8.人のいない街で
僕が今こうしているように愛想良く振る舞い、わざと笑顔を作っているのと同じで、僕の外見について褒めたりする『お客さん』の言葉は、相当に嘘が含まれているのだと思う。というか、そのくらいは分かっている。もっとも今日の相手は、ほとんど僕に向けて言葉を発してもくれないのだけれど。携帯電話には、同じ相手が「かっこいい」「かわいい」といった言葉を平気で僕に向けていたことが、はっきりと記録されていたとしても。
思えば、そんな言葉を向けられた経験なんて、こういう相手以外からはほとんど無い。確かに、例えば両親にそう言われたことは何度もあるけれど、それとは全く感触が違う。聞き慣れているという以上に、その言葉の意味が、他人へのものとは全く異なるというのを知っていたからだろう。だから、こうして面と向かってしまうと、言えなくなるのも無理はない。
直接的ではない出来事まで含めれば、容姿に関する他人からの評価を聞いた経験は、あの写真の件からさらに遡ることができる。
三年ほど、いやほぼ三年前、街中に出かけ、久しぶりに訪れることのできた街中のアーケードで、人があまりにも少ないこと、そのせいで、明るいのに異様に寂しく思えることに驚きながら歩いていたときだった。入り口は大きく開きながら、ほとんど出入りする人がいない百貨店の前を通り過ぎようとしたあたりで、突然肩を叩かれ、こう言われた。
――君、女の子?
唖然として振り返っても、そこには見知らぬ女性が立っていただけで、わけが分からないままだった。
僕と同じようにマスクで口元を覆っていたその人の顔というか表情はほとんど伺い知れず、何が起こったのか理解できなかった僕は、ただとにかく自分にとってはっきりとしていることを示すために、首を横に振った。するとその人は「なぁんだ」とでも言いたげな、期待が外れたという様子を見せ、立ち去っていった。
それきりの出来事だったけれど、僕はしばらくの間、あれはいったい何だったのだろうと考え続けた。確かに、その頃には何ヶ月かの間ほとんど出かけることができず、散髪に行けていなかったせいで髪はいくらか長めではあった。たぶんそれが原因だったのだろう、というのが、一応の結論だった。もっとも、だからと言ってよりによって僕に対して(あるいは僕ではない、もっとふさわしい――何に?――人に対して)、あんなふうに声をかけるだろうかという、大きな問題が残ったままだったけれど。
それはともかく、大部分は嘘だったり、僕の年頃という価値を逃さないようにするための方便でしかないとはいえ、自分の外見をいろんな言葉で飾り立てられてみると、ああやって声をかけられた理由はこういうことだったのかと思ってしまう。そういえば女性だったし。
とはいえこんな認識も、たぶん勘違いなのだろう。例えば恋人ができたこともないといったことが根拠になる。
いずれにしても間違いないのは、ある領域の人のある種の目的のためには、僕は都合がよく、そして実際に会ってもその要求を維持できる程度の容姿は持っているということだろう。僕が得てきた報酬は、その代金としては明らかに過大な気がするけれど。それに今日の相手について言えば、そういう釣り合いについて、さらにはっきりと認識しているに違いないと思う。