第13話 ミツルギ、雷様と遭遇する
降り落ちる火の粉を払いながら、こちらへ進み出てきたのは、赤銅色の皮膚をした、ほとんど裸形に近い姿をした女性だった。だがその豊満な肉体はインドの女性が身につけているような金の装身具で飾り立てられている。首輪、腕輪、足環、そして腰飾りも、すべてが金色に輝いている。要所要所に散りばめられているのは宝石か。紅玉、藍玉、翡翠、瑠璃と実にカラフルな色使いは、一歩間違えれば毒々しいほどの派手さだ。しかし、彼女の赤銅色の皮膚の上では宝石たちは争うことなく、それぞれの美しさで輝き、彼女の体を美しく飾り立てている。
「空を走っていたんだが、思わず降りてきてしまった。神同士の喧嘩なんて、今の時代珍しいからなあ」
深緑にも見える豊かな黒髪をかき上げながら、彼女は言った。剥き出しの乳房を惜しげもなくこちらに晒しながら、堂々と佇んでいるこの赤銅色の肌の女は、どこをどうとってもミツルギの理解できる範疇の外にいた。
「な、なんなんじゃそなたは!」
「あたし?あたしは雷様だよ」
女はあけすけに言い放った。
「見れば分かるだろ」
そう言われても、ミツルギの知る雷様とは遠くかけ離れた姿だ。俗に言う雷神。日本であれば、建御雷神や天神菅原道真が有名だ。だが二人とも男性神のはずだが。
「そなた、もしかして女に化けておるのか」
「はあ、何言ってんだ?」
ミツルギのトンチンカンな問いかけに、雷様を自称する女は首をかしげる。
「俵屋宗達の風神雷神図のような、民間信仰の方の雷神に近いだろう。鬼と呼んだ方が良いかもしれんな。もっとも、色々混じっているようだが」
怒りは一旦置いておくことにしたのか、ミツルギの隣で龍神が解説する。
「今や多様な文化や宗教観、創作物が国を超えて行き交う時代だ。別のものが同一視されたり、その逆もあったり。混じったり、別れたり、人々が想像する神やその他の人ならざる者の姿や印象も変化する。その過程で生まれたものだろう」
「よう、わからんが、とりあえず新しい神様といったところか?そなたは相変わらず、博識じゃの」
「あたしは別に新しい神様ではないよ。それにしてもお前。ちっこいのに難しげな言葉を使うんだな」
2人に挟まれる形となった龍神は、ため息をつくと、「頭が痛くなってくる」とこめかみを揉んだ。
「あ、そういえば、名乗っていなかったの」
ミツルギは改めて雷様へ声をかける。
「わしの名はミツルギ。ここの社の神じゃ」
「ん、ミツルギね。覚えたよ。あたしのことは、紅天て呼びな」
言いながら、紅天の翡翠色の目が、ミツルギの背後にいるクロへと向けられた。それに気づいて、ミツルギはさっとクロの前から退いて、彼を紅天へ紹介した。
「こやつはクロ。わしの神使じゃ」
「ああ、あんたらの喧嘩の原因だろ。途中から空の上で見物させてもらってたよ」
紅天は、すっと足を一歩踏み出すと、ズイ、と身を乗り出して、クロへ息がかかるほどの距離まで顔を近づけた。
「ずっと気になってたんだ。その不恰好なお札はなんだい」
そう尋ねると、紅天はクロの返答も待たずに顔の札を持ち上げた。
「おやまあ、こういう場合は醜い面を隠してるパターンが多いけど、あんたはそうじゃあないんだね」
紅天はすぐに札から手を離したため、ミツルギはクロの素顔を見ることはできなかった。
紅天はクロから身を引くと、クスクスと笑った。姿は艶かしい女性であるのに、その仕草や言動は荒っぽい男性を彷彿とさせる。だが時折子供くさい。
「それで」
もうクロについては興味を失ったのか、紅天はミツルギと龍神へ向き直り、パンと両の掌を打ち鳴らした。
「続きは?」
ミツルギは首をかしげる。
「続きってなんじゃ」
「続きは続きだ。喧嘩の続き。あたしはここで見物してるからさ。続けてくれよ。神同士の喧嘩なんて滅多に見られるものじゃないんだから」
さあ、始めてくれと言わんばかりに、紅天は地面へあぐらをかいて座る。彼女の背後では、いまだに木が炎を吹き上げている。その赤い光は彼女の赤い肌を照らし、その姿を一層美しいものに仕立て上げている。だが、業火と赤肌の組み合わせはさながら地獄の獄卒のようだ。
ミツルギはその姿に畏れに近い感情を抱いたが、龍神は堂々としたもので、白い目で紅天を睨みつけた。
「我々の諍いは見世物ではないぞ。それに、もう興醒めだ」
「なんだい。もう終いか」
つまんないな、と零し、紅天はポリポリと頭をかく。
ミツルギはオロオロしながら2人の間に割って入った。
「の、のう龍神よ。高天原への奏上は、こらえてもらえるか」
「何を言ってる。奏上を取りやめるつもりはないぞ」
「そんな!」
泣き出しそうなミツルギに、龍神はずいと、迫る。
「では聞くが、今ここでそこの物の怪を俺に斬られるのと、高天原へ判断を委ね、沙汰を待つのと、どちらが良い」
「そ、それは」
答えあぐねているミツルギを鼻で笑い、龍神は空は浮かび上がってゆく。
「ミツルギ、おとなしく沙汰を待つことだな。それが自分のためでもある」
その言葉を最後に、龍神は踵を返した。追うことも叶わず、ミツルギは呆然と立ち尽くす。
雨はいつの間にか上がっていたが、ミツルギの体や衣はぐっしょり濡れている。水を含んだ衣が肌に張り付く感触が不快だ。
「まあ、成るように成るさ」
傍に立っていた紅天が、他人事なのをいいことに気楽なことを言う。
「あたしは、面白いと思うけどね。物の怪を神使にするなんて。そもそも、そう簡単にできることじゃない」
ニッと白い歯を見せて笑うと、紅天はミツルギと視線を合わせるように身を屈めた。
「一体、どうやって物の怪を手なづけたんだ?」
「手なづけてなどおらぬ。ただ、懐かれただけじゃ」
「へえ、そうかい」
紅天は笑みを浮かべながら、後手を組んでふわりと宙に浮き上がる。
「もう行くのか」と問いながら、ミツルギはさらに質問を重ねた。
「のう、そなた。ひょっとして、助けてくれたのか」
「なぜそう思う」
「龍神が、クロに太刀を向けようとしたまさにその時、そなたは空から降ってきた。たまたま通り掛かったという割には、タイミングが良すぎる。龍神を制してくれたのではないのか」
ミツルギの言葉を、紅天は否定も肯定もしなかった。ただ、「さあてね」と適当なことを言って肩をすくめた。
「あんたがそう思うんなら、そうなんじゃないか」
「礼を言う」
頭を下げると、紅天は呵々と笑った。
「神様が、そんな簡単に頭を下げるんじゃないよ。もっと、堂々してな。じゃ、あたしはもう行くよ」
そう言って去ろうとした紅天が、急に思い立ったような顔をして引き返してきた。
「な、なんじゃ、どうしたのじゃ」
思わず身構えると、紅天が自分の腰にぶら下げていた巾着袋を差し出してきた。
「これやるよ」
反射的に両手を差し出すと、その上に巾着袋が置かれた。何かが中に入っている感触はあったが、羽根のように軽い。
「気に入ったやつには、あたしの集めた宝物を渡してるのさ。そいつは採れたて新鮮なやつだ」
「新鮮?」
果実でも入っているのかと、ミツルギが中身を確かめる前に、紅天は「じゃあな」と言って今度こそ姿を消した。
誠、消えたのかと思うほどの速度で天へ駆け上っていったのだ。彼女が動いた途端、雷鳴が轟く。空気を震わせるゴロゴロという音に、ミツルギは思わず身をすくませる。
彼女が降りてきた時に燃えた哀れな木は、不思議ともう鎮火していた。隣の木に燃え移りもしていない。しかし、その黒焦げになった幹や枝が、静かに雷様の気配を止めていた。