第17話 ミツルギ、友を作る
太いヒノキの柱で支えたれた回廊が、ミツルギの視界を横切っている。それはロの字型を描いて、ミツルギの現在立っている場所も内包していた。回廊の壁には、丸い鏡がはめ込まれた祠が整然と並ぶ。あまりにも整然としすぎてちょっと頭がクラクラしそうである。中には鏡のはめ込まれていない祠もちらほらとあった。
ミツルギが振り返ってみれば、そこにも同じ祠がある。この祠の鏡が、ミツルギの社の鏡と対になっているのだろうか。
ミツルギは、すぐ隣の祠と、目の前の祠とを見比べてみた。しかし、違いが全く分からなかった。祠の数は多い。パッと見たところ八百近くはある気がする。帰る際、この膨大な祠の中から自分の神社の鏡と対になっている鏡を探し出せるだろうか。絶対無理だと結論を出し、ミツルギは自分の懐を探った。目印になるようなものを、自分の社につながる祠の前に置いておこうと思ったのだ。しかし、懐を探っても特に何も出てこない。気が進まなかったが、髪紐を使おうと頭の上へ手を伸ばした。すると、五つほど隣の祠の鏡が淡く光を放ったかと思うと、瞬きする間に一柱の神がそこに立っていた。
青みがかった黒髪を宝髷に結い、蛇を象った釵子を挿している。薄桜色の大袖に薄水色の裳。纏う領巾は不思議な色をしており、その色は一つ所に定まらない。水面が日の光を受けて反射するように、領巾が揺れるたびに独特のきらめきと波紋を打つ。
まろやかな輪郭を描く顔立ちは気高く、玲瓏。それなのに冷たさを感じさせない。いや、冷たさがないわけではない。だがそれは、雪解け水に手を浸した時のような、冷たいけれど春の訪れに思いを馳せて心温まるような清純な冷たさだ。氷のように刺す冷たさではない。思わずミツルギは見とれてしまった。とても、美しい女神様だ。
わあ、と感嘆の声を上げたままポカンとするミツルギへ、その神は小さく会釈した。ミツルギも慌てて頭を軽く下げてそれに返す。女神は回廊から降りて、白い砂利の敷かれた地面へ降りる。そのまま静々と歩き出した背中へ、ミツルギは「あ、あのう!」と緊張しながら声をかけた。
「そこの、そなた」
女神は立ち止まって、「なんでございましょう」とミツルギを振り返った。しなやかに首を傾げた仕草すらも様になっている。
「わしは、その、最近社を構えた者での。ちょっとお尋ねしたいのだが、自分の社へ帰りたい時、どうやってこの膨大な鏡の中から、自分の社へ通じる鏡を見つけ出すのか、他の神はどうやっておるのか、教えて欲しくてな」
「まあ、新しく」
女神は相好を崩した。
「それはおめでとうございます。鏡ですが、ここにあるものであればどの鏡を覗いても、あなた様のお社の鏡に繋がっております」
「どれでも?」
「ええ。鏡を覗いた神の神威の宿る神鏡まで、結びの鏡が導いてくれます」
「なるほど。例えば、わしがたった今出てきた鏡をそなたが覗けば、そなたはそなたの社へ帰れるのじゃな」
「その通りです」
そういう仕組みだったのか、とミツルギは感心した。例えば目の前の女神がミツルギの社に行こうと鏡を覗いても、結びの鏡が結んでくれるのは、あくまでその神自身の神威の宿る鏡のみ。防犯対策もバッチリということである。
「そうか。この中から探すのは骨が折れると思っておったが、そういうことであれば帰りの心配もいらんの」
「ええ」
女神が袂を口元まで引き寄せ、奥ゆかしく笑う。
そこへ、ガラガラと音を立てながら、二頭の白い牛に引かれた牛車が近づいてきて、ミツルギと女神の前で止まった。首の後ろに軛をかけた二頭の牛のうち、右側の牛が顔をこちらへ向ける。
「天神様の御使にございます。御剣城比売命、召喚に応じようこそお出で下された。これより神殿へお送りいたします」
低い男性の声が牛から発せられた。
おそらくこの牛も神使なのだろう。神使は、神威を宿し、基本的には人の姿で過ごすが、元の鳥獣の姿をとることもできる。
まさか迎えがあるとは思いもしなかったミツルギは喜んだ。
「かたじけない」
そう言って牛車に乗り込む途中、これまで話をしていた女神の方へ振り返る。
「わしは所用がある故、これにて。色々と教えていただき感謝いたす」
女神は淑やかに笑った。
「なんの、またご縁がありましたらお会いしましょう」
もう長い間、新しい友神というものに恵まれないミツルギは、別れ難く、つい名を聞いた。
「わしは御剣城比売命、ミツルギで良い。そなたの名は?」
「わたくしは、罔象女神。ミヅハで、よろしいですわ。ミツルギ様」
美しき女神、ミヅハはミツルギの元へ近づくと、しなやかな指先をミツルギの額へトン、と置いた。その瞬間、ミツルギの脳裏に見知らぬ神社の姿が流れ込んでくる。
「わたくしの神社です。どうぞ、いつでも遊びに来てくださいな。少しわたくしの神威を分けましたから、結びの鏡の前でその神社の姿を思い描けば、また会えますわ」
ミヅハはそう言い残し、ミツルギの前から立ち去った。
ミツルギはしばしぽかんとした顔をして、まだミヅハの指先のひんやりした感触の残った額を抑えた。先ほど頭に流れ込んできた神社の景色はもう消えていたが、ミツルギはいつでもその神社を頭の中に思い描くことができた。