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第三話 ミツルギ、犬に起こされる

 その後、ミツルギは幾度か本殿の鏡を覗き込んでみたが、鏡はミツルギの顔を映すばかりで何の反応もなかった。また日を改めようと、その日は諦め、ミツルギはまた境内の散策を始める。


 しかし散策と言っても、そんなに散策できるほど広い境内ではない。


 本殿と拝殿の二棟の社殿、白砂の敷かれた境内、その先には狛犬と鳥居。前の社もそんなに大きなものではなかったが、今の新しい社の方がコンパクトにまとまった感がある。変わらないのは周囲を囲う鎮守の森と苔むした鳥居と狛犬くらいか。


 鎮守の森も、森と言えるほど面積は広くない。林と言ったほうが実態としては近いだろう。


 ミツルギはぐるりと社殿の周囲を一周して、元いた場所に戻ってきた。それからお賽銭箱の前に座り込んで、慌ただしい今日の出

来事を振り返る。


 先ほど龍神が言っていたように、今回の祭神就任の一連の出来事で、高天原の神使達に随分迷惑をかけてしまったようだ。


「うーん、神使たちには悪いことをしたのう。しかし、まさか神社が再興されようとは……」


 まさに棚からぼた餅のような僥倖ぎょうこうである。この僥倖に感謝し、これまでのぐうたら放浪生活を改めて、神としての役割を果たす。これがミツルギの今やるべきことだ。


 ミツルギは立ち上がると、うーんと伸びをした。それから、久しく遠ざかっていた神としての役割を思い起こす。


 神は、土地とその土地に暮らす人々を守り、彼らの願いを聞き届け恵みをもたらす。また、神のいる神社は、神への祈りや感謝の場だけでなく、その土地に住む者たち同士を結びつける、共同体の場としての側面も併せ持つ。


 神社に訪れる人々の信仰や感謝が強ければ強いほど、恵みをもたらす神の力もまた強まり、さらなる恵みをもたらす。そして、人々はまたそれに感謝する。循環する水の流れのように、神の力もまた循環する。信仰は力へ、力は恵みへ、恵みはまた信仰となる。


 かつてはミツルギも、そうやって人々の暮らしを守ってきた。しかし、今回はそれをまた一からやり直さなければならない。


 もうほとんど忘れ去られた神であったミツルギを、なぜ人々が思い出し、新たに祀り直すこととなったのか。その経緯は分からないが、自分を必要としてくれている人がいることはミツルギにとって思ってもみない幸福だった。


 もっとも、よりによって武神と勘違いされてしまっていることに関しては、あまり嬉しくなかったが。もしかして何か別の神と混同されているのではあるまいか、という不安が頭をもたげる。


「ああ、なんか急に不安になってきたぞ」

 

 その不安を頭から締め出そうと、ミツルギはブンブンと頭を降る。


「大丈夫、大丈夫じゃ。ここは正真正銘、わしの社。わしを祀る、社じゃ!」


 自分に言い聞かせ、カツを入れるように左右の頬をパシパシと叩いた。


「で、あるからして、ここでドーンと構えておれば良い」


 というわけで、ミツルギは社でドーンと構えていることにした。


 しかし、いくらドーンと構えたところで、小一時間経っても参拝客の姿は一人もなく、ミツルギはやることがなかった。拝殿へ上がる階段の上で、ミツルギはグデンと横になった。


 廃神社時代、誰一人訪れない時間をやり過ごした日々のことを思い出し、ミツルギはなんだか虚しくなる。またあんな風になるのは勘弁してほしい。


「そうじゃ、龍神が気になることを言っておったな」


 ミツルギは横になったまま独り言を続けた。一人でいることが多いせいか、独り言がなんだか癖になってしまっている。


「ちゃんと確認せいとかなんとか」


 龍神の言わんとしていることは、ミツルギにも大体察しはついている。土地を守る神が去った跡地には、よこしまな者、すなわち物の怪の類が棲みつくことが多い。龍神はそのことを心配していたのだろう。


 しかし、今のところ物の怪の気配をミツルギは感じていない。たとえ何らかの物の怪が住み着いていたとしても、人々が朽ちた古い神社を解体し、場を清め、新しい社を建てる過程でいなくなっている可能性の方が高い。


 だから、このことについてミツルギはさほど気にしていなかった。


「全く、龍神もなんのかんのと世話を焼くのが好きな男よ。わしよりちんちくりんのくせに」


 へへん、と妙な笑みを浮かべて、ミツルギは目を閉じた。風に吹かれてさわさわと揺れる梢の音と、降り注ぐ木漏れ日がミツルギの体を包み込む。その心地よさにうっかり身を委ねてしまい、意識は緩やかに睡眠へと向かった。


 ミツルギが次に目を覚ましたのは、なんだか生暖かい生き物の呼気に触れた時だった。


「なんじゃ!!」と驚いて跳ね起きると、目の前に犬の顔があった。


「うわっ」とミツルギは仰け反る。食パンの耳のような色をしたその犬は、昔ながらの日本犬の姿をしていた。柴犬というやつだろうか。犬の背面に広がる空は、赤く色づいている。もう日没に近い時刻のようだ。


 犬は、つぶらな黒い瞳でミツルギのことをしげしげと眺めて、「ワン」と吠えた。尻尾を千切れんばかりに振っている。遊んで欲しいのか、ミツルギが珍しいのか、その両方か。


「これ、太郎丸、どうしたそんなに興奮して」


 犬の後ろには、飼い主らしき老齢の男性の姿があった。


 ミツルギ、他の神様たちもそうだが、普段は人間には姿が見えないようにしてある。しかし、その状態であっても、犬などの鳥獣、人間であっても小さな赤ん坊には気づかれてしまうことが多い。


 今、犬の太郎丸にはミツルギが見えていて、飼い主には見えないわけだから、犬が何もいない空間に向かって吠えるのがどうしてなのか、分からないのだろう。


 飼い主は太郎丸のリードを持ったまま賽銭箱の前に来ると、鈴をジャラジャラと鳴らして、やり慣れた動作で二礼二拍手一礼をした。


 ミツルギは慌てて居住まいを正した。今日初めての参拝客だ。男性は一切口を動かさなかったが、祭神であるミツルギには、彼が今、心の中で唱えている言葉が聞き取れる。


「ミツルギ様、よう戻られました。また今後ともお願いします」


 名を言われたことに、ミツルギは胸をつかれた。


 この男性は、もう七十歳をとうに過ぎているように見える。彼が子供の時分であれば、かつての神社もまだ廃神社ではなく、ミツルギも去ってはいなかった。彼は、覚えていてくれたのだ。ここにミツルギという名前の神様がいたことを。


「ああ、よろしく頼むぞ」


 人の子に聞こえることはないが、ミツルギは目前の男性へそう伝えた。


 男性が、顔を上げて目を開ける。その目と一瞬だけ、視線が合った気がした。ところが、突然太郎丸が駆け出したせいで、男性の目は横へそれた。


「おお!これこれ太郎丸!」


 太郎丸は尻尾を振りながら、神社を囲う木々のうち一本の木の根元へ突進している。


 地表に露出した根は大きく盛り上がり、土壌との間に小さな空洞を作っていた。太郎丸が入るには小さすぎるが、そこが気になるのか、太郎丸は何度も吠えては空洞を広げようと地面を前足で掻いている。


「全く、やんちゃな子だ。さあ、帰るぞ」


 男性がリードをやや強めに引くと、太郎丸は名残惜しそうな顔をしながらも、男性の元へ戻った。クンクンと鼻を鳴らしている。


 太郎丸と飼い主の男性が去った後、ミツルギは木の根元の様子を見に行ってみた。太郎丸が興味を示した理由を知りたかったのだ。


 しゃがみこんでみると、太郎丸が引っ掻いていた場所にはカラスの羽根が散乱している。ミツルギはそのうちの一枚を拾い上げ、上に掲げてくるくると回した。羽根の向こうには、西へ沈み始めた太陽の光が透かして見えた。


 ひょっとすると、カラスが潜り込んでいるのかもしれない。ミツルギは拾った羽根を握ったまま、四つんばいになって、地表に露出した木の根が、地面との間にもうけた空間を覗き込んでみる。


 中には、やはり生き物の姿があった。顔が空洞の入り口とは反対方向に向いているせいでミツルギには見えなかったが、黒い羽毛に覆われたその姿はカラスだろう。しかし、衰弱しているようで、体は痩せ細り、烏の濡れ羽色と称されるはずの美しい羽根は光沢を失っている。


 周囲に散乱した羽根は、抜け落ちたものだろうか。怪我をしたのか、病気なのか、このままでは判断がつかない。回復するまで天敵から身を隠すためにこの場所でうずくまっているのは間違いないだろうが、ミツルギには死を待っている哀れな生き物にしか見えなかった。


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