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第9話 ミツルギ、物の怪と遭遇する

 その時、パタパタとなにかが、廊の床を打ち鳴らす音が聞こえた。暗い上に頭上を覆われているので、なにが落ちたのかよくわからない。手探りで床を撫でると、滑りのある何かが指先に触れる。驚いて手を引っ込め、顔のそばまで指先を寄せると、それの鉄臭さに気づいた。


「血?怪我をしておるのか」


「大した怪我ではありません」


 頭上の男が口を開いた。意外と柔らかな口調に、ミツルギは驚く。しかし、それで恐怖が和らぐというわけではない。逃げ場のない状況で、自分よりも何倍も大きな相手に見下ろされているのは、生きた心地がしない。


「そんなことよりも、突然あなたのそばを去ってしまい、申し訳なかった。まだ、答えを言っていなかったのに」


「こ、答え?」


 何を言われているのか全くわからない。動かない頭へ、男が絞り出したような声を落とした。


「ずっとあなたのそばにいたい。それが、私の答え」


 突然現れた、クロの面影を残す男は、声音や口元から青年と呼べる年齢の容姿だろうと推測できた。


 ミツルギは呆然としながら、なんとか言葉を返す。


「こ、答えとは、何じゃ。それよりも、本当に、クロなのか。その顔の札は、クロのものであろう。しかし、人の姿をとるなど」


 神使以外で人の姿になれる鳥獣。それは、狐狸妖怪、つまりは物の怪の類である。そして、人の姿をとった神使には、鳥獣の痕跡はない。しかし、往々にして物の怪には鳥獣の痕跡を人の体に残すものだ。その特徴は、まるまる目の前の青年へ当てはめることができる。


 ミツルギは恐怖から身を引いた。彼らは不浄であり、古来より人や神によって忌避され、遠ざけられてきた悪しき者。


 しかし、物の怪ならば神域には入ってこられないはずだ。こちらから招かない限りは。


 そこまで考え、ミツルギは思い至る。


 やはりこの者はクロなのだと。そう確信する。


 クロを、この社へ手ずから招き入れたのは他ならぬこの自分だ。その正体を知らずに、風変わりな姿をしているだけの、ただのカラスだと思い込んで。


 だが、彼の正体は物の怪だった。


 もしかすると、お地蔵様が言っていた何かが入ってきている、というのは、クロのことだったのだろうか。


 ミツルギは頭を抱え込んだ。正体を見抜けずに物の怪を社に招いたなど、神からすれば沽券に関わる一大事である。龍神に知られればなんと言われるか。穴があったら入りたい気持ちになる程、馬鹿にされ、失笑されるにちがいない。そして、こんな時に龍神に言われた言葉を思い出す。


「ああ、言い忘れていた。ちゃんと神域を確認しておけよ。不在の間に、妙なもんに居着かれていたら厄介だからな」

 

「妙なもんは、そなたじゃったか」


 ミツルギは呆然とつぶやく。大方、祭神であるミツルギがいない廃れた神社の敷地を寝床として、住み着いたのだろう。    


 その後、神社が再建され、人の手によって清められたが、衰弱していた故に逃げ出すこともままならず、あそこで死に掛けていたのだろう。物の怪の身で、管理された神社内の居心地は苦しいものだったはず。しかし、戻ってきた祭神、ミツルギに社に迎え入れられたことで、その苦痛は和らぎ、傷も癒すことができた、といったところか。


 青年姿の物の怪は、ミツルギの反応に傷つく様子は見せなかった。両腕を壁から離して、一歩下がる。そして、ひざまづいてミツルギと視線の高さを合わせた。


「そう、私は、あなたがクロと名付けたあの怪我を負ったカラス。このような姿をとれることを、告げていなかったことは謝ります。しかし、告げることもまた出来なかった。私は傷を負い、弱り果て、ただのカラスとして地面に伏せることしかできなかった」


「わしを、欺こうとしていたわけではないと」


 そう言いたいのか、と絞り出したミツルギの声は震えている。


「あなたを欺くなど、とんでもない」


 あなたに敵意も悪意もないのだと言外に含ませて、物の怪は続けた。


「しかし、あなたが私に欺かれたと思うのならば、私は喜んであなたの神罰を賜りましょう」


 さも当然とばかりに、神の罰を受けようなどと言う奇態な者を、ミツルギは見たことも聞いたこともなかった。しかし、物の怪(かれら)に、こちらの常識は通用しない。


 狐狸妖怪、あるいは魑魅魍魎、あるいは物

の怪、化生、あやかし、妖怪。


 時代の移ろいと共に幾つもの総称を与えられてきたこの人外の者達は、元は穢れに充てられ、変異した草木や土壌、水、鳥獣の起こす現象であった。


 それらは人の目から見れば奇異で曖昧でよくわからないものだ。知性や理性があるようでなく、ないようであり、当時の古今東西を見渡せば、人外らしき者と言葉を交わし、一見その会話が成立しているように思えても、ふっと気がつけば深い井戸や、樹洞の暗闇へ向かって一人話しかけていただけだった、なんてオチもある。


 時代が下り、区別も定義もなく混沌としていた彼らは、人からそれぞれ妖狐だ、天狗だ、鬼だ、ふらり火だ、などと呼称を与えられ区別されるようになった。名付けは強力な言霊だ。ぼんやりとしていた存在は急激に輪郭を描き、名前でその存在を縛るようになる。そこでようやく、彼らは「現象」といった実体のないものから、生命体のようなものに格上げされた。


 今日有名な「妖狐」や「妖狸」といったいわば狐狸妖怪の代表格が生まれたのもその頃だ。鳥獣の起こす奇妙な現象から、奇妙な現象を起こす鳥獣そのものが、「それ」と見なされ、人々から強く認識された結果である。


 だが、元はなんだかよくわからない気味の悪い現象、いわば怪異だ。名前で縛られ、当時との有り様は変われど、根本的なことは変わらない。成立からして、所詮は「現象」であり、正常な生物とは呼べないのだ。それらにこちらと同じ常識だの、一般論など、あるはずもない。


 今、ミツルギの前にいる者もその怪異に他ならない。カラスの変化したものと、人から認識された怪異の末裔か。話や気持ちが通じる相手ではない。悪意や敵意がないというのは彼にとっては本音かもしれないが、ミツルギの持つ常識に当てはめてみても、悪意や敵意がないと言えるかは分からない。


「わしは、そなたに神罰を下すつもりはない」


 ミツルギは油断なく物の怪を見据えながら、慎重に言葉を紡いだ。


 あんなに可愛がっていたクロの正体が、得体の知れない物の怪だなんて、未だに認めたくはなかったが、それは事実だ。クロがこの物の怪の姿になるところを目にしたわけではないが、あらゆる事実がそうであることを告げている。


 ミツルギはなんだか泣きたくなってきた。だが、その気持ちには念入りに蓋を閉め、クロと向かい合う。


「そなたは確かに怪我をしており、物の怪としての姿も取れぬほどにひどく衰弱しておった。そして、そこへ手を差しのばしたのが、神であっただけのこと。そしてここで傷を癒した。罰を与えられるようなことはしていない。元いた場所へ戻るが良い」


「約束が、まだ」


「やくそく?」


 ミツルギは抑えていた声の調子を跳ね上げ

て、思わず問いかける。クロはなおも膝を地面についた従者のような格好で、言葉を続けた。


「あなたは私に仰った。もし、自分のそばにずっといたいと思うのならば、神使にしてやっても良い。しかし、神使になった方が幸せなのか、そのままの方が幸せなのかは、自分にはわからないと」


 ミツルギは、その言葉に身を固くさせる。


「だから、私はこれに応えなければならないと思いました。今、その答えを言いましょう。私はあなたのそばにいたい。そうした方がきっと幸せだと思うと」


 だんだん、クロの言わんとしていることがわかってきたミツルギは、冷たい汗がどっと噴出すのを感じた。いや、本当はもう少し前から分かっていた。目をそらしていただけだ。


「あなたは、贄を捧げられながらも、雨を降らさない神ではない。私にしてくれた約束を、きっと叶えてくれますね」

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