第四話 ミツルギ、カラスを拾う
優しく声をかけながら、ミツルギはカラスの方へゆっくりと手を伸ばした。カラスは、意外とおとなしく体に触れるのを許してくれた。
「よしよし、いい子じゃ」
優しくカラスの背中を何度か撫でてやってから、ミツルギは両腕をどうにか空洞の中へねじ込んで、カラスを引っ張り出した。
腕の中にカラスを抱え込むと、ミツルギはその場に座り込んだ。カラスをよく見ようと覗き込んだ途端、ぎょっとした。
カラスの頭部が、何枚もの護符のようなもので覆われているのを目にしたからだ。
わさわさと広がった護符の山からは、黒い嘴がにょきりと突き出している。
護符というのは本来、家屋の壁に貼ったり、神棚に祀ったりするものであり、生き物に貼り付けるようなことはしない。いや、そもそもこれは護符か?と、ミツルギはミミズののたくったような字で埋め尽くされているお札を眺めた。
「誰かにいたずらされたのか?」
ミツルギは、恐る恐る護符のようなものを引っ張ってみたが、護符の根元はカラスの頭にぴったりくっついているようで、簡単に外れそうにはなかった。
「何なんじゃ、そなたは」
ミツルギはもう一度カラスの姿を確かめた。頭が護符で覆われている様は不気味だが、それ以外は普通のカラスと変わりない。
カラスはミツルギに問われたことを知ってか知らずか、「カア」と一声鳴いた。その声があまりにか細く消え入りそうだったので、ミツルギは思わずカラスの頭を護符ごと撫でてやる。
「心配するでない。わしはこの神社の神、ミツルギじゃ。そなたをとって食おうなどせぬ。安心せい」
護符に覆われた不気味な姿は一旦保留にして、ミツルギは他の身体の箇所に異常がないかを確認した。
結果、体はやせ細っており、さらに全身に小さな引っかき傷があることがわかった。加えて、左の翼を負傷している。骨は折っていないようだが脱臼くらいはしているかもしれない。これでは飛べないだろう。また、羽根の抜け落ちも激しい。ちょうど換羽期に衰弱していたところを、他のカラスにいじめられでもしたのだろうか。どのみち、この状態では自力で餌をとれず、餓死してしまう。
ミツルギはカラスを抱えたまま、本殿の方へ移動した。カラスを抱えているため、通り抜けはできない。扉を開けて、中に入る。
その間、カラスはおとなしくミツルギの腕に抱かれていた。抵抗するほどの力もないのかもしれない。
ミツルギは一旦カラスを床の上に置き、神棚へ向かう。
ミツルギは「ううん」と唸って、神棚に供えられた生米を見遣った。今、食べられるものといえばこれしかなかった。炊飯器などが神社にあるはずもないので、炊くこともできない。仮にあったとしても、ミツルギには人間の文明の利器を使いこなす自信は全くない。
カラスが生米を食べるとは思えなかったが、ミツルギはダメ元で平皿ごと、カラスの前に米を持っていった。しかし、ぐったりした様子のカラスは、米を差し出されても身じろぎもしない。そもそも、頭部に貼られた護符のせいで何も見えておらず、目の前に米が差し出されたことにも気づいていないのだろうか。
ミツルギは、護符の山から突き出た嘴を無理やり開かせると、そこへ米粒を持っていった。
何かを口に入れられるのが分かったのだろう。カラスは急に大きく動いた。首を仰け反らせ、むずがる幼子のように嫌々と頭を振る。
「すまん、すまん。そうじゃな、生米は好かぬな」
ミツルギは子供に接するようにカラスへ声をかけた。これ以上何もされないことを悟ったのか、カラスは再びおとなしくなる。
早急に、カラスのために何か食べ物を用意する必要があった。
加えて、体の具合も気になる。全身の引っかき傷は、数こそ多いものの深手ではない。しかし、翼をダメにしてしまっているところと、羽の抜け落ちが激しいところを見るに、一度医者に診せた方がいいのではないのだろうか。ミツルギは適当な医者がいないものかと考えを巡らせたが、あいにく、すぐにここへ駆けつけられるような、医術に明るい神の知り合いはいなかった。
ならば、高天原の典薬寮へ行こうと思い立ち、再び神棚の鏡をカラスを抱きかかえて覗いてみたが、相変わらず何事も起こらない。
ミツルギはため息をついてその場に座り込んだ。そもそも、神使でもない鳥獣を高天原へ連れて行くことは御法度であることを思い出す。
幸い、カラスは衰弱してはいるものの、命に関わるほどの重篤な状態には見えない。今日は何か食べ物を用意することに止め、医者に見せることは明日考えることにする。
ミツルギは何か食べ物を他に持っていなかっただろうかと、淡い期待を込めて着物の袂を探った。この袂には制限なしになんでも物が入るのだ。しばらく探っていると、指先にスベスベもちもちの丸いものが当たった。
「おお」
すっかり忘れておったわと、ミツルギは袂からその丸いものを取り出した。神使たちに拉致同然で高天原へ連れて行かれたせいで、食べ損ねていた残りの饅頭である。
「はあ〜どこかで落っことしたとばかり思っておったが、ここにあったか」
ミツルギは饅頭を四分の一ほどの大きさに割ると、うずくまるカラスの嘴のそばへ持って行った。今度は、カラスに反応があった。嫌がるそぶりではない。むしろ嬉しそうな様子で、目前の饅頭にがっついた。食欲があることに、ミツルギは安堵する。食欲があれば、まず安心だろう。
饅頭を平らげてしまうと、カラスは猫のように丸くなった。しばらく観察していると、体が規則正しい呼吸を繰り返し始める。どうにも眠ったらしかった。
ミツルギもしばらくカラスを優しく撫でていたが、自分もつられて眠くなってしまい、「ふわあ」と小さくあくびをする。昼寝をしたせいで今宵は眠れないかもしれないと思っていたが、案外そうではないらしかった。
ミツルギはカラスのそばで横になると、じきにぐうぐうと眠り始めた。