第42話 一冊の本
「ありえん…… こんなことありえるはずが……」
遠く物陰から、ジュラフォードの敗北を期待しながら見つめていたグランザが、ベヒーモスの亡骸を凝視する。
熾烈を極めた戦いを最後までその目に焼き付けていたというのに、肉塊と化したベヒーモスの姿を信じられない様子だった。
「ジュラフォード…… やつは一体何者なんだ…… どちらにせよ始末するなら痛手を負った今をおいて他にない……」
グランザはぐっと拳を震わせながら握り締める。
そして自身に劣等感すら抱かせる、ジュラフォードが作った凄惨な肉塊を前に考えを固めた──
一方、ジュラフォードは半ば強引にウリスゼラに連れられ、沼地を抜けてすぐの池へと移動していた。
池の目の前には、目的の書庫が木々に覆われながらひっそりと佇んでいる。
「ってて……」
「うぅ、痛いよな…… 滲みるよな…… でも我慢してくれ。いま出来るのはこれしかないんだ」
ウリスゼラは、引きちぎった自身の衣服の一部に池の水を吸わせて患部を冷やす。
慣れた手付きで行う応急措置に、ジュラフォードが感心しつつ訊ねる。
「手際が良いんだな。もっと不器用なやつだと思ってたがな」
「うっせーよ、患者はじっとしてろよ。オレは一応これでも幼い頃から救命知識は叩き込まれてたんだ」
火傷のあとを冷やし終えると、ウリスゼラはさらに衣服を引きちぎり、包帯代わりにジュラフォードの患部へと巻いた。
「よし…… これでひとまずは大丈夫だな! あとは戻った時に回復魔法で治してもらいなよ。オレじゃそれは力になれないからな……」
ほんのりと哀しそうな表情を浮かべつつ、ウリスゼラはジュラフォードへの応急措置を終える。
「構わん。このくらいの怪我ならこれまで幾度となくしてきた」
「おめえ、そんなんじゃいつか呆気なく死ぬぞ?」
「ぷぷ、やっぱそお?」
「なに笑ってんだよ! オレは至って真面目に……」
ウリスゼラの、その場で魔法で治療できないもどかしさと怪我を作った原因が自分にあるという罪悪感。
その罪滅ぼしから強引に応急措置を買って出たとジュラフォードは理解していた。
ゆえにそれを甘んじて受け入れ、ウリスゼラの表情が落ち込みそうになれば冗談を言って笑い飛ばしていた。
だが、手先は器用でも感情は不器用なウリスゼラには、その気遣いを察することはまだ難しかった。
と、そこへ。
「……しかし驚いたな。まさかあのベヒーモスを不利な状況から倒してしまうとは。悔しいが、お前の実力は認めよう」
右の口角をぐっと上げながらグランザが近付く。
胸の前で小さく送る拍手は、賛辞というよりも見え透いた皮肉だった。
「誰かと思えばお前か…… まだいたのか、ビビりくん」
「な、なにぃ……!?」
ジュラフォードの放った、ビビりという言葉に、グランザは顔を歪ませ反応する。
それに対し、ジュラフォードはベヒーモスとの戦いを振り返りながら、グランザに質問を投げ掛ける。
「俺がベヒーモスと戦闘になったとき、最初に叩き込んだ剣がなぜか暴発した。あれはお前の仕業なんじゃないのか?」
ジュラフォードの鋭い言葉に、グランザの目が露骨に泳ぐ。
言葉を詰まらせながら、否定に終始していると、ジュラフォードは更なる決定打を投げ掛ける。
「……じゃあ、ここに来る途中のサイクロプス。あれはどう説明する?」
サイクロプスの名を口にした瞬間、ウリスゼラは思い出したような表情を浮かべながら言葉を発する。
「あ! そうだ…… そういやあのサイクロプスもおかしかったんだ! オレも気付いてた」
「な、なんのことだ……? 意味が分からないな」
飽くまで誤魔化し通そうとするグランザを、ジュラフォードが追い詰める。
「あのサイクロプス、お前が攻撃すると分かった途端に一切抵抗する気配を見せなくなった。それにあの暴発する剣……」
ジュラフォードはこう推理した。
手段は不明だがグランザはどういう訳かサイクロプスを使役していた。
事前に決まった位置に現れるように指示し、渡した剣で戦わせることで仕組んだ爆発が起動する──
その言い当てられた推理に、グランザは答え合わせをするように顔色を変えていた。
そこから、追い詰められたグランザは絞り出すようにジュラフォードへ反論する。
「だとして…… だとして、どうするって言うんだ!!」
凄むグランザ。しかし、ジュラフォードは余裕の表情で返す。
「いや、どうもしねえ。だって証拠は無いからな。全部俺の憶測でしかない」
実際には推理通りだったにも関わらず、肩透かしを食らうようなジュラフォードの返答に思わずグランザは目を点にする。
「な、なんだと…… 貴様! 俺を愚弄したのか!!」
「ふっ、そんなに興奮するなよ」
「チッ…… 不快なやつだ……」
グランザは舌打ちを残し、一人足早に目と鼻の先にある書庫へと歩いていった。
そして、グランザの反応を見たジュラフォードとウリスゼラは互いに顔を見合わせる。
「ありゃあ、間違いなく図星だな」
「あぁ、オレもそう思う」
同じタイミングでこくりと頷いたあと、グランザに続けて書庫の前まで歩く。
書庫の前でなにやら忙しなくするグランザが目に入る。グランザは扉のあちこちをくまなく確認していた。
「おい、何をしてる」
「……どうやら鍵を貰う必要はなかったみたいだぞ」
「どういうことだ?」
「こいつを見ろ」
そう言ってグランザが指差したのは、書庫の扉だった。
一目見ただけでは分からなかったものの、目を凝らして見れば、その扉はぴったりと閉まりきってはいなかった。
「開いてるのか?!」
「見ての通り、そのようだ」
するとジュラフォードは、試すかのようにグランザに揺さぶりをかけた。
「これも、お前の仕業か?」
「いや、知らん。本当になにも知らん!」
グランザを見つめるジュラフォード。
目が泳いでいた前回と違い、今回は本当に何も知らないという様子だった。
「まあいい、中を確かめれば分かることだ」
ズレた隙間から僅かに受け座が覗く書庫の扉に、ジュラフォードが手をかける。
「開けるぞ。何かあってもいいように構えてろ」
「ああ分かった」
「フンッ、早くしろ」
そーっと手を引くジュラフォード。建て付けの悪さを感じさせる音を立てながら、書庫の扉が開く。
「なんだこれは……!」
そこでジュラフォードが目にしたのは──
乱雑に倒された見上げるほどの大きな棚。
地面には無数に散らばる本の数々。
誰の目で見ても、荒らされたという言葉が真っ先に思い浮かぶ光景だった。
「何があったと言うんだ……?」
足を踏み入れた入口付近にも、数冊の本がはみ出しており、書庫の最奥は崩れた本が山を作り上げていた。
その光景を見て、ジュラフォードはふと気付く。
「なあ、この書庫はあの沼地を越えなきゃいけないんだったな?」
「どうしたんだよ急に? それは最初に話したろ?」
ウリスゼラが不思議そうに言うと、ジュラフォードは冷静に答えた。
「俺がベヒーモスと戦った時には、既に真新しい傷があった……」
「本当か?」
グランザがジュラフォードに確かめる。
「ビビって逃げたお前はろくに見てねえから分からんだろうが…… 最初から牙が欠けていた。表面は汚れていたのに断面は真っ白だったからな」
「オレも狙われないようにあんまし目を合わせないようにしてたから気付かなかった……」
ジュラフォードの話を聞いたグランザは、目を細めながら話を整理した。
「つまり、お前の言う通りなら、俺たちよりも前にベヒーモスと交戦しつつここへ誰か来たことになるな。扉が開いているのも辻褄が合う」
「あぁ、そういうことだ」
場には不穏が漂い始める。書庫の地面に横たわる、時計の針の音だけが静かに響いた。
しばらくの間を置いて、ウリスゼラが口を開く。
「ま、まぁ…… とりあえず地下の倉庫も確かめよう。用があるのもそこだろ?」
「そうだな。ここで考えていても分かるわけないか。それで、倉庫はどこだ?」
ウリスゼラは辺りを見回す。
記憶を頼りにするものの、無惨に荒らされていて原型が無いせいか自信が無さそうに答えた。
「あの、奥の…… 本が山積みになってるとこ。あそこに確か地下への階段があったはず……」
「あったはず? なんだそれは」
グランザが険しい表情をしながら言うと、ウリスゼラは不機嫌な言葉で返した。
「うっせーよ! オレも数えるくらいしかここには連れてきてもらったことねーんだよ。しかもちっせえ頃だし」
「ともかく、まずは本を退かせるか。とっととやるぞお前ら」
「なぜ俺がこんな面倒を……」
「いいからやれ!」
ジュラフォードがグランザの背を叩き、山積みの本へと歩を進ませた。
その横からは、やる気を見せるウリスゼラが進む。
少し後ろからジュラフォードが続き、足の踏みどころのない乱雑に散らばる本に不意に足を取られる。
「ちっ、何冊あるんだよまったく…… ん……?」
ジュラフォードは足元の重なった本の束から覗かせる一冊の本に吸い寄せられるように視線を向ける。
「な、なぜこんなものが……!!」
驚愕のあまり小刻みに震える手で拾い上げた一冊の本──
その表紙には、烙印同盟の紋様が刻まれていた。




