第十七話 前編
「……居なくなったのは、全員半魔なんだ」
神妙な面持ちで男が話し出す。行方不明になったのは皆半魔であり、それも一年半前に起きた魔獣騒動の際に負傷し半魔となってしまった者達だと。一度に全員が居なくなってしまった訳ではなく、この半年の間に数人ずつ行方を晦ましていったそうだ。その行方知れずとなった者達の中には男の子供も含まれていたらしく、亡き妻との宝でもある子を想い、こうして酒場で入り浸るようになったという。
最初こそ酒場に居るほかのひとびとも男を気遣っていたが、男の方からそっとしてもらうように頼み込んだそうだ。元より男だけでなく、この酒場に居る者達の多くが家族や友人の行方が分からなくなった者達の集まりで、皆がそれぞれ悲しみだけに染まらないようにと気を紛らわしているのが現状だった。
「それって……匿ってたってことか?」
「……そうだ。家の外には出してやれないが、みんな自分の家でそうしていた」
黙ってこの場を見守ると決めていたが、訊かずにはいられなかった。男に問うアーテの脳裏にはカロ島での出来事が浮かんでいたのだ。半魔となってしまった男を隔離して、祭りの前に自ら居なくなってくれたことを喜んでいた村人達が住むあの村のことを。
大抵の国で半魔を処分することは罪に問われない。むしろ、他のすべてを守るためにもそうすべきだ。それほどまでに半魔は忌むべき存在である。それこそ、アーテの故郷もそうであったように。
しかし、このダノーロのひとびとは違った。アーテの問いかけに頷く男も、この街に住む者達は誰もが半魔を突き放さなかったのだ。大切な家族、友人として見る目を変えなかった。
「……カラマ様は怪我人の追求をしなかった。領民全員の顔を覚えてくださっているあの御方は、見ない顔が増えても怪我人といえばそれだけで黙っていてくれた」
本来であれば、半魔となってしまった時点で領主である伯爵にへ報告を行うべきだった。そうして隣の領、キノ領にある教会へ半魔を引き渡すのが道理だ。
「あの教会に居る 魔術師どもはな、一度たりともこの街には来なかった。魔獣に襲われた時だって、様子を見に来なかったんだぞ。そんな奴らに誰が大事な奴を引き渡すってんだ!」
憤怒の形相を浮かべた男が丸机に拳を叩きつける。
キノ領の教会に所属するという 魔術師は後天的なそれであり、免罪体質者として魔獣の討伐にすべてを注ぐべき立場であることは男も知っているのだろう。それにも関わらず、その 魔術師たちは一切の動きを見せなかった。
「いまさら来られたって、匿っている奴らのことが知られたら困る。最悪、俺達が処罰を食らうのはいいんだ。でも、カラマ様はただじゃすまないだろう?」
「……なるほど、だからお前たちは伯爵に行方不明者についてあまり知られたくなかったのか」
行方不明者について書面に纏め上げたとして、それが外部に流れ出てしまえば全てが露見してしまう可能性がある。半魔を見過ごすだけで大罪だ。それに領主が加担していたとなればどうなるか。地位を追いやられるだけなら、まだましな方だろう。自分たちをここまで愛してくれている敬愛すべき領主を守るためにも、彼らは口を噤んだのだ。
「だがな、それでも伯爵はお前たちをずっと案じている。こうしてボク達を遣わせて解決に乗り出そうとしているんだ」
「……だ、だがよ、本当に夜のうちに居なくなっちまうんだよ」
男の子供は半魔となる前から身体が弱かったらしく、その上で一年半前の騒動で負った怪我により歩けなくなっていたそうだ。それにも関わらず、朝起きると隣に居るはずの子の姿が消えていた。誰かが無理やり家の中に入った形跡もなく、窓や家の戸は施錠されたままだったと言う男の目尻から悲憤の涙が落ちる。
「お気に入りの絵本を読んで、それからおやすみつってよ。その次は……おはようって……言うはずだったんだ」
「武装してるや——……えっと、夜の見回りはしてるんだろう?」
その言い方は良くないぞという視線を隣から受け、慌ててアーテが言い直す。男が気にした様子はなく、そのまま言葉に頷いた。
魔獣被害にあった過去がある為か、この街には何かあれば駆けつけられるように昼間でも衛兵が数多く配置されている。彼らもまた伯爵の領民であり、半魔の隠蔽に手を貸す者達だった。
「いや、あいつらは何も見ていないっていうんだ」
彼らの申し訳無さそうな顔が忘れられないと男の顔が苦痛に満ちる。怪我人の居る家を重点的に警備しても、それでもいつの間にか居なくなってしまう。街の若者達で警備の数を増やしても成果は得られなかったのだそうだ。
既に夜の帳は広がっている。明日にでもまた誰かが居なくなってしまうかもしれない。そういった恐怖が街に取り付いていた。
結局、男から得られた情報は行方不明者が半魔であること、夜の家に人知れず居なくなってしまうことだけだった。男を家まで送り、明日にまた話を伺う約束を取り付けてアーテとクラトは伯爵邸への帰路に着いた。
道中を走るわけではなく、かといって歩くわけでもない速度で進むアーテの背を追う形でクラトがそれに続いていた。
何も言わないアーテの心中を正確とまではいかずとも、クラトは理解しているつもりだった。行方不明者が半魔と聞いてから気が気ではなかったのだろう。夜の内に居なくなってしまうと知ってからはすぐにでも帰りたかったはずだ。カロ島とこの街の半魔に対しての扱いの差も彼の心を騒がせたに違いない。
それでも、彼は我慢した。情報を知るために。
「偉いぞ、少年」
アーテの背を速歩きで追い抜きながら、クラトがその頭をわしゃりと撫でる。当のアーテは怪訝な顔で一度立ち止まり、乱された髪を押さえつけながら抜かれた背に追いつくべく駆けていく。
「子供あつかいしてんじゃねーよ、お前だって気にしてないわけじゃないだろ!」
「夜の内と言っても、もう少し人が寝静まった後だろうさ」
ふたりが思い浮かべた人物は間違いなく同じで、休んでいろと伯爵邸に残したロノスのことだった。彼もまた半魔だ。よそ者とはいえ、行方不明者の共通点が半魔である以上、この街に滞在している間はなにがあるか分かったものではない。
それから、伯爵の屋敷までふたりの歩みが止まることはなかった。
◇ ◇
束の間の微睡みから目を覚ます。落ちかけていた日の姿は既に無かったが、沈んでからそう時間が経っていないことが伺えた。それは音が教えてくれた。
ロノスの耳には絶えず様々な音が届いていた。ひとびとの会話、何かが落ちた音。誰かの足音や紙の擦れる音まで様々だ。すべてが近くで起きているわけではないが、少なくともこの街で発生している音の多くは殆ど彼の耳に収まっていた。
だからこそ、この屋敷に立ち入った時からロノスは知っていた。屋敷の離れで養生しているという伯爵の息子の今を。
屋敷の敷地内、本邸から少し離れた位置にある離れ。確かにその場所で彼の息子は養生している。数人の使用人と会話もしているようだった。使用人から疎まれているわけでもなく、会話内容から伯爵が一日の内に何度も訪れていることも分かる。
ただ、問題なのはその息子だ。おそらく、彼の息子は半魔となっている。ロノスがそう判断したのは息遣い、足音が子供のそれではなくなっていたからだ。
だから、これ以上関わるべきではないと、そうクラトに伝えようとしても伯爵に悪意は感じないだろうと、触れてやるなと釘を刺されてしまった。
伯爵の息子が半魔となっているとまでは知らずとも、なにか隠し事をしていることには気付いていただろうに。存外に甘いところは変わっていないらしい。
(一度信じた人間に対して警戒が抜けるのは、あいつの悪い癖だな)
都合の良いように他人を利用するようで、一度でも信じた相手を他人と見ることが出来ない彼のことだ。恩を売るためだと言いながらも、この街で起きている騒ぎも解決する気でいるのだろう。
伯爵からの手紙を受け取り返事を送り、また次の手紙を楽しみに待つクラトの姿を思い出す。その彼が戻ってくる前にロノスは小さく息を吐き出した。




