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第12話 ミツルギ、龍神と喧嘩する

 いよいよ、龍神の訪問日を迎えた日のことだ。


 その日、神社の境内で、ミツルギは龍神と対峙していた。


「貴様……、今、なんと申した。気でも触れたか」


 怒りからくるものか、呆れからくるものか、果てはその両方か。引きつった笑みを浮かべ、額に青筋を立てた龍神の顔から目を背けず、ミツルギは「わしはいたって正気じゃ」と胸を張った。


 そのミツルギの背後に、青年姿のクロが立っている。龍神は忌々しげにクロを睨みつけるものの、直接話しかける気は無いようだ。


「そなたの言う通り、拾ったカラスに正式に名を授け、神使とした」


「拾ったカラス」


 龍神は吐き捨てるように言った。


「そこにいるのは、どう見ても物の怪だろう」


「確かに、その類のものじゃ。しかし、クロにはわしへ真摯に仕えようとする心がある。わしはその心に答え、クロという仮名を真名として正式に授けた。であるからして、物の怪などと呼ばず、そなたも、呼ぶならクロの名を使ってほしい」


「やはり正気ではないだろう」


 宙に浮遊してミツルギを見下ろす龍神の背後に広がる空は、彼の心を映したかのような曇天で、時折雷鳴の音を轟かせている。今にも雨がざあっと降り出し、稲妻が空を駆けそうな危険さを孕んでいる。この龍神はあくまで川が神格化したもので、天候を操る力はないはずだ。この空模様は偶然だと、ミツルギは思いたい。 


「物の怪を神使にするなぞ、今の貴様を除けば、これまで聞いたこともない。それはなぜか。そんな禁忌めいたことをする神は、貴様しかいないからだ。それも、そこの物の怪には、心があるだと」


 カッと、強い光が、黒々とした鱗を描いていた雲の向こう側を走り抜けた。一拍の間を置いてから、肝の縮むような雷鳴が耳朶を震わせる。その音が止むと、龍神はまた口を開いた。


「物の怪に、そんな可愛らしい心なんぞあるものか。仮にあるように見えたとするなら、それは錯覚か、もしくは物の怪が人を真似て作った紛い物の心。どのみち、真っ当なものではない。そんなものに絆されるような神ではないと思っていたが、放浪生活のせいで、やはり狂ったか」


  あんまりな言われようである。ミツルギはそれにはもう反論しなかった。話したいのはそこではないのだから。


「わしは、わしが感じたクロの心を信じてみようと思ったのじゃ」


「百歩譲ってお前の話に合わせてやろう」


 そう前置きして、龍神は言葉を続けた。


「信じてみようとするにしろ、神使としたのはあまりに早計。確かに、俺は拾ったという手負いのカラスを神使にしろとお前に一方的に言いつけ、四日後また来ると言ったが、そのカラスの正体が物の怪であったのならば話は別。その時点で、普通はまず相談するだろう。今日、この日に」


「しかし、その相談を受けたとして、そなたはどうするつもりじゃ」


「悩む必要もない、斬って捨てる」


 脅すようにして、龍神は腰に佩いた太刀の柄に指を這わせた。童子の体躯には到底釣り合わない武具ではあるが、その太刀を龍神が軽々と振るえることをミツルギは知っている。


「そうじゃろうと思った」


 ふふん、とミツルギは笑った。


「しかし、今のクロに、そなたは手出しできないであろう。勝手に他所様の神使を殺してはならないという暗黙の規則があるものな。わしは、そなたがクロに手出しできない状況でないと、安心してそなたに相談することもできん。であるからして、先に神使にしてしまった。そして、ここからが本題じゃ」


「本題?」


 龍神は、もう太刀から手を離していた。表情は相変わらず険しいが、先ほどよりほんのわずかに和らいでいる。


「そなたにはご近所の誼みでクロのことを話したが、他の神、特に天津神あまつかみに知られてはまずい。それに」


 ミツルギは龍神の方へ近づいて、「もそっと、こっちへ」と手招きした。龍神は渋々降りてきて、ミツルギの顔へ耳を寄せた。それでも、ミツルギより背が低くならない位置での浮遊は続けている。


「それに、そなたの言う通り、物の怪を神使にするのは、知りうる限り前例のないこと。どのような事態が出奔するかも分からぬ……」


「共犯者になれと?」


「別に悪いことをしておるわけではなかろ。物の怪を神使にするな、などという規則は、ないはずじゃ。それともわしの知らぬうちにできたか」


 龍神は首を横に振って「ない」と答えた。


「だが、そなたも天津神に知られてはまずい、と言ったろう。それはつまり悪いこと……少なくともバレたら怒られても仕方のないことをしている自覚はあるんだろう。その上で俺に相談しているということは、どう見ても、共犯者にするつもりだろう!」


 「百歩譲って」ミツルギの話を聞いてくれていた龍神は、突然声を荒げて、ミツルギから身を引いた。


「そんなのはごめんだ。俺は高天原へ行き、このことを奏上する」


「うげっ」


 ミツルギは慌てて、身を翻そうとした龍神の、長い龍の尾のような髪の束を、ジャンプして掴んだ。


「何をする!!」


 龍神は顔を赤くして叫んだ。髪を掴まれては身動きが取れない。


「何をって、そなたを止めとるんじゃ!クロのことを奏上させるわけにはいかぬ!」


「何というやつ!ええい!」


 龍神は、自分の髪を掴んで離さないミツルギの顔を、宙に浮かんだまま、足で踏みつけた。それでもミツルギは離そうとしない。


 突然始まった神々の争いだったが、二人とも子供の姿をしているためどうにも迫力に欠ける。端から見れば姉弟喧嘩と思われてもおかしくはない。


 その喧嘩をさらにヒートアップさせるかのように、いよいよ重く垂れこめていた雲から、早々止みそうもない勢いで雨が降り出してきた。雷もゴロゴロと唸り、空には稲妻が駆け抜ける。


「いい加減にしろ!もう、斬るぞ!」


 雨音に負けぬように声を張り上げた龍神は、腰の太刀に手を伸ばす。しかし、その手を掴んだ者があった。ミツルギではない。大きく、骨ばった手は、クロだ。


 龍神は怒号を発してその手を払いのけようとしたが、それと同時にミツルギの顔を踏みつけていた足を、ミツルギによってつかまれ、下へ引っ張られた。体勢を崩した龍神は、重力に逆らうことなく地面へドシャリと落ちる。


「貴様ら……」


 体を起こした龍神の額には青筋が立ち、表情は怒りと屈辱で染まっている。


 これを見たミツルギは、ああこれは少しまずいかもしれない、と危ぶんだ。龍神は他人から見下ろされることをひどく厭う。それも、無理やり地面へ引きずり降ろされた故ならばなおさら。


「す、すまぬ。その、やりすぎた」


 今更になってミツルギは謝罪の言葉を述べたが、相手はそれで怒りを鎮めてくれるような神様ではない。


 龍神の衣を打つ雨粒が、弾かれるようにして宙に静止する。龍の尾のように長い髪は雨風の法則を無視してその身を燻らせている。龍神の纏う水干も同様だ。やがて、龍神の体は再び宙へ浮かび上がった。睨み上げていた龍神の目線はそのままミツルギたちを見下ろす格好になる。


「のお、ちょっと、一回仕切り直さんか。その、もうちょっとちゃんと話し合おう」


 龍神に弾かれた雨粒が数を増し、大きさも増しているのを見て、ミツルギは矢継ぎ早に言葉を繰り出すが、龍神は矛を収める気はないようだ。


「話し合い?そんなもの先ほど終わっただろう。まだ「我」の邪魔をするというなら」


 龍神が、とうとう腰の太刀を抜き放つ。それは、龍神の持つ神器の一つだ。神器はその神の持つ力をさらに引き出すためのもの。龍神の怒りは本物である。


 名ばかりの新米武神であるミツルギはさすがにたじろいた。そのミツルギをかばうように、クロが龍神の前へ立ちふさがる。そのクロを見て、龍神は笑った。


「は、ちょうど良い。奏上という手間が省ける。貴様をここで屠ればな」


 龍神の小柄な体躯と、太刀の切っ先がクロへ迫る。だが、それが当たることもなければ、クロが反撃することもなかった。耳を劈くような雷鳴が落ちてきたからだ。そう、文字どおり落ちてきた。


 すぐ近くの木が、火を吹いた。落雷の餌食となったのだ。幹が縦に裂け、痛々しい姿を晒しながら、その身は業火に包まれてゆく。

 

 先ほどまで遠くにあると思っていた雷は、龍神と争っている間にこんなにも近くにまで迫ってきていた。


「うわあああ!わしの!わしの社の木がああ!」


 ミツルギは、叫び声を上げながらクロの体に抱きついた。かなり勢い良く抱きついたせいで、クロの体がふらつく。


 一方、龍神は哀れな木の方を油断なく見据えていた。


「可愛らしいわらべの喧嘩ほど、見ていて微笑ましいものはないなあ」


 一同の注意が燃え盛る木の方を向いていたその時、どこからか、からかうような女性の声が響いてきた。


 ミツルギは「ひいっ」と悲鳴を上げ、クロに抱きついた格好のまま声の主を探して視線を彷徨わせる。果たして、声の主はすぐ近くにいた。燃え盛る木の真下に。

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