朱雀の残火
祇園の夜は、炎の匂いがした。
赤羽和也は、その匂いが嫌いだった。
けれど。
忘れたことは、一度もない。
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まだ神禍という言葉が、今ほど日常ではなかった頃。
それは突然だった。
最初に異変に気づいたのは、紅羽だった。
「ねえ、和也」
夏の夜だった。
鴨川の川沿いを二人で歩いていた。
川床の灯りが、水面に揺れている。
「最近、変な夢を見るの」
紅羽は笑っていた。
長い黒髪を風に揺らして。
「どんな夢だ」
和也は聞いた。
彼女は少し考えてから言った。
「……燃えてるの」
「何が」
「全部」
その言葉を、和也は覚えている。
何度も思い出すくらいには。
けれどその時は、ただ笑った。
「夏だからだろ」
「なにそれ」
紅羽は少しだけ頬を膨らませた。
「夢の話なのに」
「夢なんてそんなもんだ」
和也は川を見た。
水の音。
祇園の夜。
遠くで笑う人の声。
普通の夜だった。
ただの、普通の夜。
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それから数日後。
紅羽が、神禍になった。
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最初は小さな違和感だった。
彼女は急に黙るようになった。
何かを見ているような目。
誰もいない場所を見る。
「……どうした」
和也が聞くと、
紅羽は小さく笑った。
「ねえ」
「和也」
「神様ってさ」
「どうして祈られなくなったと思う?」
その質問の意味が、わからなかった。
「急に何だ」
紅羽は答えなかった。
ただ。
ぽつりと言った。
「……可哀想だよね」
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その夜。
祇園で神禍が出た。
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人の形をしていた。
けれど。
もう人ではなかった。
黒い影。
白い穴のような目。
煙のような体。
それは、ゆっくりと街を歩いていた。
和也はすぐに気づいた。
「……紅羽」
影が止まった。
そして。
ゆっくりと、振り向いた。
顔はもうなかった。
けれど。
声だけは残っていた。
「……和也?」
和也は動けなかった。
神禍の体から、黒い煙が溢れている。
祇園の提灯の光が、ゆらゆらと歪む。
「……紅羽」
呼ぶしかなかった。
「戻れ」
影が、ゆっくりと近づいてくる。
「戻れよ」
声が震えていた。
神禍は、首を傾げた。
「……どうして」
その声は、まだ紅羽だった。
「……どうして」
「みんな」
「こんなに苦しいの?」
和也は答えられなかった。
神禍の体から、黒い影が広がっていく。
街の灯りが消えていく。
「……紅羽」
和也は拳を握った。
その時。
胸が熱くなった。
神紋。
朱雀の紋。
それが初めて発動した。
炎が、溢れた。
赤い火。
朱雀の火。
神禍を祓う炎。
「……和也」
紅羽が笑った。
「綺麗」
その言葉が。
最後だった。
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炎が、すべてを焼いた。
神禍を。
祇園の夜を。
そして。
紅羽を。
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気がついた時。
街は静かだった。
灰だけが残っていた。
和也は、動けなかった。
炎は消えている。
けれど。
右目から血が流れていた。
視界は、もう半分なかった。
朱雀の力は強すぎた。
その代償だった。
けれど。
そんなことはどうでもよかった。
和也は、ただ。
灰を見ていた。
そこに。
紅羽がいた場所を。
ずっと。
ずっと。
見ていた。
⸻
その夜から。
赤羽和也は。
朱雀隊の隊長になった。
⸻
けれど。
炎は、消えていない。
あの夜の火は。
今でも。
胸の奥で燃え続けている。
まるで。
消えない焔のように。




