表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

《ひかげとひなたと紙ヒコーキ》

[4-4]


 最初から、あいつの思い出を取り戻してやれるなんてことは思ってなかった。

 それは、言葉にするのも、心に描くことすら烏滸がましいことだ。不当な暴力によって失われてしまった思い出は、この先、二度と元通りになることはないのだろう。

 ならば、俺には、ヒトには、いったい何がしてやれるのか。

 それはきっと、誤魔化してやることくらいなのだ。悲しみを。寂しさを。

 誤魔化しで、何が変わるのかなんて分からない。それは、分の悪い賭だった。確証など何もなかったし、賭に勝った時のあいつの姿も、己の姿も、想像することはできなかった。

 だからそれは、ただの自己満足だったのかも知れない。自分の中に湧き起こる無力感、やり切れなさを、何とかして誤魔化したかったのだ。

 自分はこれだけやったのだ、だから誰も俺を責めないでくれ――そう、訴えたかっただけなのだ。


 ……だから、あいつの笑顔を期待した訳じゃない。想像した訳じゃない。

 ――それでも。

 ひなたや神山、他の子供達に――あの女。その輪の中で、楽しげに笑うあいつの笑顔は、暗い日陰に沈む俺のココロを、確かに慰めてくれた。

 俺の脳裏に焼き付いた、寂しげに笑うあいつの顔を、一時、忘れさせてくれた。

 ――願わくは。あいつ自身も、また。あんな笑い方など、忘れてくれれば、と。

 初夏の眩しい陽光と、その熱さを和らげるさわやかな風を頬に感じながら、俺は独り、そんなことを思っていた。


 レクリエーションルームの外。

 扉一枚隔てた廊下の、開け放たれた窓の前。

 俺はそこにいた。

 部屋の中では、今も皆が楽しげに折り紙教室の真っ最中なのだろう。

 それは、確かに俺が企画したものだし、望んだ光景ではある。

 しかし、やはり居心地の悪さは否めない。ああ言う『あっとほーむ』な空気と言うのは、俺には向いていないのだ。

 ――何より、許されない。俺は、あそこにいて良い人間ではない。白い世界を黒く染める、汚濁した染みなのだ、俺は。

 自嘲的に思いながら、俺はズボンのポケットに手を伸ばす。

 取り出したのは、掌大の四角い箱。見慣れた嗜好品の紙箱だ。

 そこから、すっかり慣れてしまった手つきで、中の一本を取り出そうとして――……箱を、握り潰した。

 馬鹿なことをしているような気がした。滑稽で、無様で、情けないことをしている気がした。そんな自分が気恥ずかしくて――許せなかった。

 くしゃくしゃに潰れた紙箱をポケットに戻し、嘆息一つ。

 同時に、背後で扉の開く音がした。


「あ、たっくん見ーっけ♪」

 そう言って、のほほんとした笑顔を覗かせたのは、他でもない、あの女だった。

「んふふっ♪ こんなとこにいたのねー」

 気持ちの悪い含み笑いを漏らしながら、女はさも当然のように俺の隣に並ぶ。

「どこにいようが俺の勝手だろ」

 吐き捨ててやると、女は殊更くすくすと笑った。

「分かってる分かってる、あっくんの笑顔が照れ臭かったんだよね♪」

「はあっ!? んで俺がそんなことっ――……」

 訳知り顔で言う女にかっとなって、思わず叫びかけた。が、寸でで思い留まった。

 そう言うことじゃない。そうじゃないんだ。

「……分かんねえだろ」

 嘆息して、続けた。

「どんなに笑顔だって、ヒトはナカに何を抱えてるか分かんねえ。あいつだって、笑ってんのは上っ面だけかも知れねえ……」

「――そっか。たっくんは、不安なんだね」

 眩しい笑顔で、女はそう言った。

 その笑顔があまりに眩しすぎて、俺の唇は空を切る。皮肉の一つも出てきやしなかった。


「たっくんだけじゃないよ。みんなそう。結果がカタチとして見えないモノは、不安で不安で仕方がないものだもの。どんなに自分が精一杯やったとしても……表面上は、上手くいったように見えても」

 その言葉は、脳天気なこの女が口にしているとは思えないほど、不思議な重みがあった。

 何も言えないでいる俺に、女は今一度微笑んだ。

「――大丈夫だよ、たっくん。キミがしてくれたことは、間違いじゃない。あっくんの笑顔は、間違いじゃない。キミは、暗い日陰で泣いていたあの子を、明るい日向に引っ張り出してくれた。それはとても尊くて……嬉しい、ことだよ」

 その言葉は、俺のココロに掛かる黒い霞の幾らかを払ってくれた。

 けれど、完全には拭えない。……いや、或いは、この暗い気持ちは、ヒトの生涯について回るモノなのかも知れない。

 そう結論付けようとした時、女はふと言った。

「……まだ不安だって言うなら――お姉さんが、ご褒美をあげるよ」

「え?――」

 意味を計りかねて声を上げたが――その時には、もうことは済んでいた。


 ――チュッ。


 耳元に響く、そんな音。頬には、柔らかく、生暖かく、湿った感触。

 けれど、嫌ではない感触。むしろ、飛び上がってしまいそうなほどに甘美な感覚だ。

 体温を上昇させ、気分を高揚させ、全ての闇を振り払ってしまう、魔法のような感覚だ。

 それが、女からのキスなのだと悟った瞬間――俺は、顔面から火を噴いた。

「なっ、なななななっ!? なにしやがルっ!?」

「あははははっ♪ 真っ赤になってるー、可愛いんだー♪」

 みっともないほど狼狽する俺を余所に、女は腹立たしいほど、けろっとして笑っている。

「あっ、あっ、あっ、あんたなあっ……!」

「何って、ご褒美だよ? ご褒美もらえると、やった! って気になるでしょ?」

 頭が茹だってまともに言葉の出てこない俺に、女は尚も平然と言ってのける。あまつさえ――

「いきなりでよく分からなかったかな? じゃ、もっかいしよーか♪」

 何て言って、俺の首っ玉にしがみついてきた。


「やぁめぇろおおおおおおおおおおっ!」

「良いではないか良いではないか♪ 減るもんじゃなしっ♪」

「あんたはどこぞの悪代官かあああああああああああ」

 何とか振り払おうと身を捩るが、女は鬱陶しいしがらみのようにまとわりついて離れない。

「ほれほれ、いい加減観念して、その唇を余に差し出せぇい♪」

「ナズェ唇になっていルンディス!?」

「細かいことはいいじゃないっ♪」

 女がそう言った時だ。助けは意外なところからやってきた。

「――良くないわーっ!」

 そう叫んだのは俺ではない。

 見れば、いつの間にやってきたのか、精一杯に肩を怒らせたひなたが立っていた。

「あら、やっほー、ひなたちゃん♪」

 なんて、自身の姿に無自覚なのか何なのか、俺の首にしがみついたままに言う女。

 ひなたはずかずかと大股で近づいてくると、そのままの勢いで俺と女の体をばりばりと引きはがした。


「いったい、なにを、しているんですかっ!?」

 問い詰めるように、ひなたは女に言った。

「ん? とっても良い子なたっくんに、ご褒美をあげてただけだよー」

「なっ……!? どんなご褒美ですかっ!」

 いつもののほほんとした顔で、しれっと答える女に、怒号を上げるひなた。

「あらら? ひなたちゃんも興味ある? 可愛い顔して意外と……」

「そう言うことじゃないですっ! てか、意外とってなんですかっ!?」

「さーなんだろー、おねーさんわかんないなー」

「きーっ!」

 …………。

 突然始まった二人の言い争いは、まだまだ続きそうだった。

 俺は嘆息して、すぐ後ろの窓枠に背を預けた。


 ……思えば、不思議なものだ。

 ほんの少し前まで、俺はこんな場所、嫌いだった。弱者共の吹き溜まりと、見下していたのだ。

 なのに、今は。

 理由は分かっているのだ。誤魔化しようがない。今も眼の前でのほほんと笑う、あの女のせいだ。

 あの女に出会ってから、俺は調子を狂わされっぱなしだ。この短期間、瞬きするほどの一瞬の間に、俺は俺らしくないことばかり重ねている。

 でもそれを、俺自身、悪くないとも感じている。……それが一番、俺らしくないんだが。

 ――だから。

 もう一つくらい、俺らしくないことが増えてもいいかな、と。そう思った。


「――なあ、あんた」

 そんな俺の呼びかけに、二人は同時に振り返る。が、俺がこう呼ぶのはこの場に一人だけ。

「ん? なあに、たっくん♪」

 呼びかけられたことがそんなに嬉しいのか、女は妙にニコニコとして返す。

 ひなたはひなたで、恨めしいような眼で俺を見るし。

 取り敢えず、そんな二人の違和感は無視して、俺は続けた。

「……あんたの名前――教えてくれよ」

 ずっと。出会った時からずっと、忌避してきたその言葉。

 その言葉に、女は一瞬きょとんとして、すぐに苦笑した。

「……そっかぁ。ずっとおかしいなー、とは思ってたんだぁ。たっくん、いつまでたっても私のこと名前で呼んでくれないから。……あはは、教えてあげてなかったんだねぇ」

 ……そんなこったろうと思ってたよ。

 嘆息する俺に、女は優しく微笑んで言った。

「――緋蔭ひかげ ゆう。それが私の名前。……忘れちゃだめだからね?」

 ああ、分かってる。忘れない。忘れられるわけがない。だからこそ、忌避してきたのだ。忘れられない思い出など、持たぬために。余計なしがらみなど、持たぬために。


 ――それは、覚悟だった。


「……ああ、忘れないさ――……ゆう、さん」

 その優しい響きを、自身に確認するように、呟く。

 ……忘れない。忘れないさ。あんたのこと、あいつのこと――ついでに、馬鹿な女のことも。

 ずっと忘れない。この日のことを。


 ――ヒカゲと、ヒナタと、小さな紙ヒコーキのことを。




【朱色優陽1《ひかげとひなたと紙ヒコーキ》終】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ