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oddmagia  作者: 湖流るこ
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第八話

 ぽつりと湖へ落ちた一雫が呼んだのか、雨が森に降り注ぎ始めた。木々を、草を、土を、水面を打つ音がロノスの耳に木霊する。聞こえすぎるというのも考えものだ。

 雑音に溢れる中で彼が真っ先に考えたのは、食料の調達に森へ出かけたアーテとリオスのことだった。


(あいつ、大人しくして居られるだろうか)


 森の生活に慣れているであろうリオスが共に居るのだ。

 たとえ、アーテが雨の中でも構わずに食料を調達しようとしても、辞めるように促してくれるだろう。セルネに慌てた様子がないところを見るに、おそらく雨宿り出来る場所をリオスは知っている。

 けれど、この雨がいつまで続くかは分からない。


「ロノスって、しんぱいばっかりなのね」


 アーテに対して己が過保護であることはロノスも自覚していた。歳は十七だと聞いていたが、精神はそれよりも少しばかり幼く感じる。それに比べるとセルネも見た目に反していた。アーテよりも十近くは幼いだろうに、妙に大人びている。


「あいつに落ち着きが無さすぎるんだ」

「あはは! それは、ほんとうにそうね」


 セルネが口元に手を添えて笑う。程よく頭も冷えたかもしれないと続けられて、ロノスも思わず失笑した。

 しかし、緩んだ顔を一変させて鋭い目付きへ変えた。扉の先の何か。森に居る何かを警戒している。ロノスの耳が拾ったのは、不意に風を切るような音だった。


「……誰か居る。セルネ、部屋の隅へ」

「わ、わかったのだわ」


 ロノスの言葉に従ってセルネはカーテンの向こう、寝床の近くに身を寄せた。それを見届けてから、ロノスは扉を開ける。

 雨の匂いが一層と強くなるのと同時に、ひとつの記憶を呼んだ。下から微かに香る、香水の匂い。その匂いを好んで身に(まと)う人物を、ロノスは知っていた。


(……まさか)


 大樹の下に、まるで濡れていない男が居た。背丈は今のロノスとそう変わらない大きさだろうか。霧深い森の中で蜂蜜色の髪がよく目立っていた。

 この雨の中、さらに言えば湖の上に(そび)える大樹の根元まで、一切濡れずにやってきたその男には見覚えがあった。


「よう! 久々じゃないか!」


 陽気な声と表情に対して浮かんだのはどうしてという疑問と、込み上げそうになる怒りだった。


「……——何故、お前が此処に居る」


 ()い交ぜの感情を飲み込もうと、喉を鳴らしたことに気が付いたのだろうか。男がにやりと笑う。


「そう睨むな。お前の連れに道案内をしてもらったんだよ」


 霧の向こうから走るふたつの影が見えた。ややあって輪郭を現したそれはやはりと言うべきか、アーテとリオスだった。彼らも雨には濡れておらず、むしろ雨が彼らを避けている様にも見えた。


「お前、速いって! 道も分からないのになんで走るんだよ!」

「向こうの方から来たと言ったのはキミだろう?」


 唸るアーテに対し、おどけて見せる男の瞳は右が緑色で、左が水色だ。

 すなわち、彼は魔術師(オッドアイ)であると色が語っていた。魔術師(オッドアイ)が雨粒を風の魔術で遮っている。この降り注ぐような雨の中で、彼らが一切濡れていないのはその為だ。


「……セルネ、大丈夫だ。知り合いだった」


 深く、長い溜息をひとつ付いてから、ロノスはカーテンの向こうへ避難したセルネへと声を掛けた。アーテの声も聞こえていたのだろう。何事かと目をぱちくりと瞬かせながら、恐る恐ると少女が顔を出す。

 おそらくは魔術によって自力で上がってきた男と、リオスに抱えられて上がってきたであろうアーテの顔を、セルネは順番に見渡した。


「ええっと……ロノスのしってる子、なのよね?」


 最後に男と知り合いらしいロノスの横顔を伺う。眉尻は下がってもいなければ上がってもおらず、瞳も何処か冷ややかで、もはや無表情と言える。見知った相手に向ける顔とはとても思えずに、知り合いなのかと確認してしまうのも無理はないだろう。

 一方、知り合いと言うロノスの言葉に思いの外反応を示さなかったのはアーテだ。


「ああ、知り合いだとも」


 ひとり腕を組み、男は頷いて見せる。そのままロノスの方へと歩み寄ると、歯を覗かせながら得意げに笑って見せた。


「というよりはち——兄弟に近い。そうだよな?」

「……みたいなもの、だろ」


 どうとでもなれといった様に眉間に指を当てたのはロノスで。


「兄弟ぃ!?」


 今度こそ大きく驚いたのはアーテだった。



 ◇ ◇



 雨が降り出す前、アーテとリオスは魔獣に警戒しながら森を歩いていた。

 森は相変わらず霧に包まれて見通しが悪く、リオスから離れないようにとセルネからきつく言われていたことをアーテは思い出す。

 たしかに、はぐれてしまっては自力で家へ戻ることも、森を出ることも難しいかもしれない。目印になるものさえあれば自信があるのに、と森に文句を言っても意味はない。独りになったところで魔獣と遭遇すればどうなるだろうかと、嫌な考えが浮かぶ。

 幸いなことに魔獣は一度も姿を見せていなかった。魔獣が近寄らないあの家のこともある。魔獣がリオスを恐れているという考えは、的を射ていたのかもしれない。


「セルネがいってたのって、あれか?」


 森で唯一に日が差す場所に佇む木には実がついていた。食卓で見た時よりも、その実は瑞々しく熟れた赤色をしていた。その赤を指差すと、合っていると示すようにリオスがゆっくりと頷く。赤が実る木はアーテが想像していたよりは小さく、自分の背を倍にした程度の大きさだった。

 もしかしたら、普段はリオスがセルネを肩に立たせて、ふたりで収穫していたのかもしれない。


「登れなくはないけど、どうすっかな」


 さすがのリオスもまさか自分を担ごうとはしないだろう。

 ならば登ってしまおうか。

 しかし、木々の先は細く、慎重に登らなければたちまち折れてしまいそうだ。

 云々と思考を巡らせていたせいか、アーテは後ろでリオスがしゃがんでいることに気付かない。ちょんちょん、と遠慮がちに指で突いても気付いてもらえないリオスは困り果てていた。仕方無しと肩に手を掛けようとした時。


「なんだ少年。実がほしいのか」

「——えっ」


 その声にふたりが振り向くのと同時に、ふたりの間を突風が抜けていく。甘い香りがしたのは気のせいだろうか。風が抜けた先の背後から、ぽとぽとと何かが落ちる音が続いて、ひとつはアーテの頭に直撃した。


「って!」


 痛くはない。が、反射的にそう口にした。頭に落ちてきたのはあの赤い実で、頭から転げ落ちるそれをアーテよりも速く掴み取った者が居た。


「こんなところに人がいるとはな、驚いたよ」


 赤い実を上へ放り投げて、再び手のひらで覆う様に掴み取ったのは先程の声の主だ。いつの間にか目の前に居た男に対し、真っ先に警戒を示したのはリオスだった。

 背後に木があるにも関わらず、後ろへ飛び退こうとするアーテを引き寄せて、声の主を飛び越す形で距離を取った。すれ違いざまにアーテが見たものは、蜂蜜色の髪に色違いの双眸だ。

 瞳の色は緑色と水色——すなわち。


魔術師(オッドアイ)……!」


 木の実を落としたのも魔術なのだろう。おそらくは風の魔術。

 脳裏に過ったのはくすくすと笑うアドアの姿だ。手痛い思いをしたばかりの記憶が蘇り、思わず左手首を抑えてしまう。目の前に居る魔術師(オッドアイ)の男は白いローブこそ着ていないが、唐突に現れた彼はアドアと同様に害を成す魔術師(オッドアイ)かもしれない。

 一方で、アーテから睨みつけられても気にしないといった様子で、魔術師(オッドアイ)の男は赤い実を指に挟みながら両手を挙げた。


「ああ、警戒しないでくれたまえ。ただの人探し中の通行人、いや旅人か? まあ、そんなものだ」

「人探し……?」


 腰の剣に手を添えたまま、アーテが男に聞き返す。

 荷を詰めたであろう背嚢(はいのう)。土と泥で汚れた皮の長靴、腰のベルトに備えられた剣。

 たしかに旅人と言われれば、男はそういった格好をしていた。

 しかし、旅人であるからと警戒を解く理由にはならない。どうして魔術を使ってみせたのか、それが解らないままだからだ。

 魔術師(オッドアイ)は希少な存在だ。瞳の色が左右で違うという見た目は勿論、堂々と魔術を使えば人目を惹くことになる。半魔であるロノスと旅をする上で、目立つことを避けたかったアーテはそれを隠していた。魔術師(オッドアイ)であることを隠して旅をしている身だからこそ、アーテには男の真意が分からなかった。


「誰を探してるんだ」


 自然と声は低くなり、剣を握り込む。もはや敵対心を剥き出しにしていた。男はそんなアーテを構いもせず、指に挟んでいた木の実を口へ放り込んだ。


「なんだこれ、渋いな。こんなものが欲しかったのかい、少年」

「質問に答えろよ」


 さもなければ剣を抜く。そのつもりで鞘をかたりと鳴らした。

 しかし、男はそれすら脅しと捉えずに肩を竦めるだけだった。


「金色の目をした男を——」


 その言葉を耳にした途端、目の前が赤くなる。

 姿勢を低くさせて、抜刀とともに男を切り裂こうと腕を振るう。

 けれど、刃は男には届かなかった。男は腰の剣を抜かぬまま、風だけでアーテの剣を受け止めてみせたのだ。剣を押し留めていた風を打ち上げて、まるで木の葉を攫うようにアーテの剣を吹き飛ばした。


「なっ……!」


 剣はそのまま地面に落ちること無く、風を鳴らしながら宙に浮かんでいる。

 ならば魔術を使うまでだと、意識を手のひらに集中させようとしたアーテの肩をリオスが掴む。


「なんだよ、リオス!」


 振り返ってみれば、彼は首を左右に振っている。戦うなと伝えたいのだろう。こんなにも怪しい相手を放っておけというのかと、アーテは反論しようとした。

 けれど、リオスに指差された方を見てみれば、男は相変わらず両手を挙げたままだった。


「すまん、探してる奴との関係性を先に話しておくべきだったな」


 男に戦う意思は無いらしい。アーテの剣こそ奪ったままだが、彼はそれ以上の魔術を使う素振りもなければ、己の剣を抜こうとする様子もない。


「旅に出た幼馴染を探しているんだ。ロノスっていうんだが、知り合いだったりするか?」

「……は?」


 金色の目を探す男がロノスを名指ししたことで、アーテの顔が再び険しいものとなる。あの場でロノスの名を呼んでしまったかは覚えていない。

 やはりアドアの仲間なのだろうか。

 それならば、自分も金色の瞳を持つことを知られているはずだ。知らないふりをしているのかと、疑いの眼差しが一段と強くなる。


「……幼馴染っていうなら、何処から来たか言ってみろよ」

「あいつが自分のことを話すとは思えないんだが」


 まるで、彼がどんな人物か知っているような様子に、アーテが僅かに目を見開く。本当に彼の幼馴染なのだろうか。


「そうだな、あいつならこう言うだろうな。——寒い場所から来た……とな」


 強張っていた身体から力が抜けていく。

 たしかに彼の口から聞いたことがある言葉だった。

 ロノスに魔術師(オッドアイ)の知り合いが居るとは知らなかったが、思い返してみればいくらかの魔術師(オッドアイ)に関する知識を口にしていたことを思い出す。


「……じゃあ、金色が他の属性に反発しないことをロノスに話したのって」

「まあ、ボクと言えばそうなるな。——ああ、そうだ。自己紹介がまだだった」


 ぽつりと音がした。木々の合間に揺れる葉へ、雨粒が落ち始めた音だ。


「ボクはラト。ラト・セマだ。よろしくな」


 降り注ぐ雨をすべて風で弾きながら、男はそう名乗った。



 ◇ ◇



 ロノスの幼馴染を名乗り、挙げ句には兄弟だと言い張る男——ラトに対して、今度こそ驚きを示したのはアーテだった。


「兄弟ぃ!? ロノス、おま、お前弟……いや兄? が居たのかよ!」

「みたいなもの、と言っただろう。血は繋がっていない」


 詰め寄るアーテに、それ以上なければそれ以下もないとロノスが首を振る。

 それを面白可笑しく笑いながら観察するラトに、対面の席でリオスの膝に座り様子を伺うセルネという奇妙な構図が出来ていた。


「えすろーら、だっけ? 以外にも幼馴染が居たのかよ」


 聞いてないぞとアーテが口を尖らせる。ラトの態度からしても、それなりの仲なのだろう。幼馴染がふたり居るとは聞いていないとアーテは不満を剥き出しにした。

 尤も、ロノスがふたつの首飾りをしていることに気付かなければエスローラの話も耳にする機会はなかったのだろうが、アーテの知る由もない。それほどに彼は自身に関する話を全く口にしない。


「なんだ、エスローラのことは話してあるのか」


 アーテがその名を知っているとは思わなかったのか。ラトは意外そうに、いや、面白いとばかりに頬杖を付いた。

 奇異の視線と不貞腐れた視線に挟まれ、ロノスはもはや何度目か解らない溜息を吐き出した。指輪について聞かれたから答えただけだと返せば、だけとは何だとアーテに揺さぶられる。


「それで? お前、その目はどうした。見ない内に随分と背も伸びたものだな」


 あくまで、ラトは調子を崩さずにそう問うた。

 まるで、昨日の出来事を尋ねるような抑揚だった。

 それに過剰に反応したのはアーテだ。ロノスを揺さぶる手がぴたりと止まり、代わりに震えだす。人気の無い場所だからと、セルネたちの家だからと気を抜いていたと顔を蒼くする。幻影魔術をかける必要はないと、眼帯で十分だと思っていた。眼帯を捲られてしまえば、そこが空であると知られてしまう。

 いくらラトが幼馴染だからといって、半魔の存在を許すのか、許さないのか。それはアーテには分からない。どうしてと、心が騒ぎ始める。


(なんでみんなそんな事を気にするんだ。片目が無いからって、半魔だからって)


 アーテの脳裏には、かつて己が瞳を失った時の光景が浮かび上がっていた。

 あの時、故郷の彼らは何と言っていただろうか。自分へ伸びる村人の手をロノスが跳ね除けたことは覚えている。大丈夫だと自分へ言い聞かせたロノスの声も覚えている。

 ならばその先はどうだ。半魔として最初に処分されかけたのは自分だった。それを救ってくれたのがロノスだ。代わりに半魔となったのだ。

 ——死ぬのは構わない。ただ、アーテが無事に目を覚ますまで待ってほしい。


(そうだ。ロノスがそう言ってたんだ。でも、そんなの間違ってる。あいつが死ぬ必要なんか何処にもない)


 だから、どうしたのだろうか。思い出せなかった。勝手に浮かび上がるくせに、まるで靄がかかったように記憶は輪郭を現さない。思い出すことを拒否するように、浮かんでは消えていく。

 ナイフを首に当てた彼の姿を覚えている。止めなければ、彼は迷うこと無く己の首を裂いただろう。それを止めたのは自分で。

 それから、自分たちを囲む大人たちをどうした。早くしろと怒号が聞こえて。その声がうるさくて、うるさくて。


(あの時、俺は——)

「——……テ、アーテ!」


 強く視界が揺れた。先程まで自分がそうしていたように、ロノスに揺さぶられていた。思わずロノスと名を呼んだ声はひどく掠れていて、音になっていたかも怪しいものだった。

 それでも、届いたのだろう。

 彼はゆっくりと頷いて、アーテの髪をそっと撫であげる。


「お前、まだ魔力が戻りきってないんだ、きっと。だから、もう休め」

「そう、だな。ごめん、また俺取り乱して……ほんとに、だめだな」


 互いに歯切れの悪い言葉がただただ並んでいた。

 ふらつきながら、アーテはロノスから離れていく。その背を追ったのはセルネだった。カーテンの向こうで、彼を気遣う少女の声が聞こえる。だいじょうぶよ、と優しい声が彼を寝かしつけていた。


「……悪い、リオス」


 それだけ口にしてロノスが立ち上がるのと同時に、ラトもまた立ち上がった。二人の間にただならぬ空気を感じ、ふたりを止めるべきかリオスの手が彷徨(さまよ)う。


「心配ばかりかけて悪いな。……話を、するだけだから」


 大丈夫だと、その言葉を置き去りにロノスはラトと共に外へ向かった。



 ◇ ◇



「……どうして貴方が此処にいらっしゃるのですか、クラト様」


 大樹の根元で、ロノスは拳を握りしめた。

 そうでもしなければ、飲み込んだはずの怒りが込み上げてしまいそうだった。


「こちらの質問が先だ。——貴様、その目はなんだ」


 質問を重ねたラトの、クラトと呼ばれた男の声は、始めからそんなものは無かったかのように陽気さが消え失せていた。互いの間にあるのは互いを睨む冷たい視線と、張り詰めたような空気だけだった。


「……アゼ家の誇りを裏切った貴方に、答える義理はない。交わす言葉もない」

「ロノス……お前、まだあのことを」


 一歩踏み出したクラトの喉元に、剣が突き立てられる。これ以上近寄るなと、刃の奥で金色が睨みつけていた。


「お前が瞳を失った時、どうして俺から奪わなかった。どうしてエスローラの瞳を選んだ!」


 感情を抑えようとした。元は彼に仕えていた身だと、言い聞かせようとした。

 けれど、もう止めることはできなかった。刃先が震えるのも構わずに、思いをそのまま口にする。


「俺の一族はその為に存在していた。俺達は王の瞳の代替え品だ。お祖母様にそう教えられてきた! それを……!」

「本っ当に……嫌になるなぁ、アゼ一族ってのは。一族揃って見上げた自己犠牲だ」


 風が突き抜けていく。

 それでも、マントと髪を揺らすだけでロノスは剣から手を離さなかった。構わずに一歩踏み出したのはクラトの方だ。頬が切れてもまた一歩と近づいて、動かぬままのロノスの胸ぐらを掴み上げる。

 アゼの一族は、代々王家に仕えてきた一族だった。

 ある時は王の良き友として、共にあるように。ある時はその瞳となるべく、それを誇りとすべく生きてきた一族だ。

 その誇りを裏切ったのだと、ロノスはクラトを拒絶していた。その拒絶を許さなかったのはクラトで、お前も知っているはずだと彼は叫ぶ。


「我が妹の願いだったからだ。お前の瞳を使うなと、このまま病で死ぬくらいならこの瞳を使って欲しいと請われたからだ!」


 クラトの言葉をロノスが鼻で笑う。目の前の男こそが可笑しいのだと嘲笑う。ロノスにとって、目の前の男は一族の誇りだけを裏切っただけでは留まらず、最愛の人をも奪った張本人だ。男に忠義を果たす義理は失われたのだから。言葉を聞き入れる理由もなかった。


「ならば、半魔としてローラを斬ったようにこの場で俺も斬り殺せ」


 表情と共に剣を投げ捨てる。何ひとつ感情を持たない顔で、斬ってくれるならば抵抗はしないと示して見せる。雨の中に捨てられた剣はすぐに泥に濡れていき、ふたりだけが何にも濡れないままだ。力を抜いて、それでも視線だけは逸らさないロノスへぎちりとクラトが歯を噛み締めた。


「だから……っ! 何の為にエスローラがお前の代わりを申し出たと思っている!」


 分からず屋を大樹へと押し付け、頬を打ち付ける。彼女の想いが分からない訳でもないだろうに、この男は未だに一族の誇りとやらに囚われているのだ。


「……なのか」

「……?」


 ぼそりと、クラトが呟いた。彼のものとは思えない程あまりにもか細い声は、雨音に掻き消されてしまった。


「あのガキに瞳をやったのは、俺への当て付けなのか」

「違う!」


 されるがままだったロノスが突き放す様にクラトを押し返す。

 それだけは誰にも誤解されたくなかった。そんなものの為に身を犠牲にした覚えはないと力が籠もる。


「……アーテに、死んでほしくなかっただけだ。初めて出来た、友なんだ」

「……だったら」


 ならば、こちらの気持ちを分かってほしい。口にしようとして、辞めた。伝えたところで、すぐに飲み込んではくれないだろう。そもそも、こんな話をする為にわざわざ彼を探しに来たわけではない。


「ロノス、国へ戻れ。なんならあのガキどもを連れて行っても構わない」

「何の話を……」


 嫌な予感がした。

 そして、それは的中してしまう。


「——ゼス兄様が父上を殺してガラノシアへ亡命した」

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