第36話 ミツルギ、クロを守る
「ミツルギさんには、こちらの衣がお似合いだと思いますわ」
そう言って、ミヅハはミツルギの胸元へ淡い藤色の薄様に染め上げられた着物を当てがう。薄様というのは、下にいくにつれて色を薄くする染め方の一つだ。裾に向かって次第に白さを増していく衣は、ミツルギの白髪と良く似合っている。
「ミヅハ殿は、人に似合う着物を見繕うのが上手いのう」
ミツルギの言葉にミヅハははにかんだ。
「まあ。嬉しゅうございます」
藤色の着物を折りたたみながら、ミヅハは楽しそうに話し続ける。
「わたくし、ずっとどなたかと、こうしてお着物のお話をしたり、とりとめもない話をしたりして、時を過ごしてみたかったのです。琥珀は、無口であんまりお話し相手になってくれなくて。それに、殿方ですから、女性のお着物の話はあんまり面白くないでしょう?」
開け放しにされた社殿の入り口近くには、紺色の狩衣を着た金髪の青年が座っている。目元の涼やかな美丈夫だ。直毛の長い髪を、首筋のあたりで緩く結んでいる。髪を結えてある水色の組紐は、ミズハのお手製だということは先ほど聞いた。
彼こそが、ミヅハを祀る喜雨神社の池に棲む金色の鯉であり、ミヅハの神使でもある琥珀だ。普段は金色の鯉の姿で、悠々と池を泳いでいるが、今日はミツルギの出迎えと接待も兼ねて、彼もここに居合わせている。
ミヅハの言う通り寡黙な男で、今も正座したまま特に口を開きもしない。かと言って、そうやって彼が黙って座っていても、空気が悪くなるわけでもない。存在感がないわけではないのだが、ただ彼がそこにいることが自然なことのように思えてしまう。不思議な雰囲気の神使だった。
そもそも、さっきからずっと目を閉じているからそう感じるのかもしれない。眠っているのだろうか。その割には背筋はピンと伸びている。
「ですから、ミツルギさんとこうしてお友達になれて、とっても嬉しいのです。実は、初めて会った時、お友達を作る良い機会だと思って、いきなりあんなことをしてしまったから、嫌われてはいないかしらと、少し心配していて」
あんなこと、とは、ミツルギの額に、自分の神威を少し宿したことだろうか。これのおかげで、ミツルギはミヅハの社へ高天原の結びの鏡を通じてやって来れたのだ。
「驚きはしたが、不快なことではなかった故。その心配は杞憂であったな」
「そうですね。勇気を出して良かった」
「わしも、そなたと友達になれてよかった」
そんなことをお互い言い合っていると、なんだか急に小っ恥ずかしくなってくる。それもまたおかしくて、二柱の女神はお互い目を合わせてから、「ふふふ」「あはは」と声を立てて笑い合った。
蛇の物の怪騒動が起こってから、すでに時は一月経過している。ちょうど梅雨が明けて、蒸し暑さの感じられる今日この頃だ。
しかし、ミヅハの社は標高の高い位置にあるためか、この場所は涼しく、良い避暑地になる。
この一ヶ月でミヅハとは随分仲良くなったので、ミツルギは甘えてしまい、暑さにうんざりしてくると、ついついミヅハの社へ転がりこむことが多くなっていた。
その後、ミツルギはミヅハとあれこれ雑談を交わし、さてもう日没が迫ってきたから帰ろうか、というところで、ミヅハは藤色の着物を櫃に入れてミツルギの前へ差し出した。
「お着物はやっぱり、一番似合う人に着てもらってこそ映えるものです。どうか、わたくしからの友情の証として、受け取ってくださいな」
「いや、しかしこんな高価なもの受け取れぬ」
ミツルギはあまり着物に詳しくなかったが、それでもとんでもなく上質な着物だということは分かる。内心、この着物のことを気に入ったので嬉しかったのだが、さすがに素直に受け取れなかった。
「いいえ、受け取ってくださいな。それに、お友達に良い品を贈るのは当然のことです」
「しかし、わしにはこれに釣り合うほどのものを持っておらぬ。そなたへの礼として渡せる、良き品がない」
「まあ、お返しなんて気にしなくてよいのです。お返しが欲しくて、あなたに着物を贈るのではないのですから」
ミヅハの言葉にミツルギは「あ、すまぬ。そなたを見くびったわけでは」と慌てて否定した。
「まあ、お気になさらないで。ミツルギさんは、本当にお優しい方なのですね」
ミヅハだって十分優しい。少なくとも、彼女な、ミツルギみたいに、龍神と喧嘩はしないだろう。
ミツルギは、ミヅハから贈られた着物を手にして、彼女に別れを告げた。そのまま、ミヅハの社の鏡と高天原の結びの鏡を経由して、自分の社へと戻る。
「おーい、クロ!戻ったぞ」
そう言いながら、鏡から出てきたが、クロの姿はない。外で日向ぼっこでもしているのだろうかと、ミツルギは外へ出た。
本殿から拝殿の横を通り抜けて、神社の正面へ回りこむ。ところが、拝殿の影から出ようとした時、ミツルギは参道のど真ん中で、クロと何者かが対峙しているのを発見して、思わず足を止めた。
クロは拝殿を背にして立ち、相手は入り口の鳥居を背にして立っている。
それは、20代前後くらいの若い茶髪の男だった。白いTシャツにカーゴパンツというラフな格好をしている。どこからどう見ても今どきの人間の若者といった風情だが、その手にはなぜか金属バットが握られている。物騒だ。まさかこんなところで野球をするわけでもあるまい。
ミツルギが固唾を呑んで、その男を観察していると、男が金属バットの先端をクロへ向けた。
「お前、妖怪だろう。ここから出ていけ。でなくば、ここで退治する」
その言葉にミツルギは仰天した。
クロの方は返事をせずに、黙したままだ。それを否定と受け取ったのか、男は「ああそうかい」と頷き、「そっちがその気なら、いかせてもらう」と叫ぶや、金属バットを振り翳してクロとの距離を詰める。
それより少し早く、ミツルギは駆け出していた。えい、と男の体に全身で体当たりをする。
突然横から捨て身の攻撃をくらった男は、「ぬわっ!!」と叫ぶと、体をよろけさせ、そのまま地面に倒れ込んだ。
ミツルギは警戒しながら、地面に転がる男とクロの間に割って入る。
それから、「この者に手出しをするでない!」と、クロを庇うようにして仁王立ちになった。




