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oddmagia  作者: 湖流るこ
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第十七話 後編

 伯爵の屋敷に戻ると、その帰りを使用人たちが出迎えた。

 しかし、お辞儀をする使用人たちには目もくれず、アーテは客室へと急いだ。後ろからクラトに声を掛けられた気がするし、そのまま彼が使用人となにか話を始めた気もしたが、呼び止められない以上は好きにしていいのだろうと、そういうことにしてアーテはそのまま屋敷の階段を駆け上がる。

 勢いのまま扉を開け放とうとして、中でまだロノスが寝ているかもしれないと手が止まる。階段を駆け上がったのも失敗だったかもしれない。そう戸惑っている隙に扉は独りでにノブが回りゆっくりと開かれた。


「場所を考えろ、少しは落ち着いて歩けないのか」


 内側から扉を開けたのはロノスだった。

 開口一番に苦言を呈され、アーテの顔が(しか)められる。

 行方不明者は半魔だけだと聞いて、ロノスも対象になりうるかもしれない。彼が寝ている間になにかあっては堪らないと、その為に急いだというのに。何故目の前の男は当然のように起きているのだろう。まさかずっと起きていたのだろうかと、そう思うと眉間の皺が深くなっていく。

 彼の開きかけた口を見て、また何か言われる前にと向き合ったままのロノスごと押して部屋に入ると、アーテは後ろ足で扉を引っ掛けてばたんと閉めた。


「……アーテ」


 (たしな)めるように名を呼ばれたが、アーテはお構い無しに頬を膨らませる。自分へ行儀が悪いと言いたいことは分かっていた。振る舞いが良くなかったと、使用人達に謝った方が良いかもしれないとはアーテ自身も感じていたが、それよりも目の前の男に文句が言いたかった。言わなければ気が済まなかったのだ。


「なんで起きてんだよ!」

「全く寝なかったわけじゃない、少し前まで寝ていた」


 アーテとクラトが屋敷を離れていた時間はそう長くない。沈みかけた日が落ちて夜になる程度の時間は経っているが、その程度だ。たったその程度の時間で長旅をしている身であり、その上で音や飢餓によって常に苦しんでいるロノスが十分に休めたとは到底思えなかった。


「いいから、もっかい寝ておけって!」


 アーテがロノスの手を引くが、彼は大丈夫だと言うだけで動こうとしない。

 それでも寝るべきだと両手で腕を引こうとしたところで、ふたたび扉が静かに開かれた。扉を開けたのはクラトだったが、アーテはそれに気付かない。ロノスは一瞬だけ視線を寄越したものの、クラトがどちらの味方につくかを察したのか、すぐに視線を逸らす。

 そんなふたりへ呆れながら、クラトは手を叩いた。ぱんと鳴った音に振り返ったアーテの額を指で弾き、一方でその場から動こうとはしなかったものの、逃げられては困るとロノスの足を踏みつける。

 クラトはふたりの動きを封殺すると、わざとらしく盛大に息を吐き出した。


「いっったいだろ、ラト! なにすんだよ!」


 間髪入れずにアーテが唸った。そこそこの力で額を弾かれた為か、彼の額は赤くなっており、じんと続く痛みを抑えようとうっすら涙目になりながら両手で額を覆っている。それでいて、クラトを睨みつけることは忘れない。

 足を踏みつけられたロノスは然程痛みを感じなかったのか、それとも居心地の悪さからなのか。何かを発することはなく、ただクラトやアーテと視線が交わらないように目を伏せていた。

 クラトからの返答をアーテは待ち続けたが、口を開いたかと思えば彼は先程のものよりは小さい溜息と共に肩を落とすだけだった。ふたりへなにか言う訳でもなく、クラトはテーブルまで向かうと音も立てずに椅子へ腰掛けた。


「食事はこの部屋へ運んでくれるらしい。それから、伯爵が同席出来ないことを詫びていたそうだ」

「……へ?」


 てっきり長く続く小言でも始まるのかと身構えていた為か、突然として始まった食事の話にアーテは気の抜けた声を漏らした。

 使用人たちとなにか話していたのはこの事だったのかとひとり納得し、クラトに続き席へ座る。

 共に食事が出来ないだけで謝るカラマを真面目なんだなと言えば、向かいに座るクラトもそういう御人なのだと肩を竦めていた。

 貴族って面倒臭いんだなとアーテが笑ったところで少年とクラトが声を低くした。それから始まったのは先送りにされていた説教だった。

 急いでいたのは理解出来るし、飽くまで客人として好意的に見られていたとしても、あの振る舞いは頂けないと続いていく。続けば続くほど、アーテの背は小さくなる一方だ。

 アーテの背がすっかり丸められた頃、クラトは未だに席に座ろうともしないロノスへ次はお前だと手招きをする。

 しかし、その手はすぐに降ろされてしまった。ロノスがなにか言いたげだったからだ。彼の顔を見れば、これから始まることへの言い訳でないことはすぐに分かった。

 おそらく、クラトがアーテと話している間も周囲に気を配っていたのだろう。

 食事を運んでくれるという使用人が近くまで来ていないか。もしくは、聞き耳を立てている者が居ないか。


「……訊きたいことがある」


 ロノスはクラトの真横まで移動すると、彼の手を取った。

 そうして、ようやく口を開く。


「アーテに酒場でなにか口にさせていないだろうな」

「なにかと思えば。安心しろ、何も口にさせていない。そうだろう、少年」

「え、あぁ! ……何も食ってねぇし、飲んでもないよ」


 笑ってしまうような内容だったが、おそらく彼は真面目だ。しかし、それは本命ではなかった。本当に訊きたかったことは口頭ではなく、クラトの手のひらに記されていた。ロノスの指が走り、程なくして動きを止めると今度はクラトがロノスの手を取り、彼の指が走る。

 アーテも始めこそ何事かと怪訝な顔をしていたが、指の動きが文字を綴っていると理解してからはすぐに会話を合わせた。腹も減りっぱなしだと言えば満点だろう。

 それからは口先では食事に関する話題ばかりが広がると同時に、無言の会話が指先で続いていた。

 ロノスの問いは酒場で何を知ったのか、ということだった。

 その質問が来るということは、酒場の出来事が彼の耳には届いていなかったということであり、先程まで寝ていたというのは本当であったということだ。内心安堵しながらクラトは酒場で得た情報を指で綴っていく。

 行方不明者が全員半魔であること。その半魔は一年半前に起きた魔獣の襲撃騒動で半魔となった者達であり、処分せずに伯爵も黙認した上で領民と共に匿っていたこと。

 その半魔たちが夜の内に人知れず居なくなってしまうこと。外から家の中に入った形跡もなく、窓や家の戸は施錠されたままであり、街を警護する衛兵すら何も見ていないことを告げた。

 次にロノスが問うたのは伯爵に関してだった。


 ——何故、彼は俺が当時にお前と共にいた従者だと知っていたのか。


 クラトやロノスが初めてカラマに出会った日。その日もロノスはアゼ家の者である証の仮面を付けていた。その後、カラマが滞在する間、彼の前で素顔を晒したことはなかった。ロノスの顔を知る機会はなかっただろう。

 しかし、昼間のカラマはロノスが誰であるか分かっているような振る舞いをしていた。クラトやロノスのやり取りを見て、お変わりありませんねと言ったことに疑問を持ったのだろう。

 昼間の言動では自分があの時の従者であると言っているようなものであるが、それには触れずに彼の問いに返事をする。


 ——文で顔を近々出しに行くと言った時、お前の名を出して連れて行くと言った。その上で堅苦しいお前を見ればわかるだろう。


 一瞬だけロノスの指が止まるが、すぐに文字を綴った。

 始めから手元には一切目をやらずにこの口先だけの会話と手元の会話を続けているおかげか、堅苦しいと評したあたりで彼の眉間に皺が寄ったことにクラトは気付いていた。様子を伺っていたアーテもどうせ余計なことを言ったのだろうと、クラトへ辟易とした視線を送っている。


「あ、そうだ。ロノスって魚好きなんだろ? この街の魚ってきっと美味いよな。此処って港街だし、絶対この後の食事に出てくるだろ、楽しみだな!」

「特別好きという訳ではない。……肉よりは好みではあるが」

「好き嫌いはなしでも、お前は少食すぎることの方が問題だな」


 場を和まそうと努めて明るい声でアーテが話すと、ふたりとも話題には乗るものの何処か空気が重いままだった。顔だけはそれぞれいつもの表情に戻っているだけに却って恐ろしく感じてしまう。

 一体なにを話し合っているのか、アーテは気になって仕方がなかった。体がそわそわとしてしまう感覚がそのまま震えに変わってしまいそうだった。

 その間にも、ふたりの声なき会話は続いていく。


 ——屋敷の離れには、確かに伯爵の息子が居るが、彼は半魔だ。おそらく、既に半身以上が獣のようになっているだろう。足音や息遣いが変わっていた。


 ああ、とクラトは納得した。アーテとともに酒場へ向かおうとした時、彼が何か言いたげだったのはこのことかと。こうして音に出さずに会話を続けるのも、息子の耳がどこまで聞こえているか分からない為だろう。

 半魔が多いこの街だ。今後もこういった手段でのやり取りは増えるかもしれない。

 ひとつ、クラトがロノスへ問う。


 ——ロノス、お前はこの人攫いの犯人が伯爵だと思っているのか? 息子の為に片目を集めているとでも?

 ——可能性のひとつとして考えている。街の人々を半魔として処分せず匿っていたのも、居なくなったとしても大きな騒ぎに出来ないからだとしたらどうだ。


 伯爵はそのような人物ではない。そう伝えようとして、やめた。

 文通を長年交わしていたといっても、所詮は文面だけでのやりとりだ。十五年間の間に彼がどのように過ごしていたのか、または変わっていったのか。その答えをクラトは持っていない。そのような人物ではない、というのは私情を混ぜたただの希望的観測だ。

 けれど、民の行方を不安に思うあの顔が嘘だとも思えなかった。あの顔は本当に民の行方を案じていた。それに、もうひとつ気がかりがあった。


 ——もうひとりの様子はどうだ。伯爵には息子がふたり居るはずだ。


 クラトが文通を行っていたのは伯爵だけではない。彼の妻、息子たちとも文を交わしていた。伯爵の名がカラマであることはもちろん、妻の名がマーリであることを知っていた。そして彼らの子供の名も知っている。

 ステリーとアステ。一歳差のある兄弟だ。父の友人と文通をするために家庭教師から一生懸命に文字を習っていたと、いつかのカラマの手紙に書かれていた事を微笑ましく読んだことも覚えている。


 ——もうひとり居るようには感じられなかった。


 つまり屋敷からも、引いてはこの街からも。今も息子がふたり居るような音は聞こえなかったということだろう。ただ、とロノスが続きを綴る。


 ——伯爵が話していた通り、行方知れずになった友を想うような言葉は何度か口にしていた。

 ——名は口にしていたか?


 そこまで問いかけておいて、クラトの中では既にどちらの名前が出るか、それだけだった。やがて動き出したロノスの指を見て、クラトは僅かな間だけ目を閉じた。

 カラマが民を思いながら浮かべていた顔を見た時、クラトはどこかで見たことがあると感じていた。それをようやく思い出したのだ。

 あれは、親が子を案じる顔だ。今は亡き父親によくさせてしまっていた顔だった。


 ——それは、伯爵のもうひとりの息子の名だ。


 ロノスが綴ったのは兄弟の内、弟の名——アステの名だった。

 兄は弟の行方を憂い、父も息子を想いながら民を忘れることもしない。いや、出来ないのだろう。知っているままの優しい人だった。そう思いたいだけの私情だったとしても、今はそれでいいと思うことにした。


 ——ロノス、伯爵は被害者側だ。それに人を攫う手段も彼にはないだろう。

 ——協力者がいるとすれば、話は別だろう。

 ——そいつが伯爵以外と繋がっている可能性はないと言い切れるのか?


 カラマに人を攫う手段はない。そもそも、誰にも見られず痕跡も残さず人を攫うなど、人の手には負えないものだ。

 しかし、その手段には心当たりがあった。

 それが行える人物との繋がりを疑ったのであれば、ロノスの警戒心が強くなってしまっていることにもクラトは納得した。どこまで過保護なんだと呆れそうになったくらいだ。

 瞳狩りの一味であり、白いローブの小柄の人物、アドア。

 かつてアーテの左手を捩じ切ったという子供。彼が影へと沈み移動する魔術を持つことはロノスから聞かされていた。彼ならば人知れず半魔を攫うことも可能だろう。

 とはいえ、すべては可能性の話だ。考えたくはないが、カラマが何かしらの手段を持った黒幕という可能性すらある。まだ情報が足りないが、時間を掛けるのも良くないだろう。

 ロノスの返事が途切れたかと思えばクラトから離れ、アーテの隣の席に着いた。

 クラトを見ようともしないあたり、意固地になっていたことに気付いて別の可能性も思案しているのだろう。

 程なくして、食事をご用意しましたと廊下から声が掛けられた。


「やったぁ! 飯だ~~!」


 空気に耐えかねたアーテの大声も、さすがのふたりも咎めることはしなかった。

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