんて、社会に出たらそうそうあるものではないんですよ。せっかく色々なヒトがいるんですから、もっと話をしないと。勿体ないですよ? 境守君?」
そう言って、微笑む香月センセ。
その言葉の真意がどこにあるのか、俺には分からなかった。
分からなかったけれど――
「……ああ、そうなのかもな」
ぶっきらぼうに返したその言葉に、嘘はなかった。
センセは最後に優しく笑って、
「境守君、ヤマアラシみたいですね」
そんなことを言った。
意味が分からなかったが、尋ねても、センセは答えてくれそうにはなかった。
だから、俺も敢えて尋ねはしなかった。
「……生まれつき全身が棘に覆われていたら――」
無意識に漏れた呟き。
「そうしたら、楽だったのかな……? もし、そうだったら、俺は――……」
そうだったら、俺は。
……その先の言葉は、続かなかった。
――それは、哀しいほどに、意味のない言葉だったから。
【つづく】