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oddmagia  作者: 湖流るこ
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第十八話

 アーテから見れば、用意された食事はとても素晴らしいものに見えた。

 まず品数の多さに驚き、それぞれの量にもいちいち驚いた。これではカラマや使用人たちの分がなくなってしまうのではと思い、使用人たちに声を掛ける。


「なあ、これって本当に俺たちだけで食べていいのか? おっさ——……カラマ様の分とか、お前たちの分がなくなっちゃうんじゃ」

「お客様、どうかお構いなく」

「でも……こんなに美味しいし、俺いっぱい食べちゃうぞ?」


 外出から戻った時の言動と合わせ、始めこそアーテの育ちを気にした使用人たちだったが、今の使用人の口元は緩んでおり、純心な少年になんと応えてやるべきかを逡巡していた。


「アーテ、あまり困らせてやるな」


 クラトに出された助け舟を有り難く受け取り、使用人たちは旅人の食事をようやく見守ることが出来た。

 それからは塩焼きした魚を、鹿肉が入ったシチューを口へ運ぶ度に絶賛したアーテだったが、空になった皿と共に使用人たちが下がると表情を一転させてロノスへと詰め寄った。


「美味かったな!」

「……そうだな」


 返された言葉に声音ではまた食べたいと喜びながらもアーテの顔は真剣で、ロノスの手を取ると掌に文字を書いていく。内容はクラトと何を話していたかだった。

 ロノスも彼がこうしてくることは読んでいたが、どこまで話すべきかはまだ考え倦ねていた。

 クラトへ相談しようにも、目の前の眼差しがその時間を許すとは思えない。尤も相談出来たとしても、最終的にはお前が決めろと言われることも目に見えている。

 結局は可能性の段階であることを前置きに、すべてを伝える事にした。

 アドアの名を出した時にはアーテの眉根がぴくりと動いたが、それ以上の反応は示さなかった。

 その後はクラトも交え、どう動くべきかを無言のまま話し合い、人攫いに動きが出るとすればこの後だろうと、今夜は様子を見ることになった。



 ◇ ◇



 それぞれの寝台に腰を掛けて、無言のままどれほど経っただろうか。

 今頃は外では青い月が輝いていることだろう。カーテンの下側から僅かに差し込む青白い明かりを見つめながら、アーテはただ時が過ぎるのを待った。

 その時間はとても静かで、穏やかに流れているように感じられた。


(……きっと、ロノスにとってはこの夜も、そんなに静かじゃないんだろうな)


 耳を澄ませても、アーテの耳に何か特別な音が届くことはない。

 近くに居るであろうロノスを見ようとも、いくら暗闇に慣れたとはいえその表情を見ることは出来ず、せいぜい彼の輪郭しか伺えなかった。


(このまま朝が来たら、無理矢理にでも寝させるべきだよなぁ)


 何事も起きず、朝さえ来ればとアーテは願う。いつ動きがあるか分からないとロノスが理由をつけて起き続けようとしても、また夜が来るといえば頷いてくれるかもしれない。

 いっそ、彼の耳が何も通さなければ少しは穏やかに過ごせるのだろうかと、そんな考えが過る。音が苦しいのであれば、その耳を閉ざしてしまえばいいと。それがいいかもしれないと思った。

 思い出すのはアリアの山で出会った行商人の夫婦。

 あの時、ロノスがアーテへ伝えたのは半魔だった行商人の妻が完全に魔獣化したという事実だけだ。瞳を寄越せと叫んだ行商人にロノスがどう答えたのか、もしくはなにを思ったのか。結局、知らないままだった。


(あの時はロノスがそうはしなかったから、今はそれでいいって思ってたけど)


 また誰かが瞳を寄越せと宣った時、彼が本心からそれを拒絶してくれるのか、アーテには分からなかった。

 それならば、彼の耳には何も届かない方がいいと思ってしまった。

 誰の言葉も届かなければ彼が答えることも、悩むこともないのにと。


(……いや駄目だろ。それは違う)


 何を考えているんだと、アーテはきつく目を閉じる。

 その時、ばさりと布が音を立てた。遅れてロノスが立ち上がった音だと気付く。


「ロノス、どうし——……」


 思わず出した声にアーテは両手で己の口を塞ぐが、ロノスは気に留めた様子もなく寝台から離れ、窓に向かって歩き出す。

 当然、何か起きたのかとアーテとクラトが立ち上がるが、それさえ待たずにロノスは囁いた。


「隣の男に伝えろ。ロノスがお前を待っていると。その方に手を出せば、この目を抉り捨てるとな」



 ◇ ◇



 街を風が通り過ぎる音、それによって揺れる看板。誰かが寝返りを打った音。どこかの家の中、すぐ隣の寝息に魘される声。海のさざ波。その音すべてがロノスの耳には届いていた。

 ロノスは、この静かなようで五月蝿い夜を今も疎んでいる。昼には昼の五月蝿さがあるが、いつもすぐ隣で旅を謳歌するアーテの声が打ち消してくれていた。彼にそのつもりはなくとも、何度あの声に助けられたか分からない。


(半魔は……独りでは生きられないのかもしれないな)


 ふと考える。街の住人や家族に匿われている彼らもそうなのだろうかと。

 思い返せば、カラマの息子も使用人たちとの会話を楽しんでいたし、父親との会話を待ち遠しそうにしていた。

 彼らの耳がどこまで拾えているのか、それはロノスにも分からない。少なからずこの街で今も起きている者が数人居ることは把握していたが、その者が眠れずにいる半魔なのか、なにかするべきことがあって起きているだけなのか、全員分の判断はつかなかった。


 やがて、いくつかの音が街の近くに現れた。三人分の足音だった。

 それから足音の主たちはある程度まで街に近づきながらも、街へ入ろうとはしなかった。街の入口に居る憲兵を警戒したのかもしれない。


「誰か聞こえていますか?」


 何者かが囁いた。まるで隣人へ話しかけるような声量だ。

 それでもロノスの耳には確かに届いており、ロノスは見開きかけた目を閉じて、集中しているかのように振る舞った。

 尚も、何者かは優しい声音で囁く。


「あなたを助けたいのです。返事を頂けたら、迎えに参りますよ」


 始めこそ、聞き間違いだと自身を疑ったが、ロノスは声の主を知っていた。

 あの穏やかな声の裏で、すべてに怨嗟を吐き続ける声を忘れられる訳がない。声の主はロノスが初めて拒絶した人間であり、クラトが所有すべき己の瞳を寄越せと迫った者。名はゼス・リュリアス・リミクリー。クラトの兄であり、リミクリー王国の第一王子だった者だ。


「必ず助けて差し上げます。あなたたちを人間に戻す方法を知っているのです。半魔を悪く思う者たちに見つからぬよう、そっとお返事ください」


 彼の存在に困惑しながらも、ロノスは納得した。

 街の住民の内、あの声が聞こえてしまうのは聴覚が発達してしまった半魔だけだろう。今まで居なくなった者たちはあの甘言を受けて返事をした結果、迎えられたのだ。それに付け加え、そっと返事をするようにと指示する程だ。あちら側にも半魔が居り、今もこうして声に返答する者が居ないか耳を澄ませているかもしれない。

 そうだとすれば、声を怪しんで返事をせずとも、声を聞いた素振りを知られるだけで危うい。


(最悪だ)


 ロノスは心の中でそう吐き捨てた。

 三人分の足音は近づいて来たのではなく、唐突に現れたということが問題だった。

 ロノスの耳に届いたのは、唐突に地面へ足が触れた音だ。高所から降りた音とも違い、茂みを揺らすような音もまるでしなかった。

 何処かへ潜んでいたのではなく、何もなかった場所から現れて、そのまま街へ近づいた。そう捉えられた。

 真っ先に浮かんだのはアドアの魔術だ。影に沈むように消え、移動する魔術。

 今夜は満月だ。夜であっても十分な影を用意することも出来るだろう。


(本当に、最悪だ)


 今回の事件に瞳狩りであるアドアが関わっていると確信を得ることが出来たならば、ロノスはガラノシア王国が絡んだ国境を越えた問題に繋がると進言し、クラトの手を引かせるつもりでいた。旅人として振る舞おうが、他国の王族が関わって良い事件ではないと指摘することが出来ただろう。

 しかし、ゼスが関わっているとなれば話は別だ。クラトが放って置くとは到底思えない。


「このままでは、あなた方は魔獣に堕ちてしまうか、夜な夜な処分されてしまう。そのような目に合わせたくないのです」


 よくも抜け抜けと言えたものだと、そう思わずにはいられなかった。

 詐欺師とするならば、下も下だ。そんな方法は有りもしない。救われることは無いと思っているからこそ、ロノスの心はひとつも動かなかった。

 例え、この甘言を囁くのがゼスでなかったとしても同じことが言えただろう。

 しかし、この街に住む者たちはそうすることが出来なかった。


「本当に、助けてくれるんですか?」


 その声は屋敷から発せられたものだった。あの子だと、ロノスは立ち上がる。

 少なくとも、ゼスが現れる前は彼も眠っていたはずだった。くだらない感傷に浸っていたせいで、カラマの息子が起きてしまったことに気付くことが出来なかったと自責する。

 このままでは彼が連れていかれてしまう。客室から離れまでは距離があり、今から向かって間に合うかも分からない。

 ならば、することはひとつだった。自分の存在を知らせれば、彼の気を引くことが出来るかもしれない。

 向こうにも半魔が居ることを願い、ロノスは窓に向かって歩き出す。当然、何か起きたのかとアーテとクラトが立ち上がろうとするが、それさえ待たずにロノスは囁いた。


「隣の男に伝えろ。ロノスがお前を待っていると。その方に手を出せば、この目を抉り捨てるとな」


 そう言いながらカーテンを開け放ち、室内に月光を呼び込んだ。

 遮られることなく室内に注がれる明かりによって、ロノスの影が伸びていく。


「なにがあったんだよ、ロノス!」


 アーテはロノスへと駆け寄ろうとするが、クラトに腕を引かれその場に留まらされてしまう。何の真似だと、非難の声を上げようとするが、ロノスの影に波紋が生じた光景に目を奪われる。

 直後に影が揺れ、そこからずるりと人の形が立ち上がる。それもひとつではなく、ふたつ、みっつと数を間もなく増やしていった。

 その群れに対し、ロノスは素早く剣を抜くと横薙ぎに振り払おうとしたが、黒い爪に阻まれてしまった。


「あっはは、やだなぁ急に。てっきり目ェくれると思ったのに」


 楽しげな子供の声。

 やはり、彼だった。黒髪を揺らして笑う白いローブを身に纏ったアドアからは以前と違い、なにも漂ってこない。香水と毒はやめたのか、それとも匂いがしないものへ変えたのか。


「おしかったですね。連れて行けとでも言ってくだされば宜しかったのに」


 両隣にはアドアと同じ衣に身を包んだ者たち。その内の長身の者がフードを降ろすと、クラトによく似た、しかしそれよりは鈍い髪色が揺れる。

 双眸は緑色だが左と比べると右の瞳の色が少し薄いようにも見えた。

 しかし、決してそれは魔術的に見れば色違いなどでなく属性が違うわけでもない。


「兄上……」


 クラトの声に、ゼスが首を傾ける。お前も居たのかとでも言いたげに目を細め、心底うんざりしたように眉根を詰めた。

 クラトの兄、ゼスは病弱だった。それ故なのか右目の色素が薄かった。一見、 魔術師(オッドアイ)のようでそうでない。そんな彼を見て 魔術師(オッドアイ)として生まれた第二王子と違い、同じ属性の瞳を持つだけの第一王子だと悪く言う者も居た。

 もちろん、家族は誰一人としてそのような事は口にしなかったが、それでもゼスの心には残り続けたのだろう。

 そんな彼が凶行に及んで父の瞳を奪い、それを己の右目に収めた。

 しかし、父の瞳は深い緑色だ。そこへ元の色を灯す理由が分からなかった。

 そもそも、それが出来るのは 魔術師(オッドアイ)だけだ。同じ属性の双眸では魔術を扱えない。

 兄は父の瞳をどこへやったのか。


「お前、どけよ!」


 クラトの思考を遮るようにアーテが叫ぶ。

 アーテやクラトからすれば、彼らの来訪は突然の出来事だ。何が起きていたのかは分からないし、この状況となってはロノスから説明を受ける時間もないだろう。

 それでも、何かが起きた結果にロノスが自身を囮に使ったことだけは理解できた。相手がそれに応じなかった場合、彼は宣言通りにするつもりだったのだろう。

 なにせ、彼はカーテンを開けた手で右目に触れていたのだから。


(ふざけんじゃねぇぞ、ロノス!)


 今もロノスの剣を受け止めたままのアドアを斬り伏せようと、アーテは剣を振るう。そのまま突進するが、それは阻まれた。阻んだのはもうひとりの白いローブの人物で、アーテの剣を素手で止めていた。

 その素手は人間の手と呼ぶには程遠い見た目をしており、月明かりが無ければ闇に消えてしまいそうな程に爪先まで暗黒の色に染まっていた。

 剣を受け止めたというのにその手には傷ひとつなく、ごつごつといくつもの岩が隆起しているようないでだちをしている。


(……こいつ、もしかして)


 黒い腕がぐわりと動き、アーテの剣を押し返す。空いていた同じ黒い片腕が迫るのを目視して、アーテは床を蹴ってクラトが居る場所まで引き下がった。

 その刹那、目深に被られていたフードの奥に赤色を見つけた。

 赤かったのは髪色と右目で、左目には何もない。その周囲を囲うように、黒い棘が隆起していた。

 片目がなく、身体に異常をきたした者。


「邪魔しないでくれるかしら」


 鈴が鳴るような声で、半魔の少女はアーテを睨みつけた。

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