第五話 ミツルギ、お地蔵様に挨拶する
朝になって目を覚ますと、カラスはもう起きていた。
護符でモサモサになっている頭部が、キョロキョロと動いている。周辺を観察しているらしい。
ミツルギが起きたことにも気づいたのか、よたよたとミツルギの元へ近づいてくると、嘴でミツルギの着物の裾を突き始めた。破られたらたまらないと、ミツルギは裾を引き寄せて立ち上がる。
「もしかして、また饅頭が欲しいのか?」
カラスから距離をとりながら、ミツルギはうなった。
「思いの外元気そうじゃな。まあ、この調子ならば、時間が医者代わりになりそうじゃの」
ミツルギはカラスをなだめると、社から外へ出た。今日も昨日と変わらず良い天気で、ミツルギは日差しを浴びながら背を伸ばす。
今日は、カラスのために食料を調達することに決めていた。自分の分については考えなくても良い。
基本、神はその他の生物のように、食物から栄養を摂取せねば生きていけないわけではないからだ。だからと言って、全く食べないわけではない。むしろ美食好きの神もいるほどで、神饌を楽しみにしている神も少なくはない。食べなきゃ死ぬわけではないが、美味しいものを食べる喜びは神にもある。
ミツルギは、割と食べるのが好きな方の神だ。美食好きというほどではないが、人間の食べ物には昔から興味があった。ことに明治以降の料理は、外つ国から入ってきたものもあって、実にバラエティに富んでおり、眺めているだけでも楽しいものがある。しかし、そう言った料理を食べたことはほとんどない。
元廃神社の神であるミツルギは、もう随分長い間金欠なのだ。自分で作れない以上、お金を払って食べるしかない。ところが、金欠なのだから、それもできない。そういうわけで、ミツルギはもう長い間、指をくわえて人間の料理を眺めることしかできなかった。今回、神社が再建されたことで、そんな生活ともおさらばできるだろう。
賽銭箱に入れられたお金が直接神のものになるわけではないが、賽銭箱に溜まった金額からその神がいかほど信仰されているか、高天原の官司で計測されている。計測結果は全て数値化され、その数値がお金へ変換されて神の手に渡るというシステムらしい。らしい、というのは、ミツルギもあまり詳しくないからだ。
人の世で作られる金を、どう調達しているのかもわからない。ひょっとすると、商業の神である恵比寿の力を借りているのかもしれない。とかく、人間の社会で快適に生活したいのならば、神でもお金は何かと入り用なのである。
神社が再建されたと言っても、ミツルギの手元にお金が来るのはまだまだ先だ。今日は、いつもの方法を使って食料を調達することにする。いつもの方法というのは、身も蓋もない言い方をすれば「物乞い」である。
ミツルギは鳥居をくぐって、自分の神社の敷地外へ出た。
神社の周囲には、水を張った田園が広がっている。田園の向こうには灰色のアスファルトで固められた県道が通っており、さらにその向こう側には人間の街が見えた。
ミツルギが暮らしていた時より若干景色は変わっているが、地理が大きく変わったわけではない。昔、懇意にしていた神の社や地蔵の祠の場所も、なんとなく覚えている。一番近くであれば、確か森に入る手前に地蔵を祀る祠があったはずだ。
本当は、龍神に事情を話して、食料を調達してもらうことも考えたのだが、あの偉そうな龍神には、できるだけ借りを作りたくはなかった。それに、食料以上に、腹がふくれるほどの小言をたんまりいただきそうだ。
ミツルギは、神社から出て東へ伸びる道をとった。
水を張った田の脇には、小ぶりな紫の花をつけるホトケノザや、綿毛になる前の黄色いタンポポが緑の草の中で光っている。足にたっぷりと花粉の玉をつけた太ったミツバチが、その中を忙しく行き交う。時折、散歩中の人間ともすれ違ったが、彼らはミツルギの姿が見えていないので、その存在には気にも留めない。
やがて、濃い影を落とす森の手前までやってきたミツルギは、立ち止まった。
ちょうどアスファルトの道がカーブを描いている箇所に、その祠はあった。
手前にカーブミラーがあり、奥に石で作られた地蔵堂がある。地蔵堂の奥で、ちんまりとした可愛らしいお地蔵さんが座して、こちらへ微笑みかけている。その前には、饅頭やおはぎなどがプラスチックのケースに入って置かれていた。
「お久しゅうございます」
ミツルギは地蔵へ話しかけた。言葉は普段使うものよりも改めている。
「ミツルギにございます。此度、我が社が再建され、この地に舞い戻って参りました。ご近所として、懐かしき昔と同じく、誼みを結んでいただければ幸いにございます」
地蔵は相変わらず微笑んでいる。
人の目で見れば、そこには石でできたお地蔵様の像しかないが、ミツルギにはそこに宿ったお地蔵様の姿が見えている。とは言っても、お地蔵様はあまり動かない。ミツルギが話している間も、少し口角を持ち上げてふくふくした笑みを浮かべるにとどめている。見ているこちらもニコニコ微笑みかけたくなってくる、気持ちの良い笑顔である。
ミツルギはさらに言葉を続けた。
「帰ってきて早々申し訳ないのじゃが、その、少し事情がありましてな。お願いしたきことがございます。弱ったカラスを拾ったもので、そのカラスに与える食料に難儀しておるところでして」
お地蔵様は「わかってます」といった風にこくりと頷いた。
「持っておいきなさい」
今度は声が聞こえた。ミツルギは「かたじけない」とお礼を言い、備えられた饅頭とおはぎを貰う。
お地蔵様は、仏教の菩薩の一つである地蔵菩薩だ。仏教出身ではあるが、神仏習合と言って、日本では神道と融合して信仰されているケースが多い。ミツルギが挨拶した目の前のお地蔵様は、その土地を悪いものから守ってくれる道祖神として信仰されている。これも神仏習合の考え方の一つだ。
そのお地蔵様が、少し世間話や昔の話でもしようかと口を開きかけていたミツルギへ、ぽつりと声をかけた。
「もし」
「はい?」
「この土地に、何かが入ってきております」
突然の言葉に、ミツルギは硬直した。
「何か、とは。まさか、悪いものということですじゃろうか」
「さあ」
「さあ?」
要領を得ないお地蔵様に、ミツルギも一緒になって首を傾げた。
「それが悪しきものかどうか、判断するにはまだ早すぎる段階です」
「うむ。何にせよ、気をつけておいたほうが良さそうですな」
その後、ミツルギはお地蔵様と世間話を交わした後、地蔵堂を後にした。