第29話 ミツルギ、水神の社を訪ねる
ミツルギは、ドタドタと大きな足音を立てて本殿へ駆け込んだ。
ミツルギの帰宅に腰を浮かせたクロへ「今より、ミヅハ殿の元へ行ってくる!」と言葉を投げかけ、ミツルギは祭壇に祀られた神鏡を覗き込んむ。
背後からクロが問いかける声が聞こえたが、全て聞き取る前に、ミツルギは鏡の中に吸い込まれていた。
吸い込まれると、そこは高天原にある鏡の回廊だ。ミツルギはたった今自分が出てきた鏡へ向き直ると、ミヅハが話していたことを思い出す。彼女は、結びの鏡の前で神社の姿を思い描けば、また会えると言っていた。いつでも遊びに来てもらって構わないと。
初対面のミツルギにあれほど友好的だったのだ。きっと力を貸してくれる。
ミツルギは鏡の前で、できるだけ鮮明に神社の姿を呼び起こそうとした。高天原に召喚された日、牛車へ乗り込もうとするミツルギの頭の中に、ミヅハが流し込んでくれた神社の姿。
小さな素木造の社で、建立されてから年月が経っているのか、木の色は雨風にさらされたことで渋みを持った色をしていた。
やがて、鏡の中に見知らぬ部屋の中が映し出される。ミツルギはそれを覗き込んだ。身体が前にぐんっと引っ張られる。それに身を任せると、そこはもう鏡に映されていた見知らぬ部屋だった。
「まあ」
突然鏡から飛び出してきたミツルギに、大した驚きも見せずに彼女は微笑んでいた。
「ミツルギさん、ようこそ我が社へ」
ミヅハだ。彼女は出会った時と同じ、薄桜色の大袖に薄水色の裳を身に纏っていたが、領布は身につけていない。代わりに、床に色とりどりの領布を広げ、一つ一つ手に取ってどれが良いか、吟味しているようだった。
「ミヅハ殿!突然の来訪、申し訳ない」
ミツルギが謝ると、ミヅハは「謝る必要はないですわ」と言った。
「ミツルギさんを誘ったのはわたくしですもの。いつまたお会いできるか、楽しみにしていたんです」
嬉しそうに顔を綻ばせて、ミヅハは両手を合わせる。
「ささ、何をいたしましょうか。お茶でも飲みながら、庭でお話ししましょうか。それともこちらで、一緒に布を選びましょうか。新しい物が届いたのです。ミツルギさんにも気にいるものがありましたら、差し上げますわ」
初対面の時は、凛と大人びた印象を受けたが、今の彼女は可憐な少女のようだ。
しかも、完全にミツルギが遊びにきたと思っている。そんなミヅハを前に、そうではないことを伝えるのは勇気が必要だった。
ミツルギは「申し訳ない」ともう一度言った。
「此度は遊びに来たのではない。そなたに、助力を請いに来たのじゃ」
「まあ、わたくしに?」
ミズハは小さく首を傾げる。
「ミヅハ殿とは、また機会を改めて親交を深めたい。今は、少々困った事態に直面しており、早急にお力を貸していただきたいのじゃ。親交を深める前に頼み事とは、図々しいことと思うが、今からわしと一緒に。ミ、ミヅハ殿?」
ミツルギはミヅハの様子を見て、言葉を途中で切った。
「わ、わたくしに、力を貸してほしいと?」
ミヅハは、胸の前で組み合わせた手を震わせていた。彼女の流麗な面差しからは、驚きと、戸惑いと、喜びが読み取れる。
「すみません。誰かに頼られるなど、あまり経験のないことで、つい驚いてしまって」
ミヅハはしおしおと腕をおろす。
「お恥ずかしがながら我が社は小さく、山の中にあるためか、滅多に人が参りません。ですから、神のくせに、頼られることに慣れていないのです」
ミヅハの言葉に、ミツルギは少し己の過去のことを重ね合わせた。廃れた神社で、心細さとやるせなさのあまり、自暴自棄になっていた頃のことだ。
ミツルギは、清潔だが、かなり古びた様子の部屋を見て思った。彼女の社には、どれほどの間、人が来ていないのだろうか。彼女もここで、寂しい思いをしているのだろうか。
ミヅハは、膝の上に乗せていた水色の領布を床に置き、立ちっぱなしのミツルギに合わせ、自身も立ち上がる。
「こんな情けない私で良ければ。どうぞ、何をしたら良いのか教えてください」
ミツルギは、手短に彼女に説明した。蛇の物の怪のこと、友人の神がその物の怪について調べている途中、行方知らずになったこと、彼の神威が衰え、神使が人の姿を保てなくなったこと、そして、物の怪は水と雨の中に隠れてしまい、気配が感じ取れなくなったこと。
「水神であれば、水に紛れて隠れてしまった物の怪の気配を、探し当てられると、お地蔵様が教えてくださった。どうか、ミヅハ殿には物の怪の気配を探ってほしい」
話を聞いたミヅハは、すぐに「わかりました」と頷いた。
「私も水神の端くれ。やってみましょう」
それからミヅハは、神使に出かけることを伝えてくると言って、外へと出て行った。
ミツルギも、なんとなく彼女の後へ続いた。
外に出ると、そこは確かに山の中のようだった。ミツルギの神社も一応鎮守の森に囲まれているから、景色はさほど変わらないが、ここの方がずっと木々の気配が濃い。見上げた空には、少し雲が多いが晴れていた。そういえば、ここは何処にあるのだろうかとミツルギは思った。ミツルギの社から、かなり離れているのだろうか。
ミヅハは、本殿をぐるりと囲う回縁を時計回りの方向に進んだ。神社の脇には、大きな池がある。水が青く澄んだ美しい池だ。水面には緑の大きな蓮の葉が浮かんでいる。そこを、金の鯉が悠々と泳いでいた。
「琥珀、わたくしは少し出掛けてきますから、その間、神社を頼みますよ」
ミヅハがそう言うと、池の鯉が反応した。尾鰭を翻し、軽く水面を打つ。
ミヅハはミツルギへ「わたくしの神使です。今日は時間がありませんから、また今度紹介しますね」と笑みを向けた。




