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第32話 ミツルギ、逃げる

 龍神が悲鳴を上げるよりも先に、ミツルギは異変に気づいて振り返っていた。大きな金色の瞳と目が合い、反射的に身を引くと、たった今ミツルギの体があった場所めがけて、金色の瞳を眼窩に嵌め込んだ巨大な蛇の頭部が突っ込んできた。


 ミツルギは恐怖のあまり悲鳴も上げられない。


 だが、かろうじて龍神の体は離さずに済んだ。

狙いを外した蛇がまたこちらに襲いかかって来る前にと、ミツルギは、必死に泳いで蛇から距離をとる。


 ミヅハの領巾のおかげで、水中の中を苦もなく泳げる。これがなければ、今頃は蛇の腹の中だっただろう。


 しかし、振り返ると、二対の金の瞳も川底に堆積した土を巻き上げながら、猛然とこちらへ迫っていた。大きな図体の割に、意外と動きが俊敏だ。


 ミツルギは半ば恐慌状態に陥りながら、必死で足をばたつかせて逃げ惑う。抱きかかえている龍神は、泣きべそをかきながらミツルギの薄い胸に顔を埋めている。ミツルギも泣きたかったが、逃げることに必死で泣く余裕すらない。


 ミツルギは、蛇から必死で逃れながら、半ば本能的に水面を目指した。どうにか蛇に追いつかれずに、水面から外へ顔を出すことに成功したミツルギは、束の間ほっとしたが、それは本当に一瞬のことだった。ザブリザブリと水面が波打ち、ミツルギは顔を真っ青にした。すぐ背後で太い水柱が上がり、蛇の頭が顔を出す。ミツルギは今度こそ悲鳴をあげた。


「ぎゃあああああ!!誰か、おらぬか!」


 叫びながら、ミツルギは河岸を目指して泳ぐ。


「クロ、ミヅハ殿!」


 その間にも、蛇は確実にミツルギとの距離を縮めてきていた。


 金色の双眸に浮かぶ黒い瞳はスッと縮小し、ミツルギの姿を絶えず視界に捉えている。


 威嚇するようにパックリ開かれた口蓋からは、毒液の滴る鋭い牙と二股に分かれた舌が飛び出している。むき出しになった口蓋は、熟れた石榴ざくろのように赤く、表面は唾液か粘膜のようなものに覆われているのか、ぬらぬらとした光沢を放っている。


 悪夢じみた姿の物の怪は、いよいよ鎌首を曲げて力を溜めると、その瞬発力を活かして首を伸ばしてきた。


 ミツルギは無我夢中で水中へ潜りなおし、さらに深く潜ることでその牙を交わす。だが、安心できたのは束の間で、蛇もミツルギを追って再びその巨頭を水中へ沈める。


 ミツルギはさらにそれから逃れようと泳いだが、さすがに体力が底をつきかけていた。水神の領巾があるとはいえ、体を動かすのは自分自身だ。日頃から運動不足のミツルギの体は、とうに限界を通り越している。今、何とか動けているのは、危機に瀕しているからだ。いわば気力で持ちこたえているに過ぎない。それも、いつまでもつか分からない。


 もっと自分に力があれば、この蛇の物の怪をものともしない、力があれば。ミツルギはそう思わずにはいられない。一応武神として祀られた身ではあるが、それが人々の勘違いではなく、本当に自分が武神であったのならば、どれほど良かったか。そんなことを思ったからか、いつか高天原で言われた神使の言葉が再び蘇る。


「人々が武神として祀っている以上、ミツルギ様は正真正銘の武神でございます」


 本当にそうだというのなら、なぜ自分は今、物の怪から逃げ惑うことしかできていないのだろう。なぜ龍神も、囚われた人々も、神々も、救えないのだろう。


 一体、何が武神だというのか。武神とは武の神、戦神、己が戦えないなんてことがあるのだろうか。やはり自分は、武神なんかじゃないのだ。人々がミツルギを武神と祭り上げても、それはやはりただの勘違いでしかない。勘違いが真実になることなどない。ミツルギが武神になれたわけじゃない。あの神使の言っていることは、ミツルギを宥める為の、体のいい嘘なのだ。


「お姉ちゃん」


 不意に、泣いてばかりの龍神が顔をあげた。

 

「あの化け物を、倒してよ」


「む、無理じゃ。わしには、できぬ、わしは、わしは戦うことなど、できぬ!」


 まるで自分に言い聞かせるようにミツルギは叫んだ。


 その時、目の前から何かが降ってきた。正確に言えば、何かが川底に向かって落ちてきた。大量の泡を纏いながら、ゆっくりと沈んできたそれは、黒い衣に黒い翼を生やした青年、クロだ。


 なぜここにと問う暇もなく、クロは、ミツルギに向かって手を伸ばしてきた。ミツルギは、龍神を片手で支えながら、空いた方の手でクロの手を反射的に掴んだ。クロは、その手を痛いほど握りしめると、振り子の要領でミツルギを自分より後方へ押し出し、手を離す。

 

 そのクロの体に、蛇の物の怪が食らいついた。


 濁った水の中でも、吹きこぼれた血の色は赤かった。


「クロ!!」


 ミツルギは絶叫した。


 クロが、死んでしまう。


 ところが、クロに噛み付いた蛇の物の怪は、すぐに吐くようにしてクロから口を離した。その様子は嫌がっているようにも見える。


 なんにせよ、蛇は怯んだようだったので、ミツルギはクロのもとまで泳ぎ、その背を受け止めた。クロの体からは力が抜けており、重量でミツルギの体も一緒に川底へ引きずられるように沈んでいく。

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