第33話 ミツルギ、蛇と対峙する
クロを噛んだ蛇の物の怪は、まだ諦めていないようだった。まるで駄々をこねる子供のように首を振っていたが、気を取り直したのか、団子のように固まっているミツルギたちへ視線を向ける。
クロの冷たく重い体を支えきれず、ともに底へ落ちてゆくミツルギは、自分を見下ろす捕食者の目を朦朧と見返していた。
物の怪の放つ瘴気と血穢、死穢に触れたからか、全身が痺れるように痛く、重い。もはや体力は底をつきた。逃げようともがいても体が動かない。
誰か助けてくれと、心のどこかで叫ぶ自分がいる。白花に、そなたの主人を返してやれなくてすまなかったと謝る自分もいる。その奥底の方から、何か熱い血潮のようなものが、噴き上がってくる。
「去れ」
その声が、自分の喉から発せられたことに、ミツルギは一瞬遅れてから自覚した。
「去らねば、そなたを、斬る」
次の声も、また少し遅れて自分が発したものだと気づく。
不思議な感覚だった。間違いなく自分の発した声なのに、自分はそれをどこか遠くから眺めているような。これは本当に、自分なのか。今、己の口を動かしたのは誰だ。
ミツルギは何もない虚ろな水の中へ、手を伸ばしていた。その手の形は、見えない何かを掴むような格好をしている。
その時、沈黙を続けていたクロの体に異変が起こった。はだけた胸元から、大輪の黒い花が咲いたのだ。
だが、花と見えたそれは、花ではなかった。蓮華の花びらのように折り重なった、黒く粘ついた影。それは光も通さないほどの漆黒の色に染まっている。花弁のように円を描いて折り重なっていた一つ一つの影は、次第に細く長く伸びて、触手状になる。その影の生えたクロの胸元から、ゆっくりと、これまた漆黒の何かが姿を表す。
ミツルギは待ちきれず、痺れた体を動かし、それを掴んだ。漆黒の物体は、剣の形をしていた。
剣は、ミツルギの手に触れた途端、漆黒の色が剥離し、たちまち真っ白に光り輝く刀身を現す。その剣は驚くほどミツルギの手に馴染んだ。まるで、毎日握っているかのように。毎日その剣を、ふるっていたかのように。
蛇が、こちらに迫ってきていた。
捕まえていた龍神《獲物》を取られ、怒り狂っているのだろう。まとめて丸呑みにするつもりか、裂けんばかりに口を開いている。
ミツルギは龍神を片手で抱きかかえ、片手で剣を構える格好で蛇を出迎えた。頭の芯はぼうっとしているのに、体は熱く滾っている。それに、いつもの自分ではない別の自分が、体を動かしているようだ。
この奇妙な感覚に抵抗せず、ミツルギは身を委ねてみる。
すると、剣を持つ手が滑らかに動いた。迫ってきた蛇の頭を舞うようにかわし、その太い首を、ザンと一閃。
たったそれだけだった。
それだけで、蛇の頭と胴体は泣き別れとなり、頭部を失った胴体は、血を吹き上げながらゆっくりと川底へ沈んでゆく。そして、蛇の体から生えていた水草も、しばし明滅してから、スッと光を弱めて消えた。
今、自分が行ったことをミツルギは信じられないでいた。あれほどの太い首を斬ったというのに、刃こぼれ一つしていない剣を、呆然と見つめる。それから、底へ沈んでゆく蛇の体。本当に、たった今蛇を斬ったのは自分なのか?
その時、龍神が小さな呻き声を発した。ミツルギは我に返り、龍神の顔を覗き込む。その途端、何らかの情景が洪水のように頭の中へなだれ込んできた。
赤い夕焼け、手を引く母、父の背中、実る稲穂、赤とんぼ、真っ暗な場所、暗く冷たい水の底。その情景が何度も何度も巡り続ける。やがてミツルギは、自分が川のそばに立っていることに気がついた。
平野を流れる大きな川だ。その川の畔で、大人が大きな箱を運んでいる。箱の中からは、泣き叫ぶ子供の声が聞こえて来る。ドンドンと内側から箱を叩く音も。
大人たちが何をしようとしているのかに気がついたミツルギは、大声をあげて彼らの元へ突進した。しかし、彼らの体を、ミツルギはすり抜けてしまった。触れようと手を伸ばしても、触れることができない。そうこうする間に、大人たちは箱に重しをつけて川へ投げ込んだ。
ミツルギは、川に向かって祈りだした大人たちの間を走り抜けて川へ飛び込んだ。重しをつけた箱はゆっくりと川底を目指して沈んでゆく。それに追いつこうとどれだけ水を掻いても、箱に追いつくことができない。このままでは死んでしまう。あの箱の中の子供が、死んでしまう。
「ダメじゃ!行くでない!」
そう叫ぼうとした瞬間、口の中に水が入ってきてミツルギは咳き込んだ。とっさに肩に手を触れると、ミヅハの領巾がない。
体が、強い力で後ろに引っ張られる。水流がミツルギの体を攫い、水上へ押し上げる。
顔が水上へ出た時、ミツルギは涙を流していた。




