第29話 眠れない夜
それはまさに、覆水盆に返らずというべき惨状だった。
既に事切れているリカルドには、どれだけ声を掛けても目を覚ますはずもない。
脈拍も無く、胸に耳を当てれば心音も聞こえはしない。
無残にもリカルドの身に着ける鎖帷子を斧が貫通しており、その衝撃がどれほどだったのかを窺い知れる。
さらには鎖帷子や手甲の随所に、鋼鉄を弾いたような傷跡が刻まれていた。
ジュラフォードは、その状況を鑑みてこれが複数の相手から襲われたものなのだと推測を立てた。
既に死んでいると分かっていても、一刻も早く苦しみから解放してやりたい──
その一心で、せめてもの報いにと、ジュラフォードは冷たくなった肉塊から斧をグッと引き上げた。
血液はとっくに固まり、赤黒く滲んでいるそれは引き抜くと同時に、べりっという背筋をなぞるかのような不快な音を鳴らす。
顔を歪めながら凶器を見つめる。大きな切っ先は、その半分以上が深紅に滲んでいた。
「リカルド…… どうか安らかに眠ってくれ……」
すると、少し離れたところから、リリアフィルの声が聞こえてきた。
「ジュラフォード様、これ! 見てください!」
片手をバタバタと振って手招きをするリリアフィル。
その後ろに目をやると、そこには引き手が居なくなり横転した馬車の荷台と、中身が零れたリカルドの手荷物があった。
ジュラフォードは斧を放り捨て、荷台の方へ向かうと、その手荷物には想像もしていなかった物が紛れ込んでいた。
「これは!」
真っ先に取り上げたのは、片手サイズのプレートだった。
そこには、リカルドの名前と共に記憶にも新しい見覚えのある紋章が彫刻されていた。
ジュラフォードは、懐に仕舞っていた書簡を広げ、プレートと照らし合わせる。
「一緒だ……」
プレートにあった紋章には、書簡と同じ〝ティダインベルグの家紋〟が彫刻されていた。
「まさか…… リカルドの言っていた主ってのは…」
「それはなんなのですか?」
リリアフィルが訊ねると、ジュラフォードはプレートを見つめたまま答えた。
「恐らく、身分証みたいなものだろうな」
次にジュラフォードは荷台の方へ目を向けると、プレートと書簡をリリアフィルに手渡し、その中身を調べ始めた。
「無い…… 無いぞ……!」
いくら探しても出てくるのは、薬草の束や馬の餌、それから軽食用のパンと野営道具だけだった。
ジュラフォードはリカルドから渡された石を取り出す。
「一体、この石がなんだと言うんだ……?」
「ジュラフォード様、どうしたんですか? そんなに慌てて」
心配そうに問いかけるリリアフィルに、ジュラフォードはリカルドから譲られた石について話した。
「……じゃあ、リカルドさんが狙われたのもその石が狙いってこと……」
「あぁ、間違いなくな。石を詰めてた袋だけが無くなってる」
「その石はなんなんですか?! 殺してでも奪い取るなんて……」
「さあな。俺にも分からん…… だが、1つだけ分かるのは、リカルドはこれを主である魔導卿の元へ持ち帰ろうとしていた……」
淡く光る石を握り締めながら、ジュラフォードは感情を昂らせる。
「リカルドは命の恩人だ。こんなところで弔うくらいなら、主の元へ連れ帰ってやろう。どのみち向かう理由が出来たってわけだ」
「でも、どうするんですか? この馬車使おうにも馬はいないですし……」
「なあに、担いでいけばいいだけだろ」
「ま、まさか! ジュラフォード様そのまま担いでく気ですか!?」
「あぁ。問題あるのか?」
「問題も問題ですよ! 一応…… し、死体ですよ…… それ……」
「なんだ、そんなこと気にしてんのか? 化けて出るようなことはねえだろ。多分」
「そうじゃなくって……」
命の恩人であることは、リリアフィルも重々理解しているため、その気持ちを無下にすることはできなかった。
だが、本音を言えば死体をそのまま連れ歩くということには強い抵抗感がある──
なんとも言いがたい表情がその胸のうちを物語っていた。
「……分かったよ。じゃあこうすりゃいいだろ」
するとジュラフォードは、荷台を解体すると、幌だけを取り出す。
その幌を亡骸に被せぐるぐると巻き上げると、引き千切った麻袋を紐代わりにして固定した。
「どうだ? これなら文句はねえだろ?」
「まあ…… それなら」
「ぱぁぁぁ~~…… むにゃむにゃ…… なあに~」
「ま、まずい!」
リリアフィルの背でいつものようにスヤスヤと眠るユバの声にジュラフォードが咄嗟に反応した。
「いま起きたらあれこれ興味を示して厄介だ! 早く行くぞ!」
「あの、ジュラフォード様」
「なんだ? ちんたらするなら、早く!」
「いやいや、いまの寝言です。ほら」
視線を背後に向けながらリリアフィルが言うと、ジュラフォードはユバを見つめる。
よほどご機嫌な夢でも見ているのだろう。嬉しそうな微笑みを浮かべていた。
「寝る子は育つというが…… しかしまあよく寝るよなあこいつ」
「ふふ、可愛いじゃないですか。普段はあんなにやんちゃなのに」
ユバの天性の愛くるしさに、和やかなムードが流れる。
これまで「ユバを我が子のように可愛がっている」ということを、悟らせないよう振る舞っていたジュラフォードだったが、気づけばその仮面は剥がれ落ちていた。
けれど、リリアフィルはそれに気が付こうとも決して口にしたりはしなかった。
胸の奥底で、素の自分をさらけ出してくれるようになったのだと、ほのかな喜びを噛み締めるに留まっていた。
「……さて、こうしてはいられん。先を急ぐぞ。ユバの子守りは任せたからな」
「任せてくださいっ!」
こうして、和やかなまま粛々と魔導卿の元へと向かっていった──
見渡す限りの地平線の先まで埋め尽くすかのような雄大な草原、吹き抜ける新鮮な風が髪をなでる。
道中に出くわす野生の下級魔獣は、ジュラフォードが手を下すまでもなく、ユバの遊び相手にされる始末だった。
やがて日が沈んでいき、魔獣が活性化される夜を迎えても、辺りの魔獣たちはその鳴りを潜めていた。
それからほどなく、リリアフィルとユバはついに体力が切れかける。
はしゃぎ疲れて泥のように眠るユバに、口数が露骨に減るリリアフィル。
「よし、時間も時間だ。今日はここで野営だな」
「ふ、ふぅ…… やっと、休めるんですね……」
「お前は少し休んでろ」
ジュラフォードはリリアフィルにそう告げると、リカルドの亡骸を包んだ幌を丁重に下ろした。
そして、慣れた手付きで野営の材料となる素材を、近くの木々から調達し始めた。
ふとリリアフィルが眠りに落ちそうになったとき、ジュラフォードの声がうたた寝から連れ戻した。
「待たせたな。ほら出来たぞ」
「すごい……!」
思わず息を飲むリリアフィル。
そこには、まるで即席とは思えないほどしっかりした作りの簡易的な小屋が出来上がっていた。
「なるほど!ゴブリンからナイフや剣を回収してたのはこれを作るためだったんですね」
「まぁな。お前は繊細だからそのまんまの野宿じゃウダウダ言うんだろうなと思ってな」
「むぅ、一言余計です!」
頬を膨らませるリリアフィルの額を、ジュラフォードは軽く人差し指で小突く。
「まあまあ、そう言うなよ。でも気に入っただろ?」
「はい! これならゆっくり眠れそうです!」
「そうか。お前が喜んでくれたなら、頑張った甲斐があって良かった」
「ジュラフォード様……」
照れ隠しする嬉しさが、リリアフィルの頬を赤らめさせた。
ぐぅぅぅぅ……
「あっ……!」
突如、リリアフィルからお腹の機嫌を知らせる音色が鳴った。
真っ赤になった顔は余計に加速していき、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆う。
「なんだ、腹が減ったのか。少し待ってろ取って来てやるから」
数分後。ジュラフォードが携えてきたのは、辺りに生息していた動物の獣肉だった。
「こ、こんなの食べられません……!」
「いいのか? いいんだな? じゃあお前の分は残してやんねえぞ~?」
ジュラフォードは火を起こすと、捕らえた肉をじっくりと炙り始めた。
芳醇な薫りを醸しながら、こんがりと艶やかな褐色に変わっていく肉は、リリアフィルの食欲を刺激する。
「ご、ごめんなさい。やっぱり食べます……」
「ふっ、お前の素直なところは良いところだ。ほれよ」
食べやすいように手頃な木の枝に串刺しにされた獣肉を手渡す。
すると、匂いに反応してユバが目を覚ます。
「肉だー!!! おいしそー!!! ユバも食べるー!!」
「ほれ、お前のはこれだ」
「うぉぉー!! トリの肉だ!! ありがとー御師様ぁー!」
はふはふと音を立てながら肉に食らいつき、気付けばペロリと完食するユバ。
腹が膨れたら、再び横になると、次の瞬間には寝息を立てた。
「ふふ…… 可愛いね、ユバちゃん」
リリアフィルは、眠りにつくユバの頬をつんつんとつつきながら微笑む。
これまでのエルフの里でエルフ族としか暮らしていなかったリリアフィルにとって、あまりにも新鮮な出来事だった。
さらに夜も更け、一度は眠りについたはずのリリアフィルはふと目を覚ます。
「あれ…… ジュラフォード様……?」
目を擦りながら辺りを見回すも、ログハウスの中にジュラフォードの姿は無かった。
少しの不安を覚え、駆け足でログハウスを飛び出す。
外に出ると、焚き火をしているジュラフォードの背と、リカルドを包んだ幌が視界に入る。
その瞬間、リリアフィルの抱いた不安は一瞬で吹き飛んだ。
「ジュラフォード様……」
「どうした? 眠れないのか? 気になると思って、幌は外に出してたんだがな」
幌に包まれているとはいえ、亡骸のそばでは眠れないだろうという気遣いを見せるジュラフォード。
「いえ、大丈夫です。ただちょっと目が覚めちゃって」
「なんだ? 俺がそばにいなくて寂しいってか?」
「もう! からかわないでくださいっ!」
「ハハハ、わかったわかった。からかって悪かったよ」
「……それより寝なくていいんですか?」
「あぁ。襲ってこないとはいえ辺りには魔獣もいる。俺が不寝番でもしとかなきゃ、お前らが安心して眠れないだろ」
その言葉は、リリアフィルの心をじーんっと温めた。
考えるよりも先に、ジュラフォードの隣へと駆け寄る。
「ありがとうございます、ジュラフォード様…」
ジュラフォードの肩へ頭を預けると、安心感からリリアフィルはすーっと眠りに沈んでいった。
「まったく、世話がやける子だ」
この日の野営は、リリアフィルにとって生涯忘れられない思い出となった。
翌朝──
三人は魔導卿の元への旅路を再開する。
前日と変わらない足取りで順調に進んでいき、そしてようやく魔導卿の屋敷へと辿り着く。
「ここか、魔導卿の屋敷は…… しかし随分とデカいな」
だが、ジュラフォードたちに待っていたのは、歓迎とはまるで程遠いものだった……。




