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第二章 あなたはヒーローですか(またはあの子を救えますか)⑥

 最寄りの駅に着いて、彼女が案内した方向の車両に乗って、ようやく手は離された。

「どこで降りるの?」

「ひみつ」

 何も答えないことに決めたらしい波奈に、麻琴は諦めて車両の外を眺めた。それから、いくつか乗り換えをして、麻琴にとっても馴染みのある路線にやってくる。


 高校のときはよく利用していたけれど、大学に入ってからちっとも利用していなかった路線だった。乗車した車両は各駅停車で、がたんごとんとゆっくり景色が移ろっていく。

「一ノ瀬さん、今日が終わっても文芸を辞めることないよ。僕が辞めるのは、僕自身の問題だから」

「うん、わたし辞めるつもりないよ。雛田くんもやめない」

「僕のことは、君には関係――」


 電車がブレーキをかけて止まり、運転手が駅名をアナウンスする。

 ドアが開くのと同時に、波奈は再び手を掴んだ。ホームの階段を上がり、駅前のロータリーへと足を進める。

 麻琴たちが通っていた通学圏内の、寂れた駅。あたりがすっかり暗くなった十八時頃。

 そこは――。

「ここ、忘れたとは言わせないよ」

 波奈の飲酒現場を目撃した週の日曜日、初めて二人でヒーロー活動をするために集まった駅だった。 




 駅のロータリーにある、歩道と車道を分けるポール。波奈はそのポールに身体を預けて、話し始めた。太陽が沈んだ秋の黄昏はずいぶん寒くて、互いに自分の両手をポケットに突っ込んでいた。

「覚えてる? あの日のこと。わたしは覚えてるよ」

 麻琴の方をみて、くしゃりと笑う。


「雛田くんが怪人について話し始めたとき、想像の何倍もヤバい人だったんだって思った。話は突拍子もないし。怪人がピコピコハンマーで攻撃してくるって聞いたとき、一緒についていくって言ったことを後悔したもん」

 麻琴はその話を聞いて、なんだか居ても立っても居られなかった。恥ずかしい。

「でも、怪人倒しを手伝って、一緒にテーマパーク行って……人生って分かんないものだよね。飲酒をやめさせるっていう雛田くんの宣言も、ちゃんと実現されちゃったんだから」

 それ以上、言わないでほしかった。意識の表層に浮かび上がらないようにしていた、高校の記憶を掘り返さないでほしい。賞賛であったとしても、言及しないでほしい。

「その話は、もういいよ」


「わたし、あれから狼の怪人を倒したんだよ」

 その言葉を聞いて、麻琴は地面ばかり見ていた目線を、初めて波奈に合わせた。二人の目線が交差する。

「ねえ、雛田くん。ヒーローはやめたの?」

「だって、あんなの……ぜんぶ、自己満足で、意味なんてなくて、嘘っぱちだ」

「嘘か、幻か。そんなこと、どうだっていいよ。大事なのは、前に進むことだよ」

「前に進むっていったって」

「あの時、わたしたちは負けた。君の――いやわたしたちのヒーロー活動はまだ終わってない」

 波奈が真面目な顔でそんなことを言うもんだから、なんだかおかしい。笑えそうなのに、麻琴は顔がちっとも笑っていないことを自覚していた。

「ヒーローは期間限定! 大人になったら、そんな暇もなくなっちゃう……かもよ?」

 ふっと波奈が笑う。

「今、やらなきゃ」


 言いたいことを言い終えたのか、ずんずん突き進んでいく波奈。麻琴はその背を追いながら、どこまで本気なのか図りかねていた。

「やらなきゃって言ったって、あのときと違って竹刀も持ってきてないよ」

「そのために、木刀買ったでしょ」

 楽し気に波奈は話す。

 今日一日のことを振り返って、彼女は最初っからヒーロー活動のために、珍道中していたのだとわかる。

 というか、木刀買い始めた時点で薄々嫌な予感はしてた。

 けれど、考えないようにしていた。


「一ノ瀬さん、昔は全然信じていなかったじゃないか」

「今も半信半疑だよ」

「じゃあ」

「言ったでしょ、そんなことは関係ないって。わたしはただ、負けっぱなしで終わりたくなかっただけ」

 迷いなく突き進んでいく彼女は、なんだか上機嫌だ。

「ずんずん進んでるみたいだけど、実は迷ってたりしない? 遅い時間だし、今日じゃなくって明るい時間にしたら?」

「明るい時間だったら、他の人の迷惑だからっていうでしょう? それに、五感じゃなくて第六感に従ってるから、迷わないよ」


 スピリチュアルなことを言ってる……なんだか、怪しい宗教にでもハマったんじゃないかと心配になる。やけに高い水晶を買ったりしてない?

「うわっ、雛田くん失礼な顔してる。大学に入って久しぶりに会った友達が、マルチを進めてきたときみたい」

「その顔、見たことあるの?」

「ないよ、ありがたいことに」


 そのあともずんずんと進んでいく彼女は、ある時ぴたりと足を止めた。

 ぐるりと周囲を見渡して、何かに気が付いたのかまた歩き出す。その視線の先には、やはり既視感のある公園があった。

 あのときと同じように、既に辺り一面は暗い。ぽつりぽつりと街路灯が設置されているが、どれも頼りない光だ。

「怪人の方も、ドラマチックさとか、ロマンを大事にするタイプなのかな。最後は始まりの場所で、みたいな」

 笑ってそんなことを言う波奈は、まるで怪人を友達のように言う。


「どこにいるか、分かるの? この公園って結構大きいけど」

「もちろん!」

 そう言ってゆったり歩いていく。その先に、街路灯に照らされたダガーナイフがきらめいた。

 やけにリアルなひつじの被り物、上質なスーツ、革靴まで履いちゃっている。

 といっても、左上半身は麻琴には見えない。怪人は麻琴と同じく右利きだったので、ナイフを持っている手は見えたのは幸いかもしれない。

 ここ数日逃げまどっていたから、よく知っている姿だ。けれど、正面からしっかり見たのは初めてかもしれない。

 

「わたし、ここで観戦してるね」

 そう言って波奈は近くのベンチに座った。こちらを見て手を振っている。

「観戦するって言ったって……」

 ビニール袋に入れられた木刀を取り出したが、それでも麻琴は気が進まなかった。夜の公園でチャンバラごっこやってる大学生なんて、どう考えても不審者だ。

 麻琴の心中を察してか、土産物屋で持ったときよりも木刀は重く感じた。

 目の前の怪人も、やる気なさげに猫背だった。そんなに猫背だったら逆にしんどいだろ、という状態で露骨にダルそうにしながら、ダガーを麻琴の方に向ける。


 そして、麻琴の元に駆け寄った。ぐらりと怪人の体制が揺らいで、次の瞬間にはナイフで一突きできる距離にいた。

「うわっ!」

 慌てて後ろに下がって、間一髪でナイフを避ける。波奈に最初に出会った時もそうだけど、回避能力が高いのかもなんて麻琴は思った。

 そこからじりじりと怪人が近づき、麻琴がその度に後ろに下がる。木刀を使ってナイフを弾こうとするけれど、そんな技巧の求められることはできなかった。

 防戦一方。その言葉がこれほど似合う戦いはないだろう。


(何、やってるんだろう)

 麻琴はただダガーを避けることに専念しながら、そんなことを思った。

(恥ずかしい、今の自分がこれまでで一番みじめだ)

 どこか遠くから見つめている自分が、へろへろで避ける自分をあざ笑う。それは小学生の頃だったり、高校生の頃だったり、今の自分だったりした。父を信じていた自分、ヒーローを信じていた自分、何を信じればいいのかも分からない自分。


 怪人が少し距離をとる。突然しゃがんで、また立ち上がった。

 麻琴の方に再び向かってくる。そして突如として――。

「ぐっ!」

 目に激痛が走った。怪人が砂を投げつけたようだ。

 ダガーを避けるため目を閉じないようにしていたのが、あだとなったようだった。思わず痛みの原因を除くため、右手を木刀から離して目をぬぐう。

 痛みが少し和らいだ気がした次の瞬間、その動作が致命的なミスだったことを知る。


 左の脇腹に、ナイフの柄が突き刺さっていた。怪人がすごく近くにいて、両者の間にはドバドバと水色の液体がこぼれている。それは怪人ではなく、自分からあふれ出ていることに麻琴はしばらく気が付かなかった。

「う、ぁ……」

 頭が少しぼおっとして、遠くの方で心配するような声がした。不思議と痛みはあまりなかった。ふわふわと浮遊感がある。意識が遠のいていく。


 ヒーローになりたかった。その願いは捨てた。

 先輩に憧れて、彼氏になりたかった。叶わなかった。


 じくり。

 傷口が思い出したように痛んで、視界が鮮明になる。鼓動に合わせて、痛みも共鳴するように強くなる。傷口から広がっていく、自分にしか分からない痛み。

 高校二年のあの日、なぜ波奈が連絡を絶ったのか。ようやく理解できた気がした。

 

 自分の痛みは自分だけのものだ、決して他人に解決できない。鍵はいつだって自分が握っている。

 他人に明け渡せないし、明け渡しちゃいけない。


 麻琴は思いっきり頭を振りかぶった。そのままひつじの被り物めがけてぶつける。怪人は少し仰け反った。

 相手が揺らいだその瞬間に、麻琴は思いっきり被り物を上に弾き飛ばした。

 キャッチボールみたいに綺麗に円を描いて、怪人の顔が露になる。ぼたぼたと血が脇腹から噴き出ているのが見えたが、一旦気にしないことにした。


 日光にあまり当たっていない青白い肌、あまり手入れされていない髪。

 毎日洗面台の鏡で見ている顔が、そこにはあった。瞳は閉じられていて、大の字で寝ている。

 まるで電源が切れたみたいに、うんともすんとも言わない。麻琴はじりじりと警戒しながら近づいた。

 

 そのとき、突如として怪人の目が見開く。

 真空になるとぐしゃりと凹むアルミ缶のように、彼の皮膚は内側に収縮した。安っぽいテーマパークとかにある空気でブヨブヨ揺れている人形、あれの空気を抜いた感じだ――まあ、あれよりリアルだから、気持ち悪さは何倍増しだけど。

 そのままどんどん小さくなって、スーツの下に消えていく。麻琴が駆けつけたとき、その姿はもう残っていなかった。



 消えた、夢みたいに。

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