第十一話
戦闘描写・流血表現がございます。
また一匹ですが、節足動物出てきます。苦手な方はご注意ください。
元より小舟から持ってきた背嚢や革袋に、三人分の旅道具が納まるとはクラトも思っておらず、それを含めて旅道具を新調するつもりではあった。
いくら青い鳥を一目でも見てみたいからと、荷物を持っていたアーテがそのまま噴水広場へ向かってしまうとは思わず、クラトはこの先の旅にやや不安を感じていた。アーテがロノスとふたりで旅をしている間、ロノスがどれほど彼を甘やかしていたとしても、荷物を管理していたのがどちらだったのかは察しがつく。
路銀までは預けられないと、手持ちに残していなければ今頃は完全な手ぶらだ。
(少々大げさに担いであの少年の元へ戻っても、文句は言われまい)
噴水広場の長椅子に腰掛けたふたりを見つけると、特大な笑顔を浮かべて手を振った。こちらに気付き、アーテが立ち上がる。
一度は手を振り返そうとしたのだろう。
しかし、クラトの意地悪な顔に気が付いたのか、口を引き攣らせながら手を降ろしてしまった。
「やあ、少年。鳥さんとは遊べたかな?」
「その……ごめん、なんにも考えてなかった」
どすんと、わざと音を立てて荷物を降ろしてみせるとアーテがたじろいだ。
笑顔を浮かべたまま、無言で仁王立ちするクラトを前におろおろと視線を彷徨わせ、ぱちりと目が合ったロノスを縋るように見上げている。我ながら甘いと思いながらも、ロノスはその期待へ応えることにした。
「……だから、アーテで遊ぶな」
「……善処しよう」
そう言う前に、クラトの口が過保護めと音もなく動いたことをロノスは見逃さなかった。その後に口元が釣り上がっていたことも見逃していない。
リミクリー王国へ戻るまでの間、この調子が続くと思うと気が重くなってしまいそうだった。
「此処で、このまま荷を整理するのはさすがに迷惑になる」
アーテの足元に置かれた荷物をまとめて担ぎ、ロノスは広場の隅へと移動する。
ふたりに背を向けてから、ロノスは密かに息を吐き出した。
それには気付かないまま、手伝おうと彼の背に続こうとしたアーテをクラトが呼び止める。
「少年、それで鳥とは遊べたか?」
「勘弁してくれよ……」
◇ ◇
(なんにも持たせてもらえなかった……)
結局、まとめ直した荷はロノスとクラトが分担することとなった。アーテの荷物といえば腰に下げた剣、ポケットの奥にしまいこんだ本屋の店主から貰った覚書、鳥から贈られた青い羽根だけだ。
失態を犯したばかりで口にすることは出来ず、それでも不満が顔へ滲み出てしまっているアーテには触れないまま、クラトが村まで先導する。
見晴らしの良い草原に吹く静かな風が、旅人らの髪と草の緑を撫でていた。
小高い丘に差し掛かった時、待てと静止の声を掛けたのはロノスだ。
「血の匂いがする。……人間のものだ」
「この先からか?」
ロノスは視線を動かさないまま、クラトに頷いた。
この先、連なる丘を越えた向こう側にはプティラス村がある。そこから血の匂いが漂っているということだろう。それも、人間の。
「おい、それって魔獣が……!」
駆け出そうとしたアーテの前に、クラトの手が降ろされる。ふたりを横切って、ロノスは村へと向かった。それに続くべきだと、何の真似だと言わんばかりにその手を振り払おうとしたアーテの腕を逆に払い、クラトは彼より一歩前へ踏み出した。
「おいラト、こんな時に——」
「アーテ、戦闘になっても魔術は使うな」
それだけ言うとクラトは地面を蹴り、村へと走り出す。
数瞬遅れて、アーテがその後に続いた。
「念押しされなくても、わかってるって!」
ひとつ、ふたつ。丘を越えた先、丸太の柵に囲まれた村があった。柵の一部が破られており、そこから魔獣が侵入したのだと伺える。さらにその先で、魔獣が今にも村人を切り刻もうと迫る姿が見えた。
蠍によく似た姿をしているが、体長は魔獣を前に腰を抜かした村人よりも遥かに大きい。後腹部の末端で膨れ上がった毒腺も、村人の頭ほどの大きさがある。
村人も一度は魔獣に立ち向かったのだろうか。
周囲には投げつけたと思われる石や丸太が転がっていた。体格からして、村では力自慢の男だったのかもしれない。
男の目の前で、魔獣の血濡れた毒針が揺れた。
「ひぃッ」
男と、物陰から男を見守っていた村人の悲鳴が重なる。ばちんと鳴らした触肢の奥で、舌なめずりをする様に鋏角が獲物を求めて蠢いた。
震えた身体ではまともに動くことも敵わず、後退しようとした男は地面すら這うことが出来ないままでいる。魔獣がもたらした恐怖は、男が死の覚悟を抱くことすら許さない。
「——屈んでいろ」
短く男に声掛けて、男と魔獣の合間に入り込むとクラトは剣を一閃させた。刃の閃光が魔獣の血に濡れていく刹那、次に音を立てたのは斬り落とされた触肢が地面に落ちる音だった。身体の一部を失ったことで均衡が崩れたのか、魔獣は身体を傾けながら尾節を振るう。
しかし、その毒針がクラトに届くことはない。彼の頭を毒針が突き刺すかどうかの間際で、ロノスによって切断された尾節ごとまた地面に叩き落されていく。
それでも、息の根が尽きぬのはさすが魔獣といったところだろうか。後退りした魔獣の背を、後方で構えていたアーテが剣を振り下ろしながら飛び掛かる。
瞬く間に両断された魔獣は、自らが撒き散らした体液に沈んでいった。
「アーテ、怪我は」
「してねぇって。っていうか、そっちこそしてないだろうな」
「……お前たちなぁ、この者の安否が先だろう」
おそらく毎度であろうやりとりを交わすふたりを尻目に、クラトは辟易としていた。血濡れた剣を払い、鞘へと戻す。
それから、屈んだままの姿勢から動こうとしない男と視線を合わせる為に腰を降ろす。男に目立った外傷は見受けられなかった。
「……大事ないようだな」
「は、……はい! あの、た……助けていただいて、ありがとうございました」
クラトに差し出された手によって、よろめきながらも男が立ち上がる。
それでようやく安心したのか、家や物陰に隠れていたほかの村人たちもひとり、またひとりと顔を出し始めた。魔獣から逃げようとして転倒したのか、擦りむいたような怪我はあるものの、大事に至った者は居ないように見える。
「よかった、魔獣に怪我を負わされた奴は居ないみたいだな!」
「……そうだな」
村人たちの様子に胸を撫で下ろすアーテの隣で、魔獣を見下ろしたままロノスが頷いた。
◇ ◇
「少年はもう少し慎重になったほうがいい」
どうやら村は明日に祭りを控えていたらしい。
村一同感謝しております、ぜひ明日の祭りにも参加してくださいと言われ、真っ先に頷いてしまったのはアーテだった。頷いてからはっとして、慌ててロノスとクラトの様子を伺うように振り返ったが、両者からは何も言わずに互いに顔を見合わせた後、こちらを見ながら肩を竦めるという反応をされてしまった。
魔獣の後始末はこちらに任せてくださいと村人らに押し切られ、あれよあれよとしている内にお代もいりませんと宿へ通されて、今に至る。
「どうせ、ロノスからもよく言われてるんだろう」
呆れた様子でクラトは椅子の背を掴み、そのままそれを前として座ると頬杖をつく。姿勢が悪いと隣の誰かから小言が聞こえた気もするが、それは無視することにした。
「ごめん。でも……祭りって行ったことないから、その……」
祭りと聞いて顔を綻ばせ、ふたりから肩を竦められては自分の肩を落とし、今や一室の隅で縮こまったアーテから聞こえてきたのは小さな声だった。
こうして旅に出るまで、アーテは故郷の村から遠く離れたことがなかった。
祭りというものは知っていたが、行ったことがなければ見たこともない。
だから、祭りがあると聞いて浮き立つ気持ちが抑えられなくなってしまったのだ。
「ふたりと、祭りを見てみたくて」
彼が田舎村育ちの少年であるのだとすれば、それは純粋な思いだったのだろう。
クラトはゆっくりと息を吐き出して立ち上がると、椅子の向きを正して改めて腰掛けた。隣の男を見てみれば、片手でこめかみを押さえている。
「……羽目を外し過ぎないようにな」
すっかり保護者だなと、そう言いながら足を組み、頭の後ろで腕を重ねたクラトへ姿勢が悪いと二度目の小言が落ちたのは言う迄もないだろう。
◇ ◇
次の日、村は朝から祭りの準備をしているのか、騒がしさで目を覚ますこととなる。尤も騒がしさに目が覚めたのはアーテだけだった。
ふたりは既に部屋には居らず、代わりに村人を手伝ってくるという書き置きが机に残されていた。ご丁寧にその隣には朝食も置かれている。
「大人になると早起きするものなのか?」
欠伸を漏らすアーテの耳に、部屋の扉を叩いた音が届く。遠慮がないようで、力があまり込められていないような、どっちつかずな音だった。
「はぁい?」
間の抜けた声とともにアーテが扉を開けるが、そこには誰の姿もなかった。気のせいだったのだろうか。扉を閉めようとすると、下からおい、と声が聞こえた。そのまま視線を下げると、幼い子供が四人居た。
おそらくは村の子らなのだろう。意外な来訪者に首を傾げるアーテに指をびっと向けて、やんちゃそうな子供が大きく口を開く。
「なあ、おまえってたびびとなんだろ!」
「そうなんだろ!」
「たびのはなし、きかせろよ!」
やんちゃそうな子供に続き、いかにも彼の子分ですといった元気の有り余るふたつの声がアーテに群がった。大人たちから此処に旅人が泊まっていると聞きつけて、居ても立っても居られないと旅の話を聞きに来たそうだ。
アーテの返事も待たず、四人の子供が部屋に入り込んでいく。こちらはまだ何も言っていないというのに。どうしたものかと思わず苦笑を漏らしている内に、子供たちはどこで話を聞くかすっかり決めたらしい。
ひとりは寝台で頬杖を付いて寝そべりながら。ひとりは床にそのまま座りながら。ひとりは椅子に腰を掛けて、足をぶんぶんとばたつかせながら。これからどんな物語が始まるのか、それぞれが期待に満ちている。
随分と勝手だなと思いながらも、これが子供らしさなのだろうかと微笑ましい気持ちも芽生え始めていた。
しかし、部屋を訪ねてきたのは四人だったはずだ。
もうひとりは何処へ行ったのかと探そうとして、アーテは服を引っ張られたことに気付く。そちらを見れば、探していた子供が居た。部屋に入ってから、一歩も動かずに俯いていたのだ。恥ずかしがり屋なのかもしれないが、元気がないようにも見える。
「どうかしたのか?」
しゃがみ込んで顔を伺ってみると、子供は静かに泣いていた。驚いたアーテの様子にほかの子供たちも気が付いたのか、どうしたの、だいじょうぶと不安げに近づいてくる。
「んー、話したくないのか?」
アーテの言葉に、子供は首を横に振る。話したくない。というわけではないらしい。
けれど、やはり話そうとしない。その間にも、涙はどんどんと大粒になっていく。
言葉が強かっただろうかと心配になってしまう。深呼吸をして、出来る限り優しくなるようにアーテは言葉を探した。
「えー、えっと。お兄ちゃんだけになら話せる、かなー……なあんちゃって」
こくりと頷かれた。思いもしなかった反応だ。
どう話を続ければいいのか分からずにいるアーテをよそに、元気いっぱいの子供たちはそういうことかと三人で顔を見合わせて頷き合っている。
「しょうがないなぁ、あるよな、じぶんだけききたいーってやつ!」
「あとでお兄ちゃんとはなしたこと、きかせろよ!」
「おまえ、ほれっぽいもんな!」
そう言い残すと、なにかずれた勘違いをしたらしい子供たちは、ばたんと勢いよく扉を閉めて帰ってしまった。急にやってきたかと思えば、急に立ち去っていく。
まさに嵐のようだ。部屋に残されたのは困り果てたアーテと、その隣で泣いたままの子供だけになってしまった。
とても話せる状態には見えない。ひとまず落ち着かせるべきだろうか。
しかし、このまま頭を撫でたら驚かせてしまうのではないだろうか。
どうすればいいんだと、頭がいっぱいになりそうだった時。
「……お、とうさんが」
小さな声だった。どうすべきかと考える心の声でかき消せてしまいそうな、それほどに小さな声。
「おとうさんが、きのうからね、どこにもいないの」
「え——……」
昨日に起きた魔獣による襲撃で、大きな怪我をした者は居ないはずだ。酷い有様で子供に会わせることが出来ない、なんてことはないだろう。
助けを呼ぼうと村から飛び出して、その先の何処かで怪我をして動けずにいるのか。そうだとすれば、ロノスが血の匂いで気が付くはずだ。
もしかしたら、血を流すような怪我でなくとも気を失っているのかもしれない。
「おとうさん、こわいやつにたべられちゃったの……?」
子供は不安で胸をいっぱいにしながら、自分を見上げている。アーテはそんな子供の頭にぽん、と優しく手を添えた。怯えた様子がないことを確認して、そっと子供の両肩に手を掛けた。
父親の姿が見えずに心配でたまらない子供も、親が戻ってくれば笑顔に戻るだろう。ならば、出来ることをするだけだ。
「そんなことない、大丈夫だよ。俺が君のおとうさんを探してくるから!」
「ほんと? いいの?」
アーテが大きく頷く。勝手に村の外へ出たことがあのふたりに知られたら、きっと大目玉を食らうことになるだろう。
(怒られたって構うもんか。あいつらだって泣いてる子供を無視するわけがない)
「お兄ちゃんに任せとけって!」
◇ ◇
魔獣のせいで準備が遅れていたのだろう。早朝から忙しない彼らに手伝おうと声を掛けたのはクラトだった。
村人も最初こそ申し訳無さそうにしていたが、どのような祭りが行われるのか興味があるというクラトの言葉に乗せられて、話をしている内に準備を共にすることが出来た。後は大丈夫ですから休んでくださいと、案内された木陰でふたりは村の様子を見つめていた。
「悪かったな、まさかこの村に祭りがあるとは思わなかった」
「……別に、どうせ一晩は泊まる予定だっただろう」
村の大人たちは祭りの準備を。子供たちはそれを邪魔しないようにと、家の中で遊ぶ様子が見えた。
す、とクラトが目を細める。
「それで、血の匂いは何処からしている?」
「……あの納屋だ」
視線でそう伝えるとロノスは両手で顔を覆い、その奥できつく瞳を閉じた。
血の匂いは消えていない、むしろ——。
「——昨日より、ひどくなっている」
クラトにはその匂いを感じ取ることは出来ない。
けれど、隣に居る男の顔色は見るまでもなく把握しているつもりだった。
村を襲った魔獣には不審な点があったのだ。魔獣の毒針には血が付着していた。
しかし、昨日と今日も針に刺された者が居るという話は誰も口にしていない。
それに付け加えるのだとすれば、あの魔獣は触肢と口元も血で濡れていた。
村を襲撃する前に何者かを襲っていたのだとすれば、丸太の柵が壊された際、周囲に血が移っていても可笑しくはない。
けれど、そこからは匂いすら感じ取れなかった。ならば付着した血は村で付いたことになる。つまり、自分たちが駆けつける前に、村で何者かが大怪我を負ったということだ。
「よほどこの祭りが大事なのだろうな。隠した奴は他の者に知られたくないらしい」
村人たちは遅れた分を取り戻す為か、今も懸命に準備を進めている。
祭りに興味があると、クラトの口車に乗せられたのは昨日助けたあの男だった。
この祭りは魔獣から我らをお護り頂きありがとうございますと、日々の感謝を神へ伝える為に行われるものだそうだ。
神への感謝と祈りがあったからこそ、我々は魔獣に襲われても旅人が訪れるまで誰も大きな怪我をしなかったのだと。彼はそう話していた。
彼らの祈りを捧げる神が、この世界の多くの者が信仰しているシィト神と同一なのか。それは分からない。
しかし、そんなことは最早どうでもよかった。
「だからこそ、お前は一晩も泊まらずに村を出ると言い出すと思ったんだがな」
「……あれで勘が良いんだ、アーテは。無理に発とうとすれば気付かれる」
「ミロ村のようになることを恐れているのか、お前は」
ロノスが目を見開く。顔を覆った手のひらの隙間から、クラトを睨みつけた。
ミロ村は、アーテの故郷だった。
「……やはり、既にあそこへ行っていたんだな」
「お前が向かったとすればあの村だろうからな。まさか、そこから見知らぬガキを連れてあんな場所まで遠出していたとは思わなかったがな?」
アーテとの出会いは偶然だったのだろう。彼が掛け替えのない友となることも。
そして、彼が片目を失うような事態に陥ったことも。
アゼ家の使命としてではなく、己の意思でロノスはアーテを助ける為に左目を差し出した。そこまで友を想うロノスが、ミロ村の者たちが話していた所業を犯したとは到底思えない。
そもそも、始めからそんな話を鵜呑みにはしていなかった。
クラトは知っていたからだ。
ロノスにとって、アーテに思い出してほしくないことを。
——ミロ村の者たちに思い違いをしていてほしいことを。
「……安心しろ」
クラトが鼻先で笑う。
結局、この男は意志が芽生えようと、どこまでもアゼ家の血が抜けないのだと。
「旅人から半魔になった者が、命欲しさに村の子供を人質に追手を皆殺しにし、そのまま子供を攫った……あいつらはそう思い込んでいたさ」
クラトの言葉に、ずっと燻っていた憂いが晴れていく。
彼らがアーテを受け入れてくれるのであれば。或いは自分が居なくなった時、遺されたアーテに帰る場所があるのならば。
「…………あぁ、安心した」
それは、心からの声だった。




