《ひかげとひなたと紙ヒコーキ》
[1-4]
入院生活と言うのは退屈なものだ。
子供の頃などは特に、自らがどれだけ重篤な状態かなどには無頓着だ。発作さえ出ていなければ、自由がないだけで、ただの休日と大差ない。
やることと言えば、テレビを見るか、本を読むか、何かの模型を作るか、いたずらでもするかぐらいしかない。
――あと、折り紙で紙ヒコーキ作って飛ばすとか。
つまりは、そう言うことなのだ。
「……何の気無しにヒコーキを飛ばしたら、窓が開いていたんだな?」
嘆息混じりに問うと、二人は調子を合わせたように、こくりと頷いた。
さらに言えば、それを無理矢理取ろうとしたが故に、この女は俺の上に降ってきたのだ。
「待っててね、今度こそおねーちゃんが取ってあげるから!」
合点がいって、やれやれと息を吐いていると、そんな懲りない声が聞こえた。
「ええー!? またやるの!?」
虚を突かれたように叫んだ少年の気持ちもよく分かる。そりゃ無茶ってもんだ。
「当っ然! だって、あれ、大切な物なんでしょ?」
「それは……そうだけど」
口ごもる少年。まあ、ああ言われては仕方ない。紙ヒコーキを取り戻したいのは、他でもない彼なのだ。
「だいじょーぶ! おねーちゃんに任せて! 今度こそ取ってみせるから!」
「でも……危ないよー……」
むやみに張り切る女と、強く止めることのできない少年。
……いや、まあ、どうするのが最良かなんてことは、とっくに分かってる。
けど、俺は別にこいつらの関係者じゃないし、何の義理もないわけだ。むしろ、女の方には大迷惑を被ったわけで。
ここで、それじゃあさいならと立ち去っても、誰に文句を言われるでもないだろう。そもそも、勝手にやってくれと言う話だ。
いい年をして、それくらいの判断もできない方が悪い。
だから――俺が、今、この場でやるべきことなんてない……はずなんだが。
「よーし、それじゃおねーちゃん、頑張るからね!」
「ううー……」
いよいよ窓枠に手をかける女と、はらはらした様子でそれを見守る少年。
「……ちょっと待て」
――俺は、声をかけた。
「ほえ?」
きょとんとした顔で、女は振り返った。
少年も、驚いたような顔でこっちを見上げている。
嘆息して、俺は続けた。
「あんたがやったってまた落ちるだけだ、馬鹿。どう見たって、あんたに届く距離じゃないだろ、阿呆が」
そんな言葉に、女はしばし惚けたような顔をしていたが、やがて、フグのように頬を膨らませて言った。
「むっ……む~! おねーさんに向かってばかとはなによぉ! ばかって言う方がばかなんだから! たっくんのばかばか!」
……気にするべきはそこなのか?
怒りを通り越して呆れてしまうが、今はまあ、捨て置くべきだろう。
「……いいから、そこどけよ」
言うと、女はまたきょとんとして――
「俺が、取ってやるから」
そんな俺の言葉に、また花が咲いたように――……真昼の太陽のように、笑った。
女子供には困難な作業でも、男にとっては造作もない作業と言うのは世の中結構多い。
窓枠に腰掛けるようにして、片手でがっちりと窓枠をフック。後は身体を開くようにして目一杯手を伸ばしてやれば、目的の物を掴むのはそう難しいことではなかった。
「ほらよ」
そう言って、手の中の紙ヒコーキを手渡してやると、少年は屈託なく笑った。
「……ありがとうっ! おにいちゃん!」
考えてみれば、この少年が俺に笑顔を向けたのは初めてだった。
……まあ、無理もないことだがな。普通、こんな俺に屈託なく話しかけてくる奴なんざ、今もすぐ眼の前にいる女くらいのもんだ。
――いや。……そう言えば、もう一人だけ、そんな物好きもいたっけな。
「? ……おにいちゃん?」
一瞬黙した俺に不安を感じたのか、少年の笑顔が曇る。
「あ、いや――」
思わず、はっとしてしまった。……まったく、俺らしくもない。
「……何でもねぇ。次からは気ぃつけろよ」
自嘲気味に苦笑して、それだけを告げた。
「うん! きをつける!」
どこまでも屈託のない言葉。そして笑顔。
……調子が狂う。子供ってのは苦手だ。
「…………」
言葉に窮したまま、窓枠から降りる俺。
――と、衝撃で少し屈んだ姿勢になった俺の丁度目線の辺りに、何か嫌なモノが映る。
にこにこと本当に嬉しそうに、楽しそうにする満面の笑顔。
……何より俺の調子を狂わせる、その笑顔。
太陽のような、笑顔。
――俺にとってそれは、余りにも……余りにも眩しすぎた。
【つづく】