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《ひかげとひなたと紙ヒコーキ》

[2-1]


 当たり前すぎて、ついつい忘れてしまうことと言うものがヒトにはある。

 俺にとっては、正にあいつのことがそれだったわけで。

 ……だから、アパートの扉を開けた途端、まさかあんなことになるなんて思いもしなかったわけで。



 ――ぱんっ!



 と言う音と共に、眼の前に火花が散った。

「ぶっ!?」

 鼻面に走った衝撃に思わず声を上げる俺。

 ぱさり、と足下に何かが落ちる気配がする。

 が、それが何かを確認するよりも先に、

「――バカ起陽っ!!」

 ……そんな罵声が浴びせられた。

 見れば、制服の上からエプロンを着けた女が、肩ほどに揃えた髪を揺らしながら、憤怒の形相で小さな拳を振るわせている。

 ……勿論、俺はそいつを知っていた。


「……ひなた」

「ひなた、じゃなああああああいっ!」

 名を呼んだ俺に、そいつ――朝日奈あさひなひなたは、怒号を上げた。

「あんたねえっ、こんな時間までいったいどこほっつき歩いてたのよ!」

「こんな時間て……まだ7時くらいだろ。夕飯には丁度い――」

「そおおおおおおゆう問題じゃなああああああああいっ!」

 再びの怒号。

 思わず耳を塞ぐ俺に、しかしひなたはお構いなしに続けた。

「あんたねえ、自分がしたこと分かってないの!? 学校へ電話しに行ったあたしの眼を盗んで、どこ行ってたのよ!? いなくなったあんたの代わりに、薬待ちと会計待ちのあの長い時間っ! 一人で待ってたあたしに何か言うことはないの!?」

 ……なるほど。それは確かにキレるわな。


 ――けど、俺は。

「……あのなあひなた。俺は別に、病院に連れてってくれとも、付き合ってくれとも言った覚えはないんだぜ? お前が勝手に俺をあそこまで引き摺ってったんだろうが。治療は受けてやったんだ、後はいつ消えようが俺の勝手のはずだぜ」

 そう吐き捨てる俺に、ひなたは一瞬だけ憤怒の気配を強めたが、すぐに力なく肩を落とした。……小さな身体が、更に小さく見える。

「それは……そうだけど……でも、縫う傷だったんだよ? 病院には行かなきゃいけない傷だったってことじゃない」

 さっきまでとは打って変わって、気弱そうに、遠慮がちに言うひなた。


 それでも、俺は吐き捨てた。

「ガキじゃねえんだ、んなもん、どうしようもなきゃ自分で行くさ」

「それは……そうだけど……」

 ひなたの言葉は、弱々しかった。

 弱々しかったが――

「……でも、起陽の保険証、持ってるのあたしだよ?」

 ……弱々しくても、反撃は忘れないのがひなたと言う女だった。


 そうだった。忌まわしいことに、俺は自分の保険証どころか、通帳すらも自分では管理していない――否。そうすることができないのだ。

「じゃあ返せよ、いい加減」

 言ってはみるが、無駄なことはよく分かっている。

「それはだめよ。だって、おばさまによく頼まれてるもん、あたし。あんたに持たせといたらどうなるか分からないって。あたしも同感だし。……と言うか、起陽だって、納得の上のことじゃない。でなきゃ、今こーして一人暮らしなんてできてないわけだし」

 うむ、全く以てその通りなのだが。

 しかし、だからと言って保険証やら通帳やら、個人情報の固まりを他人に預けさせるか普通? 我が母親ながら、恐ろしいババアだ。

 まったく、幼馴染みなんてろくなもんじゃねえ。


「……はあ」

 嘆息しつつも、俺はそれ以上の反論を諦めて、部屋に上がった。

 靴を脱いだ時、先ほど足下に落ちたのが薬袋であるのが分かったが、面倒なので拾わなかった。

 ……もっとも、背後でひなたが屈み込む気配がしたことから察するに、薬袋はあいつに拾われたようではある。

 ――それが無性に腹立たしかった。


「……いっそ、お袋んとこ行くか」

 出所不明の苛立ちに、そんな意地の悪い冗談を止めることができなかった。

 え? と驚いたような声を上げるひなたに、俺はへらへらと続けた。

「そーすりゃ、このつまんねえ街とも、誰かさんともおさらばだし? ホケンショ奪われたりしねーで済むし、保護者面した馬鹿女にお節介焼かれねーで済むしなあ。うん、そうだなそれがいい、お前もそう思うだろ?」

 顔も見ずに言ってやると、明らかに動揺した気配が背後から伝わってくる。

 ……何だかんだ言っても、今の生活を悪くないと思っているのだ、こいつは。

 ――それが分かっていながら、こんなことを言う俺は、最低なんだろうな。


「……冗談だよ、馬鹿。今更、あの他人の家に俺なんかが溶け込めるわけないだろ」

 そう言うや、今度は背後の気配がぱっと明るくなった。……いや、或いは、明るくなるであろうことが初めから分かっていただけなのかも知れない。

 ……ほんと、幼馴染みなんてのはろくなもんじゃねえ。

「んなことより、夕飯はよ?」

 胸中を誤魔化すために、吐き捨てるように問うた。

「あ、うん!」

 ぶっきらぼうなだけの俺の言葉に、ひなたは嬉しそうな声を上げる。

「えーとね、レバニラだよー」

 レバニラ。即ちレバー。

「……造血作用……か……?」

「うん。だって起陽、いっぱい血流してたじゃない」

 呆れ気味の俺の言葉にも、けろっとして答えるひなた。


 ……まったく、何だってこいつはこう……。

 本当に――

「……馬鹿な女」

 嘆息混じりに呟いた言葉は、幸運にも本人の耳には届かなかったらしい。

「ちょっと待っててね、今仕上げちゃうから!」

 元気よく言うと、ひなたはそのまま、1Kの手狭なキッチンに消えて行く。


 ――が。

「それはそうと」

 最後に一言、キッチンから顔を覗かせて言った。

「学校休んじゃったんだから、明日ちゃんと、自分で先生に事情話しなさいよね。一応、怪我が酷かったので休ませたって言ってあるけど、あたしのフォローにも限界があるんだから。分かった?」

 言って、まるで母親のような仕草をするひなた。


 ――幼馴染みなんて、ろくなもんじゃねえ。



【つづく】


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