第35話 ミツルギ、感謝される
当時のことを思い出しているのか、龍神は目を伏せて、雨水を含み茶色く濁った水面へ視線を落とす。
「蛇の物の怪が死んだことで、名前が戻り、記憶も戻った。俺とくっついていたせいで、お前もその影響を受けたんだろう。ああ、お前に一番見られたくなかったのに」
そう言ってうつむく龍神の姿からは、いつもの覇気や傲慢な態度がすっかり消え失せている。雨に濡れる幼い子供にしか見えない。
「そなたは、かつて生贄として捧げられた、人の子か」
問うと、龍神は「ああ」と力なく頷いた。
「正確に言うと、人の子《《ら》》だ」
龍神は、目の前の川を指し示す。
「かつてこの川に沈められた、幾人もの子供達。それが俺の生まれた理由だ。お前も知っているだろうが、この川はかつて暴れ川だった。度々洪水を引き起こし、人家や田を流した。人間たちは、これを龍神の怒りと解釈したんだ。そして、毎年子供を贄として川に捧げた。というのは体のいい名目で、実際は口減しとしての意味合いが強かったと思うが」
生きたまま箱に詰められ、箱ごと川に沈められた子供達。ミツルギが見たのは、その光景だったのだ。
「そうして死んだ子供達の鎮魂のため、お社が建てられて、やがて龍神信仰と混ざり合い、同一視されるようになった。かつて神に贄として捧げられて、捨てられた子らは神となった。皮肉な話だ」
龍神は短く笑ったが、ちっとも楽しそうではない。今のは、自嘲の意味合いで笑ったのだろう。
「そして、それからまた時は巡り、あれは明治の頃だったか。ただ龍神さまと呼ばれていた俺の元へ、高龗神の分霊がお出でになった。氏子たちは、自分たちが信仰していた龍神の名前が、その高龗神だったんだと思ったんだろう。神は、人の思いや信仰で、容易く身分を変えられる。やがて俺はその分霊と混じり合い、高龗神となった。いや、その龍神を取り込んだ高龗神が俺なのか。今となってはよく分からん」
龍神は、途方に暮れているように見えた。自分が何者なのか、問いかけているのかもしれない。それきり黙ってしまって、川の流れを虚ろな目で追っている。
ミツルギは、龍神の隣で座り込んだ。
「そなたが、龍神でも高龗神でも、わしはどっちでも構わん。わしにとって、そなたは、意地悪で面倒臭くて、偉そうな、お子様の龍神じゃ。それがそなたじゃ」
「おい、それ、喧嘩を売っているのか」
「違うわい。慰めとるんじゃ」
そう言うと、龍神はミツルギの額を指で小突いてきた。
「あ、痛い。何をするんじゃ」
「うるさい。そんな慰め方があるか」
「最後までわしの話を聞け」
ミツルギは口を尖らせながら、額を抑える。
「そなたは、生贄として死んでいった子供たちであり、龍神であり、高龗神なんじゃ。全部じゃ。全部がそなたじゃ。蛇が取ったのは、高龗神と龍神の名。つまり、そなたはどちらかの神ではなく、どちらもの神なのじゃ。全部ひっくるめてそなたじゃ。そなたの中にその名前があったのじゃから。それが全部、今の、わしの知るそなたを形作っている全ての要素なのじゃ」
「黙って聞いていれば、さっきからのじゃのじゃとやかましい」
「なんじゃと」
ミツルギはおもわず龍神に掴みかかった。
「そなたを思ってわしは言っておるのに」
「俺の何を思ってだ。過去を語っただけで、勝手に同情するな」
「なにおう。これ見よがしにショボーンとしていたではないか。ショボーンと。まるで濡れた子犬のように」
「それはお前の主観だろう。ショボーンなんてしてないわ」
「してた」
ミツルギがどつけば、龍神もどつき返す。小規模な神々の争いを繰り広げていると、「何をしているんですか!?」と大きな少女の声が背後から投げかけられた。
二人で同時に声のした方向を向くと、人の姿になった白花が立っていた。
「白花!」
ミツルギはパッと立ち上がって白花へ駆け寄る。白花の傍らには、ミヅハもいた。
「ミツルギさん、目を覚まされたのですね」
ミヅハは「よかった」と目を細めて泣くように微笑む。
白花も「心配したんですよお」とこちらは本当に涙を浮かべている。
「なかなか戻られなくて。様子を見に行ったクロ様も戻らなくて、戻ってきたと思ったら大怪我しているし、ミツルギ様は目を覚まされないし。一番心配していた主様だけピンピンしてるし」
「俺だけピンピンしていて悪かったな」
龍神が半眼で睨みつけると、「そんなこと言ってないですよ」と白花は眦を釣り上げた。
「えっと、物の怪に囚われていた方達ですが」
二人が喧嘩を始めそうだったので、ミヅハがパンと柏手を打って、話題を転換させる。
「全員、救出できました。神様方たちはすぐに目を覚まして、お礼を言って帰って行かれました。人間の方たちも皆無事です。白花さんが警察に駆け込んでくれたので、すぐに保護されるでしょう」
「そうかそうか。万事解決じゃな」
ミツルギは丸く収まったことにホッとする。あとはクロが目を覚ましてくれれば。そう思ってクロの方を見れば、いきなりクロがむくりと起き上がったので、ミツルギは「うわっ」と驚いて声を上げてしまった。
「クロ、よかった。全く、死んだかと思ったんじゃぞ」
駆け寄ると、クロは「心配をおかけしました」と頭を下げてくる。
「そなたが来てくれたから、助かったのじゃ。かたじけない」
剣のことは今、聞くことでもないだろうと思い、ミツルギはクロを労う。
そのミツルギへ、龍神が「おい」と声をかけた。また小言を言われるのかと身構えると、意外にも龍神の口から出てきたのは「その、ありがとう」という感謝の言葉だった。
「今回は、お前に救われた。感謝するぞ。ミツルギ」
龍神は、まっすぐな目でミツルギを見上げていた。こんなに清々しい目の龍神を見たことがあっただろうかと、ミツルギは記憶をたどったが、ない。
そんな龍神を、白花がなぜか手を合わせて拝んでいる。
「主様が、主様が感謝の言葉を述べられるなんて」
目からはポロポロと涙まで零している。龍神は絶句した後で、「俺もお礼の言葉くらい言えるわ!」と白花を一喝した。白花はそれを無視して、今度は自分もミツルギに向けて感謝の言葉を述べる。
「ミツルギ様、本当にありがとうございます。主様より、詳細は聞き及んでおります。我が主を救い、恐ろしい物の怪を退治されたと。このご恩、生涯忘れません」
「そんな、大げさな」
褒められることに慣れていないミツルギは、謙遜しながらも、表情は締まりなく緩みきっている。
「ミヅハ殿の助けもあったからじゃ。クロにも助けられたし」
「はい、ミツルギ様だけでなく、ここにいる皆様のお力添えにも感謝致します」
白花は、一同をぐるりと見渡した。
「ミツルギ様にミヅハ様、そしてクロ様。ご助力いただき、本当にありがとうございます。梅瀧神社をあげて、後日お礼の品々を届けましょう。あ、宴を開くというのも良いですね」
あれこれと算段をつけ始めた白花に、龍神は呆れてしまっている。
「おい、何を勝手に決めている。梅瀧神社の主人は俺だぞ」
「主様は、私の提案にはご不満ですか」
「いや、別に不満は、ないが」
頭を掻く龍神の手を無理やり取り、「では」と白花ははしゃぐ。
「万事、差配は私にお任せくださいませ!」
「ああ、頼む」
龍神のテンションは低いが、白花はすっかり舞い上がっているようだ。
元気を取り戻した白花を嬉しく思いながら、ミツルギは微笑んだ。
その時、不意に光が差した。空を見上げると、雲の切れ目から青空が覗いている。雨はまだ降っていたが、ずいぶん弱くなっている。じきに雨は上がるだろう。
それを吉兆だと見なして、ミツルギは「ほれ」と空を指差して皆に話しかけた。
「お天道様が笑っておられる」
【第一幕 神と物の怪】完
【第二幕 神と人】 へ続く




