《ひかげとひなたと紙ヒコーキ》
[1-3]
声は、二階の窓から聞こえた。
他でもない。眼の前の女が落ちてきた窓だ。
見上げれば、背丈が余程低いのか、少年の首から上だけが建物の中から覗いている。
「あ! あっくーん! おねーちゃんなら大丈夫だよぉー! すぐ戻るからねー!」
そう言って、元気に手を振って見せる女。
俺はと言えば、完全に立ち去るタイミングを失って、ぼけっと立ち尽くしていた。
そんな俺を横目に、
「さてっと!」
元気に言うと、女はすっくと立ち上がって、
「それじゃ――行こっか!」
――迷い無く、俺の手を掴んだ。
「……はい?」
残念ながら、仰っている意味が分かりません。
だが、そんな俺の胸中を知ってか知らずか、女は俺の手を掴んだまま早足で進み始めた。
普通なら、思い切り振り払ってやるところなのだが――……彼女の手の小ささ、そして柔らかさに、そうすることのできない自分が呪わしかった。
さっきの現場の丁度真上は、小児科病棟の廊下になっていた。
窓際でしょんぼりとしている少年の姿は、遠くからでもよく分かった。
「あっくーん、おまたせぇー!」
言いながら、女は小走りに少年の元へと駆けて行く。
俺はと言えば、ろくな文句も言えず、重い足取りで後に着いて行く。
……流されているな、とは思っていた。
「! ゆーねーちゃんっ……!」
女の声に、少年はハッとして顔を上げる。
「だいじょうぶなの!? ねえだいじょうぶなの!?」
しきりに、女の身を案じる少年。
女は、駆け寄ってくる彼の小さな身体を抱き留めて、にっこりと笑う。
「うん、もっちろん! こー見えても、おねえちゃん運動神経いいんだから! これっぽーっちも、怪我なんてしてないよっ!」
そんな言葉に、少年は心底ほっとしたように息を吐いて、あどけなく笑った。
それだけで、二人の間にどれだけの信頼関係があるのかは理解できた。
ただ、さすがに人間関係の方を断定するには材料が足りなかった――が、そもそも俺には関係のないことではあった。
だが、少年が『ゆう』と呼ぶその女にとっては、そうじゃなかったらしい。
「あ、えっとね、この子はあっくん。小児科に入院してる子でね、私のお友達だよー」
説明になっているんだかないんだか分からない説明だが――……いやなってないんだが、取り敢えず、実の兄弟ではないらしい。
「でねー……って、あれ?」
そして、この表情である。
疑問符を浮かべたいのはこちらの方なのだが。
「そー言えば私、キミの名前聞いてなかったねぇ! あははっ」
「あはは」じゃねえ。と言うか、こっちもあんたの名前なんざ聞いてないんだが――……いや、まあどうでもいい。
「えと……キミ、名前は?」
正直、あまり答えたくはなかったが……答えないと承知しないんだろうな、多分。
「……境守 起陽」
嘆息して答えると、女は少年に対するのと同じように、にっこりと嬉しそうに笑って、
「じゃあ、たっくんだねっ!」
…………。
……もう、どうにでもしてください。
「……で?」
正直、もう口を開くのも億劫になっていたのだが、このメンツでは俺が進行役になるしかないようだった。
「この坊主とあんたと、あんたが二階から振ってきた因果関係はどこにあるんだ」
――あと、できれば俺がここにいる理由が知りたいのだが。
「あ、そうそう!」
そう言って、女はまた、ぱんっ! と手を打ち鳴らした。
「あれをね、取ろうと思って――」
と、俺の心の声などちょんと無視して女が指差したのは、開け放たれた窓の外。
そこに見える、一本の木。言うまでもなく、俺が寄りかかっていたあの木だ。
だが、彼女が指差したのは木ではない。その中ほどの枝に引っかかった、白い物体だった。
眼を凝らしてみる。
「……何かの紙切れか……?」
いや――
「折り紙……紙ヒコーキ……か?」
――それは、素朴な形の紙ヒコーキだった。
【つづく】