幕間一
澄んだ夜空の影響か、昼は白く長い廊下も青白く霞みながら星の瞬きを微かに映していた。長い廊下を鼻歌をご機嫌に歌いながら進み、短い黒髪を揺らす子供が居た。その後ろを黙々と付いていくのは、子供と同じ白いローブに身を包んだ長身の人物だ。子供と違ってフードで顔を隠したまま、目の前の小さな背に問い掛ける。
「ご機嫌だね、アドア」
「久々に帰ってきたからねぇ。ね、アドア達のことさ、褒めてくれると思う?」
くるりと踊るように振り返って子供——アドアはくすくすと笑う。
細められたのは大人からの言いつけを守り、きっと褒めてもらえると期待に満ちた瞳ではない。水面で歪んだ月のように口元を釣り上げて笑顔を創りだし、全体が黒色に侵蝕されつつある右目だった。アドアから伸びる影も蠢きながら、右目と同じ様にこの空間でもっとも純粋な黒と等しい色へ近づいている。
「アドア、扉が閉じきれてないよ」
「ん? あぁ……これ難しいんだよぅ」
歩みを止めて、アドアは口を尖らせて右目を両手で抑え込む。ややあってから、眼球を覆っていた黒色が渦を描きながら瞳に収まっていった。つま先で自分の影を突くと、硬い床がかつんと音を立てた。それを聞いたアドアは満足そうに笑う。
「ま、どうせあの人なら落ちたりしないと思うけどねぇ」
「……怒られるのは君だから。僕は嫌だよ、アドアがひどいことされるの」
「オルは心配性だなぁ! へーきだってぇ」
くるくると廻り、アドアは再び廊下を進んでいく。その先には大きな扉があった。
扉の前には数名の武装した者たちが並んでいるが、アドア達には目もくれない。
「だってアドアったら、おじさんのお気に入りだもん。そうでしょう」
大きな扉が開く。夜風吹く廊下とは変わり、外の景色を遮断した何も無い空間にひとつ置かれていたのは背が長く、足に彫刻が掘られた石の椅子。その椅子に腰掛けているのは青白の長い髪を床に垂らした男だった。
「ね? ネキアス様」
「……おかえり」
椅子以外何も無い空間でオルが跪く。頭を垂れるオルの隣を通り過ぎ、アドアはネキアスと呼んだ男の前まで歩み寄る。
「ただいまもどりまーした! 拾ってきたやつってさ、いつものあそこでいいんだよね?」
「あぁ、構わぬ。ご苦労であったな。して、何色があった?」
アドアが人差し指を顎に添えながら首を傾げる。眉尻を下げてはいるものの、顔は無邪気に笑ったままだ。
「えー、どうせ見に行くんでしょう。直接確認してきてよ」
「金色はあったか?」
アドアは両目を閉じて、微動だにしないまま口元だけを変わらずに笑わせる。
「言ったでしょ、直接確認してきてって」
それだけを言うと、アドアはネキアスに背を向ける。
「ていうか休みたいんだけど。いいよね?」
アドアの言葉にネキアスは構わぬと頷く。それ以上は言葉を交わすこともなく、早々に退室するアドアにオルが続いた。
ずかずかと廊下を大股で渡るアドアの背を追いかけて角を曲がり、階段を降りたところでオルは小さな背を呼び止める。
「アドア」
「なあに?」
くるりと振り返り、アドアがオルへと駆け寄る。
「よかったの? 報告しなくて」
「ああ、金色のやつのこと?」
両手を広げてぶつかるようにしてきたアドアをオルが受け止める。随分と下の位置にある頭を見下ろしながらそっと撫でると、もっとしてと言うように頭を押し付けられた。
「だって、疲れたからはやく休みたかったんだもん。あの移動の仕方、つらいんだよ」
知ってるでしょと、そういったアドアの視線は足元に落ちていた。
それにと小さな口が続ける。
「壊して壊れなかったの、あのお兄さんがはじめてだったし」
壊したのに、壊れなかった。彼は元通りにした。初めて得た経験だった。あんなにも、愉しいと思ったのは。
でも、とオルがしゃがみこむ。フードの中でアドアによく似た黒髪がふわりと揺れていた。
「隠したと知られたら、怒られるのは君だ」
君がひどいことをされるのは嫌だよと、オルがアドアを諭す。さっきもそんなことを言われたなと、アドアは目の前の心配性に笑いかける。その笑いは先程まで浮かべていた笑みのどれよりも柔らかく、まっすぐにオルを見つめていた。
「大丈夫だよ。言ったでしょ、自由に歩かせるぐらいにお気にいりなんだよ。アドアはあいつにとって最高の魔結人形なんだから」




