第二話 ミツルギ、龍神と再会する
ミツルギは腕を組んだまま、頭上を見上げる。そこには、白い水干に濃い紫根染の袴を合わせた童子姿の神が、虚空で仁王立ちしてこちらを睥睨していた。
「おおっ、懐かしいの」
ミツルギはその神様の姿を見て、口元をほころばせる。ここより国道を挟んだ隣町にある、梅瀧神社の御祭神だ。
「息災であったか、龍神よ」
ミツルギに声をかけられた龍神は、微動だにせずに「ふんっ」と鼻を鳴らした。
短く切り込まれた眉尻と扁桃型の丸い目尻はキュッと上へ持ち上がり、後ろで一つ縛りにした赤みがかった黒髪は、まるで龍の尾のように長く、宙になびいている。
「お前は相変わらずだな、ミツルギ。ここ数十年の間、どこをほっつき歩いていた。しかも神使の一人もいないと見える。よくまあそんな暢気に居られるものだ」
姿こそ、女童と見紛うほど可愛らしいが、その口から飛び出た言葉には存外棘が含まれている。一方、ミツルギは、「神使……?」と目を丸くさせた後で、「ああ」とやっと合点がいったような顔をした。
「お前、まさか念頭になかったのか」
頭上で呆れたような声を響かせる龍神へ、ミツルギは「ええい、さっきから頭の上でうるさいわい」とこちらも声を響かせる。
「はよ、下に降りてこい。話しづらくてしょうがないわ」
「全く」と、龍神は何やら不平を口にしたが、組んでいた腕を解くと、そのまま垂直に地面へ降りてきた。しかし、足を地面につけることはせずに、ミツルギより頭一つ分高くなるほどの位置で浮遊を続けている。
「あいっかわらず、身長を気にしてるのな、そなた」
ミツルギが半眼で睨むと、図星をつかれたらしき龍神は「やかましいわっ」と目を見開いて一喝した。
事実、龍神は地面に降りてしまうと、五尺ほどしかないミツルギの身長にも負けてしまうほどの大きさだった。黙ってさえいれば、八歳から十歳くらいの子供にしか見えない。
「して、何用じゃ、わしのこのピッカピカのお社を見物しに参ったのか?」
「ピッカピッカの」とさらに付け加えて、ミツルギは思い切りどや顔を披露する。
龍神は鼻に皺を寄せると、蚊でも追い払うように手を振った。
「何十年もぐうたらしていたお前が急にまたご立派な社を持たされて、右往左往する様を見物しに来ただけだ。聞けば此度の一件、人間に武神として祭り上げられたとか」
「ふぐぅ」
ミツルギは突然、カエルが潰れたような声を上げる。それを見て、龍神のつり上がっていた目元と口元がわずかに緩んだ。
「その様子では、噂は真実であったか。まあ、とりあえず、早く神使を見つけることだな。できれば武闘派の神使が良いだろう。犬とか、良いんじゃないか」
「何勝手に、わしの神使を決めようとしとるんじゃ」
ミツルギは口を尖らせ、しかし特に良い案も浮かばないので「犬か、犬」と考え込む。
かつて、ミツルギにも神使はいた。しかし、明治の合祀騒動で神使はミツルギの元から去り、以来神使をそばに置くことはなかった。
そのため、神使がいないことが当たり前となっていたのだが、再び祭神として社を持ち、祀られたとあっては、神使探しは急を要することであった。除目を司る神からも、早く神使を召し上げろと言付かっている。
「今の世に早々見つかるかのう。神使は鳥獣であれば何でも良いわけではないし」
神使となるには、それなりの条件が求められる。
昔であれば、珍しい特徴を持つ個体が神々からは尊ばれていた。白い蛇や白い狐がその代表格である。また、美しい繭を作る蚕や、その蚕を外敵から守る猫など、人によって役割を見出され、神の使い、あるいは時折神と同一視されて信仰を集めた獣も好まれる。
しかし、数多いる八百万の神の好みはまさに千差万別。結局はその神の好みに寄ることが多い。それでも、その辺の犬猫をホイホイと神使にすることはない。特別な特徴を持っていたり、長寿であったり、他の同一種より何か抜き出たものを持っていなければ、そもそも神の目に留まらないのだから。
「いっそ、昔の神使でも呼び戻してはどうだ」
龍神は偉そうな態度なのに、やたらとミツルギの世話を焼いてくる。ミツルギは、そういうところも昔と変わってないなと思いながらも、口には出さない。
「トセのことか?あやつなら、今も八幡神様のところで仕えておるはずじゃが、もう何十年も連絡を取っておらぬし、八幡神様にもお伺いを立てなければならぬ。そなたも知っておろうが、わしはそういう改まったものは苦手じゃ」
「八幡さまといえば超大手だな」
龍神は腕を組むと、なぜかふんぞり返る。
「そこから一人、神使を引き抜いたところで痛くもかゆくもないのではないか。第一、あそこの一の神使は鳩だ。確か、トセはウサギだったな。何も問題はない。八幡さまも気前よく応じてくださるだろう」
八幡さまは、全国で八千社近くもの分社があり、その数はまさに日本一。その分社の一つ一つにも神使はいるのだから、とんでもない大所帯だ。まさに龍神の言う通り、超大手である。
「いや、しかし……今更というのもあるじゃろ。そもそもトセを八幡神様の宮で仕えるよう推挙したのはわしじゃし、それの仲立ちをしてくれた者もおる。別の神に仕えていた神使を他の神の神使とするには、色々ややこしい手続きもせねばならんから、そのことで迷惑もかけた。それが、やっぱり必要になったから返してくれと頼むのは、どうにも体裁が悪い。それに、トセも嫌じゃろう。今更、わしの元へ帰るのは」
「面倒くさいな」
チッと、小さな舌打ちが頭上から聞こえてきた。浮遊したままの龍神から発せられた音だ。面倒くさいなら、関わらなければ良いのにとミツルギは密かに思うものの、それを好ましくも思う。
「だったら、ちゃんと自分の神使を召抱えるまでの繋ぎとして、派遣サァビスを使えば良い」
「何ぞ、それは」
聞き慣れない言葉を発した龍神を、ミツルギはまん丸な目で見上げた。龍神は「知らんのか」とぼやいて、少し得意げな顔をして言葉を継ぐ。
「お前が全国を放浪している間に、人の世と同じく、神々の世も色々変わったのだ。今では、あくまで代理神使として、他の神に仕える神使を一定期間派遣できるサァビスがある。まあ、ほとんど利用する神はいないから、廃止寸前みたいだが、一応まだ生きてる。まさにお前のためのサァビスだな。お前みたいな例は、後にも先にもなさそうだし」
「一言余計じゃ。しかし、それは良いことを聞いた」
ミツルギは展望が見えてきて、もっと詳しいことを龍神から聞き出そうとする。
「そのサァビスを受けるには、どうすれば良い」
「高天原へ行けば良い」
龍神は人差し指を立てて、青い空を指す。
「高天原の官司の窓口にいる神使にいえば、申請の手続きをしてくれるはずだ」
「高天原にはどうやって行けばいいんじゃ」
その質問には、龍神は「はあ?」と大仰に顔をしかめた。
「お前、どこまで呆けてるんだ。いかに国津神といえど、高天原へ行ったことくらいあるだろう。そもそも、祭神として祀られた時に、高天原へ行かなかったのか」
「いや、あの時は、急に高天原から来たとかいう神使に訳も分からず連れて行かれて、どこをどう通ったとかは覚えておらぬ」
事実その通りで、道端の地蔵が自分に供えられた饅頭をやると言ってくれたので、それをムシャムシャ食べていたら、急に連れて行かれた。
口の中いっぱいに頬張った饅頭のせいで口が利けず、必死で飲み下している間に高天原に着いていた。そこで、あの背の高い女性の神使から、武神として祀られたことを聞かされたのだ。
「ふん、神使のやつら相当焦っていたみたいだな。まあ無理もないか。神を迎えるための儀式に肝心の神がいないんじゃあな」
「は!?」
ミツルギはどういうことじゃ、と龍神に詰め寄る。
「どうもこうもない。今朝方、この社で落成式とお前を迎えるための式が行われていたので俺も見物しに行ったが、お前はまだ来ていなかった」
「それは、確かにまあ、わしがここに来た時は人っ子ひとりおらんかったからな」
ミツルギはもごもごと答えた。
鏡を通ってここに来た際に見た祭壇には、真新しい供物や榊が供えられていた。それは、ここで神事が行われて間もないことを示している。ミツルギはその神事に間に合わなかったのだ。
龍神は呆れたように言葉を続けた。
「普通、神を迎える儀式に神が来てないなんてありえないぞ。新たに社が建ち、神が祀られようとすれば、高天原の官司がそれを察知するし、そもそも勧請元の神が知らぬことはない。しかしお前の場合、ほとんど忘れ去られたのと同然の神の神社が再建されるという異例中の異例だ。しかもとうの神は、何十年も前から所在不明ときている。高天原の神使連中、俺のところにもお前の所在を尋ねる文を寄越してきたぞ」
ミツルギは色々と合点がいった。急いでいたからこそ、無名とはいえ神であるミツルギを神使達は拉致同然に高天原へ連れて行ったのだ。あれはちょうど、馴染みの地蔵から饅頭をもらって、さあ食べようとしていたところだった。ろくに饅頭の甘味を味わうこともできなかった。そうまでして神使たちに急かされたのに、結局間に合わなかったが。
ミツルギをここへ送り出してくれた神使は、今思えば妙に吹っ切れた笑みをしていたように思う。ミツルギが高天原へ到着した頃にはもうすでに、神事は終わってしまっていたのだろう。
「それで。話を元に戻すが」
龍神がコホン、とわざとらしく咳をした。
「お前、結局どうやって高天原からここへ来た?」
「ふえ?それは、鏡じゃが。しかし、わしの社にある鏡を覗き込んでみても、何も反応がなかったぞ」
「それは多分、結びつけられた対となる鏡が、移動しているからだろう。移動中にいきなり鏡から出てこられたら危ないからな。結びは一時的に切られている。もう少し時間を置いてから、試してみろ」
喋りながら、龍神の体は徐々に上昇を始めていた。
「おい、どこへ行く」
「俺はお前みたいに暇ではない」
どうも龍神はもう帰る算段のようだ。空中でくるりと踵を返し、東の方角へ去ろうとする。その寸前、思い出したかのようにこちらを振り返った。
「ああ、言い忘れていた。ちゃんと神域を確認しておけよ。不在の間に、妙なもんに居着かれていたら厄介だからな」
それだけ言い残して、龍神はミツルギの返事も待たずにはるか上空へ舞い上がった。
「あ、ちょっと待てい!」
龍神の後ろ姿はどんどん遠ざかり、しまいには米粒程度の大きさになってしまう。
「なんなんじゃあいつは!言いたいことだけ言っておいて、わしの話は無視か!」
ミツルギはぷう、と頰を膨らませて空を見
上げた。