第19話 ミツルギ、申し開きをする
クロはミツルギに叱られ、拗ねてしまったらしい。カラスの姿に戻ると、牛車の隅へ顔を突っ込んでうずくまっている。ミツルギが声をかけても反応がない。
「たしかに話すなとは言ったが、あれは言葉の綾じゃ。そんなに黙りこくらんでもいいじゃろう」
クロは身動きひとつしない。
「図体は立派なのにまるで子どもじゃのう」
ミツルギは呆れた。
その時、ガタンと音がして、牛車の車輪が地面につく感覚がした。どうやらついたようだ。
外から、「到着いたしました」と声をかけられる。
ミツルギは、うずくまっているクロを無理やり抱き抱えて外へ出た。牛車の中の薄暗さから明るい外へと視界が移り変わり、眩しくてミツルギは
目を細める。
そこはかなりの高層部のようで、本宮を近距離から見上げることができた。
近くで見上げる本宮は迫力があった。
首が痛くなるほど見上げても、その全容の全てを視界に捉えることはできないほど、そのサイズ感は桁外れだ。やや正方形に近い形の本体部を支えている何本もの柱も、その一つ一つが信じられないほどに太く大きく、長い。その途方もなく巨大な本宮の放つ存在感は、畏怖の念を抱かせるほど。
大きすぎるせいで、距離感を錯覚するが、実際はミツルギのいる場所から本宮までは、まだかなりの距離を登らなければならない。
「御剣城比売命様」
張りのある女性の声に呼びかけられて、ミツルギは我に帰った。気づけば、牛車は去り、目の前に白い装束姿の女性の神使がいる。
「評定の場へ案内いたします」
そう言うと、神使は「さあ、こちらへ」と言って、本宮から正反対の方向へ歩き出した。ミツルギもそのあとへ続く。
ミツルギが牛車から降ろされた場所は、山肌から外へ張り出した大舞台の上だった。この大舞台も、何本もの柱から支えられているのだろう。
神使は、大舞台と繋がる回廊へミツルギを連れてゆく。
ここの建造物のほとんどは、塗料を用いず、自然のままの状態の木材を用いた素木造りだ。ミツルギの降り立った大舞台と回廊を備える建造物も素木造りで、木々の自然な木肌や風合いがそのまま表現されており、人工物の中にいるのに、まるで森の木々に囲まれているような心地がする。
案内役の神使は、ミツルギを連れて回廊を渡り、渡殿を通り、巨大な門扉のついた建物の前で立ち止まった。
巨人でも通るのかと思うほど大きな木製の扉だ。こんなもの、万力の持ち主でなければ開けられないのでらないのかとミツルギが考えているそばで、神使がコンコンと扉の一部を叩いた。すると、誰何する声が聞こえて、神使が扉の向こうにいる者と、短く言葉を交わす。
やがて、内側から閂を外す音が聞こえて、扉が開いた。開いたのは巨大な門扉の方ではない。門扉の右側下部に別途作られた小さな扉だ。ちょうど、ミツルギをここまで連れてきた神使の目の前に当たる。
中へ入るように促されて、ミツルギは巨大な門扉の中へ足を踏み入れる。
扉の向こうは、大廊下が真っ直ぐ奥に向かって伸びていた。薄暗い屋内を照らすように、左右の天井部に松明が揺れている。
背後で扉が閉まる音がした。待っていると、案内役の神使がミツルギより一歩下がった位置で立ち止まる。
「審問の場にて、既に他の神達も揃っております。御剣城比売命様におかれましては、聞かれたことに嘘偽りなく答えるようお願い申し上げます」
「あい、わかった」
「それでは今より、お連れいたします」
緊張で体がはち切れそうな思いをしながら、ミツルギは再び歩き出した神使の後へ続く。
クロの方は、ミツルギの腕の中に顔を突っ込んでいる。動かないし静かすぎるので、まさか寝ているのではないのかと、ミツルギはむしろ感心してしまう。こんな状態で本当に寝ていたら図太すぎる。物の怪の身でこのような場所に連れてこられて怖くないのだろうか。
ミツルギは少しはクロを見習おうと、平常心を保つことを勤めたが、なかなか難しい。一体審問の場でどんなことを聞かれ、自分とクロはどうなるのか、全く分からないくせに、悪い予想ばかりが頭を巡る。
やがて、神使が歩速を緩め、ミツルギへ道を譲った。その先には吹き抜けの広い空間が広がっている。
広間の中央には欄干のついた大きな円形の台があり、そこへ立つよう神使に促された。緊張しながらそこへ立ち、ミツルギは自分の立たされている場所を改めて把握しようと努める。
ミツルギの立つ円形の台の周囲には、壁ををくり抜くように作られた露台があり、それがぐるりと四方を囲っている。露台にはくまなく御簾がかけられていたが、御簾の向こうには神々の気配が濃厚に立ち込めている。
やがて、入り口から見て正面の露台の御簾の向こうに何者かが座った。たったそれだけで、にわかに空気が変わる。
その直後、声が響いた。
「兎山神社祭神•御剣城比売命」
名を呼ばわれ、ミツルギは思わず背筋を伸ばした。
正面の露台に座す神が口を開いたのかと思ったが、声を出したのは、ミツルギの後から入場してきた神使であった。案内役の神使とはまた別の者た。顔に白布を垂らし、黒装束を纏っている。
この場にいる神々へ聞こえるように、黒装束の神使が巻子を広げ、よく通る声で続けた。
どうやら、今回の評定の意義について述べているようだ。
「先日、梅瀧神社祭神•高龗神より、御剣城比売命が物の怪を神使としたとの奏上あり。評議の上、御剣城比売命を召喚し、真偽を問う」
神使が言葉を切り上げ、ミツルギの方へ向いた。
「我は禍津日神の代行者として汝に問う。御剣城比売命、此度の奏上の件、真実か」
ミツルギは消え入りそうな声で「真実じゃ」と答えた。
「此度、当該物の怪を具して参内するよう申しつけたが、その腕に抱えたものがそれか。そうであるならば、掲げてこちらに見せよ」
ミツルギはクロの体をしっかり掴んで、自分の頭上へ持ち上げた。会場中に巨人が息をついたような音が厳かに響き渡る。
「下ろして良い。再度確認するが、それを神使としたのは真実か」
言われた通りにクロを下ろして、ミツルギはしばし黙った。それから、評議の直前、案内役の神使から、嘘偽りなく答えるよう釘を刺されていることを思い出し、「真実ではない」と告げた。
にわかに、御簾の向こうの神々たちが互いに囁き交わす声が聞こえてくる。
「では、此度の奏上は高龗神の誤認ということか」
「誤認ではない」
ミツルギは腹を括り、本当のことを伝える。
「なぜならば、わしがク...や、この物の怪を神使としたと、りゅうじ...高龗神へ嘘をついたからじゃ」
「なぜそのような嘘を?」
神使が尋ねる。どうやら、ここに集っている神々は、一切口を挟む気はないらしい。皆、固唾を飲んで黒装束の神使とミツルギの会話を見守っているようだ。
「高龗神が、物の怪を害することを危ぶんだためじゃ。他所様の神使に危害を加えてはならぬという不文律を利用するために、物の怪を神使にしたと偽ったのじゃ」
「そうまでして、なぜ物の怪を庇ったのか」
「そ、それは」
ミツルギは、この後に及んでまだ拗ねているのか、自分の腕の中に嘴を突っ込んでいるクロを見下ろした。
「わしは、当初こやつが物の怪だと分からず、戯れに聞いたのじゃ。わしの神使となるか、と。そしてこやつは正体を表し、神使となると答えた。その時まで物の怪だと知らなかったワシは対応に苦慮し、高龗神へ相談することにしたのじゃ。しかし、かの神は気性荒く、物の怪に危害を加える可能性がある。わしは、流血を用いて解決することを望まなんだ」
「そうか。しかし、その物の怪には神威が宿っているようだが。そうでなければ、そもそも結びの鏡は通れない」
ミツルギは「え」とその神使を見てから、クロを見た。
「いや、しかし、クロを神使にした覚えは」
ひょっとして、クロという名前を与えてしまったことで、ミツルギの神威が宿ったのだろうか。
ミツルギは改めてクロをまじまじと見つめたが、よく分からない。自分の体臭は自分では分からないというが、神威も似たようなもので、他の神の神威や、神使に宿っている神威は手に取るように分かっても、自分の神威とはうまく感じ取れない。だから、いまいちクロを見てもピンと来なかったのだろう。
慌てるミツルギを他所に、黒装束の神使は淡々と告げる。
「そなたの言い分は記録した。後日、その物の怪の処分方法について沙汰を下す」
「しょ、処分?」
ミツルギは青ざめた。クロは殺されるということなのか。
「ま、待ってくれ、この物の怪は悪さなどしておらぬ」
ミツルギは欄干を掴んで身を乗り出した。
黒装束の神使は耳を貸さず、巻子を閉じて退席しようとする。御簾の向こうからは、衣擦れの音が一斉に聞こえてくる。
「待て、待ってくれ」
ミツルギは懇願するように叫んだが、誰もミツルギの声に耳を貸そうとしない。
「もう少し、わしの話を!誰か!」
「面白いではないか」
その声が聞こえた途端、広間は水を打ったように静まり返った。退席しかけた黒装束の神使はその体勢のまま固り、御簾の向こうの神々もそのまま固まるか、座り直すかしたようだ。
声は、露台の中央部から聞こえてきた。成人した男性の声だ。
ミツルギは目を見張って、声が聞こえてきた御簾の向こうの影を見抜こうとした。