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oddmagia  作者: 湖流るこ
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第一話

旅をする少年と青年のお話です。

ふたりはお互いのことを「兄のよう」「弟のよう」と思っています。

 がたん、となにかが落ちる音がした。

 自身が寝台から落ちた音だと気が付く前に、窓から差し込んだ日の眩しさが思考を妨げる。何度か瞬きをして、ようやくアーテは朝が訪れたことと、先程の音の正体を把握した。

 寝相の悪さを自覚しているアーテではあったが、こうも毎度寝台から落ちるようでは今度こそロノスに呆れられてしまうかもしれない。それだけは避けなければならないと、アーテは床から起き上がる。勢いをつけたせいで、寝台に足をぶつけかけたが、この際どうでもよかった。


「ごめん、ロノス。大きな音たてて」


 音に敏感な彼のことだ。先程の音で起こしてしまったかもしれない。そうでなくても煩くしてしまったことには変わりなく、なにかしらの妨げをしてしまった可能性は高い。ぱん、と両手を合わせながら頭も下げるが返事はない。

 まさか本当に呆れられてしまったのか、血の気が引きそうになってから思い出す。

 ——この街に、彼は入っていない。街の近くにある森で野宿しているのだと。


「そうじゃん、この街には入れないんだった」


 安堵ひとつ、それに相反するように街への苛立ちが大きな溜息となる。街のすべてが悪いわけじゃないけどと独り言をこぼした。

 昨日、宿を取る前に街を歩いて感じたことを思い返せば、ここに住む人々が悪い人ではないことは分かる。人の出入りの厳しさだけはあれど、その理由も至って普通のものだ。

 けれど、それが彼を遠ざける理由になってしまうことに、自分だけは納得したくなかった。気を取り直すように、アーテは両手で頬を打ち付ける。


「しっかりしろ、俺。寝ぼけてる暇なんか無いんだ」


 食料や野営に必要なものは、昨日のうちに既に買い揃えてある。この街の滞在は今日までの予定だ。少しでも時間が惜しいと思うのならば、どんな些細なことでもいいから、とにかく情報を掴む為に動くべきだ。

 そうと決まれば、アーテは足早に宿を後にした。



 十数年前、この街、フィロアリアは魔獣の被害を強く受けたという話をロノスから軽く聞いていたが、その名残はほとんど見受けられなかった。

 既に建て直されたのか、そもそもそういった被害はなかったのか、破壊された建物も見当たらない。慰霊碑に献花する人々の姿こそあれ、行き交う人々の中に暗い顔をしている者はひとりもいなかった。

 自分の故郷も時間さえあれば、この街の人たちのようになれたのだろうか。いやそんな時間はないと、アーテは行き交う人々から目を逸らした。

 逸らした視線の先には古びた本屋があった。景観からして街の中でも随分と年季があるように見える。やみくもに街を歩いて回るよりはなにかを得られるかも知れない。軋んだ音をたてながら扉を開けると、古びたインクの匂いが鼻を刺した。


「あいつが好きそうな匂いだなぁ」


 自身のことをあまり語らないロノスの趣味を思い出しながら、店内を見回す。

 埋め尽くすように置かれた本棚には、いかにも古めかしい本が並んでいた。きっと、その中には彼の興味を惹く本もあるだろう。路銀にはまだ余裕があるが、余計な本を買って行っては溜息をつかれてしまいそうだ。

 趣味の本は余計な買い物じゃないだろうに、と心のなかで悪態をついた頃、しわがれた声が耳に届く。


「なにかお探しかな、お若いの」


 声の主は丸い眼鏡をかけた年老いた男だった。

 おそらく店主であろうその老人は本棚の隙間、申し訳程度に置かれた椅子へ腰掛けていた。その隣にある机がさしずめカウンターなのだろう。

 机の下にある無防備な箱の中に金銭が入っているのだとすれば、よほどこの街の治安は良いと見える。


「魔術に関する本ってある?」

「ほっほっほ、魔術とな」


 アーテの問いが意外だったのか、老人が笑う。

 この世界で魔術を扱える人間は少なく、やみくもに探してみつかるものではない。大きな都市に行っても見つかるか、といった具合だ。

 その為、魔術に関する本は自然と少なくなる。使い手がいないのだから、それを書き起こす者もいないのだ。そんな本を探すアーテが物珍しかったのだろう。


「興味があってさ。どんなものでもいいんだ」


 本音を言えたのならば、魔獣に関する本も探したかった。

 しかし、この街に魔獣という言葉を出すことはおそらくタブーだろう。いくら活気が戻っているとはいえ、わざわざ魔獣に関する本を探していると口にすることは、アーテには出来なかった。


「ここにはそういったものはないんじゃよ、悪いのぅ」

「……そっか。ま、そうそう無いよな」


 肩を落とすアーテに、また老人が笑う。

 以前、魔術を学ぼうとするものは、歴史そのものを学ぶことが多いとロノスに聞いたことを思い出す。心底残念だと全身で表すアーテの姿も、老人には勉学に励む若者にでも見えたのだろうか。

 当のアーテは顔を俯かせたことをいいことに、店内に目を配らせて魔獣に関する本を探ったが、そちらもこの店にはないことが伺えた。気は重くなる一方である。


「お若いの、もしも本が好きなら……ガラノシア王国にある魔術図書館は知っておるかの?」

「え、なにそれ。ガラノシアってどこにあるんだ!?」


 聞き馴染みのない名前だった。いかに自分が世間知らずかを思い知る。

 まだ故郷の村に居た頃、勉強から逃げてばかりだった自分をこれほど恨めしいと思ったことはない。あの村に世界の地理すべてを教えられる人間は居なかったかもしれないが、それでも少しは学べたはずだ。

 食い入るように問い返すアーテに、老人は三度笑って答えた。老人の瞳には、よほど熱心な探求者にでも写っているのだろう。


「砂漠の国、ガラノシア王国じゃ。だが、行くのはちと難しいかもしれんの」


 老人曰くこの国の船の内、ガラノシア王国行きの船は運行が止まっているそうだ。運行再開の目処は立っておらず、そもそもガラノシア王国は現在他国からの入国を受け付けていないという。だとすれば、他の船を手配できたとしても、ガラノシア王国へ向かうのは難しいだろう。

 とんだ肩透かしだ、とアーテは内心憤慨しながらも老人に罪はないと自分に言い聞かせ、踵を返そうとした。それを、老人が呼び止める。


「話は最後まで聞くもんじゃぞ」

「なんだよ、じいさん」


 棘を含むアーテをものともせず、老人は傍らにある机の引き出しを開けると、かさりと音を立てながら紙束を取り出した。そのうちのひとつをアーテへと差し出す。

 差し出されたのは、この店の雰囲気に合う丸められた古い羊皮紙だった。されるがままに受け取った羊皮紙を広げると、そこには見たことのない文字が羅列していた。これがどんな意味を持つのか、アーテには検討もつかなかった。

 先程の話に関連するのであれば、魔術図書館由来のものなのだろうか。

 しかし、読めなければ意味はない。この文字が海の遥か向こうのガラノシア王国の母国文字なのだとすれば、文化もまるで違うのだろう。

 けれど、それはあっさりと老人が否定した。


「それはガラノシアにあった書物の一部でのぅ。昔、その国におった魔術を扱う者が遺したそうじゃ。わしも当時の文字なのかと思ったが、それも違うらしい。おそらく、その術師独自の文字なんじゃろう」


 羊皮紙を回転させても、当然文字は読めない。独自文字なぞどうやって読めというのだろうか。頭を悩ませ、ふと気付く。

 昔の術師が遺したものであるなら、国宝とまではいかなくとも、厳重な扱いを受けてもおかしくはない。そんな代物を、なぜこの老人が持っているのか。


「じいさん、実はすげー悪い盗人だったりする?」


 手にした羊皮紙、そして自分を囲む本。まさか、これらはすべて老人が盗み出したものなのだろうか。その考えが、アーテに露骨に怪訝な顔をさせてしまったのだろう。よく笑う老人ではあったが、いままでで一番大きな声が店内に響く。

 その笑い方は、幼子へ読み聞かせる絵本に出てきそうな悪い人に似ていた。この老人が参考にされているのだろうか、そう疑いたくなる程度にはそっくりだった。


「いやぁ、すまんすまん。これは友人に——無理は言ったが奪ってはおらん。譲ってもらったものなんじゃ」

「……友人に?」


 笑いを抑えるかのように老人が咳払いをする。


「その友人はエマテリア王国にあるリストリアという街に住んでおっての。そこで手に入れたと聞いておる。もしかしたら、ほかにも同じようなものがあるかもしれん」


 エマテリア王国のリストリア。これまた、聞いたことがない場所だった。

 もっともガラノシア王国とやらも老人から聞くまで知らなかったのだ。同時にいくつもの名前を覚えることが難しい、いわゆる勉強嫌いなアーテの身からすれば、既に頭が沸騰しそうだった。

 それすらも見抜かれたのだろう。老人は小さな紙切れを机から引き出すと、さらさらと文字を綴る。ところで文字は読めるのかね、と尋ねられてはさすがに堪らずそれくらい読めると思わず声も力んでしまう。

 アーテの様子を見て、なにかに耐えるよう震える老人からその紙切れを受け取ると、先程老人が挙げていた地名が書き連ねてあった。ご丁寧に経路まで書かれては、それだけで自分をからかう老人への溜飲は下がってしまった。


「じいさん、ありがとう! すっげえ助かるよ!」


 羊皮紙と紙切れも手にしたまま老人を抱きしめると、すっかり聞き慣れた笑い声があがる。やっぱり、この街の人はいい人たちだ。



 ◇ ◇



「やっぱケチだわ、あのじいさん」


 きっちり老人に羊皮紙を回収されてしまった。

 アーテが八つ当たりとばかりに道端の石を蹴飛ばすと、石は既に暗くなり始めた森の闇の中へと消えていった。

 せめて紙切れはなくさないようにとしまいこんだポケットを確認し、それからロノスが待つ野宿先へと向かう。

 街の近くにあるこの森をロノスが野宿先に選んだのは偶然だったが、この森の奥には山があり、それが隣国のエマテリア王国へ続く道なのだと、老人から貰った紙切れにはそう記してあった。

 それなら、彼と合流して一晩明かしてから向かうのがいいだろう。どうせなら街にもう一泊すればよかっただろうと小言を受け取るはめになりそうだが、これ以上、彼を独りにさせるようなことはアーテの選択肢には存在しなかった。


「この先だったよな……?」


 茂みをかき分けて進めば、ようやく目印にと木に巻き付けた布切れが見えた。

 けれど、それにしてはやけに静かだ。別れる前、彼は焚き火をつけていたはずだ。

 たしかにこの森は日が届く場所も多いが朝方に一度火を消したとしても、今はこの暗さだ。薪の爆ぜる音が聞こえなければ、明かりも見えない。


「おい、ロノ——……ッ!」


 そこに彼は居なかった。あったのは横たわる鹿によく似た灰緑色(かいりょくしょく)の魔獣の死骸だ。

 あっという間に、アーテの顔から色が失われていく。ぶわりと吹き出した汗が止まらない。もつれそうになる足を奮い立たせて、アーテはそれへと近づいていく。声にならない呼吸だけが口から溢れていった。


「戻ったのか、アーテ」


 背後からした声に、音がなるほど勢いづいてアーテは振り返る。

 そこには彼が居た。ロノスだった。毛先や頬に水滴が見える。

 きっと、水浴びでもしていたのだろう。この倒れ伏した魔獣の返り血を払う為に。この魔獣はロノスが倒したのだ。納得した。彼ならひとりでも十分戦えることは、アーテもよく知っていた。

 けれど、心はざわついたままだった。ほんの一瞬でも、この魔獣が彼かもしれないと思ってしまった自分が、間に合わなかったと、最悪のことを考えてしまった自分がアーテは許せなかった。


「……アーテ、俺なら平気だ。まだ時間はある」

「…………そう、だな。そうだよな、まだ大丈夫だよな」


 両手で顔を覆ってしまったアーテの顔がどんな表情を浮かべているのか、ロノスからは見えない。

 しかし、彼は知っていた。見たことがあるからだ。


「死のうと、するなよ……頼むから」


 小さな、絞り出したような声。アーテがなにを思い出しているのかは察しが付く。

 それには触れずに、ロノスは周囲を一瞥した。魔獣の気配も、人の気配もない。付近には自分たちしか居ないようだった。もとより人間はこの森の西側には近づかないという話は知っていたが、万が一ということはある。


「魔力は戻ったのか、アーテ」

「え、……あ。あぁ、もどったよ。きっちり休んだから、大丈夫だ。だから次の街は、たぶんロノスも入れる」


 そうか、とそれだけ返すロノスの顔に、震えるアーテの手が触れる。

 揺れる灰緑色(かいりょくしょく)の髪をそっと分けて彼の眼帯を外せば、空の眼窩が晒された。彼の左目はここにはない。自分の左目に収まっているからだ。

 あの日、魔獣に襲われ左目を失った時。彼から譲り受けたのだから。

 そっと魔力を込めれば、空の眼窩に金色の瞳が映し出される。当然、ほんものではない。魔術による投影だ。触れられなければ、これが虚像であることは分からないだろう。

 この簡単な魔術が使えないほど魔力を切らした自分が恨めしかった。自身の不揃いになった目の色を、同じに見せかける魔術は使えたというのに。自分に魔術を使う場合と、他者に使う場合では魔力の消費量は思いの外に差があるらしい。

 両目があるように見える今のロノスであれば、街の出入りを管理する者たちにも彼が半魔だと判断されることはないだろう。

 あの街の魔獣被害は、住人が匿っていた半魔が完全に魔獣に堕ちたことによるものだった。その過去を知っていたのか、ロノスは最初から街へ近づこうとすらしなかった。



 この世界のすべての生命には魔力が宿っている。

 しかし、それは身体の中で完結する為に魔術を行使することは出来ない。

 魔術を行使する為には、魔力の属性を身体に二つ宿す必要がある。

 そうすることで、体を巡る魔術回路が変化して魔術を行使することができるようになるのだという。

 けれど、属性を二つ宿して生まれる生命など奇跡に等しい。

 今、世に居る二属性を持つ人間は、おおよそが他者から瞳を奪った者たちだ。

 瞳は、強く魔力が籠もる部位らしく、属性に寄った色の瞳をもつ者がほとんどだ。

 奪った側は魔術師(オッドアイ)と呼ばれる存在となり、奪われた側は魔力の均衡が崩れ、いずれ魔獣となる。故に、彼らは半魔と呼ばれるのだ。

 多くの国で半魔は処分対象となっている。いずれ魔獣となる彼らを人間に止めさせるには、他者の瞳を奪うしかない。つまり、誰かが代わりに半魔となるのだ。ひとびとにとっては恐怖の対象でしかないだろう。魔獣となって周囲に害を及ぼす前に駆除するのは仕方がないことなのだ。

 ——それでも。

 例え、それが正しいと世界が言ったのだとしても、アーテは抗おうとした。


「きっと、次の街にはなにか手がかりがあるから」


 月夜が、アーテの顔を晒す。その瞳には右に水色と、左にはロノスから譲り受けた金色が輝いていた。幼さの残る顔が、悲痛に染まっていく。

 ロノスが誰かを犠牲にする方法を望まないことはアーテも知っていた。自分を助けたあの日、彼はそのまま死のうとしていたのだから。

 死を望むロノスを強引に連れ出したのは自分だ。必ず魔獣化を止める方法を見つけ出すからと、一方的に約束を取り付けたのも自分だった。助けたのに放り出さないでくれと縋り付いたときの彼の顔が忘れられない。


「お前の魔獣化を止める方法は、俺が絶対に見つけるから……!」


 アーテが懇願する。


「だから、諦めないでくれよ」


 縋り付いてくる彼に声を掛けようとして、ロノスはその口を閉ざした。掛ける言葉が見つけられなかったからだ。

 目の前の少年は偽り無く本心から己を救ってみせると言っている。その気持は痛いほどに伝わっていたが、ロノスは始めからこの世界にそんな方法があるとは思っていなかった。そんなものがあれば、とっくの昔に数々の半魔が救われていたはずだからだ。

 けれど、それすら口にすることは出来なかった。あの時も、今も。死ぬなと言ってくれた少年に、青年はただ寄り添うことしか出来ずに居た。



 ——これは、青年を救うことを諦めない少年と、少年に諦めて欲しいと願う青年の物語だ。

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