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第一話 ミツルギ、祀られる

「そんなご無体な!」


 八百万やおよろずの神々が住まう高天原たかまがはら


 立派な桧皮葺ひわだぶきの屋根がいくつも並ぶ尊き地に似合わぬ素っ頓狂な声が聞こえたのは、高天原の中央に位置する本宮ほんぐうからであった。


 素っ頓狂な声をあげた主は、「お静かにお願いします」と目前の神使から釘を刺され、「うっ」と声を詰まらせたがやはり我慢できなかったのか、「でも、でも、でも!」と涙目になって言い募る。


「あんまりではないか。わしは豊穣の神であるのに、何故武神の役目を果たさねばならぬ!おかしい!この神事じんじ異動はおかしい!」


 双髻そうけいに結った長い白髪を、兎の耳のようにヒョコヒョコ揺らしながら、十三、四歳頃の愛らしい娘の姿をしたその神は、必死で訴えているようだった。それを宥めるのは、除目じもくを司る神の神使である。


「しかし、ミツルギ様は現状、豊穣神兼武神として祀られております。」


「豊穣神は合っておるが......武神の方は人間たちの勘違い!寂れてしまったお社を建て直してくれた人間たちが、何をどう思ったか知らぬが、わしのことを武神と勘違いしておるだけじゃ」


「勘違いでも、人がそう思っているのなら、ミツルギ様は立派な武神でございます」


 誉めたたえるように言われ、ミツルギという名前のにぎやかな神様は、うっかり嬉しそうな顔をしたが、すぐにブンブンと首を横に振った。


「無理、無理じゃ。わしは剣すら握ったことがないのに」


「随分前に宴で剣舞を披露なさっていたように思うのですが」


「あ、あれは舞じゃ。舞!余興よ。戦うために剣を握ったことはないと言うたのじゃ」


 じたばたと手を振るミツルギに、人の女性の姿をした神使は、「ご安心ください」と穏やかに言った。


「今の世は天下泰平。神自らが剣を取る時代は、とうの昔に過ぎ去っております。よって、ミツルギ様御自ら戦うようなことはありません。他の有名な武神の方々を思い浮かべてください。彼らとて、もう何千年も戦をしておりませぬ」


「つ、つまり、形ばかりの武神で良い、ということか」


「形ばかり、ではございませんよ。先ほども申し上げた通り、人々が武神として祀っている以上、ミツルギ様は正真正銘の武神でございます」


「いや、でも戦ったこともないのに武神というのはちとおかしな話ではないか」


 自身よりもスラリと背の高い神使を見上げながら、ミツルギはなおも不服そうに問いかける。神使はミツルギとは対照的に、ニコリと微笑んだ。


「ミツルギ様。人々がそうあれかし、と望めば、神はそうあるのです」


「そんなもんかの」


「そんなものです」


 さあ、と神使はこの話はもう終わりだと、ばかりに感嘆詞を挟む。


「ミツルギ様、新しいお社へお入りになられる前に、此度の件に関する我が主上の言葉を申し上げます」


 神使は一度言葉を切ると、自分の仕える神の姿を、まさに今目の前にいると夢想するが如く目を閉じて、いくらか低い声で述べる。


「神使を召し上げ、氏子うじこを慈しみ、武神として神格をお上げなされ。さすればそなたの社は安泰、そなたの民もまた安泰となるでしょう」


 その言葉の余韻を噛みしめているのか、神使はしばらく黙した後、「以上が、我が主上の言葉にございます」と言って、ようやく目を開いた。


「恐れながら、私からもミツルギ様への言祝ことほぎの言葉をお送りしたく存じます。昨今の人の世は、誠に移ろいの激しきもの。その様は、まるで種から吹いた芽が土を破り、茎を伸ばし、花をつけ、種を残し、枯れしぼみ、そして再び新しい種から芽吹く様子を早回しにしたかのよう。古きことは忘れ去られ、新しきものもまたすぐ、人々の心から消え去ってゆく。その流行り廃りの激しいこと。そのような世の中で、ミツルギ様が再びご祭神となられたことは誠に稀有でめでたきことにございます。しかれども偶然に非ず。ミツルギ様のご威光が、時を超えてもなお、人々の心に残っていたという何よりの証にございます。私のような一神使が祈らずとも、と言いたいところではありますが、祈らせていただきましょう。ミツルギ様の益々の繁栄を、心よりお祈り申し上げます」


「う、うむ。それは、どうも」


 ミツルギはこのような言葉をかけられることに慣れていないのか、どうも歯切れの悪い言葉を返したが、表情はまんざらでもなさそうだ。口元は締まりなく緩み、饅頭のようにすべすべもちもちした肌にはほんのり赤みが差している。


「それでは早速」


「うむ、それでは早速?」


 ふと、目前の神使を見てみれば、彼女の手にはいつの間にか丸い鏡があった。ミツルギの顔ほどの大きさの鏡に映るのは、ミツルギではなく、見知らぬ部屋ばかりである。


「おかしな鏡じゃ。鏡のくせに目前のものを映しとらんぞ」


 少し腰を曲げて鏡を覗き込むミツルギに、神使は言葉をかける。


「これは映す鏡ではございません。結ぶ鏡にございます」


「結ぶ?」


「はい、四国にありますミツルギ様のお社、兎山とやま神社の鏡と結び合わせております」


 その時、ミツルギはくん、と見えない力に引っ張られるような感覚を覚えた。そう思った瞬間、鏡の中に見えていた部屋がぐんと近くなる。


「うおっ」


 一瞬の浮遊感に思わず声をあげたミツルギは、「一体何が」と神使に問おうとしたが、あの背の高い女性の神使の姿はどこにもなかった。ないどころか、ミツルギが立っているそこは高天原の本宮内でもなかった。


 百柱の神が入れそうなほど広かった空間は、十四畳ほどの板敷きの部屋になっており、先ほどまではなかった若い檜の香りが鼻腔をくすぐる。そしてその光景は、先ほどの鏡に写っていた光景とそっくりそのままであることに、ミツルギは気付いた。


 ミツルギはここ数十年で覚えた外来の単語を用いて、合点がいったというように一人頷く。


「なるほど。ワープというものじゃな。わしの前の社がまだあった頃にはなかった代物じゃな。いやあ、どこの神かは知らぬが、便利なものをこさえたもんじゃの」


 くるり、と後ろへ向けば、一段高くなった床に白木で組まれた祭壇がある。丸い鏡が中央に置かれ、その手前には平次へいじと、塩と米の盛られた平皿ひらざらが対となって、三宝台さんぽうだいの上に置かれている。鏡の左右には瑞々しいさかきが青々とした葉を扇のように広げていた。


「ここが、わしの新しい社か」


 なんだか先ほどの神使にうまく丸め込まれたような気もするが、いきなり武神として祀られたと知った時の衝撃と焦りは、新築の社を前に雲散霧消していた。


 ミツルギは、祭壇の中央に鎮座した鏡を覗き込んだ。鏡には、見慣れた自分自身の顔が映り込んでいる。そのまま鏡の前でしばらくじっとしてみたが、特別何かが起こる訳でもない。


 じっとしていることに飽きたミツルギは、再建された自分の社を見て回ることにした。


 固く閉じられた観音開きの扉の前に進むと、扉を開けることなくそのまま突き進み、内と外を隔てる境界を難なくすり抜ける。神であるミツルギにとって、自分の社の扉が開いているか閉じているかは同じことだった。


 外へ出た途端、明るい太陽の光が視界を明るくした。季節は皐月。春に萌え出た若葉の緑と、五月晴れの青い空のコントラストが美しい季節だ。


 社は涼しげな鎮守の森に囲われている。ミツルギは緑の葉と、たった今出てきた本殿の屋根で切り取られた空を見上げた。白い雲切れが点々と浮かぶ空に、時折ツバメが入ってきてはミツルギの視界を横切っていく。


「よいせ、と」


 ミツルギは、身につけている白い袴の裾を

たくし上げると、本殿に取り付けられている階段を駆け下りた。


 ミツルギの着ている衣は、真白い髪に合わせて、白い切袴きりばかまに白いひとえと白いあこめを重ねている。さらにその上に汗衫かざみと呼ばれる、薄手の衣を羽織っており、それが清涼感を醸し出す一工夫となっているのだが、服を着ている本人は、心なしかじんわり汗をかいているような感じがする。


 ここ百年の間に、五月は随分と暑くなったものだ。最も、およそ百五十年前に、人間が異国から新しい暦を取り入れてからは、それまで使われてきた暦とは季節がずれてしまっているのだが。それを差し引いて考えても、五月はもう、ミツルギの知る五月ではなくなっていた。


 先ほどの神使の言葉が蘇る。


「昨今の人の世は、誠に移ろいの激しきもの」


 あの神使は、人の心や興味関心のことを言っているようだったが、その言葉は変わりゆく気候にも当てはめることができるな、と、ミツルギは思うが、変わるものは仕方がない。そもそも永久に変わらないものなど、ありはしない。


 ミツルギはかつて、この地で多くの氏子を持つ神であった。しかし、人が明治と呼ぶ世の末期。時の政府の発した神社合祀令じんじゃごうしれいにより、全国の多くの神社の統廃合が進んだ。その波はミツルギの社にも押し寄せ、ミツルギは数多の神々と同様、御神体を持ち出されて遠くの町の神社に合祀された。


 戦後、社殿が残されていたことで復祀ふくしされ、元の居場所へ戻ることができたものの、高度経済成長期を迎えた日本。氏子は都市部へ流れて減少し、管理する者のいなくなったミツルギの神社はすっかり寂れてしまった。


 待てど暮らせど、参拝客も管理人も神主も来なくなった居場所に見切りをつけたミツルギは、数十年間を人の世を適当にぶらついては、食う寝る遊ぶを繰り返すことに費やした。千年以上も平穏に祀られてきたのに、たったの百年そこらで、ミツルギは二度も氏子を失った。だから、この激しく変わっていく昨今の人の世の事は身をもって経験している。しかし、根っこの性分が能天気なもので、それを寂しく思うことはあっても憂いを覚えることはない。


 ミツルギは出来立てホヤホヤの本殿を眺めた。本殿の手前には拝殿もある。半ば朽ち、建っているのもやっとだった以前の社殿は見る影もない。おそらく、解体され、一から新たに建て直したのだろう。


 ほとんど風雨にさらされていないその新築の社は、日差しに照らされて輝くばかりだった。


 周囲を檜の林にぐるりと囲われた境内は決して規模が広いとは言えなかったが、ミツルギは大満足だった。あとは参拝客の一人でもいれば、と欲を見せ、苔むした石造りの鳥居の方を見てみたが、人の影はない。この鳥居は、建て替えられてはいないのだのう。昔見たままの姿だ。


「ううん。久々にちゃんと祀られたはいいものの、結局暇なのはいつもと変わらんな」


 阿吽の狛犬像の間に立ち、ミツルギは腕組みをして首をひねる。するとそこへ、「やることはいっぱいあるだろう!」という声が上から降ってきた。

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