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第14話 ミツルギ、空を飛ぶ

 龍神と喧嘩をしてからというもの、ミツルギは落ち着かぬ日々を送っていた。


 意味もなく境内や社の中をうろうろしたり、逆に境内に座り込んで動かなくなったり。そして不意に顔を覆って「うーん」とうなる。これにはクロも困り果てた様子だった。


「何をそんなに悩んでいるのですか」


「何をって!」


 うーんと唸っていたミツルギは、ガバリと顔を上げた。


「わしがこんなに悩んでおるのは、元を辿ればそなたのせいじゃぞ!それが分からんのか!」


 クロはしゅんとした様子で顔を下げ、「すみせん」と謝る。その姿にミツルギもいくらか溜飲を下げ、声を抑えた。


「謝らんでも良い。そなたを神使としたのはわしじゃ。そのことによって生じた物事に責任を負うのもわしじゃ」


 一旦言葉を切り、ミツルギはため息をつく。


「はあ、そうだというのに、そなたに当たるなぞ、わしは神の風上にも置けぬな。しかし、今は気が気ではないのじゃ。龍神の奏上によって、高天原がどのような沙汰をわしに下すのか」


 ミツルギは幼子のように膝を抱えて座った。


「龍神が宣言通り、そなたのことを奏上していれば、もうとっくに高天原から召喚命令かなにかしらの命が下っているはず。それが未だ来ぬ。あの龍神が前言撤回するとは思えぬし、必ず奏上しておるはず。つまり、詮議に時間をかけておるのじゃろう。わしにどんな沙汰を下すのかを決める詮議に。ああ!いっそ早く決めてくれ。これ以上待たされるのは心臓に悪すぎる」


「では、高天原の詮議の場へ、乗り込んでみますか」


「そんなことできるわけなかろう!」


 見当はずれなクロの意見を一蹴し、ミツルギはまたため息をついた。


「そなたは本当に危機感がないのう。そなた自身もどうなるかわからんのだぞ」


 そう声をかけると、クロはミツルギの隣で一緒になってしゃがみこんだ。


「私はどうなっても構いません。主上が無事であれば」


「そのようなことを申すな。自分の事も大事にせよ」


「主上は」

 

 顔を覆う札の下からチラリと覗いた口元が、かすかに笑みを浮かべている。


「優しい」


「褒めても何も出んからな」


 ミツルギはブスッとした物言いで返す。


 クロの手前、責任を取るなどと強気な言葉を言ったものの、ミツルギは内心非常に後悔していた。龍神にクロのことを話したこと、それと、クロを神使にしたと「偽った」ことを。


 クロを神使としたと言ったのは、他所の神の神使を傷つけてはならないという暗黙のルールを盾にして、クロを龍神から守るための方便だ。本当にクロを正式な神使とすることも考えたが、さすがにそこまで破天荒なことをする度胸を、ミツルギは持ち合わせていなかった。


 幸い、龍神はミツルギが本当にクロを神使にしたと信じ込んでくれた。


 じっと観察すれば、クロにミツルギの神威が宿っていないことに気づくことができたかもしれないが、そこまで他の神の神使に注意を向ける神はいない。これが私の神使であると言われたら、神はそうだと納得するのが通例だからだ。


 龍神もまたその例に漏れなかったというわけだ。しかし、最終的にクロを斬ろうという凶行に及んだことを考えれば、ミツルギの偽りは時間稼ぎくらいにしかならなかった。あのタイミングで雷様が来てくれなければ、クロは真っ二つに斬られていただろう。


 結局、龍神は武力に訴えることはやめて、高天原への奏上といういくらか穏便な方法に変えてくれた。しかし、それのせいで事は返って大きくなっている。


「こんなことになるとは」


 思わなかった、という続きの言葉を飲み込み、ミツルギはクロを盗み見る。クロは、今はこちらを向いておらず、しゃがみこんだまま、足元の地面を歩く蟻の行列を熱心に眺めている。その様子は子供のようで、悪意も敵意もない。無邪気そのものだ。


 ミツルギの心は、未だに揺れていた。この物の怪の心中を、未だに理解できていないからだ。彼の言動に嘘偽りがあるようには思えなかったが、言動がどうであろうが彼は物の怪だ。元より常識で測れる相手ではない。物の怪の本質は怪異。人に恐怖の感情を抱かせる恐ろしいもの。決して油断のならない相手だ。


 それに、これはミツルギの勘だが、クロはおそらく何か隠し事をしている。これまで何度か、日暮や夜にカラスの姿でどこかへ出かけているようなのだ。しかもその度に、新しい傷を作っている。


 そんな相手のために、どうしてこんな危ない橋を自分が渡っているのか、ミツルギ自身にも分からなかった。その不可解さはクロの心の内以上だ。普通のカラスだと思って接していた頃に、移った情が続いているのだろうか。


 考え事をしながらクロのことを眺めていると、鳥居の向こうから人がやってきた。ランドセルを背負ったわらべだ。その顔には見覚えがあった。いつも境内にたむろしている小学生のうちの一人だ。


 まっすぐこちらに向かってくる小学生とクロを交互に見やってから、ミツルギは「あっ」と声を上げる。


「おい、クロ。はよ隠れよ」


 ミツルギはずい、とクロの体を押したが、ビクともしない。


 神や神使であれば上手く人に姿を見えなくすることができるが、物の怪の場合、そのあたりがどうなっているのか、ミツルギには分からない。今、クロの姿が人に見えているのかどうかもわからないのだ。


 しかし、少年はクロには目もくれずにどんどん参道を歩いてくる。この距離であれば確実にクロのことが目に入っているはずだが、少年の視線は全くこちらには向かず、表情も変わらない。ということは、見えていないのか。


「人から姿を隠す術は、心得ています。弱っている時は、カラスの姿でやり過ごすしますが」


 そう言ったクロの目の前を、少年は横切っていく。


「なんじゃ、それを早く言ってくれ。肝が冷えたわ」


 ふう、と胸をなでおろす。だが安心したのもつかの間、少年がおもむろにさい銭箱へ小銭を投じると、紅白に編まれた鈴緒を鳴らした。


 彼はしょっちゅう境内で遊んでいるが、こうして真面目に参拝しに来たのは初めてだ。予想外のことにミツルギは目を丸くする。


 少年は律儀に二礼二拍手一礼すると、心の中で願い事を唱えた。


「弟の腹痛が治りますように」


 参拝を終えた少年は、パッと走り出して、あっという間に鳥居をくぐって出て行ってしまった。


「なんと。腹痛を治すとは。わしの専門外じゃ」


 少年の願いを聞いたミツルギは、ふむと唸った。


「わしは豊穣の神。じゃなかった、豊穣神兼武神。願う神を間違えておるぞ」


 そうは言ったものの、人の子というのはとりあえず神様にはなんでも願うものだ。いちいち、願う神が違うと目くじらをたてるのもよろしくない。ただでさえ参拝客も少ないのだから、ここは手広くやる必要がある。しかも、願い事らしい願い事は、今のが初めてである。


「おい、クロ。神使としての第一歩じゃ。知恵を貸せ」


 しかしクロはキョトンとしている。その反応を見て、ミツルギはそうだったと思い出した。神使であれば、人が心の内で唱えた願い事を聞き取ることができるが、クロは神使ではない。


「クロ、今の人の子は、弟の腹痛が治りますように、と願ったのじゃ。しかしわしは病を癒す神ではない。それでも、社が再建されて以来、記念すべき初めての願い事。どうにか聞き届けてやりたいのじゃ。そこで、そなたに何か知恵があれば、その知恵を返して欲しい」


「腹痛」


 単語を発したきり、クロは黙り込んだ。護符に隠れているせいで表情は全く分からないが、一応考えてくれているらしい。


 しばらくすると、「医者に診せれば良いのでは」と、至極まっとうな、それでいて身も蓋もない返答があった。


 ミツルギは頷く。


「それは全くもってその通りじゃな。しかし、もしかすると医者に診てもらっても治らなかったのやもしれぬ。だからこそ、神頼みに来たのでは。現代人は体調を崩した時は、神頼みの前にまず医者を頼るからな。こうして神に頼んできたということは、医者では治せなかったのかもしれぬ」


「大きな病ということですか」


「そうかもしれんしかし、それだとちとわしの手には余るな。まあとにかく、願いを叶えるにしろ、できないにしろ、もう少し詳しく情報を得る必要がある。そこでじゃ、クロ」

 

 ミツルギはビシッと鳥居の向こうを指差した。


「さっきの少年の後をつけよ。子供の足じゃ。まだ遠くへは行っておらぬはず」


 クロは頷くと、いきなりミツルギの脇の下に手を伸ばしてその体を持ち上げた。


「おい、何のつもりじゃ。わしは先ほどの童の後を追えと言ったのであって、わしを持ち上げろとは言っておらん」


 驚いて抗議の声を上げている間に、クロは猫でも抱き上げるような動作で、軽々とミツルギを抱きかかえた。


「主上も一緒に」


「一緒に?」


 クロが背中の翼を広げた。その大きな翼は、一つ羽ばたいただけで周囲に風を起こした。地面に落ちていた塵や埃が風に起こされて舞い上がる。クロは、続けてゆっくりと何度も翼を羽ばたかせながら、ぐっと腰を落とす。一瞬、溜めてから力を解放し、宙へ飛び上がった。


 浮いた、とミツルギが思ってから、神社を囲う林よりも上の位置まで、クロが高度を上げたのは刹那のことだった。


 その高さに目がくらんで、何かに掴まろうととっさに伸ばした手は、クロが纏った着物の襟元を握りしめた。


 クロは顔を下げると、穏やかな口調で告げる。


「大丈夫。落ちる心配はありません」


 ミツルギは、クロの顔を見上げた。彼の背中で広がる大きな翼が太陽の光を遮り、暗い影を落としている。風にはためく札の隙間から、クロの顔が見えた気がしたが、そのあたりは暗がりになっており、結局よく分からなかった。


「私が、あなたの体を支えているから」


 その言葉とともに、ミツルギの背中と足を支えているクロの手に力がこもるのを感じた。痛くはない。加減して、けれども、ミツルギが落ちることのないよう、しっかりと抱きあげてくれていた。

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